勇者と魔王のネバーエンド
「魔王ッ! お前のケツを掘りに来た!」
噴火直前の火山の深淵。
業火吹きすさぶ魔王の間。
数多の魔物、我が同胞を打ち倒し、とうとうやってきた勇者一行なる三人の若者。先頭に立つ黒目黒髪の男、その前に立つオレの巨躯。
「ふざけるな!」
二本の角に炎の双翼。岩のような肌から灼熱の血を噴出させた、破壊の形。それがこのオレである魔王の姿だ。
オレの激昂に対し、黒髪の若者はごっつい輝きを湛えた黒い瞳で、
「俺はド真面目だ! 勇者として王に選ばれ、予見の水晶に映されたお前の姿を見た瞬間、確信した! 俺はお前のケツを掘るために生まれてきたのだと!」
魔王であるオレの恫喝を一蹴する、勇者という人間。その男が意味不明に恥ずかしい告白をしたと同時に、纏っていた装備が全て砕け、蒸発飛散した。
完全脱衣を終えた勇者は、その股ぐらに規制的な魔法の光を宿らせながら、
「さあ、魔王。ケツを出せ……!」
一歩、オレの前に足を踏み出す全裸の愚か者。眩いばかりにギュンギュンしていく股間の魔法力。
「ちょ、待って! どうしたの勇者!? まさか魔王から初手で精神攻撃喰らったとか!?」
勇者の背後、慌てて駆け寄る一人の女。使い込まれた手甲の両手に手斧を握る、金髪碧眼の女だ。
勇者はその女にスバッと振り向き、
「俺は正気だ! そしてあのケツは俺のものだ!」
「そんな! あなたがそんなことで世界がどうなると思っているの!?」
「そんなもん、どうだっていいわ!」
そう叫びきった勇者は、倫理が迷子な姿で平静を装い、
「戦士に魔法使い、今までありがとう。お前たちのおかげで、ここまで来れた。自分勝手な物言いだが、こいつは俺に譲ってくれないか」
「しかし、勇者……」
その懇願に答えたのはもう一人の人物。大きな杖を持つ、魔法使いと呼ばれた銀髪赤目の男。
「分かっているのか。そんなことをすれば、我々人間の社会から疎外され、お前は人として生きることを許されなくなる。その覚悟があるのか?」
魔法使いの問いに、勇者は「ああ!」と力強く答え、それからビシリと自らのケツをいい感じに指差し、
「勿論! 掘っていいのは、掘られる覚悟のあるヤツだけだ! 俺はあの日から毎朝30分の直腸洗浄を欠かしたことは無い!」
「質問の意味が分かってないな……」
魔法使いは、ふー、と息を吐き、隣に立つ戦士と顔を見合わせ、
「これはもう無理っぽい」
「うん。ダメなやつね、これ」
戦士は深く頷き、それから改めて勇者に向き直り、
「あー、あたし実は魔法使いと将来の約束してて、故郷に帰ったら一緒になる予定だったの」
「実は知っていた。祝福するぜ!」
「あ、うん。ありがとう」
「ああ、俺のことも祝福してくれると嬉しい!」
「難しいこと言うね」
説得を諦めたのか、「式には来てねー」と魔王の間を退出する戦士と魔法使い。勇者はそんな二人を見送って、
「これで二人きりだ、魔王!」
茶番だ。
オレは魔の物の長。人を駆逐するために生まれた、この世界の摂理そのもの。しかも、この男には眷属である輩を討たれた恨みがある。断じて許せるものか。
一歩、文字通り己の存在を乗せた重い足取りで近づいてくる、その若者。ギンギンにそそり立っていく、股間の魔法力。
勇者はその口元に歓喜の笑みを浮かべながら、
「掘って掘られて掘り抜いて! それが俺達のケツ末だ!」
「そんな……。生えてない、だと……?」
大岩の降り注ぐ魔王の間。
霞んでいく視界に映るのは、全裸で狼狽する勇者の姿。晒された真実を前にその顔を歪め、股間の光は弱々しく明滅している。
そしてオレはこの男に敗北し、無様な姿で地に伏している。
結果は結果だ。だが、清々しい。最後の最後で、宿敵のほえ面を拝めたのだから。
「滑…稽だな……。勇者だ何だと吠えておきながら、このオレの真の姿も見抜くことが出来ない。貴様の思いなど、その程度…ということだ……」
岩肌に横たわるオレの姿。死闘の末、外装を剥がされた魔王の真の姿。
夕闇色の長い髪と蘇芳色の角。
漆黒の靭皮を纏わせた青い肌。
金色の瞳を持つ、幼女の形。
オレは有害な人類を淘汰するために自然が生み出した、調律器官。魔物が呼吸するために必要な粒子を放出する、中枢神経。
魔物などと呼称されてはいるが、その本質は野生動物と何ら変わらない。その中にあって、人の世界を滅ぼすために、オレだけが人を理解できる。そのために人に似た姿で生まれ落ちた。オレの自我はそのために、そのためだけに形作られた。
勇者は一糸まとわぬ醜態で膝から崩れ落ち、滂沱の涙を流しながら、
「五年間だ……。五年間、お前のケツを掘ることだけを夢見てきた……」
道徳が行方不明な恰好で、男が一人嗚咽を漏らし続けている。
「どうした、勝者は貴様だ。好きにしろ」
「小っちゃな女の子に手を出すのは犯罪だろうが!!」
主の敗北に同調し、火を噴き始めた滅びの山。
涙のように流れ込む溶岩が、周囲を赤く赤く埋め尽くしていく。
崩落した天井、その向こうに小さく瞬く夜の星。
その光を最後に、オレは瞼を閉じる。
勇者は届かぬ祈りを吐き出すような悲痛な声で、
「俺は、俺はどうしたらいいんだ……!!」
「魔王、おはようさんだ!」
「はいはい、おはようさん」
森の中に切り拓かれた、小さな空間。オレは木の椅子に座り、木の机を前に、木の椀で茶をすすっている。
オレの居城であった火山の麓。荒れ地だったこの場所は、今では緑豊かな森に変貌している。今オレがいるのは、その隅に建てられた、小さな小さな木の家の前。
あれから十年。オレ達はこの場所で、ただ生きている。
オレの目の前には、朝の日課である絶頂開発体操に勤しむ勇者の姿。股間に魔法力を漲らせた、健康で不健全な完全体。
オレに辿り着くためのくだらない冒険、その道程で手に入れたあらゆる道具達。その効果のおかげで、勇者はあっさり不老の体になった。
勇者とはつまり、人の作り出した抗体兵器。オレという自然に対抗するために組まれた、至るべき人の形。その到達点。
人間達の目論見、勇者を作り出す儀式は間違いなく完成したのだろう。
オレを屠らなかった勇者の選択は、世界に魔物の氾濫を許し、人間の国家をあっけなく崩壊させた。それからたった十年で、この世から人の社会なるものは消え失せた。
ああ、一つ忘れていた。あの二人、戦士と魔法使いだ。あの二人は故郷に帰った後、早々に国家を見限り、隠遁生活を送っている。この世に残っている人の共同体と言えば、あの夫婦くらいだろう。
オレは茶をひと口すすり、目の前で腰を振り高ぶっていく勇者を改めて眺める。
「貴様は本当に人間に興味が無かったのだな」
「当然だろう! 俺はお前のケツのことしか頭に無い男だ!」
きらきらとした汗を迸らせながら、朗らかに答える勇者は相変わらずだ。
あの日から、勇者が服を着ることはなかった。今のこの世界の人類には全く似合いの姿だ。
かつての人間達は原始に還った。
殆どの言葉を忘れ、共存性を失い、その日の食い物を得るために野をさ迷い歩く、獣に成り下がった。
そう、人の作り出した文明は全て失われた。
残された人間らしい文化といえば、尻穴をほぐすというこいつの習慣くらいだ。ああ、茶を飲むというこの行為だけは、悪くないかもしれん。
オレはその文化とやらをひと口すすり、
「朝食はいいのか」
食物を燃料としないオレと違い、勇者には食事が必要だ。勇者はこの十年、その飢えを満たすためだけに活動している。
「問題無い。森に入れば食うに困らんからな。それより魔王、お前はどうなんだ。こう、股間がウズウズしてきたりとかないか?」
「ある訳なかろう」
同胞を屠ったこの男を、オレは許す気は無い。そして、この男もまたオレに尻穴を掘られることを絶対に諦めない。
オレの体は成長が遅く、勇者的に手を出していい年齢に見えんらしい。更に、こいつは女性に対して礼儀正しく、まずオレにケツを掘られなければ、オレのケツを掘り返す気はないそうだ。
オレは許さず、勇者は諦めない。
掘って掘られて掘り抜いて、そんな結末はやってこない。
オレ達は勇者と魔王。おそらく、この関係がずっと続いていくのだろう。
森の中の小さな空間。
そよ風に揺れる、色鮮やかな葉の緑。
木漏れ日の中に過ぎゆく、穏やかな時間。
勇者はビンビン輝く股間の動きを止め、あの日に会ったままの眩しい笑顔でオレを振り剥き、
「魔王ッ! そろそろ生えたか!?」
「だから生えないっつの」