episode3 よいしょ③
〇《 王国 迷宮都市 》レオ=アルブス
カナミ姉さんが帰ってきた三日後の昼下がり。僕は鼻歌交じりに胃薬を飲み、ギルドマスターとしての仕事を行っていた。
ギルドマスターの仕事といっても、今度の大規模攻略の作戦を立案するだけだ。この案を一週間後、同じ《GU》のパーティーと相談して決定していく。
下層にもなれば、奇策は必要無くなり、堅実な作戦が好まれる。僕は慎重派だし、そっち方面の作戦を考えるなら喜んで考える。久しぶりにノーストレスな時間だった。
三十分前までは。
「アーク…君はパーティー攻略が終わって地上に戻った後、鍛錬のために【迷宮】に行っていたのは知っている」
「おう」
「君はどこまで潜ったんだい?」
「四十階層だな」
「下層じゃないかッ!」
【迷宮】は大きく三つに分けることが出来る。
一階層から十三階層の上層。
十四階層から三十七階層の中層。
三十八階層から現在の最高到達階層の四十八階層の下層。
上層は僕一人でも鼻歌交じりで攻略することが出来る。だが、【迷宮】は下に潜れば潜るほど出てくる魔物の強さが変わる。強さが変わるだけならいいかもしれないが、群れを組み、より狡猾になっていく。
中層からは僕でも命懸け。下層ともなれば、一人で潜れば一時間と経たずに僕は骨になるだろう。
「ハッハッハ!気づいたら、ついな」
「ついじゃないよ!馬鹿なの?馬鹿だよね?そろそろ一回、死んだ方がいいんじゃないの?」
「今更下層くらいで何言ってんだ、お前なら俺より深く潜れるだろ?」
「潜れないし、潜らないよ!!」
「いつも俺達を心配して無理に進まないのは分かるけどよ、もう少し俺たちを信じてくれてもいいんじゃないか?俺はまだ無理だけど、俺たちなら四十八階層くらい余裕だろ?」
「頼むから僕の話を聞いてくれよ…」
三十分前、全身血だらけで僕の部屋に入ってきたこの男は誠に遺憾であるが、僕のパーティーメンバーの一人だ。
名前はアーク=ルーフス。僕達のパーティーで盾役を担う脳筋だ。
ツンツンと逆だった真っ赤な髪に、金色の瞳。妖精族と人族との混血で、見た目は人に近いが、少し小柄で筋骨隆々とした体が妖精族を彷彿とさせる。
彼とは十二歳の時に一年だけ通った学園で知り合った。
僕がここにはいないメンバーの夢のために学園をやめて【迷宮】に行くことを知って、一緒に学園をやめて着いてきた。ありがたいことだが、目先のことしか考えない馬鹿だ。
「そういや、久しぶりに模擬戦しようぜ」
「嫌だよ。一ヶ月後に攻略を控えてるのに怪我のリスクを上げてどうするんだ」
「くそっ、まだ駄目なのかよ…待ってろよ、すぐに追いついてやるからな!」
例に漏れず、僕の胃痛の原因であるアーク。
彼は昔から僕をライバル視しており、僕が世界で一番強いことを疑わない。ココネのような"狂信者"でも姉さんのような"褒め狂い"でも無いが、彼は兎に角、何かとある度に僕の名前を出す。
金等級冒険者を相手にしてボコボコにし後に「レオならもっと強い」と吐き捨てたり、天井の存在である白銀等級に向かって「レオならお前に影すら踏ませないぞ」なんて平然と嘘を振りまく。
本人に悪気は無いだろうし、純粋に僕が強いのだと勘違いしているのだろうが、僕の知らないところで敵を作るのはやめて欲しい。
この前もいきなり決闘を申し込まれたし…あの時は胃だけじゃなくて頭も痛かったなぁ…。
「アーク、攻略中の食事や、回復はどうしてたんだ?」
「気合いで乗り越えた」
「答えになってないよ…」
「お前にも出来るだろ?」
「出来ないよ……」
アークは天才だ。僕なんかよりもずっと強い。
僕と同じ金等級だが、まだこの【迷宮】にきて五年と日が浅く、実績が足りないのが原因だ。そのせいで一緒に行動している僕と差が開きにくい。
そろそろ差が開き始めそうなものだけど…。
「謙遜はやめろよ、俺はお前には適わない。今までもそうだろ?」
「………まぁ」
アークと僕の実力差は明らかだ。魔物の討伐数や組合への貢献度具合も僕に勝っている部分は無い。
だが、一対一なら別だ。正面から向き合って、よーいドンで始める模擬戦において、僕はアークと相性がとてもいい。最優とも呼べるくらいに。
盾役のアークは大盾と大剣、そして重量のある鎧を身につけている。対して僕は魔術師。身につけているのはローブのみ。機動力が違う。
そして僕は命懸けの戦いを嫌うため、中距離戦闘がメインで、的を絞られないようにすばしっこく動く。アークの間合いの外側から高威力の魔術を放ち、間合いが詰められそうになったら距離を取る。
わざと負けようと手加減をすればバレる可能性がある…というか、過去に一度手加減をして「俺はお前に情けをかけられるほど弱いのか…」と武者修行として半年間どこかへ行ってしまった。
お陰で僕達のパーティーは盾役のアーク無しで攻略を進めなければならなくなり、生活費や詫び費を稼ぐ為にも行かない訳にも行かず……散々な目にあったのを未だに覚えている。
「そ、それにしてもアーク。武器を新調しないのか?」
僕はこれ以上の面倒事を避けるために話を逸らす。
少しあからさま過ぎただろうか…?
「あー…修理出さねぇとな」
「新しくした方が早いだろ?その剣や盾や鎧、二年前からずっと使ってるじゃないか。素材的に今の階層だと厳しいんじゃないか?」
「これは…お前が初めて褒めてくれた装備だからさ…思い出があって…」
顔を真っ赤にし、頬を搔くアーク。
乙女かッ!と叫びたくなるのを僕はグッとこらえる。
今のアークの身に付けている装備は、確かに僕が褒めた装備だ。だが、褒めたと言っても「似合ってるよ」だとか「君にピッタリだ」なんて言ってない。
僕は「鎧は関節部分も丈夫でいいね」、「盾は頑丈なのに軽くていいね」、「剣は長過ぎず、短過ぎない。多少狭い場所でも使えていいね」と言ったのだ。断じてアーク自身を褒めたつもりは無い。
「じゃ、じゃあ僕から装備をプレゼントするよ。誕生日、先月だったろ?攻略中だったから祝えなかったからさ…少し遅いけど」
「いいのか!?」
「あ、ああ。パーティーメンバーの強化は僕の為にもなるし…」
僕の提案にアークは身を乗り出して、興奮気味に叫ぶ。
正直、アークの装備は見るからに限界だ。
こまめに手入れをし、鍛冶師に修理して貰っているとはいえ、物は物だ。それに、二年間も酷使している。
攻略中に後ろから見ているこっちがいつ壊れるかとヒヤヒヤしている状況だ。
群れを作る強力な魔物との連戦。大型の魔物との激闘。どれも盾役のアークが崩れれば後ろの僕達は……死ぬ。
これまでアークが頑なに装備を変えようとしなかった為、こちらが折れていたが……今なら押せそうだな。
「今からでも買いにいこうか。早い方がいいだろうし」
オーダーメイドでも良いが、オーダーメイドだと次回の攻略には間に合わない。
武具屋で既にある型をアークに合わせて調整する形ならば十分間に合うだろう。
だが、武具は慣らすのに多少の時間がかかる。攻略の一週間前には欲しい。早ければ早い方が余裕が持てる。
「いや…今日はやめておく…」
「別に明日でもいいけど……何か用事でもあるのか?」
「いや…ほら、今こんな格好だし…外歩くとなると」
「ああ、それなら着替えてからでも別に構わないよ」
確かにアークの格好は酷い。迷宮から直接ここまで来たようで、鎧や盾は血で汚れているし、汗もかいているだろう。
確かに、一度さっぱりした方がアークも気持ちがいいだろう。
今日は一日、作戦の為に費やす予定だったが、大筋はもう出来ている。後は物資の数や、仕入先を見積もるだけなので買い物に行ってからでも十分間に合う。
「……まだ心の準備が出来ていないんだッ!!」
僕の提案を聞いたアークは下を向いて体を小刻みに震わせたと思ったら、急に部屋を飛び出して行く。
「え…えぇ………」
「修羅場ですか?」
困惑している僕を他所に、アークと入れ替わりで入ってきたカティ。
「これをどう見たら修羅場に見えるんだ…?」
「ギルマスは男性にはおモテになるんですね」
「やめてくれ……気にしてるんだ」
アークはここ数年で僕への態度がおかしい。
流石の僕もあそこまであからさまな態度を取られて気づかない程鈍感ではない。あれが恋慕なのかは分からないが、僕の胃が痛くなる感情であるのは間違いないだろう。
「笑っても大丈夫ですか?」
「これが笑い事だったらどんなにいいか…」
アークが同性愛者だとしても僕は一向に構わない。もしそうだとしても、偏見は無いし、今更仲間じゃないと態度を変えたりもしない。
だが、一つだけ問題がある…それは、攻略中の性事情だ。
生物ならば誰しも性的欲求が存在する。
攻略中は最長で一ヶ月にも上る。当然、その中で性的欲求が溜まるのは仕方の無いことで、誰も攻められるものではない。
特に【迷宮】では戦闘が続く。気持ちが高ぶった状態で、魔物との戦いが終わった後も滾りが続くことは珍しく無い。
下手に我慢すれば戦闘に差し障る為、僕達はルールを作って円滑に進めているが、問題は他所のパーティーやギルドの話だ。
パーティーの中で恋人や夫婦…パートナーがいれば問題無い。が、これは一部の例だ。
『奴隷』を連れていくと言う手もあるが、中層や下層にもなれば奴隷を庇う余裕など無くなるため、現実的ではない。
じゃあ何が起きるか。それは同性同士の……。
僕達のパーティーは半々程度だが、冒険者は男の比率が圧倒的に多い。
ベテランパーティーの攻略はそれはもう酷いものだと聞く。
先日のバッカスさんもその手の人で裏では有名だ。
「これが現実ですか…」
「うん、どうしても避けられない現実だよ」
アークがそちらの道に走り、いつ僕に手を出すか分からない。
仲間なので信頼はしているが、魔が差す可能性は十分にある。
いけない、少し想像しただけで冷や汗が出てきた。
「うぅ……外に出ていないのに胃が………」
パーティーメンバーはあと三人。三人とも他に負けじと癖の強い人達です。