episode2 よいしょ②
〇《 王国 迷宮都市 》レオ=アルブス
【迷宮】は地下に広がる迷宮だ。迷宮内には危険な魔物が跋扈しており、下に潜れば潜るほど危険で強い魔物がいる。
今、攻略されているのは四十八階層まで。どこまで階層が続いているのかは深くは分かっていない。
【迷宮】が何故出来たか。
それには色々と説があるが、遥か昔、この世界に神しかいなかった時代に邪神と呼ばれた一人の悪い神がいたそうだ。
邪神の行動はあまりに酷く、複数の偉い神様に今の【迷宮】に閉じ込めらた。その時は一階層しかなく、ただの暗い小さな部屋だったという。
神は死ねない。というよりも、死なない。死という概念が存在しない。そのため、邪神はただ暗闇に何も出来ないまま閉じ込められた。
ある時、邪神は《黄泉》と呼ばれる死後の世界の事を思い出し、地面を掘り始めた。《黄泉》を目指すために。
そうして邪神が《黄泉》を目指して掘ったのが現在の【迷宮】として発見されたというわけだ。
魔物は閉じ込められた事を恨んだ邪神の怨念の塊だとかなんとか…。
その話なら僕は声を大にして叫びたい。下に掘った後に上に掘れよと。
それに気づいていないのなら、未だに穴を掘っているであろう邪神にこう言ってあげたい。上の扉、開きましたよと。
「はぁ……ココネのせいで散々な目にあった」
「ギルマス、またため息ですか?」
「カティも知ってるだろ?頼むから僕を呆れた目で見るのはやめてくれ…胃が痛む」
結局、新作の胃薬はそれほど効果は発揮しなかった。これならまだ自分で作った胃薬の方がマシだ。
「組合の方から苦情が来てます」
「知ってる。朝、顔出した時に嫌味特盛で文句言われた」
「組合長も大変ですね」
「頼むから僕と、僕の胃の心配をしてくれ…」
組合とは、冒険者組合の事だ。簡単に言えば冒険者の統括、全ての冒険者を束ねる大組織だ。ここで【迷宮】に入る手続きをしたり、冒険者としての実力を示す等級の選定を行ったりする。
僕と同じパーティー、"七星輪廻"のメンバーも例に漏れず、全員ここに所属している。
そして、パーティーは複数集まり、『ギルド』を作る。
【迷宮】が進むにつれて一パーティーでは限界があり、組合では数千人規模のため、大袈裟すぎる。
その間となるのが『ギルド』だ。
見込みのあるパーティーを勧誘して育てるのも良し、同程度の等級で組むのも良し、『ギルド』は申請すれば直ぐにできるので多くのパーティーが参加している。
僕達"七星輪廻"も勢いのある同世代の若手パーティー四つで《グラディウス・ユースティティア》というギルドに加入している。
ちなみにこのギルドのマスターは僕だ。押し付けられた。
《グラディウス・ユースティティア》…《GU》と呼ばれる僕達のギルドは、戦闘員三十二名、非戦闘員六名の中規模のギルドだが、実績はそれなりに高い。ギルドランキングでも上位に常に名前を載せている。パーティーメンバーの暴走で点数が引かれなければもっと上位だろう。
そして僕の目の前にいる女性も《GU》の財政管理を任せている非戦闘員のギルドメンバー。
名前はカティ。青髪の似合う知的美人。財政管理の合間に僕の秘書的な役割もこなしてくれている。
「どれだけ問題を起こせば気が済むんだろうね…幸いにも【迷宮都市】にいるのは僕とココネだけだから、まだ安心だけど…」
今日の夕方にはココネも外へ出る。僕はこのギルドホーム…ギルドで所有している建物でゆっくりと過ごすことができる。
自室兼、ギルドマスター部屋のここには世界各地の胃薬が棚に並べてある。今日は効果の弱めの胃薬で過ごせそうだ。
もし"七星輪廻"の全員が揃った日には地獄の狂宴の始まりだ。西へ東へ、僕は一日中土下座することになる。
「まだ次回まで一ヶ月ありますが…既に前回の収入の半分を使っています」
「ははは…いつもごめんね……本当にごめんなさい」
僕は机に両手を置いて頭を下げる。カティには本当に頭が上がらない。
「次回は合同なので収入には期待できますが…」
先程からカティが言っているのは【迷宮】への攻略に出向かう時期のことだ。
僕達はのパーティーは狂った奴が多いが、皆、金等級。実力は折り紙付きだ。
下層まで潜る僕達の攻略は、一回の攻略に一ヶ月近くかかる。なので僕達は一年に四回しか攻略を行わない。三ヶ月に一回のペースだ。
攻略が終われば次回の攻略までの残りの二ヶ月は好きにしてもいい。ただし、準備はすること。それが僕達のパーティーのルール。
そして、年四回のうち、一回は《GU》の戦闘員全員でも大規模攻略を行う。メンバーが増えたことにより、連携は不安が残るが今年で三回目、それなりの成果が上げられるだろう。
「今日はゆっくり、のんびりしようかな……」
僕が椅子に体重の大半をあずけ、脱力したその時、自室のドアがノックされる。
「……」
音も均一、リズムも均一。この繊細なノックに僕の顔はみるみるうちに青く染まる。
あぁ、胃が痛い。まだマシな人ではあるが、胃が悲鳴をあげる。
「ど、どうぞ」
「失礼します。一週間振りだね、レオちゃん」
居留守を使える状況では無い。僕は観念して入室を許可すると、静かに一人の女性が入ってくる。
腰まで伸びた桃色の髪に、少し垂れた牡丹色の瞳。いつもニコニコと笑い、一部から『聖女』とも呼ばれているこの人もココネと同じく僕の胃痛の原因の一人。
カナミ=ロセウス。僕のまぁ、義理の姉のような人だ。
「ね、姉さん…帰ってきてたんだね」
「うん、レオちゃんに会いたくて早く帰ってきちゃった」
「依頼の方は無事に済んだの…?」
「うん、問題ないよ~」
カナミ姉さんがゆったりとした口調で、依頼の報告をしてくれる。
姉さんは僕達のパーティーの中で回復職を担当しており、治癒魔術が得意なため、度々外へ組合からの依頼で呼ばれて各村を回って治癒を施す。
いつもならあと二、三日は帰ってこないのに…。
「レオちゃんはお姉ちゃん思いのいい子ね~」
「そ、そんなことないよ。普通だよ…」
「今日もギルマスのお仕事?偉いわね~」
とろんとした目を細め、優しい笑顔で僕の頭を撫でる姉さん。
こうして見れば、優しい姉なのだが、僕は姉さんが苦手だ。
姉さんは極度の"褒め狂い"。ただひたすらに僕の行動一つ一つを肯定し、尊重し、甘やかし、褒め称える。
もし、僕が人を殺したとしても姉さんは笑顔で褒めるだろう。
今はまだいい。だが、姉さんにはリミットがある。それが五回。姉さんは一度に五回褒めると歯止めが効かなくなる。
現在は二回。あと三回のうちに姉さんをなんとかしないと…!
僕はカティに助けを求めるべく、視線で助けを呼ぶ。
あ、目を逸らされた…。泣きたい。
「女の子に無視されたのに泣かないなんて偉いわね~」
あと二回。ここまで来ると逃げの一手だ。僕は姉さんの手を優しくどけると、急いで自室のドアを出るべく椅子を立ち上がる。
「二本足で立てて偉いわね~」
もう駄目だ。この人は僕を何だと思っているのだろうか。
諦めよう。いつものことだ。いつも通り強い胃薬を浴びるが如く飲めば問題ないのだ。
「姉さん、もう好きにして……」
「諦められて偉いわね~…本当にレオちゃんは凄い子、お姉ちゃん嬉しい…」
姉さんの牡丹色の瞳のハイライトが薄くなっていく。
とうとうスイッチが入ってしまった。こうなると誰にも止められない。ココネでも無理なのだ。例え世界が滅んでも姉さんは褒めることをやめないだろう。
「レオちゃんはちゃんと相手の目を見て話が出来て偉いわね~、レオちゃんはきちんとと口を動かして話せて偉いわね~、レオちゃんは眠いのに起きていて偉いね~、レオちゃんは椅子に座れて偉いわね~、レオちゃんは文字が読み書き出来て偉いわね~、レオちゃんは挨拶が出来て偉いわね~、レオちゃんは毎日食事を残さずたべて偉いわね~、レオちゃんは自分でご飯を食べられて偉いわね~、レオちゃんは睡眠を毎日五時間以上必ず取っていて偉いわね~、レオちゃんは一人で眠れて偉いわね~、レオちゃんは夜中に一人でトイレに行けて偉いわね~、レオちゃんは毎日お風呂に入ってて偉いわね~、レオちゃんは目を閉じずに頭を洗えて偉いわね~、レオちゃんはコップが持てて偉いわね~、レオちゃんは二足歩行出来て偉いわね~、レオちゃんは毎日朝に起きてて偉いわね~、レオちゃんは横にもなれて偉いわね~、レオちゃんは服を一人で着れて偉いわね~、レオちゃんはちょうちょ結びが出来て偉いわね~、レオちゃんは一人で買い物できて偉いわね~、レオちゃんはお金の計算が出来て偉いわね~、レオちゃんはカティちゃんの胸ばかり見てて偉いわね~、レオちゃんは恥ずかしがってて偉いわね~、レオちゃんは男の子で偉いわね~、レオちゃんは呼吸が出来て偉いわね~、レオちゃんは生まれてきて偉いわね~、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、偉い、いい子、いい子、いい子、いい子、いい子、いい子、うふふ………」
僕、生まれてきたことすら褒められるほどダメ人間だっけ。それと、カティの視線が痛いよ。胃痛と同じくらい痛い。
それに姉さんは褒める時に絶対に頭を撫でる。だが、スイッチが入ると撫でるではなく、擦るに変わる。
そろそろ僕の頭から煙が出てきているような気がするのでやめて欲しいが、あと一時間は続くだろう。
そう、僕は心を無にして嵐を過ぎ去るのを待つしかない。道端の石ころを演じるんだ。頑張れ、僕。
将来禿げないか心配だなぁ……あぁ、胃が痛い。
「レオちゃんはいい子ね~」