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4話

 強制的に流れていく星空と、頬を撫でる夜の冷たい風に、俺の恐怖心は否が応にも煽られる。

 それでも情けなく叫び声を上げなかったのは、背中や足に感じるクロエの体温ゆえなのか。それとも、ただ単に怖すぎて声が出ないだけなのか。その答えは永遠に出るまい。

 窓から跳んだクロエは、恐るべきことに軽く十メートルは先の屋根に着地し、そのまま休憩も助走もなしに隣の屋根へと飛び移る。

 体重約六十キロの男を一人抱えた女が、まるで百メートル走の如きスピードで屋根の上を走っていく。

 なんだか都市伝説にありそうな話だな、と現実逃避気味の考えが頭をよぎった。

 そして、十分くらい経ったころだろうか、不意に、クロエのそのジェットコースターのような動きが止まる。首を回せば、どこかの民家の屋根に降り立ったことが分かった。

 クロエは、抱えていた俺をゆっくりと下ろす。


「正成、絶対に私の傍を離れないでくれ」


 いつの間にか、クロエを挟んだ向こう側に、ケイトが青いドレスを風になびかせて立っていた。ちょうど、クロエがケイトから俺を守ろうとしている形だ。


「……クロエ、君の身体はどうなっているんだい。優秀な魔女っていうのは、魔力がなくても骨折を二日で治せるものなのかい?」


 ケイトの顔に先程までの余裕はなく、そこに浮かんでいるのは、ただクロエに向ける怪訝な目だけだった。

 それに対し、クロエの横顔は不敵に微笑む。


「そうだと言ったら、どうする」


 クロエの挑発的な言葉に、ケイトの眉をひそめる。


「あり得ないね。二日前に私が負わせた君の怪我は、もう放っておけば死んでしまうほどのものだったはずだ。……とはいえ、現に君がそうやって、元気そうに動いていることも事実……なんとも、解せないね。ただまあ、分からないこと考えても、仕方がないってことかな」


 ケイトは一度、何かを払うように頭を振る。

 そして、片手にぶら下げていた棒のようなものに両手を添え、地面と水平に構えた。


「君の友人だったものとして、クロエ、君にもう一度だけ、最後に尋ねよう」


 構えた棒の先端にある青い球体が、光を帯びる。


「本当に、帰ってくる気はないのかな」


 そう言ったケイトは、酷く無感情で、俺には、それが極限まで感情を押し殺した結果に思えた。

 そんなケイトの真摯な視線を真っ向から受け止め、クロエは一度、大きく息を吸う。


「ああ、ない」


 その言葉は力強く、俺には事情が分からないが、クロエの意思は絶対に曲がらないだろうことが分かった。

 クロエの決意を聞き届け、ケイトは目を閉じゆっくりと口を開く。

 その口から紡がれたのは、ただの声でも歌でもない、聞いたこともない音だった。

 川が流れるように、音が連続して鳴り響く。

 荘厳な歌のようにも、小鳥のさえずりのようにも聞こえ、高音なのか低音なのか大きい音なのか小さい音なのかの判別すらつかない、聞くものを圧倒する音の奔流。



 ――心地よく、恐ろしく、力強く、儚く、人の声のようで、獣の咆哮のようで、大地の鳴動のようで、風の嘶きのようで。



 ケイトの口から流れ出る音はあたりに鳴り響き、そして、異変が起こり始める。


「……寒っ」


 思わず呟いた口からは白い息が漏れ出て、ゆっくりと空気に揺れて消えた。Tシャツ一枚の身体ががたがたと震え始め、俺は思わず膝を抱いて丸くなる。今は六月のはずなのに、だ。

 いくら夜だとは言っても、そろそろシャツ一枚で歩き回れるような季節。息が白くなって震えが止まらなくなるような寒さなんて有り得ない。


「お、おい、なんだよこ……れ……」


 俺の言葉は、突如目の前をよぎった白いものに遮られた。俺は慌てて空を見上げる。いつの間にか、星も月も一面を覆う雲に隠れていた。

 そして、その空から――



 ――雪が、降ってくる。



 ひらひらと、去年のクリスマスにすら降らなかった雪が、六月の初めにして俺の頬を濡らした。


「残念だ。本当に残念だよクロエ。君とは、共に切磋琢磨していけると思っていたのだけどね。……せめて、私のこの手で殺してあげよう。他の誰でもない、この私の手で!」


 音が止まる。

 その瞬間、風が奔った。

 突風とも呼べる強烈な風は、空を舞う雪を一点へと、棒を構えたケイトの前へと集めていく。


「正成、あれは棒じゃなくて杖だ」


 心を読んだかのような突っ込みをありがとう。だが遅い、突っ込みが遅い。もう何度か棒って言っちゃってるよ。恥かいてるよ。まあ、俺は杖といったら爺さんの持つような短いやつしか知らないんだから、仕方ないことにしておいてくれ。


「ああ、分かった」


 バカなやり取りをしている間にも、雪はケイトの元へと集まっていく。

 そして、それは形を成した。

 いくつもの、巨大な棘……というか槍だ。

 雪で出来た数多の槍が、ケイトの周りで、こちらに穂先を向けて空中に浮き微動だにしない。


「な、なあ、まさかあれって、こっちに飛んで来たりは……しないよな?」

「いや、飛んでくるぞ。あれの先が尖ってるのは、人を貫くためだからな」


 ええまあ、分かっちゃおりましたがね。ゲームとかでよく見るような感じですんで。

 ただ、何故そんなファンタジー現象が俺の目の前で起こっているのか、それを教えて欲しい。


「悪いが、説明しているような暇はない。だが、心配するな。正成のとは私が守る。正成は、そこで見ていてくれればいい」


 だから、そう格好よく言われても、事情の飲み込めない俺には信用するもしないもないのだが、と普通は考えるだろう。

 しかし、何故だろうか。俺は今、クロエを全面的に信用してもいいような気がしていた。

 理性的に考えれば、得体の知れない外人女のことなど、当然信用できそうもない。だが、それを超える心の奥底の何かが、圧倒的なクロエへの信頼と共に、俺に安心感を与えていた。

 先程から度々起こる、妙な安心感と信頼感。

 それから、まるで家族のようにずっと昔から共にいたような、心の底から湧き出そうとするクロエに対する親愛の情。

 何故、会ってから少ししか経っていない相手に対して、そんな感情を持たなければならないのか。

 色々な疑問が渦を巻き、それらが解決する見通しもないころ、俺の思考は完全にストップした。

 ケイトが、ゆっくりと腕を空に向ける。

 そして――振り下ろす。

 呼応するように、氷の槍が回転を始めた。



 ――雪の結晶とも言える氷の槍が、風を切り裂き飛来する。



 見ただけで、あれは確実に人を殺すものだと理解できた。

 おそらく、掠りでもすれば、俺の身体は粉々に弾け飛ぶこと請け合いだろう。

 俺は恐怖から目を瞑り、顔を背ける。

 だが、その瞬間は来なかった。

 耳に聞こえたのは、パンという破裂音。

 何かと思って目を開ければ、俺の前に立つクロエの周りに、白い霧のようなものが漂い消えていった。


「そんな……バカな……っ!」


 驚きからか、ケイトの目が大きく見開かれる。そして、もう一度腕を上げると、振り下ろした。槍が射出される。

 それを見つめるクロエの横顔は、酷く冷静で、しかしどこか悲しげで、この状況を全くピンチだとは思っていないようだ。

 クロエは、飛来する槍に向けて、左手を掲げる。

 そして、触れればその手など簡単に破壊してしまうだろう槍が、そこに触れようというその瞬間、またしても甲高い破裂音が響き、槍は消え白い霧へと姿を変え、風に吹かれて消えていった。


「すげえ……」


 クロエの手と槍の間で何が起こったのか、俺にはさっぱり分からなかったが、それでも、それがすごいことだということは分かった。何せ、自分たちを殺そうとしてくる相手の攻撃を、腕一本で防いだのだ。


「まただ……そんなはずはないっ! いくら君が優秀だったとはいえ、ここまでの差などなかったはずだ! ましてや、君は大怪我をした後だというのに、なんだって……こうも簡単に……っ!」


 焦りか、怒りか、声高に叫ぶケイトの表情には、もはや一欠けらの余裕すら残っていなかった。

 ケイトが、勢い良く両手を振り上げる。


「おい、両手って、まさか」


 そう呟いた俺は、思ったとおり間違っていなかったらしい。

 その瞬間、ケイトの周りに浮かぶいくつもの槍は、一斉に向きを変えた。その先に立つのは、当然クロエであり、俺だ。だがそれでも、クロエは眉一つ動かさない。俺は眉どころか全身が震えて恐怖しているというのに。


「ケイト、もうやめよう。今の私には、お前では敵わない」

「……なんだって? 君は、これだけの数の攻撃を、詠唱も無しに防ぎきるつもりかい? 随分と、なめられたものだね」


 平然としているのは口調だけ、ケイトの目は、クロエの挑発にも聞こえるセリフで、完全に怒りに染まっていた。


「違うっ、私はお前と戦いたくなんて……」

「黙れ、今更何を言う気だい? 君が里を出奔した時点で、もう袂は分かれているんだよ。君は私の敵で、私は君の敵だ。ならば、殺しあうのが自然の摂理というものだろう?」


 周囲の気温が、更に下がっていく。

 吐く息が白いのはもちろん、ここいるのは数分のことだというのに、手足足先が痛いほどに冷えてきていた。

 このままでは、凍死するのも時間の問題。そう思えるほどの冷え込みだ。マイナスなど、軽く超えているだろう。

 それでも、クロエは寒がる様子を見せずにケイトを睨み続ける。


「私はもう誰も殺さないと決めたんだ!」

「それは君の都合だろう。私は、命令に従って君を殺すだけさ」


 もう話し合いなど、完全に破綻していた。

 クロエにも、それは分かっているだろう。それでも、決して首肯しないケイトに向けて、クロエは必死に説得を続ける。 

 だが、俺の目から見ても、平行した線は絶対に交わることがないように見えた。

 互いの寄りかかる場所が、全く違っているのだ。これでは、言葉の通じない人間に語りかけているようなものだろう。


「……もういい」


 そのケイトの言葉は暗く、恨みすら篭っていそうだった。


「もう、君のそんな無様な姿を見るのは耐えられないよ。気高く、強く、そして美しい君に、みんなも、私も憧れたというのに。……今の君は、さしずめ卑しい乞食のようだ。もらえもしないものを求めて足掻くなんて、醜いにもほどがある。そんな真似をするくらいなら、いっそ自分で命を絶つくらいの誇りと覚悟こそが、我らであったのを忘れたのか!」

「死んで何が得られるものか! 醜くとも、汚くとも、生きていなければ何も手に入らないだろう。だから、私はもう誰も、自分だって殺しはしない。私はここに、普通の女の子になるために来たのだからな!!」


 凍えるような寒さの中、一際冷たい風が吹いた気がした。

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