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3話

 俺の肩を掴むクロエとかいう元怪我人の女は、まるで大発見をした子供のようなキラキラと光る無垢な瞳で俺を見つめる。

 その吸い込まれそうな緑の目に、言い知れぬ妙なものを感じて、俺は逃げ出すことが出来なかった。とはいえ、それは嫌な感じではない。むしろ、暖かな春の陽だまりに身を置いているような、穏やかな心地だ。

 大きな緑の瞳も、肩まで伸びたブロンドの髪も、日本人離れした彫りの深い整った顔も、どれも全く見慣れない未知のものなはずなのに、こうしてじっと見ていると、まるで十年も二十年も前から毎日見続けているような、そんな安心感を覚える。

 永遠にも思える短い時間、俺とクロエは互いの目をじっと見つめて――



 ――不意に訪れた爆音と閃光、そして衝撃がその時間を切り裂いた。



 俺の身体は紙のように、それだけで窓ガラスを割ってしまうほどの衝撃で吹き飛び、為す術もなく壁に叩きつけられた。

 目の前の景色が白く明滅し、星が飛ぶ。

 背中を強打したことにより肺から強制的に空気が押し出され、息が出来ない。

 そんな俺の朦朧とした耳に届いたのは、見知らぬ女の声だった。


「探したよ、クロエ。生きてたのも驚きだけど、まさか、あの怪我で建物の中に入ってるとは思わなくてね。見つけるのに二日も掛かってしまった」


 声は舞い上がる粉塵の中、爆発の起きたであろう玄関の方から聞こえてくる。

 声の主の落ち着きようといい、セリフといい、先程の爆発はもしかしてそいつの仕業なのだろうか。

 だが、こんな住宅街の真ん中であれほどの爆発を起こしたのは失敗だろう。すぐに人が集まってくるはずだ。


「残念だが、その期待は無意味だ、正成」


 壁際に座り込んだ俺の隣には、いつの間にかクロエが方膝を立てて玄関を睨みながら座っていた。

 そのセリフはあたかも心を読んだかのようなものだったが、何故だか、俺はそれに疑問を持つことはない。心のどこかで、何かを理解している俺がいた。


「どういう意味だ?」

「人払いの魔術だ。範囲内の全ての人間に、この場からすぐに離れたいという衝動を起こさせる。だから今、この辺りには誰もいない。どんなに大きな音を立てようと、誰も駆けつけない」


 夜の街を吹き抜ける風に、爆発で舞い上がった粉塵が晴れていく。

 そして、玄関の辺りまで見通せるようになったとき、そこには、粉々になったアパートのドアと、青いパーティドレスのようなものに身を包み、つばの広い三角帽子を被った女が一人立っていた。


「また会えて嬉しいよ、クロエ。それから、そちらの殿方には初めてお会いするね。初めまして、私はケイト・クリスティ。短い間だろうけど、よろしくお願いするよ」


 ケイトと名乗った青いドレスの女は、まるで映画に出てくる貴婦人のような優雅さで一礼すると、にこりと、これまた花が開くようなと形容したくなる笑顔を見せた。

 だが、こいつが玄関を吹き飛ばした犯人なのだとしたら、俺もだらしなく鼻の下を伸ばしている場合ではない。

 俺は管理人から修理費を請求されて、ここから追い出されるに違いないのだから。


「さて、クロエ。もう一度だけ聞くけど、こちらに帰ってくる気はないのかい?」

「何度言ったら分かるのだ。私は、絶対に帰らない。私は人形ではないのだからな!」


 言っている意味は分からないが、そう言い放つクロエの表情は、先程までの穏やかさが嘘のように鬼気とし、抜き身の刀を思わせる鋭い雰囲気を纏っていた。

 その鋭い目を向けられているケイトとやらは、まるで子供の駄々を聞く母親のような目でそれを見ている。


「クロエ、君は自分の言っている事が分かっているのかい。それはつまり、私が君を殺さなくてはいけなくなるということなのだよ?」


 さらりと出て来た殺すという単語に、俺の背筋にざわりと、冷たいものが走るのを感じた。

 ともすれば冗談に聞こえかねないその言葉が本気の一言なのだと、苦笑を浮かべるケイトの表情が語っていた。


「お、おい、物騒な話はやめようぜ? な、お互い危ないのは嫌だろ? まあ世の中には話し合いという素晴らしい制度があってだな……」

「運良く生き延びたとはいえ、まだあれから二日しか経っていない。まともに魔力も回復していないだろう。自分の命の為に、ここは大人しく私に従うべきだと思うけどね。まあ優秀な君のことだ、今ならば、里の老人たちも軽いお咎めで許してくれるかもしれない」


 一瞥すらせずに、あっさりと無視された俺。あれ、目にゴミが入ったみたいだ。


「くどい! 私は帰らないと言っている!」

「……やれやれ、君はいつからそんな愚かになったのかな。君は酷く優秀で、皆の憧れの的だったっていうのに」


 ケイトの目が、すうと細められた。

 次の瞬間、その目が微妙に青く光った気がして――



 ――そして俺は、動けないほどの威圧感というのを、生まれて初めて感じた。



 目の前にいるのはケイトとかいう女か、それとも巨大な何かか。それすらも分からなくなるような重力感と圧迫感。

 線の細いイメージのあったケイトから迸る目に見えない何かに、両手足から首や目玉の動きに至るまで、全てが支配され操られているかのように動けない。

 喉がカラカラに渇く。

 視線は瞬きすら忘れてその青いドレスに吸い寄せられ、逸らせない。

 動けないという根源的な恐怖が、俺の精神を削っていった。



 ――殺される。



 圧倒的なイメージが脳内を蹂躙する。

 それは、生命の糸を断ち切られた俺の姿。

 俺を止めた誰かの人影。

 何も見えないような暗闇の中、人影は血だまりの中に横たわる俺のそばに立ち、俺をじっと見下ろしている。

 雲が切れて月が見えたとき、光に照らされたその人影は、何処かで見た青いドレスを纏っていて――


「正成!!」


 叫び声に、はっと我に返る。

 目の前に、クロエがいた。


「な……え……? 何が起こった……?」


 見れば俺は、先程までと変わらずボロボロになってはいるがちゃんと俺の部屋にいた。

 どことも知れない暗闇の中じゃない。


「何も知らない正成に幻術をかけるとはな。愚かになったのは貴様の方じゃないのか、ケイト」


 早鐘を打つ心臓が、俺の呼吸を荒くするが、数度の深呼吸でそれも収まってきた。

 代わりに目の前に視線をやれば、いつの間にか、先端に青い球状の何かがついた、身長と同じくらいの長さの棒を持ったケイトの姿。クスクスとした笑いを俺たちに向けている。


「いいや、これはデモンストレーションさ。怪我で術の一つも使えないほどに消耗していなければ、君が術を解くのは分かってたからね。まあ、今から私が楽しめる程度に力を残しているのか、確かめる意味もあったけど」

「……それで、何も知らない人間を殺しかけたっていうのか。お前は、本当に愚かになったようだな」


 クロエは、もはや展開の速さについていけていない俺の腕を取ると、女とは思えないような力で俺を引っ張りあげた。

 強制的に立たされる俺。

 これから何が起こるか、もう冷や冷やものである。


「だが、私は死なない。そして、正成も死なせはしない」


 クロエは俺の膝の裏と首に腕を回し、そしてそのまま抱え上げた。

 世の女性が憧れているかもしれない、あのお姫さま抱っこというやつだ。


「え、な、おい、ちょっとっ!」


 ついでに言うと、俺の驚きようも半端ではない。

 なにせ、俺は身長が低いわけでも、体重が軽いわけでもないのだ。そんな俺が、どうみても細腕の美人な女性に抱え上げられるという、このシチュエーション。驚かない奴は人間ではあるまい。


「暴れるな、舌を噛むぞ。……大丈夫だ。私が、正成には傷一つ付けさせはしない」


 なんと男らしいセリフ。俺が女だったら間違いなく惚れていよう。

 などと考えていた矢先、ぐらりと、視界がスクロールした。


「え……?」


 なんだ、などと言う暇もない。

 驚く暇さえない。

 あまりの想定外に、俺の理解能力が完全にストップしていた。

 ふわりと安定しない浮遊感。

 視界一杯に広がる星空と、その端に移るクロエの横顔。

 クロエは、俺を抱えたまま、アパートの三階である俺の部屋の窓から、何の躊躇もなく外へと飛び出していた。

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