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大蜘蛛に向けられた目は、温度を持たぬものだった。動物どころか物に向けられたような。まるで心を動かさぬ物へのそれである。冷ややかな声には侮蔑の感情がわずかに滲む。
平然と、何でもないことのように淡々と。
土御門にとって妖怪は、感情を持った何かではないのだと、伊織はこの時知った。無意識に、目の前に立つすゞの背中へ手が伸びる。触れた毛並みは柔らかく、その中に手を沈めれば温かさに包まれた。
「旦那様?」
すゞが不思議そうに顔を覗き込む。目が合い、伊織はぎこちなく笑みを零すと、小さく首を振った。何も聞けそうにない、とすゞは諦めて炎へと目を向ける。
人間同士なら、もしかしたら、ということもあるだろう。しかし、土御門からすゞを護ることは至難ではないだろうか。すゞに限らず、翁や豆助といった、これまで関わった妖怪も、これから関わるであろう妖怪も。
それまで普通に、何なら礼を欠くような言葉を向けさえした人間が自分と相容れぬ存在のように思えた。
炎は変わらず燃え上がっているが、周りの木々には焦げ跡一つない。大蜘蛛の叫び声はいつしか、消えていた。静寂の中、火の弾ける音だけが不規則に奏でられる。
土御門は興味を無くしたのか、元から無かったのか。悲鳴が聞こえなくなった頃合いで踵を返し、伊織へと歩み寄った。
「思っていたより、大したことはありませんでしたね」
何ということもない、という風に言われては、伊織の立つ瀬がない。もっと言えば、櫛松の立つ瀬がない。
額に手を当て、何と言うべきか頭を抱える。わざとなのか、と勘繰りたくなるが、声の調子からどうやらそのつもりはなさそうだ。
空は既に赤みを失い、二つ三つと星が瞬き瞬きはじけている。
「帰りましょうか。お腹が空きました」
「そうだな」
伊織の返答に、力はない。それでも嬉々としている土御門を先頭に帰路へ足が向かう。
ふと、後ろを振り返れば、炎は既に跡形もなく、煙が上がっている様子もない。ただ大きな影がそこにあるだけである。一瞬、逡巡してみたが、結局伊織の足も帰路へと向いた。
突然、すゞが何かに気付いたように、あっ、と声を上げた。全員の視線が彼女へと注がれる。
「どうした」
「いえ。私は後から参りますので、どうぞ先に山をお降りください」
伊織の問いに、すゞは気まずそうに目を逸らす。今更残る理由もないだろうに、と伊織は首を傾げた。
「失せ物か? それなら今でなくとも、明日の明るい内にまた来れば良いだろう」
「失せ物と言えば、失せ物なのですが。何と申しましょうか」
「はっきり言え」
「その、変化した時に、慌てていて! 着物が、その、破れてしまいまして」
言葉尻がどんどん小さくなってゆき、最後に至っては、耳を澄ましても聞こえるかどうかの大きさになっていた。猫の姿故に表情の変化こそないが、声からは恥ずかしさが滲み出ている。
「は?」
たっぷりと間を置いて、伊織の口から漸く出たのは、それだけだった。すゞは呆気に取られている彼の視線に耐え切れなくなり、顔を逸らし、そのまま舌で毛繕いをはじめる。
急に普通の猫のようなことをはじめたすゞを見ながら考えた。彼女は先程消え入りそうな声で何と言ったのだろうか。何度も頭の中で反芻する。
そうして、一つの答えに行きついた。
「すゞ、お前。もしや今、裸なのか?」
お読みいただきありがとうございます。
あれだけ戦闘に時間が掛かっていたというのに、やられる時は一瞬ですね。
当初から大蜘蛛にはあっさり倒されてもらうつもりだったので、計画通り、と言えばそこまでですが。
ありますよね。散々頑張っていたのに、途中から来た人があっさり解決していくこと。
当事者である伊織の心情は如何ばかりか。




