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化け猫は喉を鳴らしながら伊織にすり寄る。柔らかな二本の尻尾が伊織の頭を撫で、彼は呆気に取られるばかりであった。化け猫は伊織を庇うように前へ悠然と立ち、男たちへ威嚇を示す。
「やっぱり飼ってんじゃねぇか。てめぇも妖怪をよぉ」
男は嘲るように言い放つ。相手の獣も全身の毛を逆立て、化け猫に対して威嚇を示した。化け猫は己の味方をし、男と獣に敵意を示していることを理解した伊織は、化け猫の腹に手を伸ばして撫でてみる。化け猫は彼のすることに一切の抵抗は見せない。少し長めな毛の中に、彼の手が埋まった。
「俺を助けてくれるんだな」
化け猫は男たちに威嚇したまま、肯定するように尻尾を撫でている伊織の腕へ絡ませた。伊織は微笑をこぼすと刀を杖のようにして立ち上がる。
「ならば、お前の力を借してくれ」
化け猫は返事をするように一鳴きすると、地面を勢いよく蹴り、獣へと突っ込んでいく。男の気が獣たちの戦いに逸れた時を狙って、伊織は刀を中段に構えて男に向かって行った。迫る殺気に男が慌てたように振った刀を避け、伊織は男を横一文字に斬りつけた。
着物の裂け目から徐々に赤い色が広がってゆく。左腕は刀の通り道から腕を朱に染め、刀は手から草の中へとこぼれ落ちる。男は呻き声をあげながら、その場にうずくまった。刀を振り抜いた伊織は地面に刀を突き、体重を預けて呼吸を整える。受けていた傷のせいで上手く剣が鈍り、男の傷は致命傷には至らなかったのだ。伊織の腕を伝って自身の血が刀へ流れ落ちる。刃にまとわりつく男の血と伊織の血が混ざりあい、雲間より覗く月光を鈍く赤黒い色で反射した。気力を振り絞り、何とか体を起こす。伊織は男に縄を形だけかけると、彼の刀を拾った。
「勝負あったな。これで貴様は戦うことも叶うまい。そこで大人しくしていろ」
荒い呼吸と共に白い息が宙へ浮かび、消える。伊織は懐から取りだした呼子を吹いた。甲高い音が辺りに響き渡る。離れたところから別の呼子の音が聞こえ、伊織は吹くのを止めた。男は忌々しげに舌打ちをする。
「逃げろ」
男が苦し紛れにそう言うと、獣は一鳴きして未だ戦いを繰り広げていた化け猫から離れた。化け猫は何とか前足を宙に振って、獣を捉えようとする。だが後脚だけで立ち上がって振った前足は空を切るばかりだった。獣は嘲笑うように宙を何度か輪を描くように飛んでから、伊織の耳元を通り過ぎる。
「調子に乗るなよ、小童が」
地を這うような低い声が、伊織の耳に届いた。獣を目で追おうとするが、既にその姿はない。化け猫は獣が飛んでいった方を睨み付けたまま、全身の毛を逆立てて威嚇するように唸っていた。伊織はふらつく足を何とか踏みしめながら化け猫に近づき、頭を撫でてやる。
「助けてくれて、ありがとうな」
化け猫は威嚇から一変して伊織にすり寄り、喉を鳴らした。伊織は顎の下などを撫でてやる。ふと、手に何か滑り気を感じて見てみると、鮮血がついていた。感触のあったところを見てみると、前足の付け根を怪我している。伊織は懐から手拭いを取り出すと傷口に当て、とりあえずの止血をした。
「これでひとまず大丈夫だろう。後はしっかり養生するんだぞ」
伊織はそう言うと、化け猫をこの場から帰らせようと手で促す。武家屋敷の建ち並ぶ方からは、大勢の足音が近づいてきている。化け猫は一鳴きすると、竹藪の中へと帰っていった。
お読みいただきありがとうございました。
現在、季節は真夏ですが、作中は睦月の頃。つまり真冬。随分季節感がない気がします。まぁ、季節に合わせて書いているようなものではないので、仕方ないと言えば仕方ない話ですが。
もう一幕が終わってもいいような感じがしないでもない雰囲気ですが、まだまだ終わりません。もう少しお付き合いいただければと。