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伊織は辺りを見回した。男の他に人の気配は感じない。人が一瞬で隠れられる場所も伊織の周りには無い筈である。だが、伊織は背中を斬られたのだ。男は気味の悪い笑みを浮かべたまま彼を見ている。
「何が起きたか分からねぇって顔だな」
「ならば、何が起きたのか、教えてくれるのか」
「誰が教えるかよ、馬鹿野郎」
男はまた正面から一直線に迫ってくる。待ち構える伊織。
男の剣が届く前に伊織の頬を何かが掠め、痛みが走った。通りすぎたものを目で追おうとしたが、男の剣が迫り、紙一重で転がるように避ける。着物は草にまみれ、髪がいくらか地面に落ちた。
体を起こし、伊織は男を見た。男の背後には月が煌々とし、彼の表情を見ることが叶わない。
しかし、伊織は彼にまとわりつくものを見た。それは獣のようだった。犬猫にしては顔は小さく体は細い。狐狸よりも胴も尾もは長く細い。しかし鼠よりは大きい。鼬や川獺の類いくらいの大きさだった。
「そのような獣、先程まで居ったか」
伊織の問いに男は驚いた様子だった。獣も男の背中に隠れるように男の上を駆け回る。
「てめぇにも、こいつが見えるとは思わなかった。成程なぁ」
男はまた笑みを浮かべ伊織に近づく。獣が男の体から離れ、伊織の背後に回ろうとする。
「通りでそれがおめぇのこと、獣臭ぇという筈だ」
「獣臭い、だと?」
伊織は男の言うことがさっぱり理解できなかった。動物を飼ってなどいない自分を獣臭いと言われたこともそうだが、男が獣の言ったことを理解できていたことが一番分からない。伊織は男の頭がどうかしているのでないかと思った。
男が動く前に、獣が動いた。背後で草が揺れる音がし、飛び出してきたものを目端で捉えながら伊織はなんとか避ける。通り過ぎていった獣を見た伊織は驚いた。前足の半分が、鎌になっていたのである。
ますます理解できないことが増えていく。鼬のような獣の手が鎌のようになっている。これではまるで鎌鼬という妖怪ではないか、と伊織は思った。
「そろそろ終ぇにしようや」
男の言葉に応えるように獣が一鳴きする。これまで以上の殺気が伊織にまとわりつく。伊織の固唾を飲む音が、己の耳によく聞こえた。
ゆっくりと震える息を吐く。白い息が空へと消えていった。
じくじくと痛む背中に耐えきれず、伊織の刀を握っていた手が、わずかに緩んだ。それを合図のように伊織の背後の獣が動いた。彼の背中めがけて、獣が突っ込んでいく。
突然何の前触れもなく、離れた場所にある草むらが音をたて、大きく揺れた。伊織と男は動きを止め、音のした方に顔を向けてしまう。視線が逸れようとも背後にいる獣の動きは止まらず、伊織に迫りくる。草むらから何か飛び出したかと思うと、伊織に迫っていた筈の獣が殴られたように吹っ飛ばされた。
伊織が自分の背後、獣がいた場所を振り返ると、人の一回り以上ほどの大きさで、尾が二つに割れた化け猫が立っていた。
お読みいただきありがとうございました。
前回、今回と殺陣のシーンを入れてみましたが、難しい限りです。
本当に既刊本の時代小説や歴史小説で殺陣シーンを書かれている方は偉大だと思います。
その他、作品に存在する戦闘シーン描写は、本当によく書けるな、と関心するばかりです。
そんな不慣れな戦闘もあと少しで終了します。
「君は生き延びることが出来るのか」
短編書きました。
『長屋人情噺』
もしよろしければ、少し覗いてみてくださると嬉しいです。




