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雲居藩妖怪抄  作者: 川端柳
第三幕――○○○(????)
59/280

14-(4)

 つう、と黒く鋭いものが首筋を這う。固く尖った先端が薄皮を裂いてゆく。鋭い痛みが走り、喉に詰まっていた空気が吐き出された。呼吸が復活し、離れかけていた意識が引き戻される。


 握り直した脇差を背後へ振り、柄の尻の部分を叩きつけた。先端が首から離れた瞬間、身を翻し距離を取った。首に残った赤い筋から、薄っすらと血が流れ落ちる。


 体を半回転させたことにより、伊織はようやく背後にいたモノの全体像を捉えることができた。


 先程まで彼がいた場所には、伊織の身の丈の倍以上もありそうな大きな化け蜘蛛の姿があった。八本ある脚は山へわずかに差し込む日差しを受け、黒く光を返している。見ただけでも硬そうなその脚の先には、繊毛が生えている。ねっとりと涎を垂らす口の左右には大きな牙のようなものを生やし、噛み合わせる度に金属同士がぶつかりあったような音をさせる。


 あまりにも常識を逸脱した存在に、嫌悪感を抱く。あからさまに向けられる殺気から、柄を握る手に力が入る。口の中が乾き、何とか嚥下した唾液が喉に貼りつく。ゆっくりと深呼吸し、伊織は乱れた呼吸と感情をなんとか落ち着かせる。


「お前、妖怪だな? 今までこの山にはいなかっただろう。何故この山に来た。人を食われると、正直困る。この山を、いや、この藩を出て行ってはくれないだろうか?」


 先程人の言葉を使っていたところを見ると、この大蜘蛛は十中八九人の言っていることが分かる筈。言葉が通じるのであれば話し合いができるのでは、と考えたのだ。


 しかし伊織の願い虚しく、大蜘蛛は一笑に付した。


「随分と阿呆なことを言う人間よな。獲物の言い分など知ったことか。馬鹿馬鹿しい」


 ゆっくりと開かれた口はにたりと笑っているように伊織の目には映った。粘り気のある唾液が途切れることなく地面へと垂れる。吐き出された息の臭いに伊織は思わず顔を顰めた。


 大蜘蛛の言葉から、話し合いの余地はないだろう。そう思い、手にしていた脇差を鞘に納め、すらりと抜いた刀を構える。


 それを待っていたかのように、それまで動こうとしなかった大蜘蛛が突如伊織へと迫ってきた。大きな体に反してその動きは素早く、一瞬で距離を詰められる。慌てて体を後ろへ引くと、大きく開けられた口は風を切る音をたてながら勢いよく閉じられた。


 すぐ目の前にある牙はがちんっ、と金属のような音を立て、伊織の鼻先をかすめる。峰に左手を添え、まっすぐに立てられた刀は牙の隙間に入り込み、大蜘蛛の口らしき場所を縦一文字に傷をつける。叫び声と共に牙が開かれたのを見計らい、刀を振り抜く。しかしそれは大蜘蛛の顔を割るまでには至らず、口の上下をわずかに切りつけただけに終わった。裂けた箇所から赤い体液が噴き出し、伊織の顔にもかかる。


 大蜘蛛は呻くような唸り声を発すると、再び伊織に襲いかかった。左手で顔を拭い、ゆっくりと息を吐き出し、刀を正眼に構える。迫りくる大蜘蛛の牙を右に避けながら、顔から胴体まで薙いだ。しかし軌道が脚に引っ掛かり、刃は胴体から離れた。


 前進する脚の先が引っかかり、左の脇腹に刺さる。苦痛に顔をゆがませながらも、大蜘蛛の動きに合わせて体を捻る。大蜘蛛の脚は伊織の肉を裂き、血を纏いながら離れていった。


 傷口を素手で押さえ、伊織はその場に膝を折る。深くはないが、傷からはとめどなく血が流れ、周りの着物を赤く染めてゆく。


 脚に刃は通らず、肉も容易に斬ることができない。伊織の額に脂汗が滲む。



 策はないがやるしかない。



 そう決意し、ゆらりと立ち上がった。大蜘蛛は黙って楽しげに眺めている。






 その時、少し離れた茂みが音を立てて揺れた。

お読みいただきありがとうございます。

そして、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


普段ですと正月一日に投稿はしないのですが、皆さまお察しの通り、30日の更新を忘れておりました。

完全に記憶の彼方へ消えておりました。

思い出したのが除夜の鐘を聞き、年を越して、さて眠ろう、という時でした。

それでありながら、この時間になりましたのは、新年早々の仕事と、新年の挨拶を済ませて漸く更新という運びとなりました。


新年早々幸先が不安な始まりとなりましたが、どうぞ生暖かい目で見守っていただけたらと思います。

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