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雲居藩妖怪抄  作者: 川端柳
第二幕――○○(??????)
50/267

12-(4)

 一夜明け、空が白み始めた頃、布団の中で横になっていた兵衛は突然横っ腹に蹴りを食らった。布団の中、というのは語弊があるかもしれない。掛け布団は足元で棒状に纏まっていた。着物や帯は辺りに散乱し、申し訳程度に襦袢が腰にまとわりついているだけである。横の温もりに目を向ければ、ほどけた髪を布団いっぱいに流したまま眠っていた。規則的に繰り返される呼吸に合わせて、体にかけられた赤い襦袢が上下する。



「さっさと起きろ。一度帰るんだろ? 勤めに間に合わなくなるぞ」


 声のした方をうっすら開けた目で見上げると、自分を蹴った足のままの伊織が呆れ顔で見下ろしていた。伊織は舟宿に来た時と変わらず着物の合わせに乱れは無い。開いたままの襖のから隣の部屋を見れば、布団の上で眠たそうに目を擦っているがきくの着物にも乱れは無かった。


 兵衛はありえないという視線を伊織に向けるが、その視線は意にも介されない。さっさとしろ、とだけ言うと、伊織はきくのいる部屋へと戻っていった。



 仕方なく兵衛がもぞもぞと身支度を始めると、釣られるようにゆりも目を覚ます。思考が判然としないまま身を起こした為、掛けられていただけの赤襦袢は肩からずれ落ち、色めく肌が惜しげもなく晒された。きめ細やかな白い肌に見入って、兵衛の手が止まる。動かぬ兵衛の頭を引っ叩く音で、ゆりはようやく目を覚ました。




 二人が身支度を整えると、きくとゆりが入口の板間まで見送りに降りてきた。二人が宿代を払うと、ゆりは兵衛の腕にまた来てほしいとすがり付く。兵衛はまた来ると約束し、女将に見えないよう小銭を数枚懐紙に包んで握らせた。


 きくはそんな素振りを見せず、不貞腐れたようにそっぽを向いている。それを見た女将は、挨拶をし、ときくの頭を掴んで伊織へ押し付けた。体制を崩したきくの顔が伊織の胸元へ収まる。伊織はそのままきくの首元へ手を回すと、耳元へ口を寄せ何かを囁いた。固まっているきくを離れた伊織は、ゆりから解放された兵衛と共にふじやを後にする。きくが懐紙に包まれた小銭が袖に入っているのに気づいたのは、座敷の片付けが終わってからのことであった。







「据膳、食わなかったのか?」


 舟の上では終始無言だった兵衛が伊織宅への帰路に着き人気が無くなってからそう尋ねてきた。隣を歩いていた伊織は思わず足を止める。数歩進んでから振り返った兵衛は真剣な表情を伊織に向けており、大きなため息を吐いた。


「お前の頭はそればっかりか」


「いや、あそこはそう言う店だろ? お前、何しにあそこ行ってんだよ」


 そう問われれば確かにその通りの問いだ。伊織は答えぬまま兵衛の隣まで来てののまま追い越す。訝しむ兵衛に背を向けたまま足を止め、兵衛もそれに習って足を止める。少し間を置いてから、やっと伊織が口を開いた。


「兵衛、俺だって男だ」


「なんだ。やっぱりお前も」


「嫌がる女を無理に抱くのは趣味じゃない」


「え? 結局どっちだったんだよ」


 答えるだけ答えた伊織はそのまま歩きだし、呆気に取られた兵衛が駆け足でその後を追う。それから何度尋ねようとも、伊織は何も答えなかった。




 家の門をくぐったところで突然伊織が足を止めた。後ろにいた兵衛の鼻が背中に激突し、兵衛は小さく呻き声をあげる。痛む鼻をさすっていると、伊織の前から下駄の音が近づいてきた。


「おかえりなさいませ、兄上様」


「げっ」


 伊織の横から除き込めば、目の前に武家娘が凛と立っている。兵衛は慌てて伊織の背中へと身を戻す。いつも通りの二人の様子に伊織は辟易した。兵衛への説教に巻き込まれるのは、御免被りたいところである。


「久しいな、信乃さん。花嫁修行とやらは順調か?」


「お久しぶりにございます、伊織様。お元気なようで、何よりです」


「お前の兄貴には敵わんがな」


「左様でございますか」


 信乃と呼ばれた娘は伊織と話をしながらも、ちらちらと後ろに隠れている兵衛を伺っている。伊織は後ろにいる兵衛の襟を掴むと、そのまま信乃の前へ引き釣りだした。


「ほどほどに説教したら帰れよ」


 捨てられた子犬のようなすがり付く視線を黙殺し、伊織は玄関へ向かう。後ろから信乃の説教する声が聞こえてくる。




 敷台に足をかけたとき廊下から、おかえりなさいませ、という女性の声がした。弾かれたように顔をあげれば目の前には、すゞの姿がある。幻かと思い目を擦るが、目の前の彼女は消えない。


「戻っていたのか」


「はい。昨晩戻りました。旦那様におかれましては、大層お元気だったご様子。何よりにございます」


 大層、だけ語気を強めたすゞの言葉に、伊織はばつが悪そうに視線を逸らした。冷めた視線が未だ伊織を刺している。遥か後ろにいる兵衛の心情を今になって察し、心の中で謝った。何とかこの場を切り抜けようよわざとらしく咳払いをする。


「ともかく、急ぎ支度を頼む。勤めがあるからな」


「かしこまりました」


 すゞが頭を下げ視線が外れた瞬間、伊織は逃げるように廊下へ出た。が、言い忘れていたことを思いだして足が止まる。


「すゞ、よく戻った。おかえり」


 一瞬目を丸くして驚いたが、すぐに満面に笑みを浮かべた。


「只今帰りました」

お読みいただきありがとうございます。


気付けば50話を迎えていました。今回の投稿作業をするまで全く気づきませんでした。

ずいぶん遠くまで来たものです。

いつもお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。


さて、話は突然変わりますが、文豪所縁の場所というものは、映像で見るだけでも感動するものですね。

個人的な話ではありますが、先日、映画を見に行きました。とある自殺常習文豪を映画です。

その作中に、とある銀座のバーが登場しました。はっきり申し上げましょう。あの有名な『ルパン』が登場したのです。上映中に歓喜の声を上げなかった自分を褒めたいものです。

更に、あの作家までバーに登場したものですから、言葉で表せない感動が心を満たしました。


あの映画を見ると、安易に「恥の多い生涯を」などという言葉が使えない気がしてきます。


8/30

本文、一部訂正いたしました。

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