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振りほどこうと老夫の手が動く。それをさせまいと伊織の掴む手に、更に力が入った。
「今お前が飯を食うと俺が食べたと思われるだろう。濡れ衣は御免だ」
伊織を睨み付けていた固い表情が一気に緩み、呆気に取られたまま口は半分開いている。伊織を見つめたまま、目を瞬かせた。
老夫は何を思ったか、大きな声で笑い始めた。伊織は何故老夫が笑いだしたかに理解が及ばない。
「そんな理由かい」
存分に笑ったのか、乱れる呼吸をどうにか整え、目尻に浮かぶ涙を拭った。
「俺は至極真剣だ」
真面目な顔をする伊織に老夫は肩を震わせ、喉の奥で笑う。老夫の右手から既に抗う力は抜けていた。伊織はそれに気付き、掴んでいた手を離す。老夫の腕にはうっすらと赤い手の痕が残っていた。
「儂が言うのもおかしな話だが、良いのか? お役目は」
「俺への信用は、ひいては奉行所の信用に関わる。大事なことだ」
「そうか」
箸を置いた手で顎をなぞった。流し目に見上げ、喉の奥で音をたてて笑う。
伊織は視線になんとも言えない気分になりながらも、頭の中ではずっと考えを巡らせていた。今日のところは何もせずに帰ってくれるだろう。だが明日はどうだ。この老夫が再び現れないとも限らない。妖怪を捕らえたとことで、どうしようもない。頭を悩ましていれば、ふと案が浮かんだ。
「お役目に関してだが取引をしないか?」
「取引、じゃと?」
「正直、お前を奉行所に連れていったとして、どうしたら良いのか俺には分からない。だが、この村で飯泥棒が続くと俺が困る。与力にこれ以上訴えが上がってこないようにしろと言われていてな。小言を言われるのは避けたいところなんだ」
本心剥き出しの発言に流石の老夫も気の抜けた相槌を返すしかない。お役目も何もあったものではない。
「そこで取引と言う訳だ。受けてはくれまいか?」
「良いぞ。乗ろう」
老夫は即答した。呆気にとられていたのが嘘のようにはっきりと。今度驚かされたのは伊織の番であった。
「いいのか?」
「あぁ。この藩で初めて会うた見える人じゃ。それに、人の世の道理に従わせようとしなかったしのぉ」
老夫はにやりと広角を上げ、伊織の背中を叩いた。
「要するにお前さんが気に入ったということじゃよ」
伊織は安堵から気張っていた肩の力を抜く。あとは交渉を成功させればすべてが解決するところまで来たのだ。
お読みいただきありがとうございました。
先日は個人的なことにこの場を使ってしまい、申し訳ありませんでした。
改めてお詫び申し上げます。
そして、あんなことしておいて、何の効果もありませんでした。はっきりと言えば、連絡がありませんでした。
どうやって連絡を取ればいいのでしょうか。正直打つ手がありません。
自分にはただ連絡を待つ他ないのでしょう。
簡単に遠くの人間と連絡が取れてしまう昨今、1と0の数字の羅列は、どこまで自分の周りにあふれているのか。
考えると恐ろしい限りです。
人間が支配しているのか、それともされているのか。
SFのような話が現実になるのも、そう遠くないかもしれません。




