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唐突にふさは佐吉の顔に手拭いを投げつけた。彼が起き上がるとそのまま部屋の外に追い出す。
「ほら、顔洗ってきな」
ふさに背中を押され、佐吉はしぶしぶ井戸へ向かった。
佐吉が戻れば伊織は既に部屋へ上がっており、子供たちの相手をしていた。子供たちは武士相手でありながらも躊躇いがない。彼は何度かここに顔を出しており、結果子供たちとも仲が良いのだ。佐吉は子供たちを部屋の奥に追いやり、伊織の前に座った。
「して、ご用向きは何でございましょう?」
「すゞのことが一応片付いた。あいつは一時実家へと戻った。故にまた今日から屋敷に来い」
「承知致しました」
佐吉が頭を下げ、伊織は右に置いていた刀を取ると立ち上がった。
「俺はこのまま奉行所に向かう。お前は着いて来ずに屋敷に真っ直ぐ向かえ」
「へい」
佐吉の脇を抜け、土間に降りる。刀を腰に差し、部屋を出た。
井戸の脇を通りかかると、ふさが洗濯を再開しているのが目に入る。彼女は伊織に気がつくと、慌てて伊織の側に駆け寄った。
「これからお仕事にごさいますか?」
ああ、と気の無い答えを返しながら伊織は辺りを見る。周りは長屋の女性と子供ばかりで佐吉の姿は無い。それを確認すると伊織は声の調子を少し落とした。
「近頃の佐吉はどうだ?」
「何も。いつもと変わりません」
ふさも伊織に合わせ、声を少し絞る。
「そうか。何かあれば知らせろ。お前たちがこのまま何事もなく暮らしていく為にも、な」
「承知しております」
重い空気が漂い、側で話が聞こえていた女性たちは二人を窺い見る。しかし、話が分からず何も口を挟めない。
その空気を打ち破る様に、急に伊織の背後から、どーん、と言う声と共に彼の太腿に強い衝撃が与えられた。伊織は崩れ落ちそうになるのをなんとか堪え、衝撃があった背後を振り返る。太腿には子供が腕を広げ、満面の笑みで伊織を見上げていた。ふさは慌ててその子供を伊織から引き剥がす。
「こら、清次!」
「構わん。子供はこれぐらい元気でなければな」
そう言って伊織は子供、清次の頭を撫でる。清次は嬉しそうに撫でている手に頭を自らすり寄った。ふさは申し訳なさそうにしながらも、清次の両肩を掴んでいた手を緩める。
伊織は清次を少し羨ましそうに微笑み、頭から手を離す。その手をそのまま懐に入れ、財布と懐紙を取り出した。財布から小粒を取り出すと懐紙に乗せ、そのまま四つ角を合わせ、紙を絞ってくるむ。
「少しだが、これで子供らに良いものでも食わせてやれ」
伊織から受け取ったお金をふさは両手で大事に握りしめ、深々と頭を下げた。伊織はそれを見遣ると体を潜り戸の方へ向ける。
「もういっちゃうの?」
伊織が振り返ればふさの足元にすがり付き、顔を半分覗かせている子供が寂しそうに彼を見つめていた。清次の妹のまさである。
「仕事があるからな。お前ら、良い子にしてるんだぞ」
清次とまさは元気よく、うん! と返事をする。伊織はまたな、と手を降り、今度こそ長屋を出た。
見計らったように佐吉が漸く部屋から出てきた。外着の裾を帯に引っ掛け、いつもの仕事の時の格好である。ふさに声をかけようと近づき、彼女の手の中にあるものに気がついた。佐吉は額に手をあて、深いため息をつく。
「そんなもん受け取っちまってたら、仕事に行かなきゃいけねぇじゃねぇか」
佐吉は清次とまさの頭を一つ撫で、気の抜けた声で、行ってくる、とふさに声をかけた。
いってらっしゃいと投げ掛けられた佐吉の背中は丸く、肩は落ち、足取りはひどく重たげであった。
お読みいただきありがとうございました。
もうすぐ「平成」という時代が終わり、令和という新たな時代を迎えます。
という文句を、この一ヶ月本当によく聞いた気がします。最後の日である今日は特に。
「令和」はどんな時代になるのか。
考えながら今日は眠ろうと思います。
それでは良い時代を、良い「令和」をお迎えください。




