第六幕-〈余談〉
寛永雛の付喪神である雛は、このところの騒がしさを気に入っていた。
きっかけはおそらく、人の姿をした猫が花菱の家に居着くようになったことだろう。
姫は元々この家にあった人形ではなく、ある娘がこの家に嫁ぐにあたり一緒にやってきた。嫁入り道具として持参されることもある雛人形だが、娘が持って嫁いだのは、単にその人形を気に入ったからというだけのこと。良い物だからいずれ娘子が産まれた時に飾りたいと考えていた。
しかし男児ばかり産まれたこの家で、姫たち雛人形の出番はなかった。武家の家としては良い事なのだろうが、姫を持参した娘としては寂しいものである。
姫に優しく触れるその手が皺だらけなっても、娘は時折姫を箱から取り出しては眺めていた。
姫が自力で箱から出られるようになったのは、娘が箱に触れなくなってから暫くのこと。
動けるようになって最初にしたのは娘の姿を探すことだった。
納屋から出て母屋に入り、天井裏に上がって家中を走り回ったが娘の姿を見つけることはできなかった。もう、この家にはいないのだと理解した。
それからの姫は時折天井裏に上がっては母屋に住まう者たちの様子を眺めるようになった。眼下の人たちは、かつて己を大切にしてくれた娘の面影を残している。彼女の血縁ならば己が彼女の代わりに見守らなければ。
そう思うことにした。
既に納屋の中で忘れられていたとしても、かつて己を大切にしてくれた娘を思うと、憎むことはできなかった。
一人、また一人と住む者は減り、遂には出入りの使用人の男と家人の男が一人と寂しいことになっていた。家人の男はあの娘の孫の坊や。
時たま雇われで身の回りの世話をする女が出入りするようになるが、入れ替わりが激しい。どうにも続かないようだ。理由は姫の知るところではない。
何度か女中が入れ替わり途切れる頃もあったが、遂にあの猫は現れた。
坊やの身の回りの世話をする時は人の姿をしている猫。人のふりをしてこの家に入った猫は、数日の内に天井裏を行き来する姫たちに気付いたらしかった。
「お世話になります」
ただ一言挨拶をされただけで、それ以上の会話はない。
天井裏を走る姫を鼠と思っている花菱の家の者に付喪神のことは言わずにいるようだった。同時に己が猫であることも。
しかし、猫の正体は早々に坊やの知るところとなり、妖怪を坊やや下男も知ることになった。
坊やが己に気付いてくれることが姫はとても嬉しかった。いないものと扱われていた数十年が報われる思いだった。
天井裏を走り回れば、うるせぇ、と坊やに言われる。それだけのことが嬉しくて、母屋に行く回数が分かりやすく増えた。同じく思う付喪神は他にもいて、動ける付喪神は日毎に入れ替わり立ち代わり一緒になって母屋へと赴いた。
気付けば母屋は坊や一人が住まう寂しい場所ではない。妖怪二人と人が三人。賑やかになった。昔のように。
そんな折。普段は話しかけてこない猫がこちらに向かって声を掛けてきた。
「お願いいたします。どうか付喪神の皆さまのお力をお貸しいただけませんでしょうか」
今宵子の天井裏に来ているのは付喪神たちに『殿様』と呼ばれている、姫と対になる男雛。根付の夫婦蝶と錆びた文鎮の龍。そして姫。
こうして声を掛けられたことがなかった付喪神たちは大いに慌てた。
「どうしよう、姫」
「殿様、そんな情ない声出さんでくださいよ」
「龍だって声震えてんじゃない。龍なのに」
「お前、そんなに当たらなくても」
「お前さんからも何か言ってやんなさいよ」
「騒がないの。皆、落ち着いて」
右往左往する付喪神たちを姫が一喝し落ち着かせる。
殿様なんて呼ばれている男雛が一番慌てていて頼りにならない。旦那様と同じ意味合いで呼ばれている殿様なんて名に、威厳がついてくるとは限らない。
情ない連れ合いの為にも、己がしっかりしなければ。
姫は一人胸の内で決意すると、深呼吸をして気を落ち着かせた。
「一先ず話を聞こう。決めるのはそれからでもいいでしょ」
姫の言葉にその場の付喪神全員が頷き、猫の言葉に耳を傾ける。
しかし猫は、お願いします、と繰り返すばかりで一向に続きを口にしてくれない。力を借りたいというが、一体どんな力を借りたいのか、借りた上で何をしたいのか。付喪神と大きく括っているがどの付喪神の力を借りたいのか。
何も語ってくれない。これでは是も否も言えやしない。
応えずにいると猫はしょぼくれて坊やの元へと戻っていった。
「え? 終わり?」
雌蝶が間抜けな声を出す。その場の誰もが同じ思いだ。
「何がしたいのかさっぱりだ」
「何か言った方が良いのかな」
呆れる龍の言葉に、戸惑う殿様の声。
分からないのは姫も同じだ。しかし付喪神を纏めなければ。
「もう戻りましょう、姫さん」
「もう少し、きっと何かある」
雄蝶の意見を退け、姫は再び下に耳を傾ける。
どうしても見捨てられないのは、かつて娘に大事にされた思い出故か、他の文鎮や根付は姫程大切にされた思い出がないからこんなにもあっさり見切りをつけてしまうのかもしれない。
下を眺めていると、廊下の真ん中で坊やが土下座をしていた。
男が、武士が、坊やが土下座をしている。その事実が姫には衝撃だった。父と呼ぶ相手にさえ、自発で頭を下げなかったのに。
事情は聞けなかったが、誠意は伝わった。姫たち付喪神が出なければ詳しいことは聞けないらしい。
「私が話を聞いてくる」
「ぼ、僕、怖い。ついていくのは、ちょっと」
「先に戻っていても良いよ。皆はここで聞いてて構わないし」
「姫、大丈夫?」
「そんな情ない顔しないの、私の旦那様」
殿様の頭を撫でてから、姫は坊やの部屋の天井板をずらし、部屋の中へと降りた。
襖の向こうには、いつも眺めていた坊や。漸く言葉を交わせるのだと胸が高鳴る。
「馬鹿。出てこなかったら一晩中そうしているつもり?」
お読みいただきありがとうございます。
余談を書くにあたり姫の登場回を読み返したのですが、殿様、ビビり設定だったことすっかり忘れていたことにさっき気づきました。
人前どころか箱からも出たがらない、と姫の暖だったにもかかわらず、最後の方では宴会に参加するわ、佐吉と妻帯者談義で盛り上がるわ、設定はどこへやら。
この余談も特に確認しないまま執筆。
書き上げた後、打ち出し中に過去の文章を見返し、過ちに気付きました。
置いてきたって姫が言っていたことも忘れ、がっつり天井裏にいる始末。
しかも今更修正効かないくらいがっつり出てるという。
せめてものビビり設定の名残がラストの台詞。
本当に付喪神と伊織たち、馴染んだなぁ、と思います。
姫も伊織のことを「坊や」呼びだったのに、宴会では「坊」と呼んだり。
……馴染んだってことにしてください。




