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長雨続く梅雨が明けた。日毎に暑さが増し、一夜が短くなっていく。木々は青々とし、夏が庭先にまで訪れている。
もうすぐ怪談噺の季節である。暑気払いの為、と夏の夜に集まって怪談噺は鉄板だろう。縁日に出向けば仰々しく化物屋敷の小屋が建ち、それぞれの目的で客たちは中へ入る。
怪談噺であれ化物屋敷であれ、要は肝を冷やして暑さを乗り切る腹だ。
昨年までの伊織ならば喜び勇んで冷やかしに行っていただろう。存在不明瞭な化物、幽霊、妖怪に惹かれながらも恐れていた。分からないくらいが程よく怖いのだ。
妖怪にこれだけ囲まれているのだから、縁日へ繰り出さなくとも伊織の家こそ化物屋敷、妖怪屋敷と言えるだろう。
すゞや翁、出入りしている豆助だけではない。姿を見せず屋敷に潜んでいるものまで数えれば両手の指の数では収まらない。人間が妖怪より少ないこの屋敷では、妖怪の方が好きに過ごしている。
夜の町廻り当番を終え、朝方帰宅した伊織を起こしたのも姿を見せずに屋敷へ潜む妖怪が立てた音だった。
伊織がうっすらと目を開けるが音の出所の姿は見えない。障子戸越しに日の光が室内を照らしているが、衝立のお蔭で直接顔に差してくることはなく、ぼやける思考に任せ微睡みの中へ落ちようと目を閉じる。
しかし、再びの物音。先程よりも生じている音は大きい。とことん眠りを妨げるつもりのようだ。
寝るに寝れなくなり、まともに瞼の開かないまま伊織は起きることにした。
廊下に出れば、すゞが天井に向かって、こらっ、と何やら怒っている。
「あぁ、旦那様。申し訳ございません。家鳴たちにはきつく言い含めておきますので、今少しお休みになられては」
「いや、もういい」
そう言いながらも伊織は大きな欠伸を漏らす。
「今、お食事の支度を」
「いや、急がなくて良い。やっていたことがあればそちらを先に済ませてくれて構わん」
「旦那様のお食事も仕事の内です」
そう言ってすゞは賄場へ駆けていった。顔を洗いに井戸のある裏庭に行けば、佐吉が畑の手入れをしている。毎日増え続ける雑草の芽を摘む為、土にまみれている。
居間に行けば賄場ですゞとえんが楽し気に話をしながら食事の支度をしてくれているのが見える。
元々伊織の仕事がおかしかったのは、突然の来訪者である土御門のせいだった。彼の我儘に付き合う役目を負った為、番方の行う町の見廻りの振り分けから外されていたのだ。
見廻りは昼番と夜番とあり、昼夜の交代制。一昨日までは昼番としての仕事をこなし、昨日の夕方から夜番を務めていた。三日間の昼番と一晩の夜番。数人毎にこの繰り返しだ。
夜番は夕刻に奉行所へ行き、朝になったら昼番と交代する。お蔭で夜番前後の昼間は好きに動ける。通常なら嬉しい話だ。
しかし、妖怪が本領を発揮する夜に家を空けなければならない状況は、伊織としてはあまり本意ではない。
翁が伊織の代わりに守ってくれているが、果たしてどれほどの効果があるものなのか。戦っているところを見たことのない翁の実力を知らない伊織は不安でしかない。すゞも留守番をしてくれているのがせめてもの救いか。
不安を抱えつつも伊織はほぼこれまで通りの生活を送っている。
台所に立つえんの腹はこの一、二ヶ月で大きくなっていた。腹の子は順調に育っているようだ。
辛い時は休ませ、時折ふさも様子を見に来てくれる。本人の意欲と体の調子で可能な限り女中の仕事をしている。無理をしないよう全員に口酸っぱく言われ続け、最近では、またですか、と苦笑を浮かべながらも楽しんではいるようだ。
伊織の屋敷へ来てからえんは明るくなった。
お読みいただきありがとうございます。
またまたブックマークが増えておりました。加えて評価もいただきました。
重ね重ねありがとうございます。
今回から第六幕がスタートしました。
今回もタイトルの妖怪が何なのか是非推理してみてください。
今年の更新はこれでおしまいです。お目に留めてくださり、読んでも良いと思ってくださり、本当にありがとうございました。
来年も引き続き御贔屓いただけましたら幸いです。
皆さま、良いお年をお迎えください。
追記:
また短編を投稿しました。そちらも覗いていただけましたら幸いです。
2/20 一部改稿しました。
3/20 一部改稿しました。
3/30 一部改稿しました。




