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雲居藩妖怪抄  作者: 川端柳
第五幕――○○(????)
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第五幕-〈余談〉

「嘘言わないで」


 牛鬼(ぎゅうき)から逃れ村に戻った日、えんは加介の母親から涙ながらにそう訴えられた。







 裸足で、身一つで冬山を下りてきたえんは、雪に包まれた家から細い煙が吐き出されているのを見て、助かったのだと漸く実感した。山から一番近い明かりが灯る家の戸を叩けば鬱陶しそうな声が返事をし、開いた戸口に見知った顔を認めると、えんは思わず涙した。


 家人はえんを見ると声を出して驚いたが、すぐに彼女の家へ使いを出してくれ、家の中で暖を取らせてくれた。



 えんが山から脱出して家へ駆け込んだのが夜明け頃。山の端から太陽がほんの少し頭を覗かせるくらいの刻限だ。にもかかわらず、えんの両親は雪の中すぐに迎えに来てくれ、良く帰ってきた、と涙を流して喜んだ。


 家に帰るとすぐに湯を用意してくれ、風呂とまではいかないが盥に張った湯で体を清めた。山にいる間、体を洗うようなことはほとんどなかった。牛鬼(うしおに)達は獣らしく水浴びするのが精々で、えんの体が汚れた時は生温い舌で舐めていた。


 ふと体を洗いながらそんなことを思い出してしまったえんは一層丹念に体を擦り、湯から上がる頃には全身が赤くなっていた。




 身なりを整え、真面な食事にありつき人心地着いた昼頃、村長と一緒に加介の両親が訪ねてきた。中にこそ入ってこないが村の人間のほとんどが家の周りに集まっている。


「えん、良く帰ってきた。山に行ったきり帰ってこないものだから、神隠しにでも遭ったのかと村の者みな心配しておったのだ」


「ご心配をお掛け致しました」



「加介は?」



 家に入ってきてからずっと黙っていた加介の母親が漸く口を開いたかと思えば、第一声そう尋ねてきた。


 加介、という名前に引っ張られるように思い出される山での出来事。恐怖から意図せず体が震える。


 言うべきだろう。言わなければ。子の最期を親には知る権利がある。


「加介は、死にました」


 震える体を己で抱きしめながら、えんはなんとか伝える。彼女の言葉に家の中だけでなく、外で聞き耳を立てていた者たちまで息を呑んだ。


「何があったのか、話してくれんか。ゆっくりで構わんから」



 村長に促され、えんは山で己と加介の身に起こった全てを話した。山で見た妖怪の一団のことも。


「嘘言わないで」


 えんの話が終わる前に加介の母親は涙を流した。濁していたとはいえ、妖怪に手籠めにされた挙句死んだなど、親としては信じたくもない話だ。そもそも妖怪などという存在を出されて信じられる訳もない。


「嘘ではありません」


「あなたが殺したのを隠す為に言っているのでしょう」


「違います。逃げられたとはいえ、私も似たような目に遭っているのに、そんなこと」


「妖怪なんて嘘を言わず、野盗に()られたと言えば良いものを。妖怪なんて誤魔化すから嘘だと気付かれるというのに」


「本当なんです。本当に妖怪があの山にいて」


「もう聞きたくないわ!」


 そう叫ぶと、加介の母親は裸足で家から飛び出していった。


 追いかけるべきだと分かる。しかし、えんは床から出ることはできなかった。山から戻って以降えんの体調が思わしくないのだ。吐き気が襲い、食も細い。未だ妖怪の恐怖に囚われているからか。


 床から離れることのできない()()に代わり、村長と加介の父親が彼女を追いかけた。



「えん、いつか本当のことを話してあげなさい。今は難しくても」


 一人部屋に残されたえんに、母親は優しくそう声を掛けてくる。


 実の親も彼女の言葉を信じてはいないらしい。妖怪なんて突飛な話、見てもいないのに信じる方がどうかしている。


 信じないのなら、それでもえんは良かった。そのまま己の中でも真実が変われば、悪い夢だったと過去のことになれば。そうしたら、加介の母親に会いに行こう。





 だが、悪い夢では終わらなかった。





 月の物が暫く無いのも、体調が芳しくないのも、長く山に囚われていたからだと、誰もが思っていた。えんですら。


 しかし、日毎に膨らみをもっていく腹に、村の人達は漸く彼女の話が与太ではなく本当だったのだと気付いた。


 子を堕ろす話はすぐに上がった。堕ろして無かったことにしようと。


 そうならなかったのは、偏に妖怪への恐怖。下手に手を下して恨みを買ったなら、死ぬのは己ではないか。一人の犠牲なら良いが、村の者全員が殺されない保証はない。


 問題を先送りするように、隠すように、えんは家にある納屋へ押し込められた。勝手に流れたのは村の責にはならない筈だ、と。




 雪も解け、春のぬくもりが小屋の明り取りの窓や壁の隙間から入り込んでくるようになった頃のことである。


 あれからどれほど経ったのか。もう日を数えるのにも飽きて久しい。それだけの時をえんは小屋で過ごしている。


 妖怪の血ゆえか、過酷ともいえるこの状況でも腹の子は順調に大きくなり続けている。


 生まれてから死ぬまで平穏に、ありきたりで当たり前の日々を過ごせるのだと思っていた。母が、近所の女たちがこれまで生きてきたように、何の変哲もない一生が待っているのだと。それで良いと思っていた。そのことに何の疑問も不満もなく、それ以外の選択肢など最初から頭になかったというのに。


 何度これまでの己を顧みてもえんには思い当たるような罪過は無かった。牛鬼(うしおに)に拐かされ、その子を無理やり孕まされるという厄災に見舞われるような覚えは。


 なら、あの時一緒にいた加介のせいなのか。


 考えてすぐさま頭を横に振る。死人を呪って何になるのか。


 それでも恨まずにはいられない。何かを誰かを恨んで己以外に理由を見つけなければ、この暗闇に圧し潰されて息もできなくなりそうになる。


 ただ運が悪かっただけなのか。偶然でしかないのか。答えを知っているのは牛鬼(うしおに)たちだけだ。何故、と気軽に訊きにいくようなことは絶対に叶わない。


 見つからない答えを己に問う他にすることもない。


 薄暗い小屋に一人。ただ日が昇り沈んでいくのを、差し込む光で知るだけ。何もせず、空腹を冷めた食事で収めるだけの日々。


 このままここで己の命は尽きるのだろう。誰にも看取られることもなく。残った子はどうなるのか。心配に思う一方、どうでも良い、と思えてしまう。


 あの恐ろしい妖怪の影はどこまで迫っているのか分からない。


 分からないことだらけ。考えるだけ疲れてしまう。






 そんな日々に辟易としていたある日、小屋の外の騒がしさがえんの耳に届く。久しく無かったことだ。小屋に近付きたがる者はこの村のどこにもいないから。


 外の音から暫く。小屋の戸が開かれた。いつも食事を受け取る為に内からしか開けない戸が、外から開けられたのだ。


 立っている影に見覚えはない。しかし、開け放たれた戸口から差し込む光はいつもより眩しく見える。



 絶望という名の暗闇に光が差し込むのを感じた。








 * * *



 第五幕――牛鬼  了

お読みいただきありがとうございます。


第五幕、これにて完結です。

勿論、作品としてはまだまだ書き続ける所存です。


このところいつも投稿が日を跨いでしまい、これはもはや1のつく日が投稿日では、と思えてくるほどに常習化してしまっています。

自分で決めたことも守れないのですから、公式企画にも乗っかり損ねてしまうのでしょう。

お恥ずかしい限りです。


今回の余談、こんなにも長くなる筈ではなかったのが投稿遅延の敗因。

当初はえんの独白だけの何がしたいのか分からない余談になるところでした。あわや台詞一つない地の文だけの三千字以上の文章を投稿という暴挙。

書きながら「あれ? これ、読むに堪えるか?」と我に返り、急遽頭から再筆。

最初に書いた文章からも一部抜粋をするなどしていたらこんなことに。


自分、えんさんのことかなり好きなのかもしれません。それか心の暗い所が似通っていたか……。




それはそれとして、次の幕もよろしくお願いいたします。


12/21 追記

公式企画に合わせ、短編小説を投稿いたしました。

そちらも併せてご覧いただけましたら幸いです。

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