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牛車という乗り物がある。古くから主に公家たちが乗るものとして知られているが、武家社会になったことにより衰退し、江戸時代になると儀式以外でその姿を見ることはなくなった。
一方、馬が乗りものを曳くようなことはなく、人を運ぶ手段の多くは人足が運ぶ駕籠だろう。
さて、己と一緒に道を行くこの人を乗せたものは何と呼ぶのか、とくだらないことを伊織は考えていた。
大八車に布団ごと乗せられたえん。それを曳くのは人でも牛でもなく、猫。大きな猫の姿になったすゞである。
この奇妙な乗り物と共に伊織たちは村からの帰路についていた。
翁から突飛な提案を受けた直後、小屋の中は静寂に包まれ一枚の絵のように動きが止まった。
一拍子置いて伊織とすゞとが二人して翁へ掴みかかった。伊織は翁の両肩を鷲掴み、猫の姿をしたすゞは着物の裾へ爪を掛ける。
「翁、正気か?」
「何を仰るのですか、翁様。仔細無い訳ないではありませんか」
「他所で脅かされぬ地を見つけるより手元に置いておく方が何かと容易かろう」
「何かと、ってのは?」
「無論、牛鬼じゃよ。最初から言っておるじゃろう。子を産むにしても産むにしても妖怪の産婆を呼べるところとなればお主の家が一番近いどころか、この国にはお主の家しかないぞ」
翁に言われ、伊織の反論が止まる。
翁の言う通り、えんの腹から生まれ出てくるのは、普通の人の子ではない。妖怪との子だ。しかも翁のような人に似た妖怪とではなく、異形の姿をしている妖怪とのだ。人と同じ姿をしているとは限らない。それどころか、人の頭に牛の体をした件が産まれるだろうと言われているのだ。
そんな子供を取り上げたなら、人の産婆は裸足で逃げるか気絶するだろう。
「そう言われれば、そうかもしれんな」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
自慢気に鼻で笑ってくる翁にぐうの音も出ない。妖怪が既に住んでおり、妖怪の産婆が出入りでき、村の人間からも守られる場所など、伊織自身も他には思い至らなかった。
「あの、ご迷惑でしたら、私はこのままここでも」
「いや、すまん。こちらの覚悟の問題だ。お前に非はない」
所在なさ気に、申し訳なさそうにするえんを伊織は制する。
護ると口にしておきながら、その舌の根も乾かぬうちに騒ぎ立てているのだ。彼女が不安になるのも無理ない話だ。
己より弱く、年の若い娘になんという顔をさせているのだろう。
ゆっくりとした深呼吸で息と心を整えると、伊織は改めてえんの前に膝を折り、彼女と視線を合わせた。
「お前が良ければ、うちに来い。女中としてお前の親にも話をつけよう」
「よろしいのですか?」
「動ける時で構わないから女中の仕事をしてくれればそれで良い」
「ですが」
えんの目は泳ぎ、すゞの方へと流れる。すゞは翁の裾から前足を離しているものの、足元をうろうろとして落ち着かない様子でいた。すゞにはすゞの躊躇われる理由があるらしい。
すゞの中にえんを不憫と思う気持ちがない訳ではないのだ。むしろ心を痛めるほどに同情している。翁へ反論してしまったのも、酷く個人的で勝手な想いからでしかないのだが。
「すゞ、お前はどうだ」
伊織にそう投げかけられ、尻尾が天に向かって立つ。翁の陰から覗けば、伊織とえんがじっと返事を待っていた。見上げればにやにやと笑みを浮かべる翁と目が合う。
彼女自身の中で答えはとっくに決まっている。
「旦那様がよろしいのでしたら、私に否やはございません」
「本当ですか?」
「はい」
「お前がおそらく共に過ごすことが多いだろう。本当に良いんだな」
「そこまで仰られますと、まるで旦那様が断ってほしいように見えますよ」
「邪推だ。そんな意図はない」
「でしたら、問題はございません」
胸中に落ちた小さな影は、隠せば良い。
お読みいただきありがとうございます。
またまたブックマークが増えておりました。心より感謝申し上げます。
今後も慢心せず精進してまいりたく存じます。
そして、秋の公式企画に乗っかり損ねました短編の方にもブックマークありがとうございます。
企画に間に合わなかったにもかかわらず多くの方に読んでもらえ、嬉しく思います。
公式企画といえば、新たなものが始まっております。
『俳人・歌人になろう!2023』にあわせて俳句を5句ほど投稿いたしました。
企画用の作品のあとがきにも書いたのですが、実は自分、俳句結社に身を置かせていただいているのです。
ですので企画を見た瞬間、「これは参加せねば!」と思い、今度はタイムオーバーにならないよう、本日投稿いたしました。
ご興味がありましたら、是非覗いてみてください。
11/10 一部誤字訂正いたしました。




