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2017年/短編まとめ

砂の城を抱きしめる幻想

作者: 文崎 美生

優しいのは、嬉しい。

優しいのは、痛い。


ぢゅー、と行儀も悪く音を立てて、ストローを噛み締めながら中身を吸う。

お気に入りの喫茶店の一つ、アイボリーをメインに使った店内は、清潔感と落ち着きがある。

オススメのメニューは、ミックスジュース。


かく言うボクも、ミックスジュースを頼んで飲んでいる。

その日に仕入れた果物を数種類、注文が入った時に作られる新鮮が売りのミックスジュースだ。

美味しい、が、今は何となく味気ない。


「美味い?」

「……うん」

「そ」


ボックス席の目の前に座っている男は、小学生から付き合いのある幼馴染み。

片目を隠すように長く伸びた前髪は、今日も健在で、こちらから見て左目しか見えない。

深い青の瞳だ。


幼馴染みは、どうしようもなく端正な顔立ちをしており、もっと言えば容姿がとても良い。

羨ましいくらいに、羨まし過ぎるくらいに。

程良く焼けた肌も、目鼻立ちの整った顔も、癖のない艶のある髪も、スラリと伸びた手足も、しなやかな筋肉をまとう体も、実に羨ましい。


そんな羨ましい外見を持つ幼馴染みが飲んでいるのは、ミックスジュースではなく珈琲だった。

アイスではなく、ホット。

幼馴染みは珈琲党である。


「オミくん、大丈夫?」

「何が」

「ん」


ストローを咥えたまま、とつり、とボクは自分自身の左目を叩く。

幼馴染み――オミくんのことを言えないくらいに長い前髪だが、瞳はその隙間からしっかりと覗く。

オミくんは、ボクの左目を見て、目を細める。

ボクからすれば、左。

オミくんからすれば、右。


「いつの話をしてるんだ、お前は」


オミくんの隠された右目は、あくまでもボクから見たら右と言うだけで、オミくん本人からすれば、それは左目である。

ティーカップを丁寧にソーサーに置いたオミくんは、静かに長い前髪を掻き上げた。

隠されたその瞳が露わになる。


色素が薄くなり、濁りを見せているその瞳。

ストローを噛み締め、同じだけの力を込めて眉を寄せれば、前髪はハラハラと落とされる。

強い衝撃を受けたために、瞳の色が薄くなり、濁った。

視力がなくなったわけではない。

多少下がったものの、生活に支障はなかった。


「今は、高校二年生、だから……うん。三年前かな」

「分かってるなら聞くなよ」

「うん。そうだよね、うん」


中学二年生の時の話である。

オミくんのその目は、ボクのせいだった。


オミくん本人、更には他の幼馴染みからは、どう考えてもオミくんが悪い、と言われたが、良く分からない。

今でも、良く、分からないのだ。



***



中学二年生の梅雨入り前の話だ。

梅雨入り前なのに、既に空気がジトジトとして、湿気が多かった。

その頃から伸ばし気味だった前髪は、ぺったりと額に張り付いて鬱陶しいものだ。


作間(サクマ)さん、でしたっけ」


今日は本屋にでも寄ろうか、それとも画材屋か。

そんな思考を掻き消すような厳しく硬い、全く聞き覚えのない声に目を細める。

聞き覚えのない声通り、見覚えのない顔だった。

人の顔と名前を覚えるのが苦手だったので、知ってる人でも知らない。


「どちら様、でしょうか」


昔から、端的な言葉を好んだ。

言葉遊びも好きだったが、生憎、見知らぬ他人相手にそんなことをする好き者ではない。

端的か、遊びか、両極端と言えば分かり易く、故に、だからこそ、相手の機嫌を損ねる。


見覚えのないその人は、女の子で、明るい髪の毛を複雑に結い上げていた。

オシャレに興味の無いボクには、その結い方がどんな名前なのか分からずに首を捻る。

しかし、その女の子の後ろには、更に数人の女の子。

これは所謂、集団リンチ。


産まれてこの方、ぼんやりとしていると言われる性分故か、気付いたら大通りから一本外れた場所に連れ込まれていた。

相手が男だったのならば、もう少ししっかりとしていた、と思いたい。

瞬きをすれば、何故か複雑な髪の女の子がボクの肩を押す。


「……えぇ、と。何?ですか」


ドッ、と鈍い音を立てて薄汚れた壁に背中を打つ。

眉を寄せながら放った言葉に、女の子達は揃って顔を歪める。

全体的に世間一般の女子中学生の可愛い、を詰めたような顔なのに、歪めば般若だ。


「オミくんがあなたを気にする理由が分からない」


あぁ……と気が遠くなる。

顔立ちの整った、体付きも良い男の子のオミくんは、女の子に非常にモテた。

年上、年下、同い年、そんなもの関係ない。

制服に付いたネームプレートの色が青なところを見ると、同じ学年だ。

ボクの胸元のそれも、青である。


「幼馴染み、だから、じゃないですかね」

「それが納得いかないって言ってるのよ!」

「幼馴染みだからって、オミくんにくっ付いてる必要ないじゃない!」

「付き合ってるわけでもないのに……」


更に気が遠くなる。

くるり、と世界が反転しそうになり、一度ぎゅう、と目を閉じた。

オミくん以外の幼馴染みも一緒だ。

基本的に何をするにも一緒で、クラスが同じだからこそ余計に一緒。


ボクだけじゃないよ、と首を振りたい。

確かに付き合ってもいない、男女間の距離感が近過ぎる幼馴染みである。

しかし、残念ながら男女のそれはない。


「……それにボク、オミくんのこと好きですけど、他の幼馴染みも好きですし」


幼馴染みは最早身内だ。

そういう意味を込めて、言ったのだが、言葉選びを間違えたらしい。

カッと赤くなる女の子の顔。

結い上げられた髪が立ち上がりそうなくらい、怒っている。


「アンタなんて……」

「あ、ちょ」


足を下げる。

壁に踵をぶつけた。


何故、彼女達の方の壁に、鉄パイプが立て掛けてあるのだろうか。

何故、女の子はそれを手に取るのか。

何故、鉄パイプを振りかぶるのか。


運動神経が悪いために、反射で避けられるはずもなく、壁に踵をカッカッカッと数回打ち付けた。

下がれるはずも、ないものの。


「つっ……――?」


踵を打ち付けながら、来る衝撃に目を閉じたが、数秒が数分に感じられ、何も無い。

眉を寄せたまま目を開けて、喉が鳴った。

変な呼吸でヒゥ、と。


背中を向けていても、見慣れていれば分かるものだ。

似合わない学ランを着て、女の子よりも厚みのある肩と、少し長い青みがかった黒髪。

ボクにぶつからなかった鉄パイプは、やはり振り下ろされており、それは、目の前の背中の持ち主が、その額に受けていた。


「あ……え」

「オミくん!」


カンカラカン、と高く軽い音を立てて鉄パイプが転がった。

今度は女の子が後退る。


「オミくん!オミくん!」

「うるせぇ」


前のめり気味の体を掴み、その顔を見た。

やはり見慣れた顔だ。

ダクダクと流れる鈍い赤色は、全く以て見慣れないものだったが。

幼少期、転んで怪我をしたことがある。

大きく擦り剥いた膝から流れた血とは、比べ物にならない量だ。


色々と情報過多だった。

女の子の良く分からない行動とか、突然現れた話題の本人とか、鉄パイプとか、血とか。

回る目のままに、オミくんの肩を抱きながら叫ぶ。


「オミくん!死なないで!!」



***



ストローから口を離し、窓の外に視線を投げた。

思い返してみれば、若い。

青臭いほどに、乳臭いほどに若く、テンパって醜態を晒した、と思う。

それは、あくまでも成長して、それを過去にしているから思うことなのだろうけれど。


「……嫌だなぁ」


何となしに呟いて、テーブルに額を打ち付けた。

頭皮が焼けるような視線が落ちてくる。


「何が」


首を捻って頭の向きを変える。

こちらを見下ろすオミくんは、特別表情を変えることはない。

ティーカップに口を付ける姿は、とても絵になった。


「ボクも抉るべきかと思って」

「……?何を」

「眼球」


息を吐く。

オミくんが、そこでやっと目を剥いた。

ボクは自分の手で瞼に触れる。

目を閉じてギョロギョロと動かせば、瞼からその感覚が伝わって気持ちが悪い。


ボクのせいじゃない、と皆が言う。

いまいちそれが理解出来ずに、三年の月日が経ち、過去のことと置き去りになった。

そのことも、気持ちが悪い。

理解出来ないことも、納得のいかないことも、気持ちが悪いのだ。


「片目、あげようか」

「……お前、近視に乱視のド近眼だろ」

「うん。裸眼で生活するなって言われてる」


それでも裸眼生活をしている。

一度、割ったのだ。

あの高価なド近眼と乱視を矯正するレンズを。

その時の母の顔は今でも鮮明に思い出せて、思い出すと冷や汗が出た。


倒していた上半身を起こし、首元を拭う。

手の平よりも、冷たかった。


「そんなランクの低そうな眼球は要らねぇよ。視力を上げてから来い」

「無理だよ。乱視だもん」


眉を寄せ、頬を膨らます。

ストローに口を付けて、勢い任せに中身を啜った。

ズゴゴゴ、と思いの外大きな音がする。

思ったよりも中身が減っていたようだ。

グラスの中には未だ形の整った氷だけが残る。


ド近眼が乱視でも、誰に何を言われても外では眼鏡を掛けることはしない。

家の中では掛ける。

普通は逆だろう、と事情を知らない人間には怒鳴られるが、過去にレンズを割ったのは外だ。

それだけが確かな理由になる。


不便は不便だが、慣れれば気にはならない。

しかし、元の視力が良いオミくんからすれば、確かにランクの低い目だろう。


「眼球をくり抜いて渡されるよりも、ただ普通に傍にいる方が良いだろ」


しっかりとした喉仏が上下した。

空っぽになったティーカップをソーサーの上に戻したオミくんは、ボクが反応を返すよりも早く腰を上げる。

その手には、どこから出したのか分からない黒い長財布が握られていた。


「行くぞ」


間の抜けた顔をしているであろうボクを置いて、スタスタとお会計に向かうオミくん。

ぽかん、とも、きょとん、ともしていられない。

慌てて立ち上がったせいで、テーブルに足を打ち付けたが、広い背中を追い掛ける。


オミくんの言葉を頭の中で繰り返し、咀嚼して意味を理解し飲み込むよりも前に、早く行かなければミックスジュースのお代まで払われると考えた。

頭の中にあるのは、ミックスジュースの金額だけである。

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