一章1『最後の日常』
僕の日課。それはこうして草っ原、緑の絨毯に寝そべって陽を仰ぐことだ。
視界の端に映る木々と共に青空を眺める。
「いい天気だな……」
呟く。
息を吐いて、僕は、左手にあるアカシックカードと呼ばれる無色透明のカードを見た。
【名前:アスト 住所:ノーネーム 分類:エラー 年齢:十五歳 魔力:エラー 現在地:リベイアの森 体調:良好】
透明なカードに、黒の文字で僕の個人情報が映し出されていた。相変わらず不思議極まりない。
出てこいって思うだけで掌に姿を現すのもそうだけど、色んな情報が映し出されているのもそう。それになにより不思議なのは地図を映したり、遠くの人にメッセージを送ったりできるところだ。
もはやお伽噺なんかの魔法の域じゃないか。
僕は記憶を五年前に失ってしまっている。だからカードの表記がところどころおかしいらしいのだが、記憶に応じて情報が変わるなんて本当このカードは何なんだろうな。
カードとにらめっこしていると、唐突に声を掛けられた。
「アスト、そんなところで寝転がっていたら服が汚れる」
首を上げると、膝を曲げて僕の顔を覗き込む少女の姿があった。
流れるような長い黒髪と、濃い緑の服が目に入る。
「黒い服だから汚れなんて見えないよ、エリア」
そこにいたのは僕に対してとてつもなく過保護な、幼馴染のエリアだ。少なくとも僕にしてみれば、五年近く一緒にいるだけの女の子だが。
「ほら、立って」
伸ばされた手を掴まずに自分の力で立ち上がる。
「それで何か用なの?」
「……村長が呼んでる」
やや肩を落としながら、村の方をを指差した。
村長が僕を? 何の用だろう。考えても埒が明かないし、とりあえず村長のところに行くか。
村の中心の方へ歩き出すと、エリアもその後ろに付いてくる。
「いつもあそこで何してるの?」
「空を眺めてるだけだよ」
「今度私も一緒に……」
ごにょごにょとエリアが言う。
服が汚れるって言ってたのは君じゃないか、とは言わずに一言。
「別にいいけど」
「ほんと?」
聞き返してくる。
そんなに顔を輝かされると、例え嘘でも嘘とは言えなくなるよ……。
家屋と家屋の間を通り、村の中心にある他より一際大きなドーム状の建物を目指す。
あの建物が村長の家であり、僕の家でもある。更に言うならエリアも共に住んでいる。
呼んでいるということは、家の居間で待っているのだろう。
家の扉の前に辿り着き、中へと入る。
「ただいま、村長」
「村長、アストを連れてきた」
殺風景な木の色の室内。その奥で白くて長い顎髭を撫でるお爺ちゃん、村長は床に腰かけていた。
「おお、きたかきたか。急ですまんがアストよ、ルセントの所まで使い走りを頼まれてくれるか」
近づいて、村長とはテーブルを挟んだ反対側に座る。その隣にエリアが。
「なに? 食料?」
僕達の村は森の中にある。だから食料は村の皆が狩ってくるか、森の外にある村からもらってこないといけないのだ。
だけど食料はもらってきたばかりだから、まだ大丈夫だと思うんだけどな。
「いやいや、食料は大丈夫だ。ただこれをルセントのやつに届けてほしい」
そう言って村長がテーブルの上に置いたのは一つの封筒。
「手紙?」
「そう。ルセントにちょっと急用があってな。今すぐ届けてほしいんだが、頼めるか?」
「村長の頼みならもちろんだよ」
父も母もいない僕の親代わりのような人なのだから。
「よかったよかった。こんなことで使いを頼むのも申し訳ないんだがな。本当なら自分で行くべきなんだろうが」
「村長もお爺ちゃんなんだから動き回らない方がいいよ。こういうことは僕に任せて」
「ほう? 言うようになったな。まだまだワシは現役だぞ!」
「何のだよ……。とにかく急用だって言うならもう行くからね」
「む……。分かった、行ってこい」
村長の返事を聞いて立ち上がる。
扉に歩き出すが、何かが服に引っ掛かっているのか前に進めない。
振り返ると。
「待って、私も行く」
エリアが服の裾を掴んでいた。
「ちょっ、離して。手紙届けるのに二人もいらないって!」
「でも森の中は危ない」
出たな、過保護。
「もう子供じゃないんだから、大丈夫に決まってるだろ」
「それに迷子になるかも」
「もう何回も行ったことあるんだから、今更迷わないって」
「私がいれば守れるし、迷子になんてならないよ」
「あーもう、話を聞け!」
噛み合わない口論に、村長が口を挟んだ。
「エリア、お前は駄目だ。残れ」
「……どうして?」
「こっちに来い」
村長の手招きに、エリアが近づく。そして何やら内緒話。
それが終わるとエリアがついに折れた。
「……分かった。残念だけど私は残る」
「? じゃあ行ってくるよ?」
「おお、気をつけろよ。アスト」
「いってらっしゃい。何かあったらメッセージを」
扉を開いて、外に向かう。
さっきの内緒話はなんだったのだろう。あの過保護なエリアがすぐに意見を曲げるほどの話って?
そんな疑問を抱えたまま、森へと進む。
目指すは森の外にある村にいるルセントさんのところ。
そして、僕の日常は、この後すぐに終わりを迎えることになる。