プロローグ『いつかの君の話』
地を蹴り、フード付きの外套をはためかせながら、森の中を駆ける少年。
人を探していた。同じ歳の九歳の女の子を。
今は昼。しかし昼とはいえど森の中が危険なことに変わりはない。もしも大型の獣なんかに遭遇していたりすれば……。
そんな事態になる前に見つけ出さなければならない。
けれど、少年の走る速度ぐらいでは森中を、いや、森の半分を探し回ることだって到底無理だ。このままでは陽が暮れたって見つけることは困難と言えるだろう。
故に、少年は。
意識を左手に向け、その手に緑色で長方形のカードを出現させた。
魔法というものがある。常識の悉くを打ち砕く外法。
少年の手にあるようなカードに魔力を吹き込めば。そして、それをイメージで形付ければ魔法は完成。
あとは脳裏に浮かんだ詠唱を口にすると、カードを通してイメージが現実のものとなる。
もちろん全てが思い通りとはいかない。簡単に言うのであれば、人によって付けられる色や形に違いがあるということだ。
何かを探すならばまず全体を俯瞰しなくてはならない。
そこで少年が浮かぶ己をイメージする。風を纏って浮かぶ自分を。
「ウインドスペル【纏え】」
カードがその詠唱に呼応するように脈動し、風を生み出す。その風が少年を中心に渦を巻き、身体を宙に運ぶ。
風の力を宿した少年は、木々の枝葉を揺らしながら、空へと駆けた。
薄暗い森、太陽が木々の隙間からわずかな光を運んでいる。
そこに小さな少女が一人。
少女は少しずつ後退しながら、口を開いた。
「こっちに、来ないで……!」
その言葉の矛先は正面。目の前にいる大きな獣に向けて。
その獣は、少女が下がる分だけじりじりと前進している。
少女の二倍はあろうかという黒色の体躯、刃物よりもなお鋭い凶爪。
そんな獣が目の前にいて恐怖を抱かないわけがない。その爪が振るわれれば、大人であろうと一瞬で肉塊へと変貌してしまうのだから。
冷や汗を垂らし、首をふるふると振りながら、なおも少女は意味のない後退を続けている。
痺れを切らした獣が、ついにその腕を振り上げた。
少女はぎゅっと目を瞑り。
そして。
―――突如、空から現れた人影が獣を蹴り飛ばした。
両足を揃えて獣へと飛び蹴りを放った人影が獣のいた場所に着地する。同時に、蹴り飛ばされた獣が大樹へと激突し、辺りに轟音を響かせた。
その人影の正体は少年。あれだけ大きな獣を蹴り飛ばしても一切顔色を変えないまま、探し人であった少女の方へと振り向いた。
「探したぞ、勝手に動き回るなって言っただろ」
そう声を掛けると、少女は安心からか、はたまた時間遅れの恐怖からか、涙を零す。
少年は少女の前に立ち、自身よりもずっと大きな獣を見据えた。
「だけどもう大丈夫だ。僕が君を守る」
獣が立ち上がる。少年を殺すために。怒りの咆哮を上げながら襲い来る。
対する少年は既に獣の懐へと飛び込んでいた。
纏った風の力を乗せて拳を振るう。獣の巨躯がわずかに後退するが、決定打にはならず逆に獣の反撃を許してしまう。
「固いな……」
頭へと迫る剛腕を後ろに飛び退いて避け、カードを向ける。
「ウインドスペル【三度、斬り裂け】」
生まれたのは三つの風の斬撃。三日月を模ったそれが、獣の身体を裂く。
腕、腹、頭。三箇所から流れる血に自身の黒毛を濡らしながら、再び咆哮する獣に。
最後の一言。
「ウインドスペル【吹き飛ばせ】」
カードから生まれた風が渦を巻き、人間大の大きさを持つ竜巻へと姿を変えて獣を直撃する。
獣は、蹴り飛ばされたときとは段違いの勢いで吹き飛び、木々を薙ぎ倒しながら森の奥へとその姿を消した。
少年の纏う風が止む。そして安堵に短く息を吐いて後ろへ振り向いた。
一連の流れを呆然と眺めていた少女が、少年に向かって口を開く。
「ごめんなさい……。ありがとう」
迷ってしまったことへの謝罪、助けてもらったことへの感謝。
「構わない、どれだけ離れてても僕が君を守るから。まあ迷子になるのはこれっきりにしてほしいけどな」
そう言って、口元を緩めながら少女の手を握る。
もう離れてしまわないように。
握った手を離さないように、強く、強く。
いつまでも。
初めまして、唯一と申します。これからよろしくお願いいたします。