イチズな日常
第2話 教師始めました。
ここ……は…?
『優くーん、こっち、こっち』
『この俺を待たせるな』
あれ?君達はもしかして……。
『そうだよ、君の中に棲わせてもらっている者さ』
やっぱり。君達を呼んだら、いつも声しか聞こえなかったり、いきなり記憶が飛んだりしてたけど、ようやく話が出来るんだね。
『確かにそうだな。…しかし、時に優よ。何故、俺達のような〝マガイモノ〟を自分の中に棲わせているんだ?』
うーん、そうだねー。……特に理由は無いけど君達が悪い子じゃない事が分かったから、っていうのもあるけど、やっぱり違和感が無かったからかな。
『違和感?』
そう、何だか、こう、胸の辺りがモヤモヤ~ってする感じが無かったんだ。一時的に一緒に戦った子の時とかは違和感があったんだ。でも君達にはそれが無かったんだ。
『なるほど……。ではあの御方については?』
ああ、【影】の事?うーん、彼とはもう物心付いた頃には一緒にいたからなぁ。違和感なんて全く無いね。ね?
『……………』
『相変わらず無口ですね』
『仕方あるまい。まだ俺達と違って実体がはっきりとしてるわけじゃないんだ』
うーん、というかそもそもの話、【影】には実体になる気が無いんじゃないかな。
『と言いますと?』
【影】に実体が出来てしまったら僕が彼を扱いにくくなってしまうし、実体はなくても僕の大切な友人だから何を想っているか、考えているか、感じているかはある程度は分かるよ。
『やはり過ごした期間の差が違いますね。それでも、あなたは我々も使われますが【影】と一緒に戦ってる時は意識が飛びませんよね?』
うーん……何でだろうね。もしかしたら【影】が僕の守護者だったりして。
『ふむ。それはなきにしもあらず、だな。まず、優自身に守護者が見当たらん。人というものは形や大きさ、種族、外見、それら関係なく人ひとりには必ず1体は守護者が憑いてるものだからな。しかし、それを言えば今の我々も優の守護者という立ち位置ではあるのだが』
うん。でも、その内彼自身が何かを教えてくれると思っておくよ。
『…おや?残念ながら時間のようです…。それではまたいつの日にかお会いしましょうか』
え?あ、ちょっと待って!!まだ話したいことが────────
△▼△▼△▼△▼
「────あ………る、の…に……」
「お、起きたか」
「………?」
「その顔は分かってない顔だな」
「んー?……ん?」
「…はぁー……。寝ぼけてやがる。九十九、デコピン食らわせとけ」
「え、良いんですか?」
男はこくりと頷いた。
「し、失礼しまーす…。行きますよー」
ばっちぃっん!と有り得ない程の音が出た。
───が
「う、うーん…」
「マジかよ……。この人、寝ぼけてても防御障壁出せんのかよ……」
優の額のど真ん中ピッタリの位置に、小さくも分厚い半透明な正方形が浮かんでいた。
「んーー………ん?…………みかんゼリー!!…………あれ?…え、えーと、どちら様?」
「やっと起きたか。久しぶりだな優」
「え、一心さん?……と、この方達は?」
「取り敢えず落ち着け、な?」
言われるがまま深呼吸をし、辺りを見回し、自分も見る。
「あ、縛られてる」
鎖でガチガチに縛られていた。それもただの鎖じゃない。魔獣捕獲用の〝八咫烏〟独自開発、改良を加えた魔法の鎖だ。
何故こんなに詳しいのか。────自分も開発に携わったからです。
でも、まさか自分に使われるなんて思いもしなかった。
「…さて、少し落ち着いた様だから久し振りに話でもするか」
「縛られた状態でですか?」
「もちろん」
「僕、そういう趣味じゃないんですけど」
「この機会にどうだ?」
「ぜっっっったいに嫌ですね」
「まあ、そうだろうな。でも暫くの我慢をしてくれ。大事な話の途中で逃げられても困る」
ふむ、と優は頷き、一心と呼ばれた男の方を見る。
「それじゃあ、わざわざ僕を探して、しかも捕縛する程の重要な事って何です?」
「物わかりが相変わらず良いな、優は!そこは変わってないんだな。良かった、良かった。あの頃もなぁ……。……おっと、すまない。話が逸れたな」
咳払いを一つし、少し柔らかな表情だった一心は先程とはまるで違う眼差しだった。
「話は二つ程だ。まず一つは〝禍津神〟が今一度復活を果たそうとしているという情報が入った。感の良い優なら最近小さな黒い小鬼を見たかも知れん。そいつらが集まって何やら企んでいるらしい。小鬼程度に何が出来るのかはわからんが、もしもの事態が起きてしまうと、今の〝八咫烏〟は戦力がやや足らない。つまりはだ、隊員にあれこれ教えることの出来る人材を探していてな。そこで、もう一つの話だが。単刀直入に言う。優、教師やらないか?」
「「「「え?」」」」
優も、もちろんの事ながら、周りの若い隊服に身を包んだ彼らも驚いていた。
「え、え?一心さん、ほ、本気ですか?」
「本気と書いてマジと読む程度には本気だ」
「……うーん……。でも、僕も学生なんですよ。高校一年生なんです。高校デビューなんです。なのに1ヶ月程度で辞めれませんし、それに入学金もタダじゃないんですよ?」
それもそうだ。入学金だけでも中々な金額になり、元はといえば受験料もタダではない。
「その辺りは全額返金させてもらう。…それとだ、何も学生辞めて教師になれとは言っていない。お前の学校にある変わった学科があるだろ?」
「え、えーと………?……魔法科?だったっけ、かな?」
「そう。そこにお前は転属って形になる。そこでは普段通りに授業を受けてくれていい。たまに魔術の訓練や試験があるがお前なら余裕だろ?偏差値自体もそこまで高いわけでもないからな。……そして、魔法科で勉強とは言っても殆どが実習、実技訓練が主だった授業内容だ。そして、その学校だけで出来る事は限られているから、午後からの授業は全てこっちでおこないんだ。それで、だ、お前には午後からの授業の担当をして欲しい」
「………うーん……………………んー?……んー………」
まだしっかりと目覚めきれていない頭をフル回転するのは骨が折れる。
「……給料は出ますか?」
「無論。働いてもらうからには、それ相応の金額を支払わせてもらう」
「いくらぐらいですか?」
「みかんゼリーが1時間で5個買えるくらいだな」
「それはスーパーのですか?それともコンビニのですか?もしくは百貨店やデパートで買うようなものですか?」
「……高級なやつだ……」
「なるほど」
優の目つきがみかんゼリーへの執着心を表している。
「………ですが、お断りさせていただきます」
「何故だ!?」
「……それは─────ここに居る、みなさんに下校を妨害されたからです。………みかんゼリーが冷えているというのにっ………」
コロコロと表情の変わる優の表情はちょっとした喜劇になっていた。
「……そうか……。では、ここに1日数個限定販売している『みかん堂』の幻とも言われるみかんゼリーが冷えて用意されているとしたらどうする?」
「喜んで引き受けますね」
「よし、交渉成立だな。あれを持ってきてくれ」
「……まさか………」
秘書らしき女性がコツコツとヒールを鳴らして入ってきた。手にはお盆を持ち、その上にはなんと─────
「『みかん堂』のみかんゼリーだ………」
1日数個限定販売していて、代表取締役自らが農園に赴き、厳選された蜜柑だけを使って販売する程の自信と情熱が、このプルプルとしながらも黄金に輝くゼリーひとつひとつに注ぎ込まれているのだ。
「心の声がダダ漏れだぞ、優」
「ハッ……!」
「そして………分かってるな?優」
「もちろんです。その依頼を謹んでお受け致しましょう」
「ありがたい…。では久しぶりに握手でもするか」
「こちらこそです。良いですよ」
そう言って優はバキンッ、と魔獣捕獲用の鎖を容易く破壊して一心と握手をした。
「相変わらずの化物っぷりだな」
「いえいえ、ちょっと考えれば出来ることですよ」
カラカラと笑い合う2人を除いて、その場にいた者達は度肝を抜かされていた。
「じゃあ、明後日にまたここへ来てくれ」
「分かりました。それではこれで」
「おう。気をつけてな」
片手に『みかん堂』のみかんゼリーを嬉しそうに抱える優。
「はい!……あれ?お?ん?えいっ」
軽く会釈をして自動ドアに向かうも反応されず、当たり前のように破壊して外に出ていった。
「あっ、ちょっと………って、…あれ?」
綸がその後を素早く追いかけたが一方通行の廊下に優の姿は無かった。
△▼△▼△▼△▼
翌日。
初夏の空は蒼く透き通り、清々しい気分にさせる。
しかし、この男の気分は清々しさとはかけ離れていた。
「ききき、緊張している時は人の字を書いて飲み込むんだったよな」
黒い隊服に身を包み、その上から白衣を着て、白と黒のコントラストが映えていた。
何故、白衣があるかというと〝八咫烏〟の元同僚だった人物から「それだけじゃインパクトが無いだろう」と言われ、何故か「パーティーグッズ用」と書かれたダンボールの中から取り出した、白衣を渡されたのだ。
隊服は朝起きると枕元に置いてあった。これがなんとサイズがピッタリなのだ。恐るべし〝八咫烏〟。
兎にも角にも、1度引き受けた事は最後までやり遂げるのが母から教わった『男の鉄則12条』の一つに入っているからにはやらなくてはならない。
そして、やらなくてはならない事が初めて試みる「教師」という仕事だ。
人に教えるという職業。果たして、自分に務まるのだろうか。
それに一心から言われた担当するクラスが全員隊長らしい。なんという重圧。
「な、なんとか乗り切ろう……」
学校とは言うものの、〝八咫烏〟の本部に併設されるように建てられている。
そもそも、〝八咫烏〟の本部自体が認識探知遮断結界を本部からおよそ6キロメートルまで張っており、訓練を受けていない者は認識はおろか辿り着く事すら出来ない仕組みだ。
その結界内に学校はあり、生徒は皆、将来〝八咫烏〟に勤務するであろう人物ばかりだ。
つまりは何が起きようとも、外部からの干渉はほぼ無いと言える。
一心からの頼みは『とにかくやり方は任せるから、あいつらを鍛えてやってくれ』とだけだ。
なんとも困った事を言ってくれるのだろうか。
自分の人見知りの激しさを知っていてのことなのだろうか。
そして気がつけば、件の隊長達がいるであろう教室の前まで来ていた。
深呼吸を3回ほど繰り返し、「よし」と小さく呟き引き戸を開けた。
見ればそこは目!目!目!目!
とにかく見渡す限りの目がこちらを捉えていた。
「ひいっ……」
〝八咫烏〟最強と謳われた男にも弱点の一つや二つは存在する。
その内の一つは人から見られること。
つまりは注目を浴びたり、大勢の前で演説をしたりする事が何よりも苦手なのだ。
おずおずと怯えながら教卓に向かう。その間も自分を捉える目線は揺るがなかった。
「え……えと、その、み、皆さん、は、初めまして?でいいの、かな?…おお、小野坂、優と、言います。皆さんの、『魔法技術実習』を担当することになりました。よ、よろしくお願いします」
ぺこり、と一例して前を向くとやっぱり沢山の目がこちらを見つめていた。
「あ、あの、その、えっと……」
次に何をしなくてはならないかが、すっかり頭から抜けてしまってプチパニックに陥っている。
「…ッ!?……これは?」
いきなり、鏃の付いた小さな矢が自分目掛けて飛んできたが、それを易々と掴まえるのが優である。
その拍子に何をしなくてはならないかを思い出した。
そう、自己紹介だ。
名前や好きな食べ物等を各自で、簡単に周りに言うという人見知りにはキツいイベントである。
が、しかし、生徒達は昔から一緒に訓練を受けていたと一心から聞いている。つまりは彼らがする自己紹介は、優に向けた自己紹介である。
「あ、えと、これはここに置いておいて良いのかな?あ、えー、その、み、皆さんには今から自己紹介をして頂こうと、思います。で、では、まず、そっちの彼からお願いします。あ、あと固有能力も教えて頂けるとありがたい、です」
ドアの近くの一番端の列の、いわゆるチャラいと言われるような格好の生徒に自己紹介をしてもらう事にした。
自己紹介ついでに出席も取っていくつもりだ。
「えーっと、九十九燕之祐です。八番隊の隊長です。えー、固有能力は『忍』です」
なるほど。彼はどうやら忍びの一族の末裔なのだろう。固有能力の『忍』は忍びの家系が代々受け継いでいく伝承系の固有能力だ。
そして、それぞれの派閥によって少し変わっていく固有能力だ。おまけに固有能力は本人の腕次第で、強くも弱くもなるというものだ。なんとも興味深いものなのだろうか。
「……あっ。……つ、九十九くんですね。ありがとうございます。あ、あと、これを投擲したのは君かな?」
「はい!そうっすよ!」
満面の笑みで答えられた。
「僕じゃなかったら死んでましたよ?今の一撃で。次からは気をつけてくださいね」
「はーい」
ケラケラと笑う燕之祐だが、内心では心底驚いていた。
全くの死角からの投擲。それも常人には捉えるどころか刺された事すら気付かない程の速さで。
だが、この男はいとも簡単に、まるで飛んできたボールをキャッチするくらいの気持ちで受け止めた。
忍びという者は本来は偵察、隠密、暗殺を生業として来た一族。そして、江戸時代には暗殺の依頼が増加していき、そこで生まれた新たな常識が「暗殺術の失敗はその者のみならず、その一族、親しい人物の死と考えるべし」と言うものだった。
つまり、忍びの家系に生まれた燕之祐は優にいとも容易く殺される、という事だ。敗北などという生易しいものでは無い。
しかし、このご時世には暗殺の依頼などは早々来るものでは無いし、年端もいかない少年に殺しを親が強要する事も少なくなって来てはいる。
燕之祐自身、殺しをしたいとは思った事は無い。ただ、今回は初めてあった時からワクワクしていた所為で強めに投げてしまったのだ。
なのに、優は涼しい顔をして取った。初めて出会った『強敵』と言える存在に期待は膨れ上がるばかりだった。
早く1戦を交えたい。その気持ちでいっばいになっていた。
そんな事とは梅雨知らず、優は授業を進める。
「はい、えーっと、次は、鳳、綸さんですね。お願いします」
「はい」
立ち上がった少女は黒髪でポニーテールをしていた。
(どこかで会ったことある人だな~)
一騎打ちをしようとした相手の顔を忘れている優。
何故か。単純な話だ。優は極度の人見知り。初対面の相手の顔など見れるはずもない。顎か足元ぐらいしか見ていないのだ。
そして、隊服は支給品なので大差は無い。と、なると顔は覚えていない。
「先生」
「は、はい?」
「前を向いて下さい」
「あ、いや、その…」
突然過ぎて慌てふためき、前なんて向ける状況では無いのに前を向けと言われている優。
「どうしてです?」
「その、僕、ひ、人見知り、で。沢山、の人、とかに囲ま、れると、きき、緊張して、しまうんです。……な、慣れてくれば大丈夫だと、思います……」
そう、倫は気になっていた。全く前も向かずに、教卓ばかりを見ている相手が何故そうしているのか。昨日、会った時とは全くの別人とも言えるほどにビクビクしている。
こんな奴に負けたのか、と思うと自分に腹が立ち、また心のどこかでもう一戦交えたいと願う自分もいる。
「分かりました」
ただ、今はその時では無いのかもしれない。
「えっと、鳳綸と言います。一番隊隊長を務めさせて頂いてます。固有能力は『一刀必中』です」
「あっ、君が一番隊の隊長さんですか。女性が隊長なのは初めてですね。それでは、よろしくお願いします」
その時、ブチッ、と不意に音が鳴った。
何かがちぎれるような音。それも結構な分厚さのあるもののようだった。
その音の正体は
「あの、もし良ければ、というよりも、今から仕合しませんか?」
綸だった。
その笑顔は貼り付けられた顔だった。目の奥は笑わずに優を見つめていた。
「え?ああ、良いですよ」
相手が怒っている事にも気付かないのは鈍感野郎の優ぐらいだ。
この大組織の〝八咫烏〟には、構成される隊員達の年齢層が平均して低いため、都市伝説的なものが幾つか存在する。
その内の一つが「鳳綸をキレさせるな」というものだ。
理由は定かではないが、噂では街一つを消し飛ばせるとか、訓練を積んだものが50人がかりでも無傷で蹴散らせるとか────。
ともあれ、怒らせてしまった時はただでは済まないと言えるだろう。
だがしかし、この男、小野坂優はそんな事は全く知らない。その為、二つ返事で応えてしまう。
周りの隊長達は口を噤んで、静かに震えていた。
△▼△▼△▼△▼
急遽、執り行われる事となった模擬戦闘。
舞台は〝八咫烏〟で1番大きいという、第6訓練場。
そこは普通の学校のグラウンドのように、コンクリートの地盤の上に大小様々な石ころや砂粒が敷き詰められ、風を操る魔法を使えば砂嵐も起こす事が可能である。
ローマのコロッセオの様な造りになっているこの訓練場には、魔力障壁の張られた観客席が設けられており、訓練の合間の休憩や訓練中の隊員の様子も伺える。
その観客席は500人強が収容できるのだが、座席はすべて埋まり、立見席も詰め込まれるように人々でごった返している。
「うわー…………人、人、人、人、ひと、ひと、ひと、ひと、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト………」
「すぅ、……ふぅーー……」
そんな中で、人見知りの優は緊張で心の臓が口から出てきそうな程に苦しみ、闘争心と怒りに身を包んだ綸は冷静さを維持する為に深呼吸をずっとしている。
試合前の取り決めは綸が独断で全て決定した。
その取り決めで決定したのは、「どちらかが降参、もしくは気絶で試合終了」、「時間は無制限」のこの二つだけ。
この二つだけだが、時間が無制限という事はどちらかが倒れない限りは延々と試合は続くという事。それは終わりが見えないという不安にも繋がる大きな要因にも成り得る。
訓練場の観客席の壁には巨大なスクリーンがあり、今まさに始まろうとする試合を映し出していた。
スタートの合図は決まっていない。
それはどういう事か。
どちらかが奇襲を掛けることが用意に出来るという事だ。
辺りには木も岩も、障害物となる物は一つとして無い。つまりは己の技のみで戦うのだ。シンプル故に勝敗は大きい。
その時、誰もが期待していた事が始まった。
「先手必勝ーー!!」
綸の鬼気迫る勢いの初手。
試合の火蓋は力強く、素早く斬って落とされた。