ふるさと
大学浪人のために1年間京都にいた。
ボクが京都にいる時、じっちゃんの具合が悪くなった。父と母は、20年間暮らした尾道から、じっちゃんの家がある竹原に引っ越した。
尾道は、京都に行くまでの18年間、ボクが生まれ育った街なのに、突然帰るところがなくなった。ボクは、いつの間にかふるさとを失ったかたちになった。
子供の頃、竹原にはじっちゃんに会いに年に1回遊びに行っていたが、血縁はあっても地縁はない。楽しくはあってもふるさとではない。
大学生の時、成人式の案内が来た。その当時、住民登録していた横浜市からだった。
試しに父に聞いてみた。住民登録のない尾道の成人式に出られるのかと。父は静かに首を横に振った。
成人式という機会に、子供の頃の友達には再会できないということだ。
成人式に出席する意味を失った。
やはり、ボクはふるさとを失ったままだった。
竹原に帰省する時には飛行機を使う。尾道を通ることはない。僕の中で尾道の記憶が薄れていく。
ある時、母が病気になった。母が勤めていた尾道の病院に入院した。
母を見舞うため、久しぶりに尾道駅に降り立った。子供の頃の記憶とはまるで違う景色だった。
でも、海の匂いだけは変わらなかった。その匂いは、ボクの記憶とシンクロした。
1年後、父が病気になった。同じ病院に入院した。父を見舞うため、また尾道駅に降り立った。
海の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。その匂いは、再びボクの記憶とシンクロした。
ふるさとを取り戻した気がした。というより、はじめから失ってなどいなかったのかもしれない。
ボクの心の中には、いつも尾道があるから。