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  作者: 五月雨 夜空
1/3

三角関係を考えてみたら、残酷な執着愛になってしまいました。

※暴力的な描写、BL要素あり。なんだかよくわからない謎な内容に。妙な話ですが、気持ち悪いかもしれません。ご注意のほどを。

 

 マリーメイア・アルギス・デネブ・サンドレア。


 黄金の髪は豊かな小麦畑のごとく棚引き、ふっくらな唇は鬼灯みたいに膨らんで赤く、切れ長の瞳は突き抜けた青空を写し取ったかのような色彩。

 サンドレア公国の君主であられる公爵のご令嬢であり、騎士である私が忠誠を誓うお方だ。

 斜陽がかる夕暮れ、白魚のような手で午後の紅茶を嗜むのが日課な我らが姫君。その光景は、まさに歴史あるサンドレア公国の公女に相応しき貫禄があり、美麗な横顔はコインにも描写されている。成人された際作られた記念硬貨は高値で取引され、下賜された硬貨に関しては各々大事に宝物庫に保管されているとか。


 と、話は逸れたな。

マリーメイア様は、サンドレア公国唯一のお子であられるゆえに、生まれながらにして婚約者が存在する。


 隣国のカレンドラ王国王太子、シーザーである。

子供は少なくとも2人は必ず産まなければならない、のは、サンドレア公国の次代君主が欲しいと公女の父君が望んでいるからである。マリーメイア様の母君は産後の肥立ちが悪く、惜しくも亡くなられた。お隠れになってしまわれたため、意気消沈した公爵閣下のお心を狙って差し向けられた数多な妃らに、どういった経緯があったにせよ、あれこれと手を出すも、男系の跡継ぎがいないと焦った結果が文字通り、燃え尽きた、という。下世話な話だが、毎日そう、求められたら、まあ、そうなるだろう。若い妃らが一向に孕む兆候さえみせなかったことから、さらに頑張ってしまった、とのことだが……それぞれの思惑があるになんにしろ、後宮に住まう美麗すぎる妃たちが婀娜あだっぽい誘い文句を競い合ったゆえに、馬の脚が立たなくなったという訳だ。下町の酒場ではすっかり話のタネになってしまっている。庶民には肴でしかない大貴族の醜聞であった。失った愛へ立ちすくむ男と、権力と金を狙う雲上人らの立ち回り。私は中途半端な下級貴族だが、まったくもって普通が一番だとつくづく思う。


 と、はたまた、話は逸れてしまったな。

私の紹介が未だだということに、今更ながら気づいてしまった。すまない。


 私は、マリーメイア様の護衛騎士、フェリクス・ヴェガ・クグイ。


 クグイ男爵家の次男坊である。

家を継げる長男ではないので、己の身を立てるために騎士の道を志し、唯一の珠玉であるマリーメイア様の筆頭護衛という誉ある地位に就くことができた。

 それこそ、血の滲むような努力が必要だったし、たまたまな運があったということでもあるが、顔立ちがそれなりに見栄えのあるものだった、というのも理由としてあげられるだろう……それと、マリーメイア様が年頃になれば隣国であるカレンドラ王国に嫁がれると、お役御免になるということも。

男爵という家柄も、その地位が可もなく不可もなく、といった塩梅で自動的に私に、ちょうど良く白羽の矢が刺さった。不満がある、といえば、ないとはいえない。いずれは仕事がなくなってしまうからな。期間的な職務である。正直短い。働き盛りを護衛職で喪失して良いものか? 降って湧いた公爵令嬢筆頭護衛という慶事話を喜んで受けたはいいものの、後悔は後からやってきた。

 しかし、とここでよくよく考え込む。国家君主の娘を護衛をしたという実績は立ち消えにはならないだろうし、幼い頃からつかえてきたマリーメイア様には、「フェリクス、フェリクス」と、ひな鳥のように懐かれているうえ、なんだかんだで真面目に勤め続けていることが評価されている。

正味な話、楽観的に捉えるしかない。元来より、楽天的だといわれる私だ、仕方あるまい? 

 それに、姫様は可愛い。妹がいない私にとって、公爵の姫にすっかり情が移ってしまった。ふとした不安はこみ上げてはくるものの、愛くるしい姫君に私は心を尽くした。

 そんな幼い頃より近くにいた呑気主義な私と、すくすくと手足が成長して綺麗になっていくマリーメイア様。

 たくさん折衝し、数えきれないぐらい、彼女のお転婆に手を焼いた。

勝手に街へ出かけようとしたり、こっそりと台所へ入り込んで盗み食いをして……、教師陣から逃げ出しては厩へと入り浸るのをお諫めするのは私の仕事だ。この頃は本当にとんでもなかった。成人していない幼子とはいえ、子供と大人の狭間にある危うさ。思春期。静かに縫物をしているかと思いきや、急に馬に乗りたいとダダをこねられたり。庶民の生活を試してみたいとあれこれ騒ぎ立てたり。世話役も大変だ、女官長なんて何度倒れそうになったことか。臣下への示しを振る舞いを身につけてもらいたいと、夕暮れ時、見晴らしの良い街並みをお見せしたり、このサンドレア公国の将来を語り合ったり……、そう。

 近すぎたのだ。


 マリーメイア様のためにと、してやったことが、すべからく、私に跳ね返ってきた。

年頃になった私にお見合いの話がきたときには、お姫様は、それはもう癇癪をおこされ、それはそれは父君である公爵閣下でさえも苦渋の意を示したものだ。お気に入りの紅茶のティーカップを投げ捨てたり、隣国から贈られたタペストリーを窓から破り捨てたり、と、せっかく身に着けたはずの淑女姿はどこへやら、未だかつてないほどの暴れっぷりであった。

これには日頃厳しい教師陣も困り顔だった。

何度諌めても彼女は大事な物を破壊し、私の二の腕を離さないのだ。子供返りでもしたのだろうか……。

貴人の室内はすっかり賊に入られたかのような有様に成り果ててしまっていた。箪笥は横倒しになり、ドレスの下腹部は無残にも天井のシャンデリアに引っかかっている。これにはさすがの女官長は目を回して倒れ、マリーメイア様は謹慎処分となった。甘い対応、だとは思う。

が、しゅんと後悔しているらしいマリーメイア様のご様子に、周囲は責めることを諦めた。

姫ご本人からも私に謝罪の言葉を述べられたし、臣下としては頷くしかない。

 それより問題なのは、さすがにこのような醜聞を可愛らしい悋気であったにしろ、国外に流れてしまうのは忍びない。良くないことである。したがって、私の婚期はとりあえずマリーメイア姫が隣国へ嫁いだ後になると話は流れた。流された、ともいうか……流されっぱなしである。

 おかげで、同僚にはあれこれとやっかみ半分冗談半分で揶揄されるが、その瞳には同情の念が多大に含まれている。さすがに声に出して言うべきことではないからだ。忠誠を誓う騎士として、主君を侮るような言葉は持ちえない。ある程度の懸念は騎士や、国家中枢の間で巣っくっていたが……、落ち着きを取り戻したマリーメイア様に一同は安堵、お気に入りを手放したくない姫君の些細な我儘だと受け止められ、次第に過去のものとなっていく。

 そうして、私は、大人への階段を登りつつあるマリーメイア様から離されることなく、つつがなく、筆頭護衛騎士として、たまに発揮されるお転婆ぶりに振り回されながらも、その外に飛び出したがる腕を離さずに日々を呑気に過ごす。


 成長なされたマリーメイア様の美貌も、有名になっていく。

健やかに伸びる手、輝かんばかりのかんばせ。花のように綻び、無邪気にくっついてくる純粋さ。

素足のままくるりと回り、出来立てのドレスの様子を私に尋ねる仕草には、ドキリとしたものだ。

これほどまでに美しき女性に真っ直ぐ微笑まれて落ちない男などいないだろうな、と、このときばかりは婚約者であるシーザー殿下を羨んだ。張り付いてきた際に嗅いだ、首筋から匂い立つ香りは、すでに女の、それそのものとなっていたのだから。社交界でにこやかにほほ笑む彼女に、隣国の大使はずいぶんと骨抜きにされて帰ったようだった。贈られる品物の点数がいつもより増えていたのは愛嬌か。


 サンドレア公国の民は、一年に数回行われる顔見せの広場に訪れることを一生の楽しみにしているという。そうして、絶世の美女をその目に焼き付け、我が公国の珠玉の珠を誇りに帰宅するのである。慈しむ心優しき女性に成長した彼女は、福祉事業にも着手していたのだ。我らが公国の看板娘、といってもいい行動を、私を無論のこととして、民草たちは喜び微笑ましく見詰めていた。


 最近では、他人の恋愛話に花が咲くようで、貴族令嬢たちとあれこれ楽しんでいるようだった。

私もいずれは、彼女たちのいずれか、誰かと婚姻を結ぶかもしれない。

そう思うと、彼女たちに優しくことのほか接する。

 途端、マリーメイア様が目に見えてむくれ、嫉妬してくれるものだから、貴人に好かれている自覚をしてしまい、なんとも、むず痒い思いがした。いまだに私は彼女にとって、お気に入りで、贔屓される。信頼の騎士であった。私は、この時間がいつまでも続くように錯覚していた。

そう、いずれは離れなければならないというのに。

現実は刻々と過ぎていく。

愛らしいマリーメイア様から下賜された手作りのお菓子。彼女はお菓子作りにも最近では積極的で、毒見ならぬ味見をして欲しいとよく頼まれる。

感想を伝えるたび、喜色の混じる声をかけてくださる……、本当に、昔のお転婆っぷりがウソのようだと頬を緩めてしまう。同僚にも、やに下がった顔だと馬鹿にされてしまうが、仕方ないだろう? 

 あまりに、我らが姫が可愛らしすぎるものなのだから。


 最近では、私の目尻や頬に歳月の積み重ねが見え隠れするようになってきた。

若い頃と違い、今の私はもう、騎士の中堅、に差し掛かっているんだろう。公国を預かる公爵閣下には、マリーメイア様と隣国王太子の婚姻に関する式典護衛に関する相談を受けるようになった。

 きっと、マリーメイア様のご成長をお守りするというこの仕事は、私にとって良い事だったのだろう。

 感慨深い。

時間になると小さな陽だまりを作る荘園でしゃがみこんでいた彼女の、私を見上げた際の、その青い瞳がこぼれるのではないかと思うほど泣いていたのをお慰めしたときを思い返し、ふっ、と、自然に笑みが零れる。閣下は、マリーメイア様を、とうとう……手放すつもりのようだった。

 少し、遅かったのかもしれないが、と閣下は眉根を寄せていたが、恐れながら、たった一人の娘、それも唯一の家族なのだから手放すのは惜しいのも当然だと、私は閣下に申し上げた……、けれども、果たして、伝わったかどうか。考え込まれていたようだが。


 話し合いの末、閣下の懸念していた両国の警備の問題も片付き、ようよう、姫君が、嫁がれる。

 私の運命も、まさかこのときに変わるとは……。

 露ほどにも思わなかった。

 

 私は、しがない男爵家の次男坊。


 男爵家の跡継ぎのスペアであり、所詮はただのおまけ。

いや、家族としては身内を愛しているし、そう悪くは考えていない。仲良しだ。

兄とは年齢が離れているがしっかりとした真面目な性格だし、父も健在、母もそう。あわせて四人家族の、普通のどこにでもある男爵家だ。クグイ男爵家は、昔からある、ただ古いだけ、家名が連綿続くだけの、公家をてっぺんにいただく貴族。普通の家だった。ごくごくありきたりな男爵家だった。

 不自由のない、満足のいく教育、自由意思を与えられ、腹いっぱい食べられる。

不憫の不もない、クグイ男爵家の貴族の体面さえ取り繕うことができれば、どうとでもなるような、そういったありきたりな家だった。私も、その一員。マリーメイア様を無事隣国へお見送りした後、私は私の幸せを掴む……、そういった人生を送るのだろう、そう思っていた。ありきたりで、ありきたりな、それでいて当たり前の生き方。普通の、人生。それなりに幸福な。

それなのに。

 それなのに。


「マリーメイア様……?

 今、なんとおっしゃいましたか……?」


 頭が、真っ白になる。

ガラガラと、今までの出来事が、崩れ去っていく。

走馬灯のように、思い出が過ぎ去る。無論、無邪気なマリーメイア様との、ささやかな楽しくってくすぐったい出来事も。小さな姫君は、こんなにも大きく成長したとしても、そのお転婆っぷりは変わらなかったようだ。

 ……喉が、乾く。

ごくりと、生唾を呑み込む。


「フェリクス。

 わたくし、貴方を愛していますわ……」


 黄昏時。

幼い頃、マリーメイア様が泣きじゃくり、うまく貴族としての振る舞いができないと教師陣に鞭を打たれた日。私は、この城の頂きにある、城下が見晴らし良い場所へお連れした。

その後、たびたび、姫君にとって辛い出来事があったのなら。

そのたびに、この広々とした空と、サンドレア公国の豊かな街並みを、共に眺めていた。

 失礼ながら、兄として。

心の中では、幼い妹のような、兄妹のような思いでしかなかった。

 …………そのはずだ。

あの幼かった女の子にすぎない、だが高貴な血筋を誰よりも引く、この国でいっとう身分高きサンドレア公国の珠玉である、貴女が。


 どうして、私を慈しんでいるのでしょうか。

 そうして、何故。

 その麗しき青き瞳を、貴女の隣で茫然と立ち尽くしている、婚約者に向けないのでしょうか……。




シーザー・カレンドラ。


 隣国、カレンドラ王国の第一王子であり、王太子である。

肩まで伸ばされた黒髪は嫌味ではなくよく似合い、纏めてゆるく結わえている。唇は薄く、声には張りがあり、立ち姿は若い年齢にしてはすでに王者の風格がすでにあって、光彩の端が薄く、中央に近づけば火炎のごとき色彩の、独特な夕闇の双眸はどこまでも人の心を見据えるかのように、ひたと真っ直ぐに人心を見透かす。口さがのない者は、黒髪赤目の王太子を「悪魔」と揶揄するが、失礼ながら当人を目にすれば頷ける。病弱と思うほどに白磁の肌を持ち、男にしては整いすぎた顔立ちは、あまりにも異質で目立つというものだ。また、黒い服を好んで着用するのも「悪魔」呼びの原因となっている。本人はさほど気にしていないのだろうが、服の色を変えないのは、もしやわざと流しているのではと、勘ぐりたくもなる。


 そんな見目とは裏腹に、彼は優秀な為政者であった。

隣国の詳しい事情は不明だが、不満が募りつつあるという国民を慰撫して、国境を越境してくる輩を退治、大商人を自国に引き入れ新たな法律作りを行い、宰相とし、今まで以上に国を豊かにしたという。ほかにも、海賊から財宝を奪いとったとか、新たな小島を発見して領土に入れたなどなど、麗しげな見目からは到底想像できない、英雄的話があちこち散見されるとのことから、現国王より人気があるという噂も間違いない。

 政治的な才覚はあまりに天才的で怖い部分はあるだろうが、この調子だと、この男の将来は安泰だろうとほっとしている。何せ、我らが姫君を預けなければならない夫だ、長い間姫君の幼少のみぎりより護衛をしてきた私としても、夫君の甲斐性とやらは気になるところであるのだから……。


 本日、久しぶりにお二方は並び立った。

金髪青眼、天使のごとき美貌を誇る我がマリーメイア様と、黒髪赤目、玲瓏たる姿、それでいて泰然と立つ大国の王太子シーザー殿下。広間の囀りは、どこもかしこも静まり返る。

 まるで絵画のような。

天使と悪魔。

 そんな題材で描かれていそうな、美しい人たちだった。

私は、そんな彼らの後ろで、背景と化した。

 心が、震える。

背中しか見えないが、豪奢なドレスと気品あふれる正装にちりばめられた宝石の、いや、それ以上に輝いている若き王族たちの気品あふれる姿に、私の背筋がびりりと雷が走ったのである。

 この場にいる、幸せ。歴史の合間にいるという瞬間。

それでいて、心を捧げる相手がいるという、幸運。

 私は、この人生の瞬間を、いつまでも覚えていよう、そう思った。


 サンドレア公国の要人と会話をし、少々疲れを見せ始めたシーザー殿下を慮ったマリーメイア様は、音楽が鳴り始めたのをきっかけに、広場の中央へ踊ろうと殿下を連れ立っていく。

 本来ならば、女性から誘うのははしたない行為ではあったが、殿下は、そんなお転婆なマリーメイア様に仰天しつつも、少し口の端を綻ばせた。

 眼福、に尽きる光景であった。

その後、様々なダンスが繰り広げられていき、いつもの社交場となっていった。

大体の話はし終えたのだろう、シーザー殿下がマリーメイア様を引き連れ、大広間を後にする。

 私も、彼らの背後を従って、華やかな場から去る。少しずつ、騒々しい人の声が失われ、私たち護衛の足音と主らの足音が響くようになった。


「ふふっ」

「どうしました?」

「いえ、シーザー殿下……、

 お父様、まだあの広間にいたのに……すごい大胆ですわね、二人そろっていなくなるなんて」

「それは君のほうだろう、

 まさか麗しき姫君、淑女の鏡と謳われるマリーメイア、噂のご令嬢から踊りを誘われるなんて」


静寂に溶け込むような、くすくす、と弾むような会話が時折差し込まれる。

私も自然、頬が緩む。ああ、これは良い空気だ。

頭上を仰ぐと黄昏のような色合いをみせていた。

 縁取られた空。

公国最大の城、その渡り廊下から望める上空には、すでに星空が見え隠れしている。

ほう、と息を零す。どこもかしこも、美しすぎて眩暈がしそうで。人も、空も。


「……ねぇ、シーザー殿下、

 わたくし、お願いしたいことがあるの」

「何でしょう」


絶え間なく、くすくすとくすぐるようなにこやかさは消えない。

短い逢瀬でしかない二人であったが、意気投合はするようだった。

王太子は、その白磁の頬を珍らかに赤くして、青い瞳の公国姫の美貌を見据えている。


「フェリクスと、わたくしと。

 三人で、お話をしたいの」

「……フェリクス?」


言うや、シーザー殿下は私のほうを見返す。

私もまた驚きながら、ぴたりと足の止まった彼らのもとに留まる。

麗しの姫は、私を、その淡い青の双眸に収めていた。

まるで湖のような表面がどことなしに、潤んでいるように見えた。ぎょっとする。


「……いかがなさいましたか、マリーメイア様?」

「あの場所へ、行きたいの」


ふわ、と浮かんだのは、マリーメイア様が苦しいときに連れて行った、あの城下町を見下ろせる所だ。

騎士たちの間では、あの場所は神聖なる箱庭として、決してマリーメイア様以外、入ることは許されないところとして厳戒態勢を敷いている。そこに、シーザー殿下を。みるみる内に、私の胸の内側が熱くなっていく。つと、目を伏せてしまった。さすがに。これはいけない。感情を表に出しては。だが。

 私は、感動していた。

マリーメイア様にとって、あの場所は思い出深いところだ。

そこに、婚約者であるシーザー殿下を連れて行くということは、心の柔らかいところへ、彼を連れて行くということでもある。それほどまでに、マリーメイア様は、シーザー殿下を……、などと考えると、私の鼻がつん、としてきた。泣くにはまだ早いが、心が辛抱できない。

 だが、懸念すべきことが。

騎士として、応えねばならないところなれども……。


「しかし、マリーメイア様……、

 シーザー殿下がご一緒、それでいてお二方だけの護衛が私だけでは……」

「あら、フェリクス、あなたは腕に覚えがないと?」

「そういうわけではございませんが。

 ですが、万が一ということがあれば」

「なに、フェリクス殿。

 俺には剣がある」


そう気安く腰に据えた剣を軽く叩いて伝えてくるシーザー殿下に、声が詰まる。

 私にはそれ以上、彼らをお諌める言葉を持たない。

彼らは二人きりになりたいが、さすがに護衛のひとりもいないとあっては、それも未だ婚約中であり、正式な結婚式も何もあげていないというのに、手続きも終えていない合間にあれこれがあっては困る。下世話な話も。

 ……ということだろう。

ますます兄としての気持ちが膨れ上がって仕方ない私は、天使のような微笑みで私たち二人を引き連れていくマリーメイア様の金髪の豊かな揺れ具合を堪能しながら、さて、この隠れ家的な王城の、その最先端へとやってきたわけであった。びゅうびゅうと吹き付ける風に、眼下に広がる街並みに。さすがの王太子殿下も、見入っているようだった。マリーメイア様も、誇らしげである。さて、邪魔者は。

 マリーメイア様は、私に、何か命じようとしている。

私は、拝命しようとした。

それが開口一番、


「フェリクス」


護衛としての任務を張り切って成し遂げよう、それでいて空気のように溶け込んでいようと、二人の邪魔をしないように薄暗くなり始めた影に下がろうとした私の手をとり、


「ねぇ、シーザー殿下。

 この場所は、わたくしにとって、とても大事な場所なの」


と、邂逅した。

 しかし、それに何故私の両手を拾い、包み込む必要があるのか。

真珠のような色合いの、柔らかな指が私の武骨な手の甲を温めるが、いや、これはその。

婚約者殿からの視線が、痛いのですが……。


「……マリーメイア様?」


どうしたというのだろう。


「フェリクスは、いつも、私を支えてくれた。

 私が、最初に口にした言葉が、フェリ、だったぐらい。

 それぐらい、フェリクスは、私の傍にいたのよ」


実際には乳母だっていたのだが、なぜだか彼女は私を最初に呼んだ。

おそらく、フェリクスと呼ばれる回数が多かったからか、あるいは印象に残っていたからか。いずれにせよ、彼女は真剣な眼差しで告白をしているのだ。

 これから伴侶となるシーザー殿下。

そうして、今後はこのサンドレア公国の盾となるであろう私に。

離れるべきときがきたのだと、私は胸を詰まらせた。

マリーメイア様は、長年臣下として従ってきた私への感謝の言葉を……、なんとありがたいことか。

ここまで破格な扱いを受けるとは……、なんと、情の厚いことか。

 が。

マリーメイア様は、いつもの闊達な表情を忘れたかのように、その目を伏せた。

そうしてしばらく、吹きすさぶ風に身を任せていると。

青く、澄んでいる瞳を、私に向けた。

何か、意志を宿したかのような、そのような目をしていた。嫌な予感がする。


「フェリクス。

 いつもそばにいてくれて、ありがとう。

 ずっと、いつも一緒にいて……、

 そんな貴方が、離れるということを、ようやく実感して……、

 わたくし、気付いてしまったの……」


鈴が鳴るような声が、私と殿下の耳にためらいなく入り込む。


「フェリクス……」


それはとても、残酷な言葉だった。


「わたくし貴方を愛しています」


私は、この時間が止まったかのように感じた。


「……え?」


頭が、真っ白になる。何も、聞こえない。風が吹いていたはずなのに。


「マリーメイア様……?

 今、なんとおっしゃいましたか……?」


弱弱しい声で伺うも、彼女の視線はまるで嘘偽りがないように思えた。

青く緊張に震える瞳は、私ばかりを写しとっていた。

それでいて、無言で私の指をぎゅっと握りしめている。痛いぐらいに。

 これは……、本気、なのでしょうか。

ガラガラと、今までの出来事が、崩れ去っていく。

小鹿のように細い足を使って草原を駆けだす彼女は、誰よりも美しかった。

誰よりも、私は貴女の幸せを願っていた。

隣には立てないのは、彼女が生まれながらにして大国の婚約者がいる時点で分かりきっていることだったから。彼女は国というものの重みを知っているはずだ。

 ……喉が、乾く。

 ごくりと、唾液を呑み込む。

隣で佇む王太子様の様子が気になって仕方ないが、視界に入れるのが躊躇われる……。


「フェリクス。

 わたくし、貴方を愛していますわ……」

「冗談、でしょう?」

「冗談にみえるかしら?」


と同時に、彼女は勢いよく私に抱きついてきたではないか。


「ですから、シーザー殿下」


マリーメイア様の両腕が、私のうしろへ回る。

柔らかな肢体と、つい微睡みたくなるような香りがしたが、私は、木偶の棒のよりも酷い、ぱくぱくと何か紡ごうとして、紡げない状況に陥っていた。


「わたくし、お願いしたいのです。

 この、婚約の破棄を……!」


姫君の、私を慕う心。

それが、私の腕の中にいた。

 しかしながら。

私は、どうすればいいのか。よくわからない状況でいた。混乱している。

騎士として、なんと恥ずべきことか。だが、このときの私は、何をしたら良いのか、わからないでいたのだ。なんせ、襲撃者はマリーメイア様。私が守るべき主君である。

 ……そりゃあ、羨んだ。妬んださ! 嫁がれたら、もう会うことはできない、と!

しかし、現実はいともたやすく、仮初の幻想を打ち砕いてくれる。とてもじゃないが、真実は身分差を如実に教えてくれる。あり得ない。そもそも、幼少の頃からの顔見知りを愛することができるか、なんて。妹のように愛した存在を、男女の意味で愛せるか? いや、いや、違う。そうじゃなくて。

 冷や汗と、困惑と混乱と。ぐるぐると眩暈がして倒れた女官長の気持ちが今更ながらに良くわかる。

 これは、生き地獄だ。恐怖もこみ上げてくる。

何をしているのだ、フェリクス。早く、拒絶しろ。

傍にいるのは、お前が大事にしているお方の婚約者だぞ。国際問題だ!

国が、公爵閣下、両親、同僚……、すべてが……、まずいことになるぞ。

早く、引き離さなければ!

 だが、現実は。

 静けさだけが漂う。

城下町の街並みが、ぽつぽつと明かりを灯し始めている、本格的な夜。

 私は、マリーメイア様と。

抱き合っていたのだった。いや、いやいやいや。そうじゃない。そうじゃないだろ、フェリクス。

いつの間にか。その。たぶん、やんわりと押そうとしたのかもしれない。

だが、余所から見れば、それは……明らかに不貞にみえたようだ。慌てていた自分にも、

 ――――その音は、しかと私の耳に届いた。

途端、勝手に私の体が動く。

ガキンと剣と剣がぶつかり合う。

 これは……!

確実に、マリーメイア様の、命を。背中から心臓を狙った剣撃だった。

私が動かなければ、彼女は死んでいた。


「フェリクス!」

「お下がりください」


懐にいたマリーメイア様をうしろへ移動させ、剣を抜いた殿下の前に立ちはだかる。

シーザー殿下は、その秀麗な面立ちを、まるで悪魔のように……、その薄い唇をにやりとあげる。


「へぇ……、反応するか」


殿下もまた、剣を嗜んでいる。

それも、相当な腕前の。


「なら、話は早い。

 俺を敵として認めているんだろう?」


言いながら、彼はくすくすと微笑む。

薄暗い外だ、余計に彼がそら恐ろしくみえる。

汗が、たらりと背筋に流れる。


「婚約者に裏切られた。

 これは、とんでもない醜聞だぞ、マリーメイア」


黒い髪をたなびかせ、じっと私を見据えてくる殿下。

その赤目には、今後のこの両国間の行く末が案じられているように見受けられた。


「違うわ、シーザー殿下!

 その、これは……!

 わ、わたくしの……その……、片思、片思いなの……、

 勝手に、わたくし、フェリクスに……、この、想いを、押し付けてしまったのよ」

「ふぅん」

「で、ですから、

 この気持ちを、わたくし、

 どうにか、したくって……」


焦って言い募るマリーメイア様は、庇っている私の背後から必死に声をかける。

だが、それは、その告白は……せめて、二人っきり、にはなれないだろうが、どうか、信頼ある乳母と一緒にいる間にしてほしかった。そうであれば、私はすっきりと、彼女の気持ちを否定できた。

 そうすれば。

せめて、そうすれば。


 隣国の王太子に、剣を向けなくて済んだのに。

 ……平凡な、生き方が。

 幸せな生き方ができると、思っていたのにな。

あーあ……、

 シーザー殿下は、

 絶対に、このことを忘れないだろう。


 殿下のもう一つの英雄譚とは別に、逸話がある。

それは、裏切り者を絶対に許さない、という逸話だ。

 だからこそ、約束は守るし、大事にする。

もし、殿下が許してくれるというのなら、私はどんなことだってするだろう。

それぐらい、マリーメイア様のためなら、恋や愛、果ては命なんて失ってもかまわない、そう思わんでもなかったのだ。

 ……私は、無事には済まないだろうな。

そんなことを、駆け寄ってくる、シーザー殿下の護衛の顔ぶれを見つめながらも愚考する。

ならばせめて、ますますしがみついてくる彼女、自由奔放で私を陥れたがそれでも捨てきれぬ親愛に応えるために、マリーメイア様のためにできることをしておこうか。

誤解であると、声高に……殿下を、彼の眼を見据えようとした、が。

(なんと……)

慄いて肩が揺れる。

(恐ろしい……)

 私を、いや、マリーメイア様を憎々しげに睨みつけてくる顔貌は、到底、人間ではない。

 悪魔だった。

青白い顔を、さらに青白くさせて。ばさばさと風になびく黒髪の隙間から見え隠れする地獄のような色の輝きは、私の心を震え上がらせた。殿下の赤い、暮れなずむ赤い両目は、さながら、憎しみを糧として、燃え上がらせているようだった。


 マリーメイア様。

貴女が、天真爛漫さを、その純粋なまでに人を傷つけてしまう、浅慮な振る舞いが。

こんな時に、発揮されてしまうとは。

 さしもの私、フェリクス・ヴェガ・クグイには、知る由もなかった。

せめてもの餞だ、右腕だけで、愚かで可愛らしい天使を抱擁する。ぐっと、力づくで寄せる。


「マリーメイア様、どうか。

 どうか、お幸せに」

「フェ、フェリクス……?」


私は、後ろで、シーザー殿下に形相や王者としての堂々たる威圧的な雰囲気に、すっかり飲まれてしまっている姫に、最後の言葉を告げる。


「うおぉおおお!」


これしか、私にはもう、残されていなかったのだ。

マリーメイア様の、筆頭護衛である私だ、

 私だけの醜聞になるならば。

私は、いくらだって、泥を被れる。


「私が、マリーメイア様をたぶらかしたのだ!

 姫を、愛するあまりに!

 マリー様は、何も知らない!

 その意味も、何も!

 愛してるなどと!

 私に、言わされたのだ!

 シーザー!

 お前は、私が殺すのだ!

 ……裏切り者は、私だ!」


 そうすればいい。

間男という立場になれば。

そうすりゃ、誰も傷つかない。お家は大変かもしれないが……、私の下手くそな芝居ぐらい、読み取れぬ公爵閣下ではない。一家離散はするかもしれないが、食べていけない程度には落ちぶれないだろう。

 許せ。

これも、男爵家の次男坊として、いや、公爵家を支えるために必要な措置なのだ。

 裏切り者を絶対に許さない王太子シーザー、彼はあまりに危険すぎる。

私の突発的な行動に瞠目したまま、それでもぶれずに剣先を突きつけてくる彼だが、彼もまた、この婚約が流れることをよしとしないだろう。彼の父である国王と、この国の君主であられる公爵閣下は仲が良い。

 その橋渡しとなるのが、マリーメイア様。

この国は、豊かな資源が隠されている。それが、持参金の正体だった。それに、敵国からの越境は未だにあるという。様々な理由から、この公国と王国はつながりを求めたのだ。それが、外れるはずがない。少なくとも、今の時期は。敵国の動きをけん制すること、資源を手に入れたい思惑、それに世界でも評判になりつつあるマリーメイア様の美貌というその宣伝力。噂に違わぬ才色兼備の美姫。国ひとつ手に入れられるのだ、国と国の付き合いを、失うわけにもいかないだろう。そのために、悪が必要である。それが、私というわけだ。理由がいるのだ。

 嘆息を零す。駆けながら、走馬灯のように、今までの出来事を思い出を思い浮かべる。

マリーメイア様との出会いと、おやつを食べ、微笑ましくも楽しかった日々。

家族との会話。何気ない食事の風景。

騎士として鍛錬を積んだ苦しかった日常。

どこまでも続く地平線。美しき、我が公国。自然豊かで、戦争のせの字も見当たらない平和な世代。

賢王と称される国王が、ご存命でよかった。

シーザー殿下が王であったのなら、こんななりふりかまわない、下手したら馬鹿にされて道端の屑でしかないだらしない方便、捨てられていたであろう。

 くすり、と。私は笑った。

ほんのわずかな瞬間。隙間を縫って、笑ってしまった。

幸せだった。あの数時間前の空気のままでいたのなら、喜ばしいままでいられたのに。

 嗚呼、さようなら。

私の、人生。


 そうして、私は視界を失った。

誰かの叫び声が聞こえるも、私の気は失ってしまったから、確かめようがない。


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