とある魔導師の怒り
わりと勢いで書いたのであまり物語としてはよくないかもしれませんが、暇潰しにどうぞ。
その日、アクリルの街の一角に佇む武骨な建物に一人の女性がやってきた。
外見とは裏腹に可憐な音を響かせるドアベルを鳴らして建物に入ってきた女は不敵な笑みを浮かべて受付嬢の所へ向かう。
「ねぇ、ギルドマスターいる?」
「えっ、あ、はい」
「おいおいねぇちゃん、こんなところにそんな格好でやってきてどうする気だ?」
「ここは冒険者ギルドで娼館じゃねぇぞ」
女性の姿に困惑して言葉を詰まらせる受付嬢と、奥からやってきた二人の男の言葉が被る。
如何にも荒くれ者です、といった風情の男達は勿論、周囲にいた男達は殆どが彼女の格好に鼻の下を伸ばして、舐め回すようにその肢体を眺める。
それもそのはず彼女の格好はそんな男達の欲望を煽るのにはもってこいだったのだ。
まるで下着のような白い胸当てとパンツに、肌が透けて見えるエメラルドグリーンの薄布を幾重にも巻きつけた、娼婦や踊り子のようなその服装。
彼女の豊満な肉体美を惜しげもなく露わにした蠱惑的な格好に命のやり取りをする危険な冒険者ギルドはあまりにも不釣り合いで浮いていた。
しかしそんな男達の欲望の視線も気にした風もなく、ますます妖艶な笑みを浮かべて女性は流し眼で男達を見やる。
絶世の美女、傾国の美人といった言葉が似合う超絶美形な彼女の流し眼に、男達は訳もなく唾液を嚥下する。
「あら、私だって冒険者よ?」
そうして腰に括り付けていたポーチからギルド証を取り出して男達に見せる。
そして受付嬢にポーチから追加で取り出した手紙のようなものと一緒に手渡した。
「え……Sランク………!?」
ギルド証を確認した受付嬢の驚愕の声は自然とギルド内に響き渡り、その場の冒険者はおろかギルド職員までも目を見開いて彼女を見る。
敵の攻撃から身を守る鎧も、ましてやまともな服装でもない彼女がそれほどの高ランクであると誰が気づけるだろうか?
冒険者達は疑いの目で彼女を凝視する。
「ふふ、私は鎧なんて無くても大丈夫なの」
そんな視線に応えるように彼女は自らのその豊満な谷間に指を突っ込み、そこからペンほどの大きさの杖を取り出した。
繊細で華美な装飾の施された、菱形の赤い魔石が嵌め込まれた杖を空中で円を描くように動かす。
すると杖の先から美しい氷の彫刻が出現する。
ユニコーン、ドラゴン、グリフォン、ペガサス、更には先程の受付嬢など、光が乱反射して七色に煌めく氷の彫刻達は彼女の周りをくるくると飛び回り、幻想的な光景を生み出していた。
「無詠唱……」
誰が呟いたのか、それとも自分が呟いたのか、そんな小さな声が聞こえてきた。
無詠唱、魔法を行使する際に用いられる詠唱を完全に破棄する技術のこと。
しかしどんなに一流の魔導師でも、生涯を魔法に捧げた老魔法使いでも、千年に一度の天才でも、詠唱を短縮するのが限界で、誰も無詠唱に成功したことのない机上の空論と呼ばれた技術。
それを今目の前で見ているのだ。
あぁ、これが人外の域に達した化物(Sランク)の領域。
これが世界で五人しかいない冒険者達の頂点に君臨する規格外の実力か。
遠い、果てしなく遠い高みだと誰もが悟る。
たったあれだけの行動でそれを知らしめる存在なのだと、この時誰もが思った。
その時、息を呑むような声がギルド内に響き渡る。
「リズが何故ここに!?……ってどんな状況だ?」
受付カウンターの横に取り付けられている階段を下りながら、一人の青年が訝しげに辺りを見渡す。
なんとも言えない微妙な空気が漂っていたのだから当然ではある。
そして周囲の人間の視線が一点に集まっているのを見てそちらに視線を向けると、中心には彼女…リズがいた。
それを見た青年は納得と同時に深い溜め息を吐き出して額に手を当てる。
現役時代の彼女の問題行動の数々を思い出しているのだろう。
やっと治り始めたストレス性胃炎にダメージが入らないか本気で心配しながら、呆れた表情を隠すことなく彼女に声をかけた。
「アル…アルフレート、私のことはリズベットって呼びなさいと言ったはずよ」
「……で、またやらかしたんだなリズベット」
「あらなんのことかしら?私はこの受付嬢にギルド証を渡しただけよ」
「いや、お前に限ってそれはない」
断定的な青年の口調に不満な様子で唇を尖らせるリズ。
「何よ、私を置いてさっさと引退してこんなとこに収まった癖に、今だに私を理解した気でいるの? 私はもう昔の私じゃないわ。貴方が居なくてもやっていけるもの」
「まだ根に持ってたのか、その話。もう当の昔に話し合っただろう?」
「そうね、一方的に決まったことを言って去っていったあの話し合いね! その後私がどんな思いをしたのか、どんな生活をしたのか知らない癖に!! 貴方が私を裏切って出ていった後、私は慣れない前衛も一人で熟してきたわ。何度も何度も死にかけながらね!!」
苦虫を盛大に噛み潰したような顔をしているアルフレートに吐き捨てるように憎悪の篭った言葉を吐き捨てる。
アルフレートとリズベットは新人冒険者時代からの付き合いでコンビを組んでいた有名なSランク冒険者だった。
その剣速はまるで神のようだと言われた《神速の剣帝》アルフレートと、精霊達の寵愛を受ける魔道の超越者《虹舞姫》リズベット。
二人は竜退治、迷宮攻略などの数々の偉業を成し遂げた英雄的存在であった。
しかし、ある日突然二人はコンビを解消して、リズベットはソロで、アルフレートはギルドマスターとして活動し始めた。
その理由を誰も知らず、二人も何も語らない。
そんな二人が数年振りの再会の後、あの日のことを断片的に語っているのだ。
周囲の人間は息を殺してその様子を遠巻きに眺める。
「あの日のことは今でも忘れられないわ」
あの日、アルフレートが一方的にリズベットとコンビを解消したあの時のことを思い出しながらリズベットは極寒の視線を向ける。
その日は朝から豪雨が降り続き、とても依頼を受けることができる状態ではなかった。
遠くの空で稲妻が走り、その紫電の光に深い溜め息を吐き出して退屈していた午後のこと。
魔道書を暇潰しに読んでいたリズベットはふと、泊まっている宿の部屋の前に誰かが立っている気配を感じ取る。
「アル?」
何よりも信頼する相棒の気配に警戒を解くが、何故かアルフレートから不穏な空気を感じ取り、困惑の表情で扉の向こうに呼びかける。
「ちょっといいか?」といつになく真剣な表情で部屋に入ってくるアルフレートにますます困惑して怪訝な視線を向ける。
「どうしたの、いきなり。依頼に行くのは私嫌よ」
「そうじゃない」
「じゃ、何かしら? まごまごしてないで早く言いなさいな、貴方らしくない」
切り出そうか、出さまいかとまごついてるアルフレートに痺れを切らしてリズベットが促すと意を決したように話し出す。
「実は、リズとのコンビを解消してきたんだ」
「えっ……?」
「だいぶ金も溜まったし、そろそろ引退しようと思ってた。ちょうどギルドマスターにならないかって勧誘も受けてな。今日から向かう予定だ」
「…ちょっ、待っ、えっ……」
「正直俺一人ではここまで来れなかっただろうな。今までありがとう。さよならだ」
そう言って去っていった。
事前になんの相談も報告もなく、突然のコンビ解消にギルドマスター着任で、困惑するリズベットを残して、アルフレートは意気揚々と新たな生活をスタートしたのだ。
それからのリズベットの生活は悲愴だった。
金は腐るほどあるが、それでも冒険者稼業を続けていくには依頼を熟さねばならないし、それには当然強さがいる。
アルフレートと組んでいた時は彼女は後方からの魔法支援及び火力担当だっただけに、前衛であるアルフレートが居なくなってから討伐依頼を失敗するようになっていった。
彼女は生粋の魔導師で、前衛の技術や知識もあるはずがなく、詠唱中には魔物達のいい獲物となっていた。
それでどれだけ魔物に殺されかけたのかわからない。
何度も何度も瀕死の状態でギルドに担ぎ込まれては依頼失敗の違約料を支払い、手持ちの金が無くなっていった。
ならばと前衛がいるパーティに入れてもらおうと思ったのだが、リズベットの美貌に目が眩み襲いかかってくる者もいた。
身体の関係を強要されたこともあれば、彼氏を取られたと女冒険者から僻みを受けることもあり、すべてのものがそうであるとは思っていないが、あまり他人を信用できなくなっていた。
ソロの冒険者達にコンビを組んでもらえるように頼んでみたが、やはりソロで活動するもの達にも理由や事情があり断られる。
他にパーティを募集しているのは駆け出しの冒険者ばかりで、ランク差によって組むことはできない。
リズベットは前衛も熟せるようにならなくてはいけなかった。
必死に我流の回避技術を身につけ、無詠唱技術を身につけ、こうしてソロで活動できるようになっていったのだ。
そんな辛い状態に追い込んだのは紛れもなく目の前の男だった。
嘗ては厚い信頼関係で結ばれていたが今は憎悪と侮蔑の感情しか沸き起こらない。
「お前がこの街でぬくぬくと暮らしている間、私は血反吐を吐く思いでひたすら生き残る術を学んだ。お前が私を追い込んだんだ、私の信頼を裏切ったんだ!!」
「リズベット………」
「たまたまギルドマスターに頼まれた配達依頼の先が、貴方がギルドマスターをしているって聞いた街だった時はビックリしたけど嬉しかったわ。これはチャンスだと思った。だから、あの時できなかったことを今してやる」
静かな足取りで素早くアルフレートに詰め寄り、懐へと潜り込むとアルフレートの腹に拳をめり込ませる。
全盛期のアルフレートよりも数段速いその動きについていけず、アルフレートは吹き飛ばされてギルドの壁に激突する。
激しく咳き込みながら殴られた腹を摩るアルフレートに、一切の感情をそぎ落としたかのような人形の表情で見下ろし囁く。
「前線を離れて身体が鈍っているようね。私の方こそさよならだわ、アルフレート。もう二度と私が貴方の顔を見ることはないでしょう」
まるで炉端の石を見るように無関心無感情の平坦な声がアルフレートに浴びせられる。
その姿はなまじ容姿が整っているだけに殊更に冷たく感じられる。
アルフレートを殴り飛ばして満足したのかリズベットはまた元の妖艶な笑みを顔に浮かべて、あまりの光景に硬直している受付嬢の元に戻る。
「この手紙を渡した時点で依頼は完了よね?」
「えっ……あ、はい!」
「それじゃ、もうここに用はないから帰るわね」
騒がしくしてごめんなさい、と言い残してリズベットはギルドを後にした。
結局、長年不明だった彼等のコンビ解消事件はこうして幕を閉じるわけだが、この話を聞いていた冒険者達が他の街の冒険者達に広めていった。
そのおかげでアルフレートは最低男の落胤を押され、あまり冒険者達が依頼を受けなくなる。
するとギルド側も困るわけで、早々にギルドマスターの地位を剥奪されたアルフレートは、細々と冒険者稼業に復帰していた。
しかし他の冒険者達の視線はきつく、自身の行動のツケを一生支払うこととなる。
一方のリズベットは、その後王宮魔導師の地位を手に入れて、平穏な日々を過ごし、引退後は魔導師学校を設立し教鞭をふるった。
彼女は史上初の無詠唱技術の会得者として後世に名を残し、これ以上ない充実した人生を送ることになる。