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JAP!!!

作者: ろく

 ヘッドフォンから流れるのは違法ラヂオだ。穢土えど支配以前の古い歌――俗にJーPOPと呼ばれる類のその歌は、ノイズに犯され時に途切れながらも、十分に三郎治さぶろうじの耳を愉しませてくれる。ひび割れ、錆ついたその歌を下手くそな口笛で吹き散らかしながら、三郎治は住宅街の路地を行く。

 別に、アナーキーを気取っているわけではない。気分さえアガれば、何の音楽だって構いやしない。穢土を飼う諸外国の国歌だろうが構いやしない。ただ、今はそんな気分ではないだけだ。ざらついた音が欲しかっただけ。大きくなり小さくなる、ノイズにまみれた不安定な音が欲しかっただけ。

 ふいに学生服の尻ポケットに入れた端末機器が震え、三郎治は歩みを止める。ちょうど十字路にさしかかった時だった。

 端末機器に表示された名前は太郎。三郎治は口笛をやめて、端末機器の画面に指を滑らせる。端末機器の画面に現れた太郎は、ぶりぶりぷりぷりとしたフリルのついたエプロンを身につけて、片手には包丁を持っていた。

「あ、三郎治ちゃん? もうスーパー出ちゃったかしら?」

 長兄の裏声を違法ラヂオ越しに聞きながら、三郎治は周囲を見回す。三郎治を囲むようにして、十字の路地それぞれから人影が現れた。

「何? 言われたものはちゃんと買ったって。ナスとキュウリとキノコとバター」

 言いながら、三郎治は背負ったリュックサックを軽く叩いて示す。

「あとカレーのルーの甘口」

「あら、ルーは中辛って言ったじゃないの」

「俺が甘いの食いたかったんだよ」

「んもぅ、三郎治ちゃんたらいつまでもお子ちゃま舌なんだから。もう十七歳よ? あと一年で、えっちなことも合法的に出来ちゃう歳よ?」

「良いだろ別に。で、何の用事?」

 路地から現れた人々は皆、得物を手にしている。それはハンドガンであったり、古式ゆかしい両手剣であったり、ボウガンであったり、様々だ。装いも様々。迷彩服に身を包んだ者もいれば、スーツ姿の者もいる。年齢も様々。性別も様々。容姿も様々。金の髪をした者もいれば、三郎治と同じく黒髪の者もいる。どこの国の者かは、さすがに言葉を聞くまでは分からない。

 画面の中の太郎は、そうよ聞いてよと身をくねらせて、まな板の上の肉の塊に包丁を突き立てた。

「次郎ちゃんがね、お嫁さんをゲットしたのよ!」

「嫁って……。何人目?」

 次兄の次郎は、ここのところいわゆるエロゲーに精を出している。比喩的な意味で。比喩的な意味でもなく出しているのかもしれないけれど、次郎は基本的に部屋に引きこもりっぱなしだから、事実はどうだか知れない。

「さあ、もう百人は軽く超えるんじゃないかしら? んだよこのババァ中古かよクソビッチが、ってクソなこと言ってたけど、やっぱりお嫁さんゲットは喜ばしいことだと思うのよ」

 太郎は頬に手を添え、ほうっと息を吐いた。肉の脂がつくんじゃないだろうかと思ったが、言わないでおく。

「アタシもはやく誰かのお嫁さんになりたいわぁ」

「で、用事は何」

「やだ、三郎治ちゃんたらクールね。でもそんなところがアナタの魅力よ」

「だから用事」

 三郎治は若干苛立ちつつ、それを誤魔化すように、学生服の下に着込んだパーカーのフードを整える。周囲を囲む人々はじりじりと間合いを詰めながらも、一定の距離を保ったまま動かずにいた。

「あら、ごめんなさい。アタシったらお喋りね。そうそう、次郎ちゃんがね、お嫁さんゲットしたから献立を変えようと思うの。お祝いっていったらやっぱりお赤飯でしょ?」

「……赤飯でカレー食うの?」

「あら、それも尖ったセンスで良いわね。でも違うわ。今晩は唐揚げと、お赤飯と、あとサラダ。卵はスクランブルエッグにしようかしらって思ってるの」

「カレーは?」

「カレーは明日。一晩置いた方が味が深くもなるしね」

 三郎治の落胆の表情が画面越しに見えたのか、太郎が片手を謝罪の形に立ててウインクをした。

「楽しみにしてくれてたのに、ごめんなさいね。小豆ともち米と買ってくれたお釣りで、三郎治ちゃんの好きなもの買って良いから」

「何でも?」

「ええ、何でも。たあっくさんお菓子買っても良いわよ」

「……お菓子……」

 太郎の魅力的な提案に、三郎治の頬が思わずゆるむ。あまり食べ過ぎちゃダメよと日頃は取り上げられる菓子を、好きなだけ買っても良いと太郎は言う。何にしようか。クッキーと、チョコレートと、マシュマロと、それからグミと。キャンディーだって外せない。

「やだ、三郎治ちゃんったら可愛いお顔。とっても素敵よ」

 太郎に言われ、三郎治は慌てて顔を引き締める。くすくすと笑いながら、画面の向こうで太郎が手を振った。

「それじゃあ、よろしくね」

「わかった」

「サイレンが鳴ったら、ちゃあんと屋内に入るのよ」

 ピンと人差し指を立て、太郎が年上ぶった顔をする。まあ、十も離れているから実際にずいぶんと年上ではあるのだけれど。

「三郎治ちゃん、聞いてる?」

「はいはい、聞いてますよお兄ちゃん」

「お兄ちゃんじゃなくて、お・ね・え・ちゃ・ん」

「はいはい、わかりましたよおネエちゃん」

「……何だかトゲを感じるわ……」

 恨みがましげな半眼を最後に、太郎との通信が途切れた。プツンと音を立てて、画面が暗くなる。三郎治は端末機器を学生服の尻ポケットに戻した。

 違法ラヂオのノイズがだんだんと膨れ上がり、音楽を覆い隠していく。三郎治を囲む人々の群はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、口々に同じ言葉を口にした。

JAPジャップ

「JAP」

「JAAAAAAP」

 さざ波のように声が押し寄せる。三郎治が首から提げたドッグタグを目にし、声はさらに膨れ上がった。そこに掘られた文字は「A5」。最高級の肉を示すランクだ。

 人々は歓声の歓声があたりを埋め尽くす。彼らは得物や踵を地面に打ち付けガツガツと音を鳴らし、口々に母国の言葉をわめき散らした。次第に揃い始める音と声。

 JAP! JAP!! JAP!!!

 穢土の古い言葉を用いれば、鬨の声というやつなのかもしれない。

 違法ラヂオは既にノイズを垂れ流すばかりだ。ザアと鳴るその音も次第にぶつぶつと途切れはじめ、やがて何の音も聞こえなくなった。

 それと同時、けたたましくサイレンが鳴った。人々は声を飲み込み、その代わりに満面の笑みを浮かべてみせる。三郎治は腰のものに手を添えた。

 やかましく鳴るサイレンが、尻すぼみに小さくなる。それが完全に聞こえなくなった頃、両手剣の男が率先して雄叫びをあげながら、三郎治に飛びかかってきた。

「――Ah……?」

 しかしその雄叫びは疑問符に変わった。古めかしい両手剣を掲げていた男は、ぼたりと音を立てて地面に転がる自分の両手と剣とを見下ろして、きょとんと幼く首を傾げる。

「気が早ぇよ、早漏野郎」

 三郎治は血振りをして刃を汚す血を払い、愛刀を肩に担ぐ。ジャップ・ブロード。囲む誰かが小さく言った。

 男は叫び血をまき散らしながら、どうにか腕をかき集めようとする。つい先ほどまでは勇み立っていたくせに、他の者たちは男の血と声にひるんでしまったのか、三郎治を遠巻きに囲むばかりだ。

 三郎治は男の腕を蹴り飛ばし、両耳のヘッドフォンをずらして首にかける。そして刀を手にしたままに、右の中指を立ててみせた。激高して銃口をこちらに向ける女を蹴り飛ばし、ついでに台の代わりにして塀の上へと跳びあがった。三郎治は塀の上からひらりと手を振る。ベルトに提げた鞘に刀を納め、そのまま塀の内へと跳び降りた。

 塀の向こうでは今もやかましく彼らは騒いでいた。

 JAP! JAP!! JAP!!!

 聞き取れるのはそればかりだ。Fuckin' Jap。それもどうにか聞き取れた。やってみればと、三郎治は塀の向こうにむけて声を投げる。

 足音が散らばり始めた。きっと三郎治の他の家畜を探しに行ったのだろう。

 三郎治は頬を濡らす男の血を手の甲で拭い、首にかけたヘッドフォンを耳にあてがい直した。しかしラヂオは、今も無音と微かなノイズを漏らすだけだ。

 一つ舌を打って、学生服のポケットから棒つきのキャンディーを取り出した。甘いカスタードの味のするそれを咥えて舌に転がせば、たちどころに三郎治の機嫌は上を向く。鼻歌を奏でながら、三郎治はスーパーへと向かった。


******


 2×××年、穢土国民は総じて諸外国の狩猟家畜となった。

 穢土国は総じて狩猟区域となり、穢土を支配する諸外国民は好きに狩猟家畜を狩る権利を得た。

 いつ家畜を狩ろうとも、どう家畜を狩ろうとも、それは諸外国民の権利である。家畜たる穢土国民に口を出す権利は無い。穢土国民は狩られに狩られ、蹂躙された。

 しかしそれを、諸外国民はいつしか面白く思わなくなってきた。蹂躙に飽きたのだ。ろくな抵抗もせずに簡単に狩られる狩猟家畜を、つまらなく感じてしまったのだ。

 そこで諸外国民は考えた。もっとクレイジーでクレバーで、エキサイティングな狩りにしよう、と。

 まず、時間を決めた。家畜を狩る可能な時間を決めた。サイレンが鳴り、サイレンがもう一度なるまでの時間だけ、家畜を狩っても良いことにした。ついでに、家畜にハンディキャップを与えた。狩りの時間帯、屋内の家畜を襲いはしない、というハンディキャップだ。やはり、つまらないからである。時間帯を決めようとも、屋内に押し入ってしまえば好きに狩りができる。好きに蹂躙できる。それではつまらない。

 次に、家畜に武器を与えた。抵抗もしない、逃げもしない家畜を狩っても面白くないからだ。

 そして家畜にランクを与えた。DランクからC・B・Aランクまで、それぞれ0から5階級。伝説のSランクなんてものも作ってみたりした。家畜は狩りの時間帯を生き延びるごとにランクが上がり、良い肉となっていく。最初は一回生き延びるごとにひとつランクがあがっていったのだが、年々ランクのあがる基準は厳しくなっていった。やはり、つまらなかったからだ。その基準では、簡単に狩れる家畜も上位ランクになってしまう。だから、基準を厳しくした。

 諸外国民はハンターとなり、家畜を追う。狩った家畜のランクに応じて、ハンターの格があがる。ハンターのランクがあがることは、たまらない名誉であり、最高の娯楽であった。諸外国民は競い合ってランク上げに躍起になった。

 家畜は生き延びた回数とランクに応じて、餌を与えられる。餌――つまりは衣食住と金である。

 餌を欲して、家畜は上のランクを目指す。狩猟家畜は狩りの開始のサイレンが鳴ろうとも屋内に逃げ込まず、狩り場へと身を晒すようになった。最高のゲームとなった。

 狩りの一部始終は、カメラを通して上層部が監視している。ハンターランクの管理と家畜ランクの管理の為であったが、どのハンターが何人狩るか、どの家畜が生き残るか、などといった賭事も同時に催されていた。

 ランクに博打。他にこの狩りをもっとエキサイトさせる方法はないかと、諸外国民は考えた。

 それが、モデル地区の導入である。これはまだ始まって数十年ほどの制度であるが、ずいぶんと受けが良い。

 たとえば、伝統穢土区。昔ながらの穢土の風景が楽しめる狩り場だ。ここの家畜たちは当時の穢土国の風習に沿った生活を行い、今や遺物と呼んでも良いKIMONOを身にまとって、暮らしている。

 その他にもサイバー区、メルヘン区、ファンタジー区、スラム区、B地区など、あげていけばキリが無い。諸外国民は狩りを楽しめるよう、穢土の国土を様々にモデリングしていったのだ。

 三郎治たちが住まう地域は一般区。支配以前の穢土国が、一般的な生活を行っていたとされる生活様式で家畜が住まう区域である。ここの区域の家畜は、子供はガッコウに行き、大人はカイシャやミセにサラリーし、フーゾクやホストクラブで日頃の憂さを晴らす。文献資料や映像に残る、支配以前史に乗っ取った生活を、ここの家畜は送っていた。

 三郎治もこの地区のこの歳の少年らしく、黒の学生服に身を包み、せっせとガッコウに通っていた。センセイにモデリングされた家畜の授業を受け、帰り道に野良猫と戯れて、サイレンが鳴れば狩りに参加し時に回避し、家畜として日々を暮らしている。

「おう、三郎治ちゃん。おつかいの帰りか」

「うん。帰りだったんだけど、今からまたおつかい。小豆ともち米とご褒美のお菓子」

 三郎治は塀の内にいったん逃れ、スーパーを目指していた。塀の内側、つまりは他の家畜の庭である。不法侵入と目くじらを立てる家畜は滅多にいない。お互いさまだからだ。

 庭から庭へ、たまに塀を跳びこえて、三郎治は歩みを進めていく。庭は「屋内」には含まれないが、それでも狩人の目をくらますには往来を行くより効果的だ。

 声をかけられたのはその時だ。縁側でのんびりとゴルフクラブを磨きながら、前田のおじさんは禿げ上がった頭を光らせている。

「サイレンがさっき鳴っただろ。しばらくうちにあがっていきなさい」

「あんがと。でも大丈夫だって」

 本音を言えば、はやく菓子を買って帰りたいだけである。三郎治がしゃべるのに合わせてモゴモゴと動くキャンディーの棒を見てそれを悟ったのか、前田のおじさんはやれやれと言いたげに肩をすくめた。

「おじさんこそ家ん中入ってなよ。そこじゃ流れ弾とんでくるし」

「なぁに、平気だ」

 と、前田のおじさんはからからと笑う。それにかぶせるようにして、三郎治の背後の庭の樹がガサリと音を立てた。

 樹の上にはハンターの姿だ。スーツを身にまとった男は太い枝に器用にまたがり、ボウガンを構えている。サイレンサー装着時の独特の軽く鋭い音と共に、矢が放たれた。三郎治に向かって飛んでくるそれをひょいと避ければ、矢は前田のおじさんに向かって飛んでいった。しかし前田のおじさんは動じることなく矢をひっ掴み、へし折った。おじさんの胸元には、B5のドッグタグが揺れている。

 驚きの声をあげるハンターに向け、三郎治は足もとの石を拾い上げ、投げつけた。

「それじゃ」

「おう、気をつけてな」

 前田のおじさんに手を振って、三郎治は塀に跳び乗る。額にぶつけられた石つぶてに呻きながら、急に距離の近まった三郎治の姿に、ハンターは慌てて木から降りようとした。だが足を滑らせ、みっともなく声をあげながらアスファルトに落下する。

 その後を追うようにして、三郎治も塀から飛び降りた。ハンターは三郎治が腰に提げた刀を見やりながら、ぶるぶると首を振っている。何事かをわめいているが、何せ言葉が通じない。三郎治が理解できる諸外国民の言葉は、たいして多くない。それでも、おそらくは命乞いをしているのだろうということだけは分かった。

「覗きは趣味が良くないぜ?」

 三郎治はベルトから鞘ごと刀を引き抜くと、ハンターの喉元をこじりで突いた。げぇ、と醜い呻きをあげて、ハンターは仰向けに倒れる。白目を向いてはいるが死んではいないだろう。

 三郎治は男に跨がり、スーツの内側に手を突っ込んだ。男はきっと金を持っているはずだ。しばらくしてスーツの内ポケットから財布を引き抜くと、三郎治はにんまりと笑った。

 別に、三郎治自身が金を欲しているわけではない。この男の国籍がどこだか知れないが、三郎治たち家畜に与えられる貨幣とは、この男の持つ貨幣は異なっている。だから普段の生活で使えるわけではないのだが、こういった、諸外国民の貨幣や持ち物を次郎は好んで集めている。持って帰れば、つまんねえもん持って帰ってくんじゃねえよと悪態をつきながらも、あの汚い部屋のどこかに大事にしまっておくに違いない。

 ごそごそとリュックサックに仕舞いつつ、三郎治は投げ出されたボウガンに視線を落とした。太郎は武器を収集している。持って帰るかと思ったが、リュックサックに入れるには少し大きい。また別の時にするかと思い、三郎治は伸びた男に背を向けた。

 あちらこちらから、悲鳴と雄叫びが響いている。銃声に、窓ガラスの割れる音、車が急ブレーキをかける音。遠くの方で、何かが爆ぜる音もした。

 ジャピューリメント! どこぞの国の言葉で騒ぎながら、物陰から女が飛びかかってきた。腹を蹴って黙らせて、三郎治はスーパーを目指す。

 アスファルトに広がる女の金髪を見下ろしてから数十歩、あの女の持ち物も拝借すれば良かったかと、三郎治は少し後悔した。女は菓子類を持っていることが多いからだ。けれどもいちいち引き返すのも面倒なので、そのまま歩みは止めずにいる。

「あ、山田じゃん」

「よう」

 クラスメイトの小塚こづかだ。三郎治と同じく学生服を身にまとった彼は、三郎治のクラスメイトである。前をあけた学生服の下には白のシャツ。その胸もとで、C3のタグが揺れていた。席が近いこともあり、彼には何かと世話に――主に菓子を恵んでもらっていた。

 小塚は短く切った薄茶色の髪を揺らしながら、軽い足取りで三郎治の側に駆け寄ってくる。

「どしたの? 今日はおつかいだから早く帰るって言ってたのに」

「そうだよ。おつかい行って、帰ろうとしたらまたおつかい。小豆ともち米買ってこいってさ」

「お赤飯? 山田生理始まったの?」

「始まってたまるか」

「あいたっ」

 馬鹿げたことを言う小塚の額を爪ではじく。あいたたと大げさに痛がって額を押さえていた小塚だが、ふいに「あ」と口を開いて鞄に手を入れた。取り出したハンドガンの銃口を、三郎治の背後のハンターに向ける。

 小塚は何のためらいもなく引き金を引いた。すぐ側で弾ける銃声に、三郎治は眉を顰める。小塚は反動で跳ねた腕をさすり、手庇を作って三郎治の肩越しにハンターの様子を伺った。

「お、命中」

 だが急所には当たっていないらしく、ハンターの怨嗟の声がこちらにまで届く。ジャパニシアン。低く呻く男の声が苦しげだ。

「やだなー、俺今からあっち行くのに」

「別の道から帰ったら良いだろ」

「うーん、どうしよ」

 あまり深刻ではなさげに腕を組んで悩む小塚を、三郎治はひょいと肩に担ぎあげた。

「うお、どしたの山田」

 応えずに、三郎治は塀の上に跳びあがる。今日はやけに塀に跳ぶなと考えながら、小塚の薄い体を塀のうちに投げ落とした。

「あだっ!」

 ややどんくさいところのある小塚だが、それでも何とか受け身をとって庭に転がる。

「次のサイレン鳴るまで中にいとけよ」

「おー、そうする」

 へらっと笑って、小塚は玉砂利に転がったハンドガンを拾って茂みに撃ち込んだ。それに遅れて、茂みから血だまり溢れてくる。今度は呻く声も聞こえない。

「お、真ん中命中~」

 歌うように言いながら、小塚は塀の上の三郎治に手を振った。スニーカーを脱ぎ、縁側から家の中へと気安く入っていく。

「井口のばーちゃーん、ちょっとかくまってー」

「あんれまあ、どないした怪我しとるで」

「山田に落とされたー」

「あれ、山田さんとこの。太郎ちゃんか? 次郎ちゃんか? 三郎治ちゃんか?」

「三郎治ちゃんだよ」

「あれまあ」

 気の抜けた会話を背中で聞きながら、三郎治は塀の上から周辺を見渡す。ここからスーパーまで、そう遠くはない。直線距離で言えば1キロもないだろう。塀を乗り越えてまっすぐ行こうか。それとも、今日はやたらに塀にのぼるから道なりに沿って行こうか。

 できればハンターとの接触はあまりしたくない。さっさと頼まれたものを買って帰って、菓子を食べたい。

 どの道が、一番ハンターが少ないだろうかと考える。近くで聞こえる銃撃戦をBGMにしながら、三郎治は腕を組んだ。

 しかしそれも長くは続かない。電柱の陰から、若い男がこちらを見上げて叫んだからだ。ジャポカニック。その声に応えるように、止まっていた車の中から、向かい側の塀の中から、わらわらとハンターが現れた。

 JAP! 聞き慣れた家畜の呼び名に三郎治は笑みで応え、撃ち込まれる弾丸を跳んでかわす。そしてそのままに、男の顔面に着地した。

 足の下で、骨とアスファルトがぶつかる音がする。もしかすると頭蓋が砕けてしまったかもしれない。

 しかしそれには構わず、三郎治は腰の刀に手をかける。仲間がやられて腰が引けたのか、ハンターの一人は車に戻り、エンジンをかけていた。

 うまくエンジンをかけられずにいるその女の車のボンネットに飛び乗って、三郎治はニタリと笑う。女は下品な声で叫ぶと、三郎治を振り落とそうとしてか、やみくもにアクセルを踏み込んだ。

 急発進した車からひょいと降りれば、車は向かいの塀にぶつかり派手な音をあげた。女はおりてこない。意識を失ったか死んだかは知れない。

 もう一人いたはずだか、そいつはさっさと逃げてしまった。今日のハンターたちは、意気込みだけは立派なのに、尻をまくって逃げ出すのも早い。使い慣れた愛刀も、今日は最初に襲いかかってきたハンターの腕を落としただけだ。

 別にまあ、好き好んで殺したいわけじゃないから構いやしない。血で汚れるのも、脂でぬるつくのも、好きか嫌いかのニ択ならば、どちらかと言えば嫌いである。たまに無性にハンターを狩りたくなる気分の時もあるが、今日は違う。今日はひたすら、早くおつかいをすませて帰って菓子が食べたい。

 三郎治は結局、道に沿ってスーパーに向かうことにした。隠れながら進むより、身を晒してあちこちに潜んでいるハンターをおびき寄せつつ排除しながら進む方が、結果的にはやくおつかいをすませられそうだと思ったからだ。

 口に放り込んだ棒付きキャンディーを舌に転がしながら、のんびりと路地を歩く。残り小さくなってきたキャンディーを噛み砕き、残った棒を前歯で挟んで無意味にぴこぴこと動かした。音楽が欲しいような気もしたが、いつハンターが襲いかかってくるか知れない。肉塊にされるつもりは無いので、今は我慢することにする。

 おかげさまで、三郎治の機嫌はあまりよろしくなくなった。キャンディーも無くなってしまったし、音楽も好きに聞けない。さっさともう一度サイレンが鳴ってほしい。

 しかし三郎治の思った通りに事が運ぶわけもなく、サイレンが鳴る代わりに、角から悲鳴のような音をあげて車が猛スピードでつっこんでくる。

 車の窓から身を乗り出したハンターは、手榴弾を握っていた。ピンを抜き、投げつけようと振りかぶる。

 三郎治は刀を抜き放ち、すれ違いざまにその手を斬った。今日はやけに手を斬るななどと考えつつ、宙を舞う腕と手榴弾とをまるでボールを打ち返すように、刀の峰で強く打った。

 遠くの宙で手榴弾が爆ぜたのと、三郎治の背後で車が塀にぶつかったのがほぼ同時。その音に吸い寄せられるようにして、電柱の上からハンターがナイフ片手に跳びおりた。彼はすばやく三郎治の背後に回ると、首筋にナイフを突きつけてくる。

 だが刃が三郎治の喉を裂くよりも、三郎治が身を翻す方が早かった。男に向き直った三郎治は、くわえたままだったキャンディーの棒を指に挟み、男の目の前でニィと笑う。

「たばこ臭ぇんだよ」

 目を剥く男の口に棒を突っ込み、そのまま強く押し込んだ。臭い口から血を噴き出しながら、男は仰向けに倒れた。わめく男の顎を蹴りつけ黙らせる。スニーカーの裏を汚す男の血をアスファルトに擦り付け落とし、ついでとばかりに刀を汚す血と脂も、男の服で拭うことにする。

 しゃがんだその時、ちょうど折りよく三郎治の頭上を弾丸が通っていった。三郎治の向こう側にいた女に弾丸は命中し、女はもんどり打って転がった。

 女を撃ってしまった男は女の連れ合いであったのか、動揺してわけのわからぬ叫びをあげていた。三郎治は狼狽する男の手から銃を奪い、額に銃口を突きつける。

 引き金を引けば、あっけなく男の額に穴があいた。手を汚す返り血に顔をしかめ、男の服に擦り付ける。今日は別に、血に汚れたい気分ではないのだ。

 血と硝煙のにおいが立ちこめる路地を抜けて、スーパーを目指した。ひとり、三郎治の後をつけてくる気配がしたが、今すぐに襲いかかってくるわけでもなさそうだ。無視を決め込み、アーケード街を通り抜ける。

「お、三郎治ちゃん汚れてるな! 血の汚れには大根が良いぞ!」

「大根?」

 いつも野菜を買わせてもらってる八百屋のおじさんが、快活に笑う。よく日に焼けたおじさんの顔にも、返り血が跳んでいた。

「太郎ちゃんに聞いたら良い! ほら持ってけ!」

 ぎゅうぎゅうとリュックサックに大根を詰め込まれつつ、三郎治はやや気圧されながらもありがたく大根を受け取っておくことにした。

 アーケード街は、シャッターをおろしている店が半分、変わらず開けている店が半分、という様子だった。店の中も「屋内」に認定されるから、アーケード街に訪れるハンターは比較的に少ない。それでもわざわざ狩りにくる者はやはりいて、アーケード街の所々にはハンターが転がっている。

 この通りを抜ければ、ようやくにスーパーだ。リュックサックを背負い直し、三郎治は一息ついた。

 アーケード街を抜けた途端、吹き込んだ熱風に三郎治は目を眇めた。爆発はどうやら隣の路地でおこったらしい。パーカーのフードをかぶって熱を避け、スーパーまで駆け抜けた。

 自動ドアが開く間ももどかしく、転がり込むように店内に入る。いらっしゃいませー。店員の気の抜けた声に、ほっとした。これで煩わしい襲撃からひとまず逃れられる。

 買い物かごを手に、小豆ともち米を探す。スーパーに流れる軽快な音楽を鼻歌でなぞりつつ、見つけた小豆をかごに入れる。あとはもち米だ。おそらくは米の陳列棚のあたりにあるはずだ。

 店内をぐるっとまわり、見つけたもち米を三郎治はひっつかむ。すぐ隣に量の多いものを見つけてやや迷ったが、結局は安く少ない方にした。

 あとは菓子だ。残金を計算し、三郎治は菓子の棚へわくわくと向かう。

 菓子の陳列棚へと移動した三郎治は、返り血の跳んだ頬をぽわわと染めた。この、棚を眺める瞬間はいつだって大好きだ。どれにしようかと迷いながら、菓子を選ぶ瞬間の高揚感も大好きだ。きっと次郎が嫁を選ぶ時の気持ちもこんな感じなのだろう。いや、三郎治は菓子なら何でも好きだから、ちょっと違うかもしれない。次郎のように「処女以外帰れババァも帰れ」とかは思わない。三郎治は菓子なら何だって受け入れる。

 つい最近発売された新製品のチョコレート、何でその味にしたのかが謎な斬新な味のグミ、いつも絶対に買っているバタークッキー。キャンディーにマシュマロ。ひょいひょいとかごに入れ、駄菓子も数点放り込む。最近はグレープのガムが多かったから、今日はイチゴのガムにしよう。

 ふんふんと鼻歌を奏で、レジへと向かう。ここのスーパーに来るたびいつもこの歌に洗脳されてしまうのは多少困りものだが、ここは新製品も割安で販売してくれるからありがたい。

 店員に告げられた金額は、三郎治が計算していた金額とちょうど同じだった。財布のから揚々と金を取り出して、店員に渡す。

 リュックサックに荷物を詰め込み、三郎治は店を飛び出した。弾丸が後ろの壁にぶち当たったが気にしない。ハンターよりも菓子だ菓子。いやその前に太郎の晩飯だ。カレーじゃなくなったのは残念だが、唐揚げも三郎治は好きだ。思えば赤飯も口にするのはずいぶんと久しぶりだ。

 ぐう、と三郎治の腹が鳴る。手持ちのガムで空腹をまぎらわせようかと思ったが、やめた。空腹を耐えてそれから晩飯を口にした方が、一層においしく感じるだろう。

 どっちにせよ、はやく帰りたいことに変わりはない。きのこーのーこのこー、おとなのきのこー、きのこきーのこ、りっぱなきのこはミツヤのきのこー。先ほどスーパーで洗脳された歌を口ずさみながら、三郎治は我が家を目指した。

 三郎治めがけ飛んできたナイフの、柄を掴んで投げ返す。浴びせられるマシンガンの弾丸を、車の影に潜んでやり過ごした。

 だがかかるエンジン音に、三郎治は車の影から身を踊らせた。その際、抜きざまにタイヤを切りつける。三郎治をひき殺そうとしていたハンターは、パンクに焦りエンジンを必死に回そうとしていた。

 それは捨て置き、家路を急ぐ。眼前に迫り来る男は剣を振り上げ、高揚した顔でJAPと声高に叫んでいた。

 三郎治は道ばたに落ちている、ハンターだか家畜だかの武器であっただろう槍の柄を踏みつけた。跳ね上がった槍の先端が、ちょうど男の顎を裂く。三郎治は男の顎から槍を引き抜き、腹に穂先をずっぷり埋めてやった。

 ふいに空気の揺れを感じ、三郎治は素早くその場から跳び去る。三郎治が先ほどまでいた場には、シュリケンが刺さっていた。

 出所に視線をやれば、ニンジャ姿の男がいる。家畜狩りは諸外国民にとって最高の娯楽だ。だから最高のエンターテイメントを演出するために、コスチュームをプレイしている者も多い。そういえば今日はスーツ姿の男がいたが、きっとあれだってコスプレイなのだろう。

「ふぅん」

 ニンジャサムライは三郎治もあまり目にしたことがない。今まで見てきた中で、一番多いのは迷彩服だ。動きにくそうな鎧や、下着にしか見えない格好の女もいたか。

 ニンジャは三郎治と同じく、刀を手にしている。八双に構え、じりじりと距離を詰めてきていた。

 三郎治はキンと音を立てて納刀する。そして腰を落とし、左足を引き、柄に右の手をかけた。いわゆるイアイヌキの格好である。

 キェエと甲高い雄叫びをあげて斬りかかってくるニンジャを、三郎治は抜きざまに斬り伏せる。

「こういうの好きなんだろ?」

 わざわざニンジャのコスプレイをするほどだ。イアイヌキで昇天させられて、きっとこのハンターも嬉しいに違いない。

 どさ、と背後でニンジャが倒れる。アスファルトに滲む血だまりから逃げるようにして、三郎治は家を目指した。このスニーカーはおろしてまだそんなに日が経っていない。あまり血で汚したくはなかった。

 曲がり角にさしかかった時だ、三郎治の行く手を阻むようにして得物が振り下ろされた。跳び退いたそこには、大きな何かが刺さっている。アスファルトには派手にひびが広がっていた。

 こいつか、と三郎治は路地に伸びる影を見やる。この気配は先ほども感じた。三郎治の後をつけていたハンターはこいつに違いない。

 アスファルトを叩き割ったのは、どうやら斧のようだ。バトルアックス、というやつだろうか。長い柄の先に、分厚い鋼の両刃が光る。筋骨隆々とした半裸の男はそれをゆっくりと引き抜いて、肩に担ぎ上げた。ずん、と音がしそうなほどに重たげだ。

「JAP……!」

 てらてらとオイルで光る顔に、半裸の男はにやけた笑みを浮かべた。

 半裸の男は、やけにぴっちりとした短いレザーのパンツを穿いていた。裸の上半身には、何の機能があるのだかしれないサスペンダーを身につけている。以前次郎がプレイしていたゲームで、確かこんな奴を見た覚えがあった。次郎は「うるせえショタはショタという神聖な生き物であり天使でありしかし、小枝からミルクを精製した瞬間残酷な天使が産声をあげショタは堕天使になるんだよ」とか何とか言っていた。

 半裸の男の後ろには、似たような格好をした、やたらにてらてらと光る集団がいる。

 JAP! JAP!! JAP!!!

 聞き慣れた合唱が空気を揺るがす。声に合わせ踵をアスファルトに打ち付けていた集団だったが、先頭のバトルアックスの男がゆっくり拳を突き上げると、ぴたりと音を立てるのをやめた。

 男は掲げた拳をゆっくりおろし、三郎治にびしりと指を突きつける。

「……ファック・ユー……!」

「あ?」

 うおおおおおお、と男たちの雄叫びが響く。耳に痛い。野太い歓声の中、男がバトルアックスを振りかぶった。びゅうと風を裂いて振り下ろされるそれに跳び乗り、蹴って、高く跳ぶ。宙でくるりと前転し、その勢いそのままに男の頭蓋を刀で斬りつける。衝撃にぐらつく男の体を蹴りつけ、下敷きにならぬよう距離を取る。ずん、と重く倒れ伏す男の後頭部に吐き捨てた。

「邪魔」

 びくびくと痙攣する男の手から、バトルアックスをもぎ取る。若干重いが、ここからなら家はもうすぐそこだ。引きずって持って帰るのもさほど苦ではないだろう。

「つかファックじゃねえの?」

 キャアアと高い悲鳴をあげて、男の一味は散り散りに走り去る。誰も三郎治のつぶやきは耳に留めていないようだった。「バカじゃねえのか死姦てジャンルも存在するんだよ」と次郎がいつだか言っていたのを思い出したが、まあ別にどうでも良い。

 三郎治は刀を納めた。ガラララとやかましい金属音を立てながら、斧を引きずり家へと駆ける。これで太郎への土産もできた。

 そろそろ空腹も限界だ。やはり晩飯までに何か菓子を食べようか。いやしかし、すきっぱらに唐揚げの方が旨味が増すだろうか。でもやはり腹が減った。そうだガムだけ。ガムだけにしようそうしよう。こくんと唾液を飲み込んで、うんうんと三郎治は頷いた。

 愛しの我が家まであと数十歩だ。家の前にもハンターがいる。邪魔だ。あと数歩。三郎治は大きく踏み込んで、ハンターの腹に刀を突き立てる。倒れたハンターのポケットからあめ玉が転がりでた。三郎治はそれを拾いあげ、表札に散った血しぶきをぐいと拭う。

 玄関の戸に手をかけたその時、サイレンが鳴った。狩りの終了を告げるサイレンだ。三郎治はどこかにあるらしいカメラに向けて。ひらひらと手を振った。これ以上三郎治のランクがあがることはないが、報酬は手に入る。いつも餌をありがとう。その意を込めて、三郎治は媚びた笑顔と共に手を振った。

 サイレンがやむ。これで、今日の狩りはおしまいだ。三郎治は玄関の戸を開けた。

「あら、三郎治ちゃん。おかえりなさい」

 おいしそうな匂いがふわんと広がる。今日は唐揚げ。それに赤飯とサラダとスクランブルエッグ。そしてたくさんの菓子。

 明日はカレー。三郎治の好きな甘口のカレー。今日みたいにお釣りで菓子を買っても良いなら、明日もまたおつかいに行っても良い。

「ただいま」

 けれどきっと太郎はお菓子ばっかり食べちゃダメよと角を出す。どうやって機嫌を取って菓子をねだろうかと画策しながら、三郎治は後ろ手に玄関の戸を閉めた。




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