第2話 任務と旅路と不穏な噂
1
今日では、飛空艇は専ら旅客や運搬の手段として機能している。陸路を徒歩や馬車で行くよりも、大幅な時間短縮が可能であるため、非常に便利な交通手段として利用されているのだ。
ただし、一般客が乗るためには飛空艇のパスが必要である。この飛空艇のパスは非常に入手しづらく、手に入れるためには、庶民が五年以上汗水たらして働いてやっと買えるような程高価なため、乗れる者が限られてくるというのが現状だ。
そのため、度々偽造パスが流通するのだが、当然それを利用すれば、監獄行きである。実際、多くの者がこの偽造パスを利用し、逮捕されている。つい最近も、他国の商人を装った盗賊達が偽造パスで飛空艇に乗り込み、すぐにバレて逮捕されたばかりだ。
しかし、運搬業や軍の関係者となれば、その限りではない。国家から専用のパスが支給されるため、高い金を払わなくとも飛空艇に乗れるのだ。また、裕福な商人ならば自分の飛空艇を持っている。尤も、そこに至るには並々ならぬ努力と恵まれた境遇、そして運が必要である。それに、飛空艇の運行区間は未だ限られており、大陸の都市間の移動を賄えているわけではない。
そこで登場するのが鉄道である。
鉄道は二百年以上も前から利用されている交通機関で、蒸気を利用した機関車だ。以前は乗り心地が悪かったものの、現在は魔導工学の発展によって、エネルギー効率が上がり、より快適な旅が出来るようになっている。
鉄道は飛空艇に比べるとスピードは幾段か落ちるものの、庶民が利用したり、辺境都市に行ったりするには必要不可欠な交通手段である。あと数十年は、メジャーな交通機関として活躍するのは間違いない。
広場の蒸気時計を見ると、午前四時を少し回ったところだ。冬が近づきつつあるためか、空はまだ暗く、東の空がやや白んでいるくらいである。
レティシアのメンテナンスや、アリカとの会話があったためにほとんど寝ることが出来なかったものの、寝ずに仕事をすることなど珍しくないため、シユウにとっては然程苦痛ではなかった。それに、朝の冷たい風が、嫌でも身体を覚醒させてくれる。
駅には、人の姿はほとんど見られない。閑散としたホームのベンチで、シユウとレティシアは腰かけていた。ただ、汽車が来るまで休んでいるわけではない。装備の手入れや、仕事内容の確認など、やることはたくさんある。
シユウは工具箱の中身の確認を終えると、ベルトに装着していたホルスターから、拳銃を取り出した。軍手越しにずしりとした重みと金属質な冷たさが伝わってくる。
無骨なイメージがある銃にしては、洗練されたフォルムだ。銀色の銃身には複雑な紋章が彫金されている。
そして――シユウが使っている拳銃は、独特のものである。
懐から弾丸を取り出すと、それを銃に込めた。緊急時に、いつでも戦闘に移れるようにするためだ。車内への武器への持ち込みは基本的には禁じられているが、軍や政府の人間の場合はこの限りではない。また、名声の高い冒険者も、認められることが多いらしい。それ以外の場合は、一旦車掌に預ける必要性がある。
レティシアも武器の手入れをしていた。彼女の得物は、二振りのブロードソードだ。手を斬らぬように、布で慎重に刀身を拭いている。ちなみに、ブロードソードはレイピアなどと比べて刀身が比較的肉厚なことからこの名が付いているが、特に分厚い刀身を持っているわけではない。
「ご主人サマ」
武器の手入れが終わったのか、レティシアはブロードソードを鞘に納めると、シユウに布を差し出した。シユウは無言でそれを受け取ると、鞄の奥に無造作に突っ込んだ。
「なんか顔色優れないな、レティシア。メンテが不十分だったか?」
魔導人形が病気になることは無いのだが、シユウはレティシアの額に手を当ててみた。ほんのりとした温かみが伝わってくるのをその手で感じると、とても彼女が偽りの生命体であることが信じられない。
「いえ、大丈夫デス」
とは言っているが、やはり何処か落ち着きが無い。はっきりとはしていないが、何処か悲痛な表情を浮かべているのが解った。
人形とはいえ、喜怒哀楽はある。病に侵されるようなことはないが、痛みも感じるし、それは肉体的にでも精神的にでも有り得ることだ。
(やっぱり、あの時のことか……。こいつに遭った時がアレだったからな)
シユウは、レティシアが時々このような表情をすることを悟っていた。その理由が何なのか薄々は気付いていたのだが――
此処はそっとしておいてやった方がいいのかもしれない。レティシアにも、触れられたくない過去があるのだから。
「さては、怖い夢でも見たな……よし!」
そんな時は、話題を変えて気を紛らわせるに限る。無責任に思えるかもしれないが、いつまでもつらいことを引きずっているよりは良いだろう。
「気分を晴らすために、大陸鉄道について説明しよう」
「いえ、結構デス」
即答するレティシア。
「おい、そんなに遠慮するなよ。汽車が来るまでまだ時間があるだろ?」
余程自分の蘊蓄を披露したいのか、玩具をせがむ子供のように笑顔を浮かべた。
「ご主人サマはいつも説明が長くなるので結構デス」
「気のせい気のせい」
「もう!」
シユウは立ち上がると、両手を上げて大袈裟なジェスチャーを始めた。
「元々、鉄道ってのは鉱山開発の物資運搬のためにあるモノに過ぎなかった。主に、グリューネ地方やコークスベルク地方で、石炭や金属を運ぶのに使われていた。当時は南のフォーレ王国とやりあってて、占有権が度々移ってたんだが、まあそれはまた別の話だ」
「はぁ……」
レティシアの前をうろつきながら、シユウの説明は始まった。
「当時は今よりも身分制度が酷かったからな。多くの奴隷が、鉱山で過酷な労働を強いられていた。当然、過労で死んでいく奴が多かったわけだ。あまりこういう言い方はしたくないが、彼らはお偉いさん達にとっても、重要な労働力だったわけだ。人権云々以前に、それを失っては困るってことで、少しでも労力を減らすために、鉱山と麓の町を結ぶための路線が敷かれたのが始まりだ」
これはまだ前置きの段階である。
「時は流れ、今から七十年ほど前か。まあ、今もそれなりに掘られてはいるが、産業の変化と共に、少しずつ鉱業は廃れていったワケだ。汗水垂らして掘るよりも、他国から輸入した方が早いってのもあるからな。それと同時に、鉱山鉄道も使われなくなっていくのかと思われた。だがしかし――」
「…………」
また始まったと、レティシアは苦笑を浮かべた。しかし、シユウの話を聞いていると、気分が落ち着くのも事実だった。
若干だが、空が少し明るくなってきている。時計を見ると、四時半になろうとしているところだった。
「今と比べれば月とスッポンだが、民衆の力も上がってきたわけだ。今の政治形態も、貴族や皇族の方が高い発言力を持っているとはいえ、法律というか、憲法のもとに民衆も参加できるような体制になっているだろ? 俺はあまり政治には詳しくは無いが、立憲君主制って奴だ。それで、都市間の移動に鉄道が使えるのではないか、という声が多く上がったんだ。実際、鉱夫達も鉄道の便利さに気付いていたし、お偉いさん達も目をつけていたワケだ。それで、その意見はあっさりと通り、建設が始まったんだ。まあ、これにも過酷な労働を強いられた奴隷達がいたんだけどな……」
表情をコロコロと変えながら、シユウの蘊蓄の披露は続いた。
汽笛を鳴らしながら、車庫から汽車が走ってきた。間もなく乗り込めるだろう。ホームにいた数少ない人々も、乗車位置についている。
「あの、ご主人サマ」
「初めは大都市だけを結ぶものだったが、辺境都市にも駅が作られるようになった。そして、それは国境をも超えるようになったワケだな。勿論、大戦時には色々と規制がかかったが――」
汽車が停車する。
随分と古い型の車両だ。塗装はところどころ剥がれており、窓ガラスにはテープで補強してある箇所がある。
「ご主人サマ」
「そして、大陸鉄道は今の型となった。でだ。此処からが本題だ」
不敵な笑みを浮かべながら、シユウはレティシアに向き直った。
さあ、此処からだ。
此処から、自分の得意分野である魔導工学について話すことが出来る。
シユウは嬉しそうに、説明を続けた。
「お前も知ってると思うが、初めは蒸気の力を利用していたんだ。専門家達は蒸気機関車などと呼んでいるが、まあそれは置いておこう。実際、この蒸気の力ってのはなかなかのものだったんだが、やはり人間はより効率の良いエネルギーを求めるようになる。古いのも趣があっていいが、技術の発展のためには合理的にならないといけないからな」
「はあ……。もう、これだからご主人サマは嫌なんデス」
別に、レティシアはシユウの説明が嫌なわけではないのだが、このままでは汽車を乗り逃してしまう。レティシアは不満そうに、溜息をついた。
「そこで! 登場したのが、少しずつ技師達の間で研究されていた魔導工学だ。魔導工学を鉄道に生かせば、かなりの出力が期待できる。そう考えた奴がいたわけだな」
シユウはどや顔で、再びレティシアに向き直った。
「辺境都市ラウル・セリアン共和国方面行き、間もなく発車しまーす!」
アナウンスが、ホームに響く。
このまま放っておいたら、確実に乗り逃してしまうだろう。
しかし、シユウは一向に止める気配が無い。
「ご主人サマ!」
仕方が無いので、強硬手段だ。レティシアは二人分の荷物を背負うと、シユウの腕を思い切り引っ張った。
少女の膂力とは思えない程だ。これも、レティシアが魔導人形であるためだろう。
「魔力を上手い具合にリンクさせるのには苦労したが、そこのとこは技師達が――いだだだだだだ! ちょっ、何しやがる!?」
「もう、乗り遅れてしまいマス!」
レティシアに引っ張られたおかげで、なんとか始発便を乗り逃すことなく、事無きを得た。
2
大陸鉄道が発車してから、三時間ほど。
帝都アルクを出て、汽車は北西に向けて走行していた。
車内は多くの客で賑わっていた。身分の高そうな老夫婦の姿もあれば、ガラの悪そうな中年男や、親子連れもいる。
中には、冒険者と思えるような者達もいる。恐らくは駆け出しだろう。真の熟練の者ならば、自らの足で各地を踏破するものだ。もしくは、冒険者の聖地と呼ばれる西の地域を目指しているのかもしれない。
既に陽は昇っており、快晴とまではいかないが、車窓越しに澄んだ青空が見える。
車窓から見る風景は、格別なものだ。広大な草原や、小さな村々が視界に入っては消えていく。美しい景色だ。飛空艇ほどの速さはないものの、大地を走っているためなのか、疾走感がある。
シユウとレティシアは、最前列の車両で向かい合って座っていた。
疲れが溜まっているのか、シユウは窓に頭を預けて、ぐっすりと眠っている。先程までは元気だったのが、嘘のようだ。寝ずに仕事をすることなど珍しくないのだが、やはり此処のところ、働きっぱなしだったのが原因だろう。仕事の夢でも見ているのだろうか、ぶつぶつと愚痴のような寝言が聞こえてくる。
(ご主人サマは働き過ぎデス……)
一方、レティシアは本を読んでいた。長時間に渡って汽車に乗っているため、暇つぶしのために何冊かの本を持ってきたのだ。
以前は貴重品であった本も、現在は活版印刷技術の発展によって、一般人にも手が届くようになった。それに伴い、オペラなどを書籍化したものも出回るようにもなったのだ。
本の種類は浅く広くといった感じだ。魔導工学に関する専門書もあれば、吟遊詩人のサーガを書籍化したものもある。中には、料理本やら、お子様お断りのものまである。シユウの本棚に納められていた物を、適当に持ってきた結果なのだが――
流石に専門書に関してはさっぱりであったが、文字を追うだけでもレティシアにとっては充分に楽しむことが出来た。
数ある作品の中でも、レティシアのお気に入りのものがあった。彼女はシユウと出会ってから、幾度もこの作品を読んでいる。既に、頭の中でストーリーを完全に再現できるほどに。
『アイアン・ハート』――
有名な著者が書いた物語で、元々は舞台作品だったものだ。今では舞台は勿論、書籍や音楽、子供向けの紙芝居などにも取り入れられることがあるほど、メジャーな作品である。
オートマタに恋をしてしまった若者を描く、悲恋の物語だ。内容は度々アレンジされているが、やはり悲しい結末を迎えるのに変わりは無い。それでも、レティシアはこの物語が好きだった。
「…………」
無言のまま、レティシアは『アイアン・ハート』の題が書かれた本を手に取った。彼女が読もうとしているのは、子供向けにアレンジされたものだ。そのためか、文字が大きくて読みやすく、ところどころに可愛らしい挿絵が入っている。
さて、読もう。
そう思ったのだが――
きゅううう。
レティシアのお腹から、可愛らしい音が鳴った。
「お腹が空きマシタ」
魔導人形とはいえ、人間に限りなく近づけた存在故か。
彼女達にとって、食品類はエネルギー源となるものの、結局は嗜好品に過ぎない。生命活動は、魔力によって補っているためだ。それでも、食べたい時は食べたいのだ。
時刻も、朝食を取るにはちょうどいい頃だろう。しかし、シユウは夢の中だ。相変わらず、愚痴のような寝言が彼の口から聞こえてくる。
何か食べ物は持ってきていないのだろうか。
気になったレティシアは、シユウの鞄をごそごそと漁り始めた。
「…………」
出てくるものは、工具やら部品やら、鉄臭いものばかりだ。たまに、ボロボロになった書物が出てくるが、食品らしきものはまったく見当たらない。
「おーい、コラ……。何やってるー……」
不機嫌そうな声と共に、レティシアの細い腕が掴まれた。
「あまり散らかさないでくれー……」
視線を移すと、シユウが起きていた。如何にも寝起きですと言わんばかりの表情だ。何処か疲れているようで、不機嫌そうに見える。やはり、徹夜のメンテナンスと妹の悩み相談が効いているようだ。
「申し訳ありマセン。少し、お腹が空いたので、何かないかと探してマシタ」
悪戯していることを怒られた子供のように、レティシアは俯く。まあ、鞄を勝手に漁られて、機嫌を悪くしない方が珍しいだろう。
「…………」
「怒ってマスカ?」
上目遣いで、シユウを見つめるレティシア。
「いや……」
シユウ自身は特に怒っているわけではない。鞄を漁られたことは少し面倒に思っていたが、そんなことで腹を立てる程、レティシアとの関係が浅いわけではない。
ただ、寝起きで少し機嫌が悪かっただけである。
「……よし、飯に行くか! よっこらしょっと、んー……」
年寄り臭い声を上げて、座席から立ち上がるシユウ。起き上がって欠伸をしながら背伸びをすると、背骨が渇いた音を立てた。
「はい、ご主人サマ」
レティシアは朝食にありつけることが嬉しいのか、明るい笑顔を浮かべた。
二人が向かう先は、食堂車だ。長距離の移動で一日以上かかるようなことは珍しくないため、その間に食事をとる必要が出てくる。そのため、大陸鉄道では有料で食事を提供しているのだ。多少値段は張るものの、携帯食料のビスケットやレーズンに比べると、質も量も充実しているのだ。そのため、意外に利用する者は多い。
食堂車に足を踏み入れると、香辛料の香りが漂ってきた。
朝一の始発便だったが、途中で客が乗ってきたためか、意外に多くの客で賑わっている。客席が比較的空いていたのは、皆朝食を取るために食堂車を訪れていたためだろう。
「んー、空いてる場所ないかな」
シユウは額に手を当てて、食堂車をぐるりと見渡した。
目立つのは如何にも貴族といった感じの者達だ。髭を蓄えたプライドの高そうな中年男性や、けばけばしいドレスを着た女性などなど――そのような者達は、訪れたシユウ達に奇異の視線を向けている。シユウ達も比較的身分の高い位置にあるのだが、貴族達から見れば下賤の者に過ぎないのだろう。
しかし、帝都にいればそのようなことなど珍しく無い。また、幼い頃の境遇に比べれば、たいした苦痛ではない。それに、実力さえあればどんなに底辺の者でも這いあがれるというのが、この国の国風だ。
せいぜい踏ん反り返っていればいいさ――
そう思いながら、シユウは席を探した。
「うーん、相席しかねえな」
出来れば、お偉いさん達との相席は勘弁願いたかった。小言を聞きながらでは、折角の食事も不味くなってしまう。
「ご主人サマ、あそこにしマセンカ?」
レティシアが指差した先には、一人の娘が座っていた。亜麻色の髪を三つ編みにした少女だ。さり気なく三つ編みを片方に流したスタイルである。テーブルの上に一冊の本を広げて、時折グラスの水を口にしながらも、熱心に読んでいるのが解る。
眼鏡をかけており、何処か理知的な雰囲気を醸し出している。特に高い身分ではなさそうで、冒険者といった感じでもない。珍しい客もいるものだとシユウは思った。
如何に安定しているとはいえ、帝都の外に出ればその限りではない。
辺境の町では夜盗が現れることも多いし、山間部では盗賊が襲ってくることなど珍しくない。町の外には様々な脅威があるのに、少女一人で旅をするのは、あまりにも危険すぎる。他の貴族達を見ると護衛らしき者をつけているのだが、彼女の場合は違うのだ。
「んー、出来れば二人でのんびりしたいが、そうも言ってられないか」
仕方が無い、とシユウは三つ編みの少女が座っている席に向かった。
「あー、ちょっと相席いいか?」
下手に畏まるのは性に合わないためか、シユウは普段通りの態度で声をかける。
「……どうぞ」
本から顔を上げて、水を一口飲むと、少女は淡々とした口調で応えた。
少し素っ気ないなと思いつつも、シユウは少女に向かい合って席についた。レティシアもいそいそと、彼の隣に座る。
「…………」
近くで見ると、とても可愛らしいことを再認識させられる。レティシアの無垢な可愛らしさとは別で、おとなしさの中に不思議さを孕んだ、そんな可愛らしさだ。
「私の顔に何か?」
透き通った声。しかし、そこには可愛らしさよりも、氷のような冷たさと何処か物悲しい影のようなものが垣間見られる。
「あ、ああ、いや、別に」
気まずそうに、シユウはポリポリと頭を掻いた。
レティシアは特に気にした様子も無く――というより早く食事にありつきたいのか、メニューを熱心に見つめている。
(あっちゃー、なんか面倒なとこに座ってしまったかな。これなら、貴族のとこに行ってた方が良かったか?)
比較的軟派なシユウにとって、この間はつらいものがあった。
可愛らしい子と談笑しながら食べるという計画を思いついたのだが――
「ご注文は?」
丁度いいタイミングで、テーブルの上に水の入ったグラスが新たに二つ置かれた。ウェイターが注文を取りに来たのだ。少しの間でも気まずい時間から解放されたかったシユウにとっては、ありがたかった。
「えっと、これをお願いシマス」
レティシアの横からメニューを見ると、彼女はセットメニューを注文していた。少し高いものの、経費から落とせるので何とかなりそうだ。
「俺も同じのを。悪いが、ツケといてもらえると助かる。こいつの分もな」
シユウは懐から、小さな手帳をウェイターに向けてちらりと覗かせた。
『アークヴァイス帝国軍・技術部』――
だいぶ文字が掠れていたものの、表紙にはそう記されている。それを見たウェイターは一瞬目を丸くしたが、すぐに「かしこまりました」と応えて、腰を折ってお辞儀をした。外部の人間にあまりこのような手は使いたくないのだが、仕事なので仕方が無い。
二人の場合はまだマシな方で、実際、政治家の間では度々資金が横領されているらしい。少し前も、帝国議会の議員が、自分の屋敷の改装のために資金を横領し、逮捕されたばかりだ。無論、これは氷山の一角だろう。
「お客様は、どちらになさいますか?」
再び本に目を通していた少女に、ウェイターが声をかける。
「私はコーヒーとバウムクーヘンを」
相変わらず素っ気ない態度で、注文をする少女。元々、このような性格なのかもしれない。
「かしこまりました」
ウェイターは再び一礼をすると、優雅な歩き方で去っていった。
再び、気まずい沈黙が訪れようとしていた。しかし、意外なことにその沈黙は、三つ編みの少女によって打ち破られた。
「帝国軍技術部……ですか」
眼鏡越しに見える少女のエメラルドの双眸が鋭くなる。
その視線は嫌悪や憎悪ではなく、興味――いや、疑いのものだ。まるで、相手の心の内を探るかのように。
「手帳見えたのか」
水を一口飲んだ後、シユウは少女に向けて呟いた。
あまり大っぴらにならないように――それもウェイターだけにしか見えないようにシユウは手帳を出したのだが、どうやらこの少女には見抜かれていたらしい。
シユウは、すぐにこの少女がただ者ではないことを悟った。あまり相手にしたくないタイプだ。レティシアも身構えようとするが、事を大きくしたくないし、まだこの少女が敵であると決まったわけではないので、シユウは視線を送って制する。
「おかしい……。この任務は、内部でも秘密裏にされていた筈なのに、何故? それに、外交課の私達でさえも、詳しくは知らされていない。まさかとは思うけど、内通者がいて情報が漏らされている? いえ、そんな筈は……」
独り言なのか、少女は口元に手を当てて、ぶつぶつと何かを呟いている。
「ワタシ達について、何かあるのデスカ?」
レティシアは警戒を解かずに、少女に対して尋ねた。シユウもそれに乗じて、少女に対して詮索をする。
「見たところ、同業者ってとこか? 安心しな、別に何もやましいことなんかねえよ」
一度見られているのだから問題あるまい。そう判断したシユウは、懐から手帳を取り出すと、少女の前に投げ出した。少女は手帳を手に取ると、その中身を開けて目を通す。
「アークヴァイス帝国軍技術部魔導工学第二課、シユウ・セイヴァル准尉。男性、二十一歳。アルケディオス暦七〇九年三月六日生まれ。レイファン王国のセイリョウ地方出身。元々は平民の出で――」
少女は小声で、手帳の内容を読み始めた。
シユウにとって、過去のことを掘りだされているみたいでやや不快であったが、疑いをかけられているよりはマシだ。レティシアも自分の仲間が色々と詮索されているのが気に入らないのか、むーっと頬を膨らませている。
暫くして――
「ごめんなさい。この仕事に就いていると、どうも疑い深くなってしまいまして」
申し訳なさそうに、少女は頭を下げた。そこには今までの冷たい雰囲気はなかった。シユウとレティシアの前にいるのは、おとなしく、何処かおっとりとした雰囲気の少女だ。
レティシアも彼女が敵ではないことを認識すると、膨らんでいた頬をしぼませて、笑みを浮かべた。
「やっぱり、軍部の人間か」
「はい。私は情報部外交課のユーディ・ルスタッドと申します」
少女はそういって、ローブの懐から手帳を取り出した。
(おいおい、ルスタッド家って言ったら……)
ユーディ・ルスタッド。
その名を聞いて、シユウは驚愕とも畏怖とも思えるような表情をあらわにした。思わず声を上げそうになるが、彼女の立場のことを考えて、何とか自制する。
学者の名門の出で、十五歳で士官学校を卒業し、上へと登りつめたエリートだ。立場上、詳細を知る者は少ないのだが、優れた洞察力を持っているのは間違いない。先程までの鋭い雰囲気は、情報部の人間としてのものなのだろう。
「あ、あの、そんなに驚かないでください。私はまだ、若輩者なので……」
と、先程までの鋭い印象が何処へ行ったのやら、おろおろとするユーディ。
「ルスタッド大尉も、今回の遺跡の調査で此方にいらしたのデスカ?」
同じ目的ならば、情報は共有した方が良いだろう。そう判断したレティシアは、特に遠慮した様子も無くユーディに対して尋ねる。
「いえ、私は別件です。とある任務で、セリアン共和国の大使館に赴くことになっています。申し訳ありませんが、他国の情報や国防も絡むことなので、内容までは……」
セリアン共和国は、冒険者達が築き上げたという新興国だ。そのことから、人々は、『アドベンチャラーズ・リパブリック』と呼んでいる。中立を保っており、先の大戦でも唯一戦いには参加していない国家だ。冒険者ギルドの本部も此処にある。国土面積はアークヴァイス帝国の半分にも満たないが、国力は引けを取らないと言われるほどまで発展している。
表向きは、セリアン共和国での情報収集といったところだろう。冒険者が多く集う国のため、情報は嫌でも入ってくるのは、シユウにも理解できた。
「別に詮索なんてしないさ」
「ありがとうございます」
どうやら、今回の仕事とは無関係だ。ユーディの任務というのが気になるが、情報部の仕事に下手に首を突っ込むと色々と面倒なことは目に見えている。
「ああ、そうでした。ひとつ、忠告というか」
「何だ?」
「バーンシュタイン地方……あなた方が向かわれる場所です。大戦時の爪跡が残されているのは勿論ですが、水面下で何者かが動いているという情報が少し前に入ったので」
ユーディは眼鏡を直しながら、真摯な態度で言った。
「反抗勢力、もしくはそれに準ずるものデスカ?」
「はい。杞憂だといいのですが、今回の調査の指揮を執っているというアルトマン大尉の耳には、まだ入っていないのが気になりますね」
「へえ、オッサンのもとで頑張ってるあいつが指揮執ってんのか」
「お知り合いデスカ?」
「過去に俺が事故で大怪我した時、あいつに治してもらったんだ。それから付き合い始めた友人ってところか。にしても、反抗勢力ねえ……」
恐怖政治を行わない限り、国が一枚岩になることはまず有り得ない。誰もが望むような体制というのは、理想に過ぎないのだ。故に、一部の者が現在の体制を快く思わないことはよくあることで、政権の崩壊と自らの地位の向上を虎視淡々と狙うのは、珍しくない。特に、それが中央の権力が行き届きにくい地方ならば尚更だ。
「それに、各地では、魔物の動きも活発になっているとか」
随分と面倒な仕事になりそうだ。
「警戒するに越したことはないってことか。ありがとな」
「何かあったら、ワタシ達が上に連絡しておきマス」
「こちらも何か力になれるように手配出来ればいいのですが……。立場上、表向きに部隊を動かすのが難しくて。恐らくは、シャルフェン中佐が手を打っているとは思いますが」
「まあ、何かあったらその時はその時だ。こいつもいるしな」
シユウはそう言うと、レティシアの肩に手を置いた。
「お待たせ致しました」
話しているうちに、注文をした料理が届けられていた。
シユウとレティシアの前には、黒パン、ベーコン、マッシュポテト、野菜のスープが並べられている。帝国では一般的な家庭料理だ。ユーディが注文したのは、バウムクーヘン。これもまた、伝統的な菓子である。飲み物は、三人ともコーヒーだ。
「それだけで平気なのか?」
シユウは心配そうに、ユーディに尋ねた。確かに、バウムクーヘンとコーヒーでは、お腹を満たすには少々不安がある。
「先程、済ませたので。デザートを頼みました」
にこりと微笑むユーディ。甘いものが好きなのだろう。こうして見ると、やはり年頃の少女らしさが窺える。
「そっか。それじゃあ食うとするか」
シユウが料理に手をつけようとした時、既にレティシアはパンを一個平らげていた。
3
汽車に乗っている間、偶然出会った少女、ユーディと様々な会話をした。
流石に仕事の内容までは話せないものの、上司に対する愚痴や、ちょっとしたジョーク、酒場で聞いた笑い話などなど――初めは冷たい印象を受けたものの、話していると何処か安らぐ相手だった。
特に会話の中心になったのは、シユウの妹であるアリカについてだ。所属する課は違うものの、ユーディはよくアリカと顔を合わせることが多かったらしく、色々なことを聞けた。
落ち着いてみえるが戦闘訓練の時は積極的に動いたり、同僚から何度か告白されては断っていたりと、なかなか充実した仕事場らしい。
しかし、アリカもまた、シユウのことについて色々と愚痴を漏らしていたようだ。やはり、仕事ばかりでなかなかプライベートで会ってくれないことが不満だったらしい。その話をするたびに、レティシアが意地の悪そうな笑みを向けてきた。
他愛のない話ばかりであったが、シユウは気を引き締められた気分だった。自分より年下の、まだ成人もしていない少女が、自分よりも上の階級にいるのだ。所属する部署こそ異なるが、それが彼の向上心に火を付けた。
時間の経過は早いもので、話しているうちにラウルに到着した。シユウとレティシアはユーディに別れを告げると降車し、目的地の野営地に向けて歩いていた。
ラウルから西には、特に大きな街道は無い。道はあるのだが、あまり整備されておらず、獣道と言っても差し支えない。というのも、アークヴァイス平原の西部には広大な森林が広がっており、魔物も多く出るためなのか、なかなか開発が進んでいないのだ。
実際、多くの商人達は、南を大きく迂回する街道を通っている。そのためか、この森林地帯の中を通る獣道を整備する必要性がなくなっているのが現実だ。
そのような中にある遺跡を調査しているのだから難航するのも頷ける。そう思いながら、シユウ達は鬱蒼と茂る森林地帯を進んでいた。このような道を好んで通るものは少ないためか、人の気配はまったく感じられない。ただ、何処か物々しい空気に満ちていた。
ラウルの者達の話によると、此処のところ、この辺りでは魔物が活発に動いているらしい。その原因が何なのかは解らないが、妙な物音が聞こえてくることがあるのだという。恐らく、今回の遺跡の調査は、このことも絡んでいるのだろう。
「ご主人サマ」
レティシアがシユウの前に腕を伸ばした。シユウは何事かと思ったが、すぐに事態を悟る。
「弾丸を多めに用意して正解だったな」
次の瞬間――
二人の目の前の地面に、一本の矢が突き刺さった。
それでも、二人は落ち着いていた。今起きたことを、ただ淡々と受け入れただけだ。
「自分の庭の魔物くらい討伐してほしいもんだけど――な!」
シユウはホルスターから拳銃を抜き取り、撃鉄を起こし、生い茂る木々の合間を狙う。
その動作を数値で表すならば、ほんの二、三秒足らずであることは確実だった。
響き渡る銃声。それと共に、何者かの呻き声が聞こえた。
そして――
どさり、と何かが地面に転がり落ちてきた。
人間の子供くらいの背丈で、それのように二足歩行だ。
しかし、人間とは異なり非常に醜い顔立ちで、土色の顔に不気味な赤い瞳とボロボロの歯が光る。人間のように服を着ているが、身体に纏っているのは襤褸切れだ。汚らしい手には、矢を充填して射撃の要領で撃つ、クロスボウが握られている。
シユウの放った銃弾は、そいつの脳天を見事に撃ち抜いていた。額に小さな穴が開いており、そこからどす黒い血が流れ出ている。
「ゴブリンか……」
ゴブリン――
魔物の中でも下級の存在で、大陸ではよく見られる魔物である。
獣人に分類されるが、人々からは忌み嫌われる存在だ。
意地悪い性格で、小さな村ではゴブリンによる悪戯の被害がよく報告されている。また、道行く人々を襲うことも多く、過去に幾度も隊商が襲撃され、物を奪われたという事件が起きている。
ゴブリンの戦闘力は、然したるものではない。
しかし、剣を握ったことがない者が太刀打ちできるかと言えば、その筈がない。ゴブリンの被害に逢うのは、大抵が戦闘の経験のない者だ。まあ、中には運の悪い冒険者なども含まれるのだが――
「奴らが単独で行動するってのは有り得ないからな。どうだ、レティシア」
「数は十五デス」
ゴブリンは、個々の戦闘力は低い。しかし、弱いとはいえ集団で襲われれば、熟練の者でも手を焼く相手である。また、ゴブリンは非常に繁殖力の強い魔物であるため、集団で動くことは珍しくないのだ。
そして、レティシアが告げた通り、二人を取り囲むかのように、木々の合間から醜い小鬼が次々と姿を現した。
クロスボウを装備した者が六匹、残りは短剣や棍棒と言った近接用の武器を装備している。
「遠距離から狙い撃ちにすりゃいいものを、わざわざ姿を現すのかよ。まあ、こっちもその方がやり易いんだけどな」
「そうデスネ」
取り囲まれても、シユウとレティシアは落ち着いていた。
ゴブリンは知性は然程高くないものの仲間意識が強いため、味方が撃たれたことに対して腹を立てているのかもしれない。
「どうするよ? 流石にこの数は骨が折れるな」
そう言いつつも、シユウはゴブリン達が襲ってくる前に、振り向きざまに銃弾を放った。当然、初めに狙うのは、クロスボウを持つゴブリンだ。遠距離から狙い撃ちにされるのは、たまったものではない。
狙いは完璧だった。
細身の銃口から放たれた弾丸は、二匹のゴブリンの眉間に命中し、後頭部へと抜けていった。傷口からは、どす黒い液体と脳漿が噴き出し、そのまま二匹のゴブリンは力なく地面に転がる。
レティシアは、放たれた矢をステップで避けつつ、前方にいるゴブリンに向かって突貫した。鞘から二振りのブロードソードを引き抜き、目にも止まらぬ速さで三体のゴブリンを切り刻む。
当然、ゴブリンも黙っていない。シユウが射撃した後の隙を狙い、錆ついた短剣を彼の腹部へと振り翳してきた。シユウは身を捩って短剣をかわすと、拳銃からショートソードに持ち替えて、振り向きざまに刃を埋め込む。
「チッ、どうも剣ってのは慣れねえ!」
ズブリ、という音と共に傷口から赤黒い液体が溢れだす。
とどめを刺せたが、不自然な感触だ。やはり、慣れていない武器というのは使いづらい。
「ご主人サマ! 伏せテ!」
レティシアが叫ぶ。
シユウは事態をすぐに察知し、頭を下げて体勢を低く取った。クロスボウの矢が彼の頭のあった位置を通り、近くにあった木の根元に突き刺さる。
「にゃろう……!」
狙われたことに腹を立てたシユウは、ショートソードを捨てて、再び拳銃に持ち替えた。
「ワタシが引き付けマス!」
ゴブリンがクロスボウに矢を充填している隙を突いて、レティシアは途中に陣取るゴブリンを牽制する。シユウはそれによって出来たスペースを利用し、クロスボウを持ったゴブリンに対して鉛弾を撃ち込んだ。
「よっしゃ、これで厄介なのは片付いたか」
残りは八匹だ。ゴブリン達は僅かな間で数を減らされたことに恐れをなしているのか、すぐに襲いかかろうとはせずに、様子を見ている。
シユウとレティシアはお互いに背を預けながら、動こうと思っているが、取り囲むかのように布陣しているゴブリンにどう対処するかを考えていた。
「なあ、妙じゃねえか? 俺は魔物についてはよく解らないが……」
ゴブリンを威圧しながら、レティシアに背中で語りかける。
「そうデスネ。少し賢いというか、妙に連携のとれた動きをしてマス」
確かに、ゴブリンは集団で行動することが多い。しかし、戦術などを駆使した戦いをするほどの知性を持っておらず、ただ数で押すような戦法をとることが多い。それに、クロスボウなどの複雑な武器を扱うというのも珍しいのだ。
両者の間に、膠着が続く。
いや――
既にシユウはこの状況を打破する策を練り上げていた。
「レティシア、三つ数えたら目を潰れ。お前なら平気だと思うけど、一応な」
シユウの言葉に、レティシアは無言だ。しかし、それが肯定であることを、シユウは理解していた。語らずとも、お互いの気持ちは通じ合うほどの関係だ。
「じゃあ、行くぜ。三――」
弾丸を込めて、拳銃を構える。
「二――」
レティシアは無言のまま、周囲に気を配った。どうやら、ゴブリンはまだこちらの様子を窺っているようだ。
「一――」
シユウは、銃口を垂直に上に向ける。明らかに見当違いの方向だ。
そして――
「今だ!」
見当違いの方向に銃口を向けたまま、シユウはトリガーを引いた。
響き渡る銃声と共に、シユウとレティシアは目を閉じる。敵を目の前にしながら、視界を自ら閉ざしたのだから。自殺行為と言ってもいいだろう。
知性の低いゴブリン達にとって、これは実に愚かな行為に見えただろう。しかし、すぐに彼らは考えを改めなければならなかった。無論、改めたところで遅いのだが――
間を置かずに、辺りが激しい閃光に包まれる。
松明などの明かりとは比にならない程の明るさだ。
ゴブリン達はまともに閃光を受けてしまった。あまりの眩さに目を覆ったり、その場でふらついたりしている。光は標となるものの、強すぎる光は視力をも奪ってしまうためだ。
「やっぱり効くねえ、コイツは」
やがて、光が晴れる。
眼を閉じていたシユウとレティシアは、閃光の影響を受けておらず、目が眩むようなことは無かった。ゴブリン達はすっかり目をやられてしまったようで、顔を抑えながら苦しそうな呻き声を上げている。
このような芸当が出来るのは、シユウの持っている拳銃が特別な仕様のモノであるからだ。
魔導銃――
その名の通り、魔術の力を込めた銃のことである。
銃はまだ発展途上の武器ではあるが、日々研究が重ねられて、次々と新しいモデルが作り出されている。
その銃という武器に魔導工学による技術を加えたものが、この魔導銃である。帝国で開発された最新鋭の武器であり、少しずつ冒険者達の間にも広まりつつある武器だ。猟銃タイプのものもあれば、シユウが使っている拳銃タイプのものもある。
魔導銃の特徴は、魔術を込めた銃弾を放つことにより、それを受けた者は、込めた魔術の効果を受けるというものだ。勿論、実弾を撃つことも可能だ。弾丸を発射するトリガーとは別に、魔力を供給するためのトリガーが取り付けられており、それを動かすことで魔術の弾を撃つモードと、実弾を撃つモードに切り替えることが出来る。
シユウは、照明や目眩ましに使われる魔術である《フラッシュ》を弾丸に込めて撃ったのだ。
《フラッシュ》は比較的簡単な魔術ではあるが、シユウは魔術の才能に恵まれなかったため、魔導銃を学び始めた。その結果、意外に自分に合っていることが解り、こうして得物として使うに至ったのだ。
以前は魔術をあまり使えないことにコンプレックスを感じることもあったが、今は違う。
「今のうちに片付けるか」
シユウは魔導銃を、実弾モードに切り替えた。
ゴブリンはまだ、動けずにいた。勿論、このまま逃げても良いのだが、追われることになるためにあまり賢い選択とはいえない。それに、売られた喧嘩は買うのが、シユウの主義でもあった。
シユウとレティシアは、それぞれの敵にあたった。
動けない敵を倒すことほど、容易いものは無い。閃光で視力を失ったゴブリンを駆逐するのには、時間はかからなかった。
「まあ、こんなもんだろう」
シユウは魔導銃の安全装置をかけて、ホルスターにしまった。レティシアはブロードソードにこびり付いた血液を振り払い、鞘に納める。
「お疲れ様デス。近接用の武器を投げ捨てるのはあまり感心しマセンガ」
レティシアはシユウが投げたショートソードを拾い、彼に手渡した。
「悪いな。俺にはこっちの方が性に合っててさ」
シユウは苦笑しながらホルスター越しに銃を叩くと、ショートソードの汚れを拭き取って、鞘に納めた。
「魔導銃ってのは凄いもんだぜ」
ふふん、と得意気な表情を見せるシユウ。
「銃という武器自体は、だいぶ前からあったんだ。まあ、黎明期は原始的なマスケットばかりで、威力はあるが命中精度や連射性がクソみたいなものばかり――げふっ!」
「もう、ご主人サマ!」
シユウの演説が始まるのを察知し、レティシアは彼の腹に拳をめり込ませた。
4
帝都アルクの行政区には、国政や国防に関する様々な施設が集中している。まさに、帝国の心臓部分といっても過言ではない。
『アークヴァイス帝国軍・情報本部』も、そのうちのひとつである。
外観から見ると、石造りの質素な建造物だが、此処には国防に関する重要なものが眠っている。当然、関係者以外は立入禁止で、如何なる国の要人でも入ることは許されていない。許されるのは、情報部の人間と皇族だけだ。
セキュリティも非常に堅固で、皇族区の住居と変わりない程徹底されている。入り口は工業区とは異なる重装備の衛兵が常に目を光らせており、魔術による施錠もされているのだ。その中にあるのが、国防に関する情報が敷き詰められている、この書斎である。無論、これは氷山の一角に過ぎない。
部屋を見渡すと目に入ってくるのは、幾段にも及ぶ書棚だ。そこには分厚い本が幾冊も敷き詰められており、書斎というよりもこの部屋が一つの小さな図書館のように思える。しかし、それのような解放感は一切なく、膨大な量の本による威圧感が強い。
その反面、見受けられる調度品は、書棚を除くと、簡素なデスクくらいだ。それも相当ガタがきているのか、ところどころに塗料が剥げた跡があり、表面にもいくつもの傷が付いている。
アリカ・セイヴァルは、その狭い書斎に引き籠って、魔物に関する資料を纏めていた。
バーンシュタイン地方は勿論のこと、他の地域でも魔物の動きが活発になりつつあるという報告が、何件も入ってきていた。書物を何度も読み漁り、その魔物の特徴について調べたのだが、やはり不可解なことが多い。
「もう少し、詳しく調べる必要があるわね」
アリカは書物を一旦閉じて、置いてあったコーヒーを手に取った。
先程淹れたばかりだと思っていたのだが、コーヒーはすっかり冷めきっていた。作業に集中していたためか、時間の経過を忘れていたらしい。それでも、今までの疲れを少しでも回復させるには充分だ。
コーヒーを飲み干すと、アリカは椅子から立ち上がり、本棚へと向かった。
膨大な量の書物から目当てのものを探すのは一苦労であるが、研究課や総合課の人間ならば、誰もがどの書物が何処にあるかを把握している。勿論、アリカも例外ではない。
ただ、それは高い場所に納められているものだ。アリカは脚立を用意すると、それを慎重に上っていった。上るたびに、ギシギシと嫌な音が鳴る。
(そろそろ買い替えないと駄目ね。会計課に言っておかないと)
脚立に限らず、机などの調度品もそろそろ新調した方がいいかもしれない。
アリカが探しているのは、『帝国における魔物の活動と被害報告』というタイトルだ。キールの話によると、アリカが生まれる前の情報も記されているらしく、およそ一世紀分の情報が記されているらしい。
アリカは目当ての場所に辿り着くと、そこから本を引き抜こうとした。
しかし――
「んっ、くっ……」
膨大な量の書物がギチギチに敷き詰められているためなのか、なかなか抜けない。あまり詰めすぎると本が痛んでしまうのだが、なかなかそこまで意識されていないようだ。
そして――
「んんんんっ――! ふぁっ!」
アリカはやっとの思いで本を引き抜くことに成功した。
「え……ちょっ、ちょっと――」
が、今度は反動でバランスを崩してしまう。
アリカは脚立の上で何とか体重を移動してバランスを取ろうとするも、ついに踏み外してしまい――
そのまま、アリカは頭から地面に落下していった。
書斎で本を探していて、脚立から足を踏み外して、頭を打って死んだ――なんてことになったら、シャレにならない。あまりにも情けないし、後世まで語り継がれてしまうかもしれない。そんなのはゴメンだ。
「っ――!」
アリカは冷静だった。足を踏み外した時に、既に彼女は意識を集中させていた。不測の事態にもすぐに対応できなければ、情報部の仕事などやっていけない。
頭が地面に打ちつけられようとしたが、すぐにアリカの身体が、重力に反したかのようにふわりと浮いた。そのままアリカは空中で一回転し、ゆっくりと地面に降り立った。
「危ないところだったわ」
《グラビティ・コントロール》という、重力制御の魔術だ。今のように高所から落下してしまった際に役立つ魔術だが、咄嗟の判断で使うのは難しい。
アリカは軽く深呼吸すると、その場で手に取った本に目を通し始めた。
「やっぱり、過去にも度々起きているみたいね。知性の低い獣人が、妙に賢い動きをすることが――」
「やれやれ、研究熱心なのは結構ですが、もう少し周りを見るべきですよ」
吟遊詩人が歌うかのような美声と共に、一人の男が書斎に入ってくる。いや、既に近くにいたのだが、気付かなかったようだ。
キール・シャルフェン中佐だ。
いつの間に入ってきたのだろうか、この人は。
アリカは不思議そうに、キールの方に視線を向けた。
「シャルフェン中佐?」
次の瞬間――
アリカの頭上に、数冊の分厚い本が落ちてきた。しかし、それは彼女に当たることなく、不自然な軌道を描いて床に転がっていった。
「あ……」
本を読むことに夢中で、他の落ちかけていた本に気付かなかったようだ。キールが魔術を唱えていなければ、頭に一発貰っていたかもしれない。
「普段は落ち着いてはいますが、集中すると周りが見えなくなってしまうのは、シユウさんと同じですね」
アリカの不注意を咎めるわけでもなく、キールは柔らかな笑みを浮かべた。こうしていると、まるで生徒に語りかける教師のようだ。
「……すみません、シャルフェン中佐」
自分の失態と上司の手を煩わせてしまったことに恥じて、アリカはぺこりと頭を下げた。
「いえいえ。それより、何か解ったことはありますか?」
「そうですね。今までの報告にあった通り、魔物の被害が此処のところ増加傾向にあります」
「他に、気付いたことは?」
「過去の文献を調べたところ、同じように獣人が動いている事件があったので、それと何か関係があるのではと」
獣人――
一括りにされているが、それは様々な種類が存在する。アリカがこの場で差しているのは、ゴブリンやコボルトといった者達だ。その多くは、人間達と敵対関係にあり、道行く人々を襲うことも珍しくない。人々と共存する個体もいるのだが、それは全体からみれば少数派だ。
「組織だった行動――それも単に略奪のために動いているわけではなく、何か別のものが絡んでいるのではないかと思います」
文献とキールの顔を交互に見ながら、アリカは自らの推論を述べた。推論とはいえ、情報の一部になり得る。そして、それがどんなに些細なことであっても、大局を動かすことが多いにあり得る。
「例えば?」
優しげな笑みを浮かべたまま、キールはアリカに尋ねた。まるで、子供の話を楽しんでいるかのように。だが、キールの視線の奥にあるものは、国防のためには冷酷になろうとする決意があった。
やはり、この人物は底が知れない。
そんなことを思いつつも、アリカは話を続ける。
「今まで調べた文献によると、アークヴァイス帝国では過去に何度か大きな反乱がありました。六九〇年に皇族の傍系の生まれであるクラース公が起こしたクーデターや、七〇六年のノイマン家の令嬢によるテロ事件――挙げていったらキリがないのですが、その中でもいくつかに共通することがありました」
「ほう?」
キールが瞳を細める。
「獣人が、その反乱に加担しているということです」
普通では考えられないことだ。
多くの獣人達は、人間を敵視している。その理由は詳しくは解明されていないものの、開発によって住処を奪われたという説が有力だ。
ただ、一部の獣人は例外である。少数派の、人間と親しい者達のことだ。
「いいですよ、続けてください」
「過去の資料を漁ったところ、人間が獣人を傭兵として雇うことがあった、というものがありました。公にはなっていませんが、恐らく――」
その者達を利用して反乱を拡大化させたということが、情報部秘蔵の報告書には幾度か記されている。
今回もそうなのだろうか――?
「人間にも変わり者がいるように、獣人にも変わり者はいますからね。アリカさんの考えによると、今回の魔物の活動は、何者かが反乱を企てているのではないか――とのことですね」
「はい」
話を続けようと思ったが、キールはすべてを纏めていたようだ。
恐らくはキールも初めから同じように考えていたのだろう。それに関わる要素も、頭の片隅に置いていたのは間違いない。
「今回の調査は、バーンシュタイン地方の領主、シュタイナー家の指示によって行われているということですが、まさか……」
彼らが反乱を企てているのではないか、という考えがアリカの脳裏を過った。遺跡調査を装って、人目に付きづらい場所で密かに動いているのではないだろうか。
「いえ、それはまず有り得ませんね。現在は然程地位は高くないとはいえ、シュタイナー家の帝国に対する忠誠心はかなりのものです。積極的に、国防にも参加していますからね。ただ、少々プライドが高く、名ばかりを求めていますが……。愛国心は本物ですよ。それに、彼は敬虔なシャール神の信者。邪神の勢力に属するとされる獣人達を先導するとは思えません」
まあ、実力が伴っていないところがあるんですけどね、とキールは苦笑した。
「根拠は?」
恐る恐る、アリカは尋ねてみた。
「私はユリウス卿と何度か轡を並べたことがありましたから。その時の行動は勿論ですが、相手の瞳を見れば解るんですよ。その人が何を考えているのか、はたまた企んでいるのか――」
羽根付き帽子を直しながら、キールは歌うように話した。
「勿論、アリカさん。あなたの考えもね」
「…………」
キールに迫られて、アリカは心臓が止まるような感覚に襲われた。
この人は敵に回してはいけない。国防に関することに限って言えば、『善人』であることは間違いないだろう。だが、底が知れぬ人間程、恐ろしいものは存在しない。
「なんて、冗談ですよ。まあ、事実、ユリウス卿が反乱するようなことは有り得ないんですけどね。彼の配下のルートヴィヒさんが現場の指揮を執っていますが、不穏な動きはありません。今までも何度か部下に偵察をさせていますし、魔術による通信でも、不審な動きがあったという情報は入ってきていません」
「では……」
「いえ、まだ情報はあるでしょう? どんなに小さな部品でも、構いませんよ。それは国……世界というからくりを動かすことにもなり得るのですから」
「はい」
(陸軍からの仕事ということで依頼しましたが、シユウさんを派遣したのは私なんですけどね。あの魔導人形の経緯も気になりますし、彼の今後の動向を探るための手段として、今回の事件は都合がいい。それをここで言うのも、馬鹿馬鹿しいですから)
キールは口元に手を当てて、軽く溜息をついた。
「シャルフェン中佐?」
「おっと、失礼。呆けてしまうとは、どうやら歳みたいですね」
平静を装いながら、キールはおどけてみせた。
5
ルートヴィヒ・アルトマンは焦っていた。
今まで二十程の班を遺跡の中へと送りこんだのだが、未だ連絡が取れないし帰ってくる気配も無い。周囲ではゴブリンの動きが活発化しており、そちらの討伐にも兵を割く必要がある。故に、彼の率いている隊は疲労困憊であった。
自分が動くという手もあるのだが、指揮する立場である故に動くことが出来ないのだ。
「はぁ……困った……。やっぱり、ユリウス様の面目は気にせず、援軍を呼ぶべきかな」
天幕の中に設けられた机に、ルートヴィヒは突っ伏していた。
「ルートヴィヒ様、指揮官のあなたがそのような……」
側近の女性がルートヴィヒの態度を咎めるも、彼女もまた彼の心中を察していた。
「うん、解ってるよ。解ってるけどね」
と、その時。
「よう、相変わらず湿気た面してるな」
何者だろうか。あまりにも無礼な態度である。
すぐに、声の主は姿を現した。周りの兵士の制止を振り切りながら、天幕へとずかずかと入ってくる。
年齢は二十前後と言ったところか。とても若々しい顔立ちだ。しかし、若いわりには何処か頼りがいのある雰囲気を醸し出している。
ルートヴィヒは思わず目を疑った。
「は? 何で君が」
「情けないな。天下の騎士団様がボロボロ――むがががが!」
「失礼致しマシタ。この方は、少し礼儀知らずデシテ」
青年の後ろから、黒い影がひょっこりと現れた。そして、青年の口に小さな手を伸ばし、無理矢理塞ぎこんだ。
黒いワンピースに身を包んだ少女だ。美麗な銀髪は腰まで伸ばされている。赤い瞳には、何処か影が感じられる。この場には、あまりにも不釣り合いな存在だ。このような幼い少女が、戦場――といったら語弊があるが、危険な場所に来ているのが不可解だ。
「こちらは、アークヴァイス帝国軍・技術部魔導工学二課、シユウ・セイヴァル准尉デス。ワタシは、セイヴァル准尉のサポートを行っておりマス、魔導人形のレティシアと申しマス」
ぺこりと頭を下げるレティシア。彼女に小突かれて、シユウもそれに倣った。
「えー、ああ、いや面識はあるんだけど。何故セイヴァル准尉が?」
突然の訪問に呆けるルートヴィヒ。何故、技術部の人間である彼が此処にいるのだろう。
「何故って、呼んだのはそっちでしょう?」
シユウもまた、相手の予想外の対応に混乱していた。レティシアから話は聞いていたし、彼女が嘘を報告するようなことはない。では、何故だろうか。情報が行き届いていないということは有り得ない筈なのだが――
「いや、今回の調査はユリウス殿の命で、治安維持を兼ねて魔物の討伐をしてたんだけど」
「レティシア。ちょっと任務内容を確認させてくれ」
「はい、解りマシタ」
レティシアは任務内容が書かれた羊皮紙をシユウに手渡した。彼はそれに目を通すが、依頼者はしっかりと帝国騎士団・西部地方軍であることが記されている。
「おかしいな、僕はこんなものを書いた記憶が無いんだけど」
そうだ。今回は誰の手も借りずにやるように、上司であるユリウスから忠告を受けていた。
「レティシア、これは誰から引き受けたんだ?」
「ええと、情報課のキール・シャルフェン中佐デス」
「…………」
「…………」
この時、その場にいた二人は悟った。
嵌められたことを。
「僕達の動きはお見通しってワケか」
「あの胡散臭い優男か。まったく、余計なことを」
6
広い部屋には、血の臭いが充満していた。
辺りには惨殺された兵士が何人も転がっている。四肢を切断された者もいれば、銃器の類で腹部をぶち抜かれた者もいる。黒こげになっている者は、火焔系あるいは雷撃系の魔術の直撃を受けたのだろう。
凄惨な光景の中に、三人の少女が佇んでいる。フリルの施されたドレスに身を包んでおり、人形のような可愛らしさを醸し出している。しかし、彼女達の手には兵士達の生を奪った得物が握られており、同時に禍々しさをも演出している。
「終わったか」
低く淀んだ声が響く。
少女達が振り返ると、そこには三十前後と思われる男の姿があった。前髪が長く、何処か暗そうな男だ。
「はい、オーギュスト様」
三人の少女は口を揃えて、男――オーギュストに答える。
「外に偵察にいった者から聞いた。どうやら、フランツ様が従えていたという魔導人形の姿があったそうだ」
転がる死体を蹴り飛ばし、オーギュストは少女達へと歩み寄っていった。
「あの方の研究成果を壊すのは気が引けるが、刃を交えなければならないかもしれん。だが、それを成し得るということは、あの方を超えるということになるのか……。その時は頼んだぞ、私の研究成果よ」
「はい、オーギュスト様」