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第1話 彼と彼女と魔導工学

 1


 機械油の独特な臭気が、鼻腔を刺激する。

 その部屋を一言で表すならば、無骨や粗野、鉄臭いといった言葉が相応しいだろう。

 石造りの壁に囲まれた部屋の中には、曲がりくねったパイプや小型の炉、不可解な金属製の人形のような物まで置いてある。端の方に配置された机の上にも、大小様々な部品が散乱しており、床には工具箱がひっくり返されたかのようにスパナやハンマー、ナイフなどが転がっている。

 風通しはお世辞にも良いとはいえない。見るからに堅牢そうな金属製の扉と、申し訳程度に付けられた小さな窓が二ヶ所。これらしか、空気の出入り口がないのだ。それに、作業中は騒音対策のため、どちらも閉じられていることが多いのだから、特に真夏はその温度に悩まされることになる。たとえ真夏でなくとも、このような密閉された空間に長くいるのも、精神的につらいものがある。尤も、そのようなことを気にしている暇など彼にはなかった。

 いや、余裕はあるのだが、それに気付かないほどに作業に集中しているからだ。

「やれやれ、魔術師の年寄り共は何でああやってお高くとまっているのだか。奴らは魔導工学ってのを何も解っちゃいないんだよな」

 シユウ・セイヴァルはブツブツと文句を垂らしながら、作業にあたっていた。つい先程上層部の人間に呼び出しを食らい、つまらない話に付き合わされていたのだ。

 無骨な作業場には不釣り合いに思えるような、若々しい顔立ち。やや短めの黒髪に、琥珀色の双眸。とりわけ美形といったほどではないものの、若いわりには何処か頼りがいのありそうな雰囲気がある。

「技工神エルミタがお怒りだぞ、と」

 特に自分も信心深いわけではないのだが、大陸で広く信仰されている大神の一柱の名を挙げながら、作業を続ける青年。シユウが口にしたエルミタは技術を司る神で、神官の他には技師や鍛冶師といった者達の間にも信者がいる。

 彼の正面には、小型ボートを思わせるかのような形状の物体が鎮座している。大人が五人ほど乗りこめるもので、様々な計器が運転席の辺りにあるのが解る。しかし、それをボートという一言で片付けるには不可解なものが見受けられる。例えるならば、粉挽き用の風車のプロペラを、小さくしたようなものだ。細長い棒の先に、四枚ずつ取り付けられており、このボートにはそのような構造が四ヶ所見られる。

「んーっと、此処をこうやって」

 大陸の人々の間では、『飛空艇』と呼ばれているものだ。その名の通り、空を駆ける船のことである。太古から、人々は鳥のように空を飛ぶことを夢見てきた。それを実現させたのが、この飛空艇――そして、『魔導工学』と呼ばれる技術である。

 魔導工学は七世紀終盤から大陸で栄え始め、今もなお進歩を続けている新たな技術である。

 太古から、世界各地には、魔術という力が存在していた。魔術を使えば、炎を発生させたり、風を起こしたり、傷を癒したりと、様々な事象を起こすことが出来る。中には、町ひとつを一瞬にして壊滅させてしまうようなものもあるという。

 今日でも、その魔術は使われているのだが、誰もがそれを使うことが出来るわけではない。大昔の魔術師が残した文献などから、訓練をすれば誰もが魔術を使えるようにはなることは解っているのだが、やはり適正というものがある。また、訓練の過酷さから、魔術を自在に使いこなせる者は一部しかいなかった。魔導工学が発達する前に、魔術師達の地位が高かったのも、そのためだろう。

 そこで、人々は考えたのだ。誰もが魔術を使えるようになるには、どうするべきか。

 人々は魔術に代わる力をどうやって引き出すかを考え、様々な実験を繰り返してきた。それにどれだけの時間がかかったか数値的なことは解らないものの、凄まじい労力が費やされたのは間違いない。

 そして、ついに当時から大陸で栄え始めていた機械文明と、魔術の力を融合することに成功したのだ。これが、魔導工学の始まりである。ちなみに、歴史書には『第二次産業革命』と記されているが、その呼び方は通称に過ぎない。

 当時と比べれば落ち着いているもののまだ発展途上であり、全ての人が使える技術とまではいかないものの、機械と魔術の融合は、大陸に新たな文明を築き上げることに成功したのだ。その魔導工学を駆使し、技術の発展に貢献する者達がいる。このシユウという青年も、そのひとりだ。

「あーあーあーあー、魔力炉のボルトが錆びているじゃないか。まったく、こういうのは事故の原因になるから、早めに報告しろって上から教わっていないのか? 今度、クソ神官ルートヴィヒの野郎に言ってやるか。お前の部隊はいつもいつも、魔導工学の産物を手荒く扱い過ぎなんだよってな」

 この場にいない友人に文句を言いながら飛空艇に身を乗り出し、サイドに取り付けてあったタンク状の物を見て嘆息を漏らすシユウ。相変わらず、文句を言いながら作業にあたる彼だが、不思議と彼の表情は綻んでいる。まるで、新しい玩具で遊ぶ子供のように。

「まあ、でも旧型だから仕方ないか。安全のためにも、新しいのを発注すべきか? いやいや待てよ、出力を三割ほど抑えて扱えば、あるいは。ああ、でも長距離の運航になるとそれも難しいんだよな。うーん、やはり長く使っている以上、劣化は免れないか……」

 シユウはぶつぶつと呟くが、それに応えようとするものは誰もいない。というのも、今この部屋にいる人間は、シユウだけのためである。本来なら他の仕事仲間もいるのだが、とっくに定時を過ぎており、皆帰ってしまっていた。どちらにしろ、独りごとにいちいち答えるような人間などいないのだが――

「ボルトボルト、ボルトは何処だ」

 シユウは軽い身のこなしで飛空挺の縁から飛び降り、見事に着地した。そして、そのまま様々な部品の転がっている作業机へと向かう。

 机の上は散らかっていたが、すぐにシユウは目当てのものを見つけると、それを手に取った。軍手越しに、金属質な硬さと冷たさが伝わってくる。

 調子の外れた鼻歌を歌いながら、工具や部品を持って、メンテナンス中の飛空艇へと戻る。

 脚立を昇り、飛空艇に乗り込むと、シユウは作業を再開しようとした。

「うん?」

 ギィィィ、と何処か不景気な音が鳴り響いた。

 金属製の扉がゆっくりと開き、外の空気が流れ込んできた。新鮮な空気が頬に触れたので、そちらに視線を移すと、そこには一人の小柄な少女が立っていた。

 まるで、人形を思わせるかのような出で立ちの少女だ。十代半ばといったところか、やや小柄でまだ幼さがくっきりと残っている印象を受ける。

 そして、『人形』という表現は、二つの意味で正しい。

「お邪魔シマス、ご主人サマ」

 語尾のイントネーションが少し不自然なものの、水のせせらぎを思わせるかのような澄んだ声が響き渡る。少女は服の裾を掴んでぺこりと一礼すると、作業場に足を踏み入れた。

 フリルがふんだんに施された、ゴシック・ロリータのワンピース。流れるような銀髪は腰まで伸ばされており、職人でも作り出せないような可愛らしさと美麗さを醸し出している。可愛らしいのだが、何処か現実離れした出で立ちである。

 シユウでさえこの作業場には似合わない出で立ちであるのだから、この人形のような少女の場合は尚更である。石の上に咲いた花の如く、周囲とはかけ離れており、浮いているのだ。お堅い職人がこの場にいれば、「此処はガキの来るところじゃない」とつまみ出されてもおかしくないであろう。

「おう、レティシアか。もうちょっとかかりそうなんだ。すぐに仕上げるから、待っててな。この俺の手にかかれば、飛空艇のメンテなんてちょろいものさ」

 しかし、シユウはそんな浮いた存在である少女を気にした様子もなく、つまみ出そうともしなかった。むしろ、彼女に対して好意的に接している。何故、彼女が無骨な作業部屋に訪れたのか、シユウには解っていたからだ。壁際の時計を見るととっくに定時を過ぎており、帰りが遅いので様子を見に来たのは間違いないだろう。

 また自分の悪い癖が出てしまったかな、と思いつつもシユウは作業を続け、最後の仕上げにボルトをきつく締めた。

「よっしゃ、こんなところか!」

 作業が終わったのを確認すると、シユウは大きく背伸びをした。首を回すと、コキコキと乾いた音が鳴り響いた。

「待たせたな、レティシア」

 工具を急いで片付けると、シユウは作業台から少女の前に飛び降りた。

 改めてレティシアを見ると、やはり可愛らしい。透き通ったルビーのような瞳は、まっすぐとシユウに向けられている。しかし、特に彼女に対して欲情するわけでもなく、まるで子供をあやす親のように、シユウは彼女の頭にポンと手を乗せた。対するレティシアも、年相応ともいえる可愛らしい笑顔を見せる。

「お疲れ様デス。でも、ご主人サマは働き過ぎデス。このままでは、身体を壊してしまいマス。もう少しご自愛なさってクダサイ」

 主を気遣う侍女のように、レティシアはシユウに労りの言葉をかける。

「何か気を遣わせているみたいで悪いな。でも、俺は大丈夫だ」

 ニッと笑みを見せるシユウ。普段は整った顔立ちであるものの、笑みを見せるとやや豪快に見えるのは、彼がこのような場所で働いている技師のためなのだろう。

「この小型飛空艇はどうやって運ぶのデスカ?」

 部屋の中に確固たる存在感を示す飛空艇を見て、小首を傾げるレティシア。

 レティシアの疑問はもっともだろう。ある程度の広さのあるこの部屋だが、明らかに飛空艇の大きさと出入り口の広さがあっておらず、ギリギリ出し入れできるかどうかといった広さだ。出すだけでやっとだというのに、どうやって運ぶのだろうか――

「ほほう、いい質問だ!」

 しかし、そんな問いかけを予測していたかのように、シユウは得意顔になった。

「お前は作業室にあまり来ないから知らないんだったな。まあ見てな、俺達アークヴァイス帝国軍技術部・魔導工学二課が誇る魔導工学の力を!」

 シユウは部屋の柱の方へと向かい、そこに取り付けられたレバーを降ろした。

 すると――


 ギギギギギギギギギギギギ――

 ガタガタガタガタ――


 付近に取り付けてあった歯車が、嫌な音を立てて回転を始めた。その音に、思わずレティシアは耳を塞ぐが、シユウは毎度のことなので特に気にした様子も無い。

 暫くすると、飛空艇の置かれていた台がゆっくりと下降し始めた。床を見ると、そこの部分が徐々に沈下していく様子を確認することも出来る。つまり、作業場の一部が、そのままリフトになっているのだ。これによって、下のフロアまで運んでいる。

「ハハッ、凄いだろう! まあ、取り入れている技術はごく初歩的なものなんだけどな」

 腰に手を当てて、楽しそうに笑うシユウ。その笑いはあまりにも純粋で、本当に子供のようである。

 けたたましい音に慣れたのか、レティシアは耳を塞いでいた手を降ろし、興味深そうに下降していくリフトを見つめている。

「そうデシタ、ご主人サマ。報告することがありマス」

 何かを思い出したのか、レティシアはシユウに声をかけようとした。しかし、シユウは聞いてもいないのに、リフトの構造について説明を始めてしまった。

「よっしゃ、それじゃあこのリフトの構造について説明するとしようか。そうだな、まずは文明開化の様子を大幅に要約しながら追っていこう。お前もこの世界に魔術って力があるのは解るだろ? 炎や雷を出したりするアレだ」

「戦闘に使えるものもあれば、探索や諜報などの情報系のものなど、様々デスネ」

 少し呆れ気味に答えるレティシア。彼女はこれから起こることが何なのか、ある程度は予測できた。好奇心でリフトの構造について尋ねたことを、彼女は少しだけ後悔した。

「少し前に栄えていた文明――まあ、少し前といっても、六世紀中盤ってところか。機械文明ってのがあった」

 シユウは大袈裟なジェスチャーを要所要所に取り入れながら、作業場を歩き回り始めた。レティシアが何かを報告しようとしているのだが、まるで耳に入っていないようだ。

「今もある程度はメジャーだが、蒸気や熱の力を利用するアレな。蒸気機関ってヤツだ。ただ、それだけだとどうしても魔術に追い付かない。確かに出た当初、確か歴史書では第一次産業革命と言われていたんだったな、その頃は革新的な技術として名を馳せていた。だが、以前から存在していた魔術と比べると、出力は月とスッポンだ。そこで、昔の技師達は考えたんだ。魔術と機械を融合させてみたら、より優れた技術を生み出すことが出来るんじゃないか、と」

「あの、ご主人サマ、ご主人サマ」

 レティシアは何度も呼びかけるが、やはりシユウの耳には入っていない。彼女の声が小さめなのと、リフトのけたたましい音も要因ではあるが、シユウが自分の世界にどっぷりと嵌り込んでしまっているのが原因だろう。彼の表情は瞳が爛々と輝き、嬉しかったことを母親に報告する子供のように見える。

「多くの魔術師達は反対したさ。魔術と知恵の女神マギアが齎した奇跡の力を、下賤の者達が使うのは何事かと。実際、魔術師達の地位が高い国――俺達の住んでいるアークヴァイスや、南の魔術大国のフォーレでは、多くの技師達が粛清されたと聞く。技師だけじゃあない。技工神エルミタの信者も結構被害にあったそうだ。今六〇八年の『技師狩り』ってやつか。悲しいものさ。彼らが生きていれば、魔導工学は今より発展していた可能性もある。もっと早くから、魔導工学が栄えていただろうからな。だいぶマシになったとはいえ、魔術師の名門がかなりの発言力を持ってるのは今も変わりないんだけどな」

 がこん。

 リフトが下降し終わっても、シユウの解説は続いていた。

「聞こえてマスカ、ご主人サマ」

 レティシアはシユウの服の裾をくいくいと引っ張ったが、彼はそれに気づいた様子もなく、すっかり自分の世界に入っていた。

「おうおう、聞こえているとも! 魔導工学について知りたいんだろう!」

 レティシアの頬がむーっと膨らんでいく。

 こうなると、シユウは止められない性格だと言うのレティシアには解っていたが、このままでは報告できないどころか、帰れそうにない。仕事熱心なのは構わないのだが、このように一度火が付くとなかなか止まらないのは勘弁してほしかった。

「それでも、技師達はめげなかった。一部の革新的な思想を持つ魔術師達の力を借りることで、ついに成功したんだ。魔術と機械を融合させた新しい技術、魔導工学を!」

 シユウはどや顔で両手を広げながら、レティシアに向き直る。

 この時、自分の世界に入り込んでしまっていたシユウは気付いていなかった。レティシアの頬が膨れて、ご機嫌斜めであることに。

「さてさて、それでは本題に入ろう。待ってました、リフトの構造についてだ!」

「むううう……、ご主人サマ!!」

「このリフトは地下に取り付けた魔力炉の――んごぉっ!?」

 鳩尾に一発、レティシアの拳が入った。激しい痛みが込み上げてくる。レティシア自身はあまり手荒なことはしたくなかったのだが、仕方が無い。

 一応、加減をしてあるのだろうが、シユウを蹲らせるには充分な威力だった。

「いい加減にしてクダサイ、ご主人サマ」

 腰に手を当てて、ムスッとした表情で迫るレティシア。

「何だよ何だよ、話はこれからだってのに。いや、悪かったよ」

 我に返ったシユウは何とか立ち上がる。

 シユウ自身もまた、自分の悪い癖を解っているのだ。それでも、なかなかやめられないのが現実である。それだけ、彼はこの魔導工学という技術と文明を愛していた。

「今の俺にはこれしかないからな。魔導工学で此処まで勝ち抜いてきたってのもあるし」

「魔導工学がお好きなのは解りマス。ですが、もう少し自重してクダサイ」

 相変わらず腰に手を当てたまま、シユウに向けて注意するレティシア。身長差があるため、少し背伸びしているあたりが微笑ましい。

「ああ、そうだよな。つい周りが見えなくなる。俺の悪い癖だ。気を付けないといけないよな。それで、報告することってのは?」

「帝国騎士団・西部地方軍からデス」

「何かあったのか? まーたつまらない呼び出しとかじゃあないだろうな。どうせ小型飛空艇のギミックが解らなくなったから助けてくれとか、そんなことだろう。いい加減学習してほしいもんだよ、まったく」

 帝国騎士団・西部地方軍――

 その名を聞いて、シユウは思わず眉を顰めた。

 現在、アークヴァイス帝国では騎士団は形式上のものとなっており、実質的に帝国軍と全体的な仕事は変わらない。ただ、有力な貴族が率いており、若干ではあるが地位が高い傾向にある。西部地方軍は、そのうちのひとつである。

 その西部地方軍だが、周囲の遺跡などの探索のため、度々調査隊を派遣しているのだ。しかし、調査隊とは名ばかりで、結局は騎士という武人気質の人間ばかりで構成されている。故に、無謀な行動ばかりするのだ。過去にも何度か厄介事を頼みこんできた連中のため、あまり関わりたくないのだが、現在の仕事上そうはいっていられない。

 それでも、毛嫌いするほどの相手ではなく、仕事に対する真面目さは理解できるが、それ故にお堅いところが多い。また、空回りすることも多いため、シユウとしてはあまりお近づきになりたくない相手なのだ。勿論、治安維持などでは安定した成果を挙げており、その辺りは評価に値するのだが。

「とりあえず飯にするか。詳細はその時に聞くよ。とっくに定時過ぎてるしな」

 私物を纏めて、作業室の外へと出る。何重にも施錠し、しっかりと扉が閉まっているかどうかを確認する。

 外に出ると、夜風が頬を撫でた。秋も更けてきたのだろう、だんだんと風が冷たくなってくるのが解る。長い作業の後に浴びる秋風は、非常に心地良かった。

「お疲れ様です」

 質素なコートに身を包んだ衛兵が、シユウとレティシアに向けて敬礼した。治安が良いとはいえ、最低限の警備は必要である。それでも、武骨な金属鎧にハルバードといったような装備ではなく、小型のマスケットとスモールソードを身に着けているだけだ。

「お勤めご苦労さん。そっちも頑張ってるな」

 シユウもいつもの調子で、衛兵に労いの言葉をかけた。レティシアは無言のまま微笑み、ぺこりと頭を下げた。

「いえ、セイヴァル准尉やレティシアさんほどではありませんよ」

「おいおい、あまり階級で呼ばないでくれよ。恥ずかしいだろ」

 大袈裟に顔を背け、手をばたつかせるシユウ。

 准士官ということでそれなりの地位ではあるが、やはり階級で呼ばれるのには抵抗があった。努力して今の地位にいるのだが、魔導工学の技師として力を磨いていきたいと考えているシユウにとって、このような階級は飾りに過ぎないのだ。

「俺は魔導工学を極めていくって決めているからな、そういった階級よりも求めているものがあるんだよ」

「いやはや、私も興味はあるんですが如何せん無学なものでして……」

 衛兵の年齢はシユウより年上であることが窺える。ただ、このようなところで甘んじているのは、士官学校時代にあまりいい成績を残せなかったか、あるいは民間人の一人が食い扶持を稼ぐために就いているのかもしれない。

「なるほど、魔導工学に興味があるのか。ならば話は早い、俺がギルドに話をつけてやるよ。そこで修行を積めば、士官学校を卒業しなくても技術部に入れるぜ。何、今からでも遅いなんてことはないさ、この国は努力さえ実れば誰にだってチャンスがあるんだ。特に、魔導工学の分野はそれがより顕著に出る。才能よりも努力だ。才能よりも努力、努力、努力だ。これ重要だからな。それに、技術部はこう見えて意外に人手が足りないんだ、いつでも大歓迎だ」

 と、個々でもシユウの魔導工学に関する知識の披露が始まってしまった。そんな彼の様子をレティシアはため息をつくと、拳をぶち込む準備を始めていた。

「いやいや、私は家内と娘を食わしてやれれば満足なんで。それより、私なんかと無駄話をしていていいんですか? レティシアさんがお腹を空かせているようですが」

 何処かからかうように、衛兵はシユウとレティシアを交互に見た。

「あ、やべ……」

 衛兵の態度でシユウが何かを思い出したかのようにレティシアを見ると、むすっとした表情で拳を振り上げて彼を見つめていた。

「それじゃあ、俺は帰るよ! そっちもあまり無理するなよ」

 夜も更けていたために、すっかりと辺りは静まりかえっていた。施設の衛兵に軽く挨拶をして、街の方へと歩き始めた。


 2


 アークヴァイス帝国は、アルケディオス大陸の中南部を支配している大国である。国土面積は勿論のこと、軍事力や生産力は、他の国々と一線を画している。帝国がそこまでの大国となったのは、魔導工学に真っ先に目をつけたのが、大きな要因であろう。

 大きな戦乱が無い今では、大陸一の技術国家としてその名を轟かせている。また、帝国を冠しているものの、民衆の発言力も比較的高く、皇帝による独裁も行われていない。しかし、未だ貴族達の力が強い地域も存在しており、当然ながら一枚岩ではない。故に、反乱を企てている者もいるのではないかという不穏な噂も流れている。隣国のロイエン王国との関係も芳しくなく、国交が断絶されてから久しい。

 それでも、首都であるアルクは治安が良く、時折路地裏にコソ泥などが現れるくらいである。夜中も安心して街中を歩けるのもそのためだろう。また、街全体が巨大な城砦となっており、至る所に衛兵や兵器が配置されているため、下手に事件を起こせないというのもある。

 アークヴァイス帝国軍技術部・魔導工学第二課准尉。

 それが、シユウ・セイヴァルの肩書きである。

 シユウの詳しい過去を知る者はほとんどおらず、彼もそれを他人に言おうとはしない。知っているとしても、他国の出身であり、ギルドから抜擢されたという程度だろう。

 現在を、そして未来を常に見ようとするシユウにとって、自分の過去などどうでも良いことであった。ただ、並々ならぬ努力で今の地位に登りつめたのは事実で、それは周囲から高く評価されている。

「天才? 悔しいが、そういった奴らは確かに腐る程いる。だが、そいつらを妬んだ時点でおしまいだ」

 それが、シユウの口癖だった。

 それなりの腕を持っていることを自負しているが、とりわけ優れているわけではない。今の地位にいるのは、並々ならぬ努力で周囲から認められたからである。このご時世に珍しい、努力の人だろう。

 ちなみに、シユウが務めているのは、帝都アルクにある帝国軍技術部の施設である。主に、魔導工学に関わる工場で、飛空艇や様々な兵器を作り出している。まさに、魔導工学の要とも言える場所だ。

 帝都アルクは、大きく分けると五つの区域がある。

 まず、ほぼ中央に位置し、皇族達の宮殿が存在している皇族区。その名の通り、皇帝やその親族たちの住居が存在し、位の高い者でも滅多なことが無い限り立ち入れない。徐々に民主化が進んでいるとはいえ、皇帝の権威が未だ強く残っている証拠だ。

 次に、皇族区を取り囲むかのように築かれた、政治の中心となる議事堂や貴族達の屋敷がある行政区。此処は庶民の立ち入りも許可されているが、貴族を初めとする高い身分の者から白い目で見られるのは避けられない。

 皇族区及び行政区とは堀一つ挟んで、北東部に広がる工業区、北西部には商業区が広がっている。

 平民や位の低い兵士達が住むのは、南の大半を占める平民区だ。また、正確には区域には含まれていないが、市民権を持たない者達の住むスラムが、平民区の一角に存在している。貧富の差が広がりつつあることは、帝国が抱える問題のひとつだ。

 勿論、必ずしもこの通りに施設が点在しているというわけでない。工業区の中に住居を構えている物好きな貴族もいる。ちなみに、シユウの勤めている場所は、工業区の外郭にある。

 その工場を出て徒歩で十分程の距離にある酒場、くず鉄亭。工業区の中央広場に近い位置にあるため、目立つのはその日の仕事を終えた職人達の姿ばかりだ。夜も更けているというのに、酒場の中は多くの客で賑わっていた。

 聞こえてくるのは、怒鳴り声や愚痴、皿やグラスの擦れる音だ。

 申し訳程度に作られた台の上では、吟遊詩人がリュートを奏でているが、旋律と歌声はほとんど喧騒にかき消されてしまい、聴いている者は誰もいない。旅をしながら歌を紡いでいく彼からしたら残念なのかもしれないが、芸術を理解できない無骨な人間が集まるような、この酒場に来てしまったのが運のつきだろう。

 いや、むしろ吟遊詩人の旋律をかき消すようなこの喧騒こそが、此処に流れる音楽なのかもしれない。

 怒鳴り声や愚痴、皿やグラスの擦れる音を曲代わりに聞きながら、シユウとレティシアは、隅のテーブル席でひっそりと食事をとっていた。

 テーブルの上には、鶏肉と野菜のソテー、ベーコンとソーセージ、そして強めの蒸留酒が置かれている。たいして豪華なものではないが、お腹を満たすには充分な食事だ。仕事疲れは、こうやってボリュームのある食事と酒で吹き飛ばすのが良い。

「バーンシュタイン地方の地下遺跡の調査? 何でまた」

 蒸留酒の入ったグラスを一気に空けて、シユウはレティシアに尋ねた。

 レティシアはシユウとは異なり、味わいたいのか、それともあまり強くない方なのか、ちびちびとなめるように飲んでいる。

「魔導工学に長けた技術部の人間が、一人欲しいとのことデス。それで、ご主人サマに白羽の矢が立ったのデス」

 近年、大陸では更なる文明の発展のために、各地に点在する遺跡の調査が行われている。

 かつて世界には、それこそ神々が統治していた頃よりも前の話だ。現在の魔導工学文明を遙かに凌駕する文明が栄えていたという。それが如何なるものか、知られていないことばかりのため、二ヶ月に一度くらいのペースで調査が行われている。

 多くの遺跡は魔物の住処と化してしまっているのが現状だ。遺跡に限らず、いざ町の外に出れば、森や山などで魔物に遭遇することは珍しくない。都市部から離れた小さな村では、魔物が群れをなして襲ってくることもあるのだ。

 そういったこともあり、魔物の討伐なども兼ねているのかもしれない。遺跡調査によって手柄を立てたいという気で動いていることもあり得るのだが。

「いや、それはそうだけどな。魔導工学に詳しい奴なら俺以外にもたくさんいる。それに、知識としてなら軍の奴らなら誰でも叩きこまれてるだろ?」

 普通、遺跡の調査などは、大規模な軍隊を動かすものではない。その手の専門知識を持つ者を数人と、あとは護衛用の戦闘員が数人。多くても小隊単位といったところだ。

 技術部の人間が部隊に組み込まれるのは、兵器のメンテナンスといったものが多い。しかし、大規模かつ長期間に及ぶ戦闘が無いであろう遺跡の調査で、出来る仕事は少ない。何もすることが無いのなら、行く価値もないだろう。

 そもそも、技術部の立場上、あまり前線に出ることなど考えられない。何事にも適材適所というものがあり、自分達は本拠地で魔導工学の技術を研究していた方が良い。

「なんでも、地下遺跡で魔導機兵の残骸らしきものが多く発見されたみたいデス。大戦時に破棄されたものだと推測されているようデスガ……」

 魔導機兵の名を聞いて、シユウの眉がぴくりと動いた。

「待てよ。何で魔導機兵がそんなところにあるんだ? 大戦時のモノは既に回収されたと聞いているが」

「それが、調査隊の力を持ってもなかなか解明できないみたいデス」

「調査隊とはいえ、西部地方軍の奴らは元々は騎士の脳味噌筋肉だからな、奴らは。小型飛空艇も、しょっちゅう壊してやがる。面倒臭いが、技術部の力の見せ所か」

 などと言っているものの、明らかに先程までの面倒そうな表情とは違う。仲間内で遊ぶ約束をした子供のように、隠そうとしながらも笑みがこぼれているのが解る。

「まあ、何も絡んでないにしろ、色々と見つけられるかもしれないからな」

 実際のところ、魔導工学が絡んでいないようなことでも、彼は呼び出しがかかれば、駆けつけるようにしている。もしかしたら、新たな知識を得ることが出来るかもしれない、という思いがあるからだ。

 良くも悪くも、好奇心の強い人間。それが、シユウだった。よく、冒険者が向いているのではないかと、周囲の者達からからかわれているし、シユウ自身もそう思うことがある。

「それに、お前に関わるようなことも見つけられるかもしれない」

「ご主人サマ……。いいんデス、ワタシは……」

 シユウの言葉に、レティシアは顔を一瞬だけ曇らせた。

「ワタシのご主人サマは、シユウサマ。アナタ一人だけデス」

 しかし、すぐにニコリと明るい笑顔を浮かべた。

「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。以前のお前に何があったかは知らないけど、俺は決めてるよ。俺はお前と一緒にいるってな」

 シユウもニッと笑みを浮かべると、つまみのベーコンを手で摘んで口に運んだ。

「お行儀悪いデス」

「うっせ」

 そんなやり取りをしつつ、食事を続ける二人。

「ああ、そうだった。仕事内容をしっかりと確認しないとな」

 思い出したかのように、シユウはレティシアに尋ねる。

「調査は既に始まっているとのことデス。場所はバーンシュタイン地方北部、辺境都市ラウルから西に半日ほど進んだところデス。キャンプを張っているそうなので、すぐに解ると思いマス」

 レティシアは懐から羊皮紙を取り出し、書かれている内容を要約して説明した。

「うわ、そういやバーンシュタイン地方ってあのオッサンの治める地域じゃないか。依頼主が西部地方軍って聞いてたからまさかとは思ってたが……。あの人苦手なんだよな。キャンセルできないか、この仕事」

「選り好みは駄目デス」

「へいへい」

 ちなみに、バーンシュタイン地方はアークヴァイス北西部の国境付近に位置している。ロイエンとの国境が近く、あまり治安が良くない。そして、そのキナ臭い地域からわざわざ呼び出されたというワケだ。恐らく、通信系の魔術を介して連絡されたのだろう。

 余程、調査が難航しているのだろう。まだ発展途上の魔導工学が絡んでいるとなれば無理もないが、今回の仕事は一筋縄ではいかなさそうだと、シユウは推測していた。

「明日の朝一で鉄道を使って、ラウルに着くのは昼頃。そして、そこから徒歩となると……、夕方ってところか。あまり夜営はしたくないが、仕方ないな」

 目的地までのルートを、頭の中で整理する。一応は軍人のはしくれであるため、地理も頭には入っている。

 当然、途中で魔物に襲われるようなことも考えられるだろう。部隊単位で行動するわけではないため、その辺りが気掛かりであった。

 出来ることなら面倒なことは避けたいのだが、それも難しいだろう。しかし、たとえ戦いになったとしても、心配することなど無い。

 ちらりとレティシアに視線を移して、彼はそう思った。

「それにしても、お前よく食うよな」

 痩せの大食いとでも言うのだろうか。レティシアの食べっぷりは目を見張るものがあった。ついさっきまで大皿に盛られていた筈の料理が、ほとんど彼女の胃袋の中へと消えていたのだ。酒の方も、ちびちびと飲んでいた割にはグラスがすっかりと空いている。

 手先は器用だが、仕事内容について確認しながら胃の中に食物を入れられるような器用さは持ち合わせていなかった。そのため、ある意味レティシアが羨ましく思えた。

「腹が減っては、戦は出来マセン」

 と、けろりとした表情で答えるレティシア。

「それはそうだけど、仕事は明日だ」

 今すぐ現地に向かうわけではないのだが、あまりにも幸せそうに食べているレティシアを見ると、思わず顔が綻んでしまう。

 人形のような印象を受ける少女だが、手についたソースをペロペロと舐めている姿を見ると、まるで愛おしい娘を持ったかのように思えてくる。尤も、シユウはまだ娘を持つ程の年齢ではないのだが――

「そう考えると、信じられないよな……」

 ふと脳裏を過った言葉が、出てしまう。

「どうされたのデスカ、ご主人サマ」

「いや、何でも」

 言って、シユウはボトルからグラスに蒸留酒を注ごうとするが、既に切れていた。

 もうすぐ食べ終わるし、そろそろ支払いの準備をするか。そう思っていたが、

「ご主人サマ」

「ん?」

「ご飯もお酒も足りないデス」

「…………」

「もっと食べたいデス」

 ああ、いつも通りだな。そう思いながら、シユウは追加で料理と酒を注文することにした。

 レティシアにとって、酒も食事も単なる嗜好品に過ぎないのだが、仕方ない。少々財布が不安であったが、たいして高い料理はないので、気にすることは無いだろう。どちらにしろ、此処のところ働き詰めで、彼自身も物足りないと思っていたからだ。

 近くにウェイトレスが通ろうとしたので、シユウは遠慮なく声をかけた。

「おーい、ちょっと注文いいか?」

「はいはい。あら、シユウじゃない。いつもこんなボロい店に来てくれてありがとう」

 ウェイトレスが注文に応じるが、どういうわけか自虐的な発言をする。

「くず鉄亭。まさにその名の通りだな。くずみたいな肉ばかり出しやがる」

 シユウもまた、店側に対して失礼なことを言う。

「くず鉄みたいに安っぽい料理しか出さないからね、ウチは」

「ハハハ、寸胴鍋みたいなおやっさんに聞かれたら、ぶん殴られるぞ? プライドだけはあるからな、鍍金みたいに薄っぺらいけど」

「いいのよ、本当のことだから」

 自虐したり莫迦にされたりと散々ではあるのだが、ウェイトレスは特に気を悪くした様子は無く、楽しそうに笑みを浮かべている。それも、営業上に見せるような作り笑顔ではなく、本当に心の底から面白おかしく笑っているような表情だ。

 罵倒されることに快感を覚える人間もいるが、彼女の場合はそうではない。この自虐と罵倒は、くず鉄亭を訪れた常連と店員の間で交わされる、一種の決まり文句のようなものなのだ。この後に注文を尋ねると言うのが、この店のスタイルとして定着している。

「で、ご注文は?」

「こいつの腹を満たせるようなのを頼むよ。俺は久々に根菜の煮付けでも食うかな。東国風の味付けで頼む。あとは、蒸留酒をもう一瓶な」

「はいはい、すぐに持ってくるね」

 食器を片づけると、ウェイトレスはぱたぱたと厨房の方へと走っていった。

 少しして、厨房から何かの割れる音と怒声が聞こえてきたが、これもよくあることなので、シユウは気にしなかった。

「申し訳ありマセン。忘れてマシタ。もうひとつ報告がありマス」

 暫く店内を見回していたレティシアだが、再びシユウへと向き直った。

 レティシアのルビーの双眸から、真剣さがひしひしと伝わってくるのが、シユウには解った。

「もしかして、結構重要なことか?」

 シユウは立ち上がって、レティシアの方へと身を乗り出した。

「こちらの方が、ご主人サマにとっては重要なことデス」

 何かマズいことでも起きたのだろうか。技術部魔導工学第二課には何も悪い知らせは届いていないが、情報が届くのが遅れているということもあり得る。それとも、他の課のことだろうか。どちらにしろ、面倒事は避けたい。

 逆に、良いニュースならば大歓迎だ。燃費の良い飛空艇の開発に成功したとか、ギルドから新たな技師が軍部に入って来たとか。そのようなことがあれば、自分の探究心にも火が付く。

「妹サマのことです」

「はぁ? 何かヤバい魔術ぶっ放して施設を壊したとか、死人を出したとか? それとも何だ、男が見つかったとか? 結婚はまだ許さんぞ、俺は」

「いえ、そのようなことではありマセン」

「ああ、なんだ。問題は起こしていないのか。じゃあ何なんだ?」

 まずいことではないらしいので、一先ず胸を撫で下ろすシユウ。

「たまには顔を見せてくれ、とのことデス」

「なんだよ、そんなことか。そういや最近会ってなかったけど」

 立ち上がったものの、シユウはそのまま力なく椅子に座りこんだ。

 肩すかしを食らった気分だった。色々と覚悟はしていたのだが、聞いてみれば妹のことについてだ。それも、彼女の身に何かがあったというわけではなく、顔を見せてくれという内容だった。

 ちなみに、シユウの妹も軍部の人間である。しかし、部署は異なるため、普段の仕事で会うようなことは少ない。演習の時に、たまに顔を合わせるくらいで、プライベートの時間はあまりない。働いていると、そうなってしまうのは仕方のないことだ。

「アリカの奴、ガキじゃあるまいし――」

「ご主人サマ」

「それに、此処のところ良い感じで新型の魔導機兵の設計が進んでいるんだ。今回の仕事の件もあるし、そうやってつまらんことで呼び出されても――」

「ご主人サマ!」

 静かだが、レティシアの口調が突然鋭くなる。それに気圧されて、思わずシユウは言葉を止めてしまう。

「もう少しご主人サマはご家族のことも顧みるべきデス! このままだと、ダメな旦那さんになってしまいマス」

 むーっと頬を膨らませながら、レティシアはシユウに対して注意をする。

「旦那って、アークヴァイスの法律じゃ皇族を除いて三等親内とは結婚できないぞ?」

「そういう問題ではありマセン! 仕事ばかりに目を向けていることを怒ってるのデス」

 反論できないのがつらい。家族と言っても今は妹しかいないのだが、確かにレティシアの言うとおり、仕事に夢中になってばかりだ。少しは休みをとって、プライベートでも妹に会ってやった方がいいのかもしれない。

「それに、日頃から色々と悩んでいる様子デシタ」

 何処か哀しげに、レティシアは俯く。

「悩み? いつもすましているようなあいつが? ハハッ、冗談も――」

「ご主人サマ」

 レティシアの視線が、シユウに突き刺さる。

「解ったよ」

 少し、理解が足りなかったかもしれない。シユウは気まずそうに、嘆息を漏らす。

 この仕事が終わったら、ちょっと声をかけてやろうか。最近は大きな戦乱も無く、戦地に駆り出されるような仕事についているわけではないため、ある程度の暇は出来るだろう。

 シユウが仕事で妹のことを顧みてやれなかったのは、紛れもない事実だ。定時で上がればいいものの、いつも研究に打ち込んでしまい、周りが見えなくなってしまっているのだ。

「熱中すると周りが見えなくなる、か。俺の悪い癖だよなあ」

 グラスの氷を鳴らしながら呟くシユウ。

「本当だよね」

「……あ?」

「はい、おまちどおさま」

 話しているうちに、注文した料理が運ばれてきた。

 ウェイトレスの言葉を聞く限り、どうやら話の内容を聞かれていたらしい。

「おい、どっから聞いてた?」

「独り言かな。俺の悪い癖だよなあっていう」

 声のトーンを落としたつもりだが、ちょうど運ばれてきたために聞かれてしまったらしい。少し恥ずかしかった。

「ギルド通いの頃からそうだったみたいだしね。作業に夢中になって、三日間バナナと水だけで過ごして作業場で倒れていたこともあったんだって」

「そんな昔のことはどうでも良いだろ。それより、手が震えてるぞ。こぼさないでくれよ」

 クスクスと笑いながら、危なっかしい動作でウェイトレスは料理をテーブルに置いていく。ひっくり返されてはたまらないので、シユウは面倒臭そうに皿を支える。

 根菜の煮付けと蒸留酒。そして、レティシアの前には、大量のクリームでデコレーションされたパフェが置かれた。テーブルの半分を占める程の大きさだ。これ程の量を食べられるのか、甚だ疑問である。

「それで、親方さんにこってり絞り取られたんだって? 泣きながらボコボコに殴られたとか」

「勘弁してくれ」

 ああ、そんなこともあったな――

 そう思いながら、シユウはレティシアにチラリと視線を移した。彼女は早速、パフェを食べ始めていた。スイーツが好きなのか、満面の笑みを浮かべている。

「それに、そんな過去のこと言われてもな」

 常に前を見て生きているシユウにとっては、過去のことをあまり気にしたくはなかった。

「今のシユウがいるのは、そういったことがあったからなんじゃないかな? レティシアちゃんだってそうでしょう」

「そりゃそうだけど」

 再び、シユウはレティシアに視線を移す。レティシアは二人の会話には興味が無いのか、パフェを食べることに集中している。先程まで山のようにあったクリームが、半分近くまで減っていた。

「私もあまり過去のことは振り返らない性質だけどさ。今は、子供達を養うので精一杯だし、あの子達の過去の境遇とか考えるとやっぱりね……」

 詳しい話は聞いていないが、彼女は給料の一部を孤児院に回しているという。休日には、彼らの世話をしているのだとか。

「元気にやってるのか?」

「そうだね。元気というより好奇心旺盛過ぎて。この前は工具を持ち出して、蒸気時計によじ登ろうとしていたし。何でも、構造が気になったとか」

 呆れるように、額に手を当ててウェイトレスはため息をついた。

「そいつは良い技師になれるぞ。公共の物をバラそうとしたのはいただけないけどな。十歳になったら、ギルドに入れてやったらどうだ? 魔導工学技師の教育に力を注いでいるアークヴァイスならば、補助金も出るから、金の心配は無いぞ」

「うーん。目の前に悪い技師のお手本がいるからなぁ。程々にしてほしいな。考えなしにはなってほしくないからね」

「悪かったな、考えなしの悪い技師で」

 かちゃん、とスプーンを置く音が聞こえた。

「おかわりお願いシマス」

 レティシアはパフェの容器をウェイトレスに差し出した。確固たる存在感を誇示していたクリームの山は、シユウが話している間にレティシアによって容易く踏破されたらしい。

「毎回思うけど、お前ってどんな魔力炉いぶくろしてるんだ?」

「あはは、やっぱり女の子だね。すぐ持ってきちゃうね」


 3


 ご主人サマ。

 シユウはレティシアにこのように呼ばれているが、二人は特に主従関係にあるわけではない。

 貴族社会が未だ残っているアークヴァイス帝国では、屋敷に務めるメイドが主人と主従関係にあることは珍しくないのだが、彼の場合は平民の出身であり、従者を雇うほどの財力は持っていない。それに、一介の労働者に過ぎないメイドが、身分の高い者と話す機会は当然限られてくる。

 二人の関係は、お互いを信頼したような間柄――異性同士ではあるが恋人ではなく、かといって友人でもない、そんな奇妙な関係で結ばれている。ただ言えるのは、その関係というものが非常に固く、破綻することなく続いているということだ。

 薄暗い部屋に、二人は佇んでいた。

 部屋を照らすのは、ちろちろと燃える蝋燭の炎と、窓から差し込む月明かりのみ。オレンジ色の火光と青白い月光が、ゆらゆらと二人の姿を映し出している。

 粗末な作りの椅子に座ったシユウの前には、レティシアが立っている。

「いつも通り、すぐ済ませるからな。ちょっと我慢してくれ」

 レティシアは、服を着ていない。先程まで身につけていた黒のワンピースは床に脱ぎ捨ててあり、下着一枚纏っていない。生まれたままの姿だ。

 うっすらと照らされるレティシアの肢体。幼女体型とまではいかないが、まだ年端もいかぬ少女の身体の作りだ。乳房はほとんど発達しておらず、四肢を描く曲線もほっそりとしている。二色の光を浴びた白銀の髪は、この世のものとは思えぬ美麗な光沢を放っている。服を着ていたときは十代半ばに見えたものの、一糸纏わぬ今では、より幼く見える。

 シユウがレティシアの身体に優しく手を触れると、恥じらいからか彼女は身体を震わせた。緊張しているのだろうか、表情が強張っているのが解る。

 しかし、それに構わずにシユウはレティシアの肩に手を置いた。すると、レティシアはルビーの瞳を細めて、身体を縮ませた。

「背、向けてな。お前の場合、後ろからじゃないと出来ないだろ」

 大丈夫だ。優しくしてやる。

 そう言い聞かせつつ、シユウはレティシアの頬に触れた。

「ん……」

 覚悟を決めたのか、ぎこちない動きでレティシアはシユウに背を向ける。

 後ろ姿もまた、神秘的なものだった。

 神秘的な光を受けた銀髪は勿論、無垢さを表すかのような小さな背中とほっそりとした腰は、レティシアの処女性を物語っているようだ。

 高尚な詩人がいれば、一対の翼があればと嘆くかもしれない。自由と純潔を司った幼い天使――人の手が届かないような存在にも思えてくる。

 このまま、後ろから抱きしめてやりたい。シユウは一瞬ではあるが、そのような衝動に駆られた。しかし、僅かな力を加えただけで壊れてしまいそうである。それに、情欲を抱いている余裕などない。何とか、シユウは衝動的な思いを抑え込んだ。

「よし、行くぞ……」

 シユウは美麗さと可憐さを兼ね揃えた『人形』のような少女の髪を、そっと持ちあげる。

 夜の営みに入る前の、前戯のようにも思える。ちょうど、手慣れた遊び人が、何も知らぬ純粋な少女に知識を吹き込むかのように。

 だが、この行為は二人にとって、それよりもずっと重要な意味を持っていた。

「ご主人サマ……早く……」

「悪い、ちょっと暗くてな。もうちょっと灯りの方に寄ってくれ」

 背中の中央付近だろうか。先程までは銀髪に隠れていて殆ど見えなかったのだが、そこには奇妙な紋章のようなものがあった。

 円陣をベースに線が複雑に交差し、その中にいくつもの文字らしきものが彫り込まれている。

 魔術師達が儀式をする時に描く魔法陣。それの小規模なものだ。その魔法陣が、レティシアの背中の中央に、小さく描かれている。

「此処だな」

 更によく見ると、魔法陣の中央に、微粒な黒いモノがあった。小さなほくろのようにも見えるが、そこに細かな凹みが十字型に刻まれている。また、周囲の柔らかな肉感とは異なり、この魔法陣の部分は硬質な感触がある。超小型のビスである。

 これが、レティシアが『人形』たる所以でもある。

 シユウは工具箱からドライバーを取り出すと、レティシアの背中に描かれた魔法陣――その中央にあるビスに、そっとあてがった。

 もし、知らぬ者が見れば、異常とも思えるこの行為に恐怖を覚えるに違いない。だが、これは『人形』とそれに携わる者に必要不可欠な儀式でもある。

「っ……!」

 金属質な感触がレティシアの背中に走り、思わず声を上げそうになる。しかし、彼女は何とかそれを抑え、身体を強張らせる。此処で動いては、危険だからだ。

「…………」

 シユウは無言のまま、ドライバーをゆっくりと回し始めた。

 静かだった部屋の中に、更なる静寂が訪れる。ビスが外される時の摩擦音さえも、一切聞こえてこない。それだけ、彼はゆっくりと慎重に作業に当たっていた。

 やがて、ビスが外れる。それを落とさぬように、ゆっくりと手で受け止めて机の上に置く。ビスが外されたレティシアの魔法陣は一瞬光を放つと、そのまま消えていった。

「機能停止――」

 無機質な声が、レティシアから発せられる。生気が感じられぬほどの、機械的な声だ。その声が発せられて数秒後、レティシアはかくんと膝を落とした。

「おっと……」

 レティシアが倒れぬように、片腕で彼女の身体を支えこむ。柔らかな身体の感触が伝わってきたが、シユウには欲情している余裕などなかった。

 魔法陣があった箇所には、それと同じ大きさの空洞が出来ていた。内部を灯りに曝すと、何かを嵌めるような窪みが見られる。その周囲には、金属質な部品が複雑に噛み合っているのが確認できる。

「…………」

 シユウは工具箱から、小さな石のようなものをピンセットで取り出し、慎重にレティシアへと近づけていく。そして、彼女の空洞の奥にある窪みに、ゆっくりと嵌めこんだ。すると、空洞の部分が一瞬光り、魔法陣が現れた。

「…………」

 作業はこれだけでは終わらない。シユウは息もつかずにビスを魔法陣の中央に宛がうと、ドライバーを回し始めた。宛ら、人形職人のように。

 魔導人形コッペリア――

 レティシアは、そのように呼ばれる者達のひとりである。

 機械文明が生み出した芸術にオートマタというカラクリ人形が存在したが、コッペリウスという魔導工学の技師が、これにヒトとしての肉体と生命力、そして感情を持たせようとしたのが始まりである。

 元々、疑似生命体のホムンクルスを生み出す術は大陸で盛んであったため、解を導き出すための式までは容易く出すことができた。しかし、式は解っても解を出すのは非常に難航した。多くのホムンクルスとオートマタが犠牲になっていったという。

 未だ課題も多い。常に彼らは過酷な環境下に送られていた。なまじ感情を持っているためか、非常につらい思いをしたのは間違いない。魔導工学に関する法律が追加され、今日では申請すれば魔導人形でも市民権を得ることができるようになっているものの、未だ人権問題を巡って声が上がっている。実際、市民権を得られていない魔導人形の方が多いからだ。

 そのような暗い過去があるが、人間よりも高い身体能力を持つため、魔導人形は今や技術の発展や治安維持において、非常に重要な役割を持つ存在として確立している。偽りの生命とはいえ、今や一種族となっているのである。

「よし……」

 ようやく、シユウはビスを回し終えた。魔法陣のもとにそっと指を添えて、しっかりと出来ているかを確認する。

「再起動シマス――」

 力なくシユウに身を委ねていたレティシアに、再び生気が戻った。レティシアは自らの力で立ち上がると、シユウへと向き直る。

「お疲れさまデシタ。メンテナンスありがとうございマス」

 レティシアはぺこりと頭を下げる。

「此処のとこと、あまり診てやれなかったからな」

「それにしても酷いデス、ご主人サマ。優しくすると言っていたノニ……」

「悪い悪い。ちょっと当たったか」

 この作業ではよくあることなのだが、シユウは謝りながら彼女に替えの服を手渡した。妹のお下がりのネグリジェだ。

「動力だが、戦闘時に限界を超えるような動きをしなければ、一週間はいける。頼むから、あまり無茶はしないでくれよ」

 動力とは、シユウがレティシアの体内に嵌めこんだ石のことだ。魔石マナタイトと呼ばれるもので、魔術師や魔導工学の技師達は、内部に強力な魔力を秘めた鉱石のことをこう呼んでいる。

 魔導人形は、生物と無機物の中間のような存在であるが、彼らは魔力無しで生きて行くことは出来ない。消化機能はないものの、食物を体内で魔力に変換することが可能だ。しかし、経口で摂取できる魔力は微々たるもののため、定期的に魔石を取り入れて、彼らの生命活動を維持しているのだ。

「運動機能も見た感じは特に問題なしだ。違和感とかは無いか?」

「大丈夫デス。問題ありマセン」

 ネグリジェに着替えたレティシアは、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。薄い生地越しに、少女らしい身体のラインが見え隠れしている。

「そうか。なら良かった。今回の仕事も、あてにしているぜ」

 まるで子供をあやすかのように、シユウはレティシアの頭にぽんと手を置いた。

「よし、明日は早めに出たいし、そろそろ寝ような。お子様の時間はおしまいだ」

 シユウはレティシアを抱き上げると、傍らにあった寝台に横たえた。しかし、彼は寝る準備もせずに、ハンガーにかけてあった外套を羽織った。また、壁に立てかけてあった護身用のショートソードと銃が納められたホルスターを、ベルトに装着する。

「ご主人サマ?」

 明らかに出掛けようと支度をしているシユウに対して、レティシアは声をかける。

 今日の仕事は終わっているし、既に日付が変わろうとしているのだ。この時刻に何処に出掛けるのか、レティシアにとっては疑問であった。

「俺は飲み直しだ。どうも、酒が足りないみたいだからな。お前も飲み足りないのか?」

「いえ、結構デス。楽しんできてクダサイ」

 レティシアはすぐにシユウの心中を悟ると、ニコリと微笑んで彼を送りだした。

「悪いな、気遣わせて」


 4


 シユウが訪れたのは、行政区にある酒場だ。工業区にあるくず鉄亭とは異なり、貴族や位の高い軍人に向けたような、やや格式の高い店である。そのため、少々値段が張るが、落ち着いて静かに飲みたい時にはもってこいの場所である。

 時間が時間のためか、店の中に客はほとんど見られない。カウンター席に如何にも身分の高そうな感じの若い男性が数人と、テーブル席に貴族のボンボンらしい者達、そして、羽根付き帽子を被った何処かミステリアスな雰囲気の者がついているくらいだ。シユウ達は明らかに浮いているのだが、誰も彼らを気にした様子も無い。バーテンダーは珍しい客が来たものだと、奇異の視線を向けている。

 部屋の隅にある小さなテーブル席に、二人はいた。

 シユウの向かいには、彼とよく似た風貌の娘が座っている。

 厚手のローブの上からでも解るような、豊満な胸。顔立ちからは幼さが抜けつつあり、琥珀色の双眸も何処か落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 大人びた女性とまではいかないが、ようやく少女の域から抜け出そうとした段階だろう。背伸びをしているわけでもないため、厭味な印象はない。

 彼女こそがシユウの妹、アリカ・セイヴァルである。その落ち着いた印象から、アリカが姉でシユウが弟だと思う者もいる程だ。

「別に気にしていないわ。いつも通り、本を読んでいたから」

 ふふっ、と笑みを浮かべるアリカ。そこには、まだ少女としての可愛らしさが残っている。

「それにしても、珍しいわね。兄さんがプライベートで私を誘うなんて。明日は嵐――いえ、銃弾の雨でも降りそうね」

「好きで誘ったわけじゃないさ。レティシアの奴があまりにもうるさくてな」

 説教されたことを思い出し、シユウは恥ずかしそうに俯いた。尤も、言われたから来たというのもあるが、心配していたのは紛れもない事実だ。しかし、なかなか素直になれない。

「ふふっ、兄さんが本心から来てくれたのは解ってるわよ」

「バッ……、何言ってんだよ」

 どうやら、心の内を見透かされているらしい。

 シユウは恥じらいを隠すために、蒸留酒を一気に口に流し込むと、やや乱暴にグラスをテーブルに置いた。

「悩みがあるんだろ」

 シユウ自身も、薄々気が付いていた。時間があれば相談に乗ろうと思っていたのだが、仕事が忙しく、つい先延ばしにしてしまっていた。彼自身に踏ん切りがつかなかったのもある。

 素直になれないが故に、対人関係、特に悩み事の相談においては、やや消極的になってしまうのが彼の癖でもあった。

「悩みっていうより、寂しいのよ。なかなかプライベートで会えないから。それに、昔から私達って、あまりのんびりと過ごせなかったでしょう?」

 アリカは何処か哀しそうに、か細い声で言った。落ち着いていながらも、そこには彼女の感情が見え隠れしている。

「そうだな」

 元々、二人は落ち着いた生活を出来ずにいた。

 幼い頃、二人はアークヴァイス帝国ではなく、東のレイファン王国で過ごしていた。

 レイファン王国は、民族意識が非常に強いことでも有名である。自分達の生まれこそ至高として、他国の者は自分達よりも劣っているという思想が広まっているのだ。歴史が古い国家のため、それは仕方が無いことなのだが、現在では時代遅れだと指摘されることが多い。

 そのような国に生まれた二人だが、父親がレイファン人、母親がアークヴァイス人であり、所謂混血児である。故に、レイファンでは迫害の対象となり、幼少時には嫌がらせを受けてきており、それは心の奥深くに刻まれている。

 それだけならまだしも、母親を亡くしてからは、父親が暴力を振るうようになった。耐えかねた二人は、荷物を纏めて家出をした。宛ても無く逃げた結果、アークヴァイスに辿り着いたのだ。シユウが過去を語りたがらないのは、このようなつらい過去があったというのが、ひとつの要因である。

「あの時はいつも一緒にいることが出来たけど、周りの環境に馴染めずにつらい日々ばかりだったから」

 アリカは果実酒を一口飲むと、深い嘆息を漏らした。

「こっちでは周りに順応できるようになったが、その分忙しい日々が続いてプライベートで顔をなかなか合わせられない。難しいもんだな」

 なかなか思うようにいかないのが人生である。無論、それはシユウとアリカ二人に限ったことではなく、誰もが周囲の環境などに翻弄されていく。たとえ、自分の道を定めたとしても、それを順調に進める者など、一握りしかいない。それでも、父親や古い考えの人間達に虐げられる日々に比べれば、このように有意義に働いている方が二人にとって幸せだった。

「くだらない血統なんかに縛られた奴から見れば、俺達ははぐれ者だ。だが、この国はそんな俺達を受け入れてくれたし、働き場も与えてくれたワケだ。まあ、古臭い考えの貴族もいるんだけどな。そいつらは実力で見返してやればいい」

 ハハハ、と笑うシユウ。彼は皿に盛られた鶏肉を行儀悪くつまむと、そのまま口に運んだ。やはり、くず鉄亭の肉の方が良い。高い肉なのだろうが、安い酒場で食べる料理の方が、シユウの口には合っていた。

「そっちはどうなんだ? リーダーがあの神出鬼没な優男だと、大変だろ?」

「そうでもないわ。ただ、毎日がデスクワークばかりで、退屈というか」

 アリカが所属しているのは、情報部の研究課だ。汚れ仕事が多いとされる情報部の中でも、比較的正当に動いている部署である。

 歴史学や薬草学、魔物に関する知識といった、学問的な分野において研究している、学者のような存在だ。学者との決定的な違いは、非常時にも戦えるように訓練されているということだ。戦争が始まれば、戦地に駆り出されることも珍しくない。

 また、文化面においての支援や活動なども積極的に行っている。各地方で行われる伝統的な催しの保護や、貴族達に依頼された画家や楽士に対する援助などである。

「何ていうのかな。他の人達が外に出向いているのに、私達は書斎に引き籠ってばかりで、何だか申し訳ないのよ」

 アリカは薄めの果実酒を流し込むと、再び嘆息を漏らした。あまりアルコールには強くないのか、ほんのりと顔が赤く染まっている。

(それでいいと思うけどな、俺は)

 あまり戦う機会がないとはいえ、軍部で働いている以上、危険なことには変わりはない。シユウはアリカが軍部に入ろうとした時には猛反対したのだが、結局折れてしまった。

「それに、何だか自分の力が頼りないというか……」

 アリカはそう言うと、フォークでつまみの鶏肉を口に運んだ。

「頼りない? よく、魔術の演習では良い成績を残してるって聞いてるけど何かあったのか?」

 不思議そうに、シユウはアリカに尋ねる。

「何ていうか、周りの人達が凄くてさ」

 ははあ、とシユウは納得した。

 情報部と言えば、エリートの集まりである。他人を蹴落とそうというような意識はないのだが、レベルの高い人間が多く集まるため、自分の実力に不安を感じる者もいるのだ。恐らく、アリカもそのひとりなのだろう。

「ひたすら訓練して上級魔術を覚えても、少し理論を学んだだけで使いこなせる人を見ると、ちょっとね……。ユーディとか、私より年下なのに素の魔力も高いから」

「魔術はほとんど才能って聞くからな。天才を羨む気持ちは解るぜ。俺の場合、詠唱までは何とかなるが、それを放つ才能がからっきしだからな」

 シユウは魔術の才能に恵まれなかったため、なかなか良い答えが見つからなかった。

「でもよ」

 それでも、シユウは敢えて答えることにした。飲みに来たのは、妹の悩みを聞くだけではない。少しでも、力になってやりたいと思ったからだ。

「確かに、天才ってのはいる。芸術にしろ勉学にしろ、何の苦労をせずとも大きな結果を残せる奴がな。確かに、そいつらに勝つのは厳しい。そいつらが努力をすりゃ尚更だ。でもな、そいつらを妬ましく思っちゃいけないと思うんだよな」

 酒の切れたグラスを前後左右に傾けながら、シユウは話を続けた。残っていた氷がグラスの中で揺れて、何かの音色のように鳴り響く。

「この国じゃ、俺達はただ前を見て進んでいくしかないんだ。それにだな――」

「それに?」

「俺は、お前が満足するようにやっていけばいいと思うよ。周りと競争したいならば人一倍努力すればいいし、そうでないなら気楽にやっていけばいい。生きている限り努力はいくらだって出来る。そして、無駄な努力なんて言うのも存在しない。何故か? それは無駄だったということが解るだけで、収穫があるからさ。一番悪いのは、初めから何もせずにいることだ」

 自分も何をしたいのかよく解っていないのだが、シユウはそう答えた。魔術の才能に恵まれなかったシユウは、魔導工学に道を見出したのだが、まだ的確なものは定まっていない。少し説得力に欠けたかなと思ったが、アリカの力になれるのならば、それでよかった。

「仕事で力を示せればいいんだけどね。今回の調査も、私達は留守番だからなぁ。色々と気になることがあるんだけど」

 頬杖をついて、天井を見上げるアリカ。やはり、まだ彼女には難しいのかもしれない。

「ああ、西部地方軍の」

「武人気質の人達ばかりだし、あまり成果は得られないと思うんだけど……。私達には、一切声がかからなかったわ。それに、今回はバーンシュタイン地方。あの辺りって昔から情勢が良くないから」

「流石情報部か、そこまで掴んでるとは恐れ入った」

 シユウは久々に妹と話していて、忘れかけていた自分の仕事について思い出す。

「兄さんも知ってるんだ。遺跡を調査していると、魔導機兵の残骸があったっていう――。大戦時のものが残されてることは有り得るけど、どうも不可解なのよね」

「それで俺も呼ばれているからな。朝一の汽車で、ラウルまで行ってくる」

「嘘……」

 アリカの表情が曇る。それをシユウは見逃さなかった。

「おいおい、そんな心配そうな顔をするなよ。これまでも帝都の外に駆り出されたことなんて、珍しく無かっただろ? 今回は少し遠いとこだが」

 恐らくは、アリカが自分のことを心配してくれているのだろう。

「いえ、そうじゃないのよ。何か嫌な予感がするのよ」

「嫌な予感ねえ。俺が魔物か何かに襲われて、そのまま殉職とか?」

「ちょっと! 縁起でもないこと言わないでよ」

 シユウの冗談に対して、アリカは八重歯を剥き出しにして怒った。

「危険な仕事かもしれないのに、緊張感が足りないのよ。本当に兄さんはいつもいつも自分のことばかりなんだから!」

「怒るなっての。俺も一応は戦闘訓練くらい受けてんだ。簡単におっ死んだりしないさ」

 おどけたように、笑うシユウ。

 軍の人間である以上、日頃の演習には参加しなければならない。それは、たとえ技術部の人間であっても例外ではない。本隊の訓練とは別に行われるのだが、それでも実戦で役立つだけの技術は身についている。

 しかし、それでもアリカの怒りは収まっていないようなので、シユウは必死に弁解せざるを得なかった。

「俺が悪かった。行動には細心の注意を払うよ。レティシアと上手くやっていくつもりだ」

「それならいいんだけど」

 相変わらずだ、この人は。

 アリカは呆れて、肩を竦めた。

(それが不安なのよ。あの魔導人形の子、絶対にただ者じゃないから……)

「何か言ったか?」

「何でもないわ。でも、一応これを持っていって」

 言うと、アリカは懐を探り、アクセサリーを取り出した。

 シルバー製のネックレスの先に、黒い石が取り付けられている。何かの宝石なのだろうか、黒い石は奇妙な光沢を放っている。とりわけ派手ではないため、男性であるシユウが身につけても違和感はない。

「お守りよ」

「あまりアクセサリーとか興味ないんだけどな」

「黙って持っていく!」

 キッと視線を鋭くして、アリカはネックレスを差し出してきた。

「解った解った。可愛い妹からのプレゼントだ、ありがたく受け取るよ」

 シユウは面倒臭そうにアクセサリーを受け取り、外套の内側のポケットに入れた。

「それじゃあ、明日早いし、そろそろ帰る」

「ありがとう、兄さん」

「礼はいらないって。仕事終わったら、また飲もうな。その時はレティシアも呼ぶよ」

 シユウは立ち上がると、財布から紙幣を出してテーブルに置いた。

「おやすみ、兄さん」


 シユウが去ってからも、アリカは果実酒を飲んでいた。

 このまま帰ろうと思ったのだが、客人がいたのだ。

「盗み聞きなんて悪趣味です、シャルフェン中佐」

 何処か冷たさを孕んだ口調で、背中越しに声をかける。すると、カウンター席に腰掛けていた男性が一人、アリカの方へと歩いてきた。

「いや、これは失礼。別に盗み聞きをするつもりなどなかったのですが」

 澄んだ声とともに現れたのは、如何にも優男といった雰囲気の男性だ。

 軍用のコートに、羽根付き帽子。腰のベルトには、護身用のレイピアを装備している。美麗な金髪で、まるで御伽噺に出てくる王族や吟遊詩人のような印象がある。剣よりも、竪琴や笛を持っている方が似合うような、そんな男だ。

 キール・シャルフェン中佐。

 肩書きは、アークヴァイス帝国軍・情報部総合課中佐。総合課長でもあり、実質的に情報部のリーダーである。

 名実ともに実力者であることは確かだ。ここ数年に帝国内の貴族が反乱を起こそうとしていたが、それを暗殺によって事前に防いだのは、彼の手柄だと言われている。

 優れた才能で頭角を現し、若くして現在の地位を得たことは、軍人の間では有名な話だ。物静かで優しげな外見からは想像できないが、相当の手腕を持っているのだ。ただ、その出自には多くの謎がある。平民出身とのことであるが、それが事実かも解らない。年齢も不詳であり、彼に親しい者でも、彼が何者なのか、詳しく知っている者は皆無と言って良いくらいだ。

 総合課の仕事は、汚れ仕事がメインだ。そのためか、非正規の暗殺者を多く雇っているという噂もある。それが事実かどうかは、キールにしか解らないのだが。各課の仕事を幅広くサポートし、それを最終的に纏めるというのが、表向きの軍務となっている。

 どちらにしろ、吟遊詩人に比べれば、華もなく荒んだ仕事である。

「マスター、ホットミルクを。ああ、アルコールは入れないで下さいよ」

 そんな恐ろしい情報部のリーダーが頼むには、少々可愛らしい――というよりもミスマッチな注文だが、好みは人それぞれだろう。キールは澄んだ声で、近くを通りかかったバーテンダーに声をかけた。

「アリカさんは? 奢りますよ」

「ではお言葉に甘えて。カシスソーダを、薄めに作ってもらえると助かるわ」

 アリカは残り少ない果実酒を飲み干すと、グラスをバーテンダーへと差し出す。

「かしこまりました」

 無愛想なわけではないが、機械的な動作で、バーテンダーは一礼をした。

「さて、今回のバーンシュタイン地方の遺跡調査について、どうお考えですか?」

 早速、キールは本題に入った。

「嫌な予感とおっしゃっていたようですが」

 キールの双眸が細くなる。アリカはその視線に、背筋が凍るような感覚に見舞われた。この男は底が知れない、と。

 実際、情報部に長く身を置いている誰もが、このキール・シャルフェンという男を恐れている。柔らかな物腰とは裏腹に、心の内に残忍性を秘めているからだ。

「はい。ですが、まだ情報も少ないので」

「結構です。僅かな情報も、今後の活動に大きく影響します。部品がひとつでも欠けると、からくりは上手く動きませんよね。動いたとしても、危険を及ぼすこともある。それと同じで、如何に小さなことでも、大局に影響を動かすのは珍しくないのです」

「解りました」

 アリカは足元にある鞄からファイリングされた羊皮紙を取り出すと、キールへと手渡した。近頃の魔物の活動を記したものだ。

「仕入れられた情報によると、此処のところ、魔物による被害が報告されています」

「なるほど、それで?」

 羊皮紙をめくりながら、アリカの報告を聞くキール。

「特に、ゴブリンやコボルトといった獣人類が、組織だった行動をしているそうです。なんでも、地方で軍の補給部隊が襲われたとか」

「彼らが集団行動をとるのは珍しくないのでは?」

「それなんですが――」


 5


 技術の発展。

 それは、人類が現在も望んでいることだ。たとえ技術部の者でなくても関係ない。

 歴史書に暦が記されるより昔――

 それこそ古代という範疇を超えた時代に、現在よりも優れた文明があったというのは、多くの学者達が唱える有力な説である。故に、太古の遺跡を調査することは、人類が栄えていくのには、欠かせないことである。どんなに些細なことであっても、今後の発展に影響するようなものが発掘されれば、国にとって大きなプラスとなる。

 主にそのような分野は、帝国軍の情報部の仕事なのだが、辺境の地域においてはその限りではない。その地域を治める貴族や皇族が、部隊を組んで調査することが多いのだ。

 名目上は、国防において重要な位置にある情報部をあまり迂闊に動かすべきではないというものだが、手柄を自分のものにして、議会での発言力を上げたいというのが誰もが思うことだ。

 今回は調査のためとはいえ、大隊単位の大所帯で地下遺跡の真ん前に布陣していた。かなり大がかりな調査である。

 辺境都市ラウルから半日。遺跡は辺鄙な場所であった。冒険者から仕入れた情報を頼りに調査を開始したのだが、案の定、難航していた。

 すべてを自分達の力で遂行するために、情報部などからの支援をすべて突っぱねたのだから、無理も無いだろう。ただの軍人と諜報活動に慣れた者では、この手の調査においての働きは、天と地ほど差がある。

「はあ、これは困ったな」

 なかなか進展しない調査に、調査を命ぜられていた配下の一人であり神官でもあるルートヴィヒ・アルトマンは嘆息を漏らした。

 肩書きは、アークヴァイス帝国騎士団・西部地方軍団長。階級は大尉である。

 領主であるユリウス・シュタイナーに遺跡の調査を命じられてから一週間が経つが、なかなか進展しない。

「送りだした班は戻ってこないし、周囲には魔物の群れ。やっぱり、より詳しく下調べをしておくべきだったかもね」

 若いわりに何処か達観した雰囲気のルートヴィヒは、ひとりごちた。

 二十代半ばと言ったところだろうか。金髪碧眼の、整った顔立ちの青年だ。身につけているサーコートには装飾品が多く、彼が高い身分にあることを誇示している。そして、右手に抱えられた聖典と首に掛けられたロザリオ。これは、彼が高位の神官であることを示していた。よく見ると、聖典の表紙には戦いと勝利を司る神シャールの彫金が施されている。

「あの人は考えが古いからなぁ。素直に援軍を呼べばいいのに、妙なとこで強がるからね」

 二十代にして一軍を率いるという立場だが、実質的には謂わば中間管理職のような立場にある彼は気苦労が絶えなかった。仕えている領主のユリウスには無茶な命令をされるし、今回も彼の命令によってこの遺跡の調査に当たっていた。

 初めの任務は、周囲の魔物の討伐だった。ただ、遺跡から魔物が組織だった行動をしていること、そして魔導機兵の残骸が見つかったことから、調査の仕事まで押し付けられたのだ。

 ちなみに、魔導機兵というのは、戦闘と物資運搬を目的として作られた兵器である。

 具体的には、二足歩行ではあるが、その大きさは二メートル以上に及び、燃料と魔力を動力として稼働する。機体の上部に三人から十人ほどの兵が搭乗し、そこから遠距離攻撃を行うのだ。また、機体にも銃弾が装填されており、それによって敵を駆逐することもできる。

 これはかつて使われていた戦闘用馬車チャリオッツからヒントを得たものだ。

 魔導人形と異なり、魔術より機械に重点を置いて作られており、生命を持っているわけではない。しかし、魔術によりある程度のプログラムが可能なため、精密な作業は向かないが、敵の駆逐には重宝するのだ。

 そんな便利な兵器なのだが、発掘されたものは故障――というより、ほとんどがスクラップと化していた。原形を留めているものもあるが、ルートヴィヒの部隊でこれらを修理できる者は誰一人いない。ルートヴィヒ自身も魔導工学については殆んど触れたことが無い故に、サッパリだった。

「ああ、こんなことなら魔導工学についてもっと詳しく勉強しておくべきだったかな」

「その辺りは彼らに任せた方が合理的でしょう」

 ルートヴィヒの愚痴を聞いていたのか、側近の女性が彼に声をかける。何処か気苦労の絶えない彼とは異なり、やや厳格そうな表情をしている。

「それもそうだけど、僕達の上司がアレだからね。実力はあるんだけど、考えが古いというか」

 ルートヴィヒは苦笑を浮かべて答えた。

「でも、シュタイナー様の考えも解る気がするんだ。あの人は、実力主義に囚われているこの帝国を危惧している」

「といいますと?」

 怪訝そうに尋ねる側近。

「たまに、いるんだよ。不器用な人間がね」


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