プロローグ
むかしむかし、あるところに一人の若者がいました。若者は、とても卑しい身分で、周りからは毎日のように嫌がらせを受けていました。それでも、若者はめげずに過ごしていました。
その若者は手先が器用で、酷く壊れてしまったカラクリを簡単に直すことができました。若者はカラクリを弄ることによって、気を紛らわせていました。
ある日、若者は街のはずれにある老人の屋敷を訪れました。その老人は、国の王様からも認められるほどの、とても優れた人形職人でした。
毎日のようにカラクリを弄っていた若者にとって、この老人は興味の対象でもあり、憧れでもありました。追い返されることを覚悟して屋敷を訪れた若者でしたが、不思議なことに老人は若者を追い返すことなく、快く受け入れました。
「何故、私を受け入れてくれるのですか? 異国の血の混じった、卑しい私を」
「生まれなど関係ないさ。お前さんは、別に周りに迷惑をかけているわけではないだろう?」
「ですが、私のような者を、何故高尚な職人であるあなたが」
「わしは地位や身分などで人を判断せんよ。わしは、その人の中身――心を見る。お前さんは、随分と綺麗な心を持っている。どうだね、わしに弟子入りしてみないか?」
老人の人柄に感動した若者は、彼の弟子になりたいと申し出ました。老人もにこやかな笑みを浮かべて、若者を受け入れました。
それから、若者は老人が人形を造るのを目の当たりにしました。毎日同じようなことが繰り返されていましたが、若者にとってそれは新鮮なものでした。
ある日、老人は言いました。
「人形とはいえ、こうして心を込めて造れば、魂が宿るのさ」
「魂ですか?」
「ああ、そうだよ」
若者には、老人の言葉の意味が解りませんでした。
「そのうち、解るさ」
若者は老人の手伝いをしながら答えを探しましたが、なかなか見つかりませんでした。
やがて、老人は病でこの世を去りました。
老人を継ぐことにした若者は、日々努力を惜しまずに、人形を造りました。ですが、なかなか納得のいく作品を造ることができません。
若者は老人の言葉を思い出しました。心を込めて造る。そうすれば、魂が宿る。
少しですが、若者は老人の言葉を理解できたような気がしました。
そして、ある日のこと――
若者が仕事に疲れて眠っていると、近くで何やら物音がしました。若者は思わず飛び起きて、辺りを見渡しました。
すると、そこには一人の可愛らしい女の子がいました。
若者は目を疑いました。
その女の子は、若者が造った人形だったのです。
「こんばんは、ご主人様」
スカートの裾を掴んで、女の子はぺこりと頭を下げました。
……話はまだ続いていたが、少女はそこで本を閉じた。
少女が読んでいたのは、『アイアン・ハート』という題名の戯曲――を子供向けの絵本にアレンジしたものだ。かなり古びているためか表紙は色あせており、ところどころがテープで補強してある。裏表紙には、『アークヴァイス帝国図書館』という文字が刻印されているが、だいぶ前にその図書館の本が新調されたために古びたこの本を譲り受けたのだ。
窓の外を見ると、陽は既に沈んでおり、暗くなっていることに気付いた。仕事を終えてから本を読んでいたのだが、すっかり読書に夢中になってしまっていたらしい。
産業革命直後は排ガスなどで昼でも空が暗いことがあったという。しかし、今はだいぶ落ち着いており、以前のように夜空に綺羅星を見受けることが出来る。
星の寿命に比べれば、人の寿命などほんの刹那に過ぎない。ましてや、一生の中の充実した日々となれば尚更だ。大切な人と過ごす時間ともなれば、それこそ瞬く間だろう。残酷ではあるが、それが現実である。
そして、それは自分も例外ではないと。
だが、考えたところでこれはどうしようもない。何事にも永遠などないのだから。形あるモノは、いつかは必ず壊れてしまうのだ。
「そろそろお迎えに行かないと」
少女は軽く身支度を済ませると、散らかった部屋を出た。外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。
「もう、いつもあの人は……」
共に出勤した相手のことを思いながら、少女はぶつぶつと愚痴をこぼした。
周りには聞こえないのだろうが、夜の街を年端もいかない少女が一人で歩いているのは珍しいのか、彼女に対して奇異の視線が向けられている。尤も、本人はそれに気付いていない。
やがて、無骨な建造物が建ち並ぶ区域へと入った。煉瓦や石造りの建造物はどれも年季が入っているのが窺えるが、まったく衰えを感じさせない。むしろ、その無骨さや年季が、この国の技術革新を表現しているのだ。それでいて、まだ発展途上だというのだから、同時に若々しさも両立させていると言えよう。
少女の視線の先には、その若々しさと年季を兼ね揃えた巨大な工房が佇んでいた。
***
凡人は天才には勝てない。それが、オーギュスト・エリオが昔から考えていたことだ。
才能が無くても努力をすれば、天才と呼ばれる者達に追い付くことが出来るだろう。だが、その天才が努力をすれば、再び引き離されてしまう。つまり、いくら努力したところで無駄なのだとオーギュストは思っている。
実力主義に囚われた社会の場合、才能が無い者は淘汰されていく。努力をしたところで結果を残せなければ、無意味だ。
故に、自分は淘汰された。
そして、多くの天才と呼ばれる者達を憎んだ。
しかし、そんな天才と呼ばれる者達でもただ一人だけ、心の底から尊敬に値する人物がいた。
その者は、落ちぶれた自分を蔑むことなく、嘲ることも無く受け入れてくれた。彼は優れた技術者であり、魔導工学においては比類なき天才であった。世間がどう評価していたかは解らないが、少なくとも彼のもとにいた者達は、彼を天才だと評価していた。
だが、もう今はその者はいない。自分の力を認めてくれる、その者は――
その者は、自らの理想を実現すべく立ち上がり、
殺された。
彼の才を妬むわけでもなく、憎むわけでもなく。
ただ、害ある存在として、消されたのだ。
故に――
オーギュストは、再び才ある者を――そして、実力主義に囚われた者達を憎んだ。
「……オーギュスト様」
薄暗い部屋の中に、凛とした女の声が響く。
美しく、澄んだ声だ。だが、何処か無機質で機械的で――不気味さをも感じさせる。
部屋の中には、古びた調度品と本が散らばっており、オーギュストはバランスの悪い椅子に腰かけている。
オーギュストの前には、三人の少女の姿があった。
「消せ。それだけだ」
彼らからの問いを待つまでも無く、オーギュストは命令を下した。
オーギュストの声を聞くと、三人は無言のまま部屋を立ち去っていった。
(お前達だけだよ、私を認めてくれるのは。我が研究成果達よ)
オーギュストは虚ろな瞳で、去っていった少女達に向けて呟いた。