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79 なんだ。結局


広すぎるベッドに新しいシーツを綺麗に取り付けるのに四苦八苦してると、浴室側のドアが開いて、兄さんが出て来た。

久々に見る化粧をしていない兄さんの素顔に呼吸を忘れ、見惚れている自分に気付いた。

やはりもう、どう見ても可憐な少女の顔ではない。

美しく精悍な男性にしか見えなかった。

胸が痛くなり目を伏せた。


「何やってるの?」

「見れば分かるでしょ」

ベッドの上にのってシーツを伸ばしている私が、シーツ交換以外の何をやっている様に見えるのだろう。

感じの悪い返事をした私に兄さんが溜息を吐いた。

「何で君が機嫌悪いんだよ。シーツ換えるのに、そんなベッドの真ん中にのる必要有るの?」

「だって、ベッドが異様に大きいのに、シーツはぎりぎりの広さしかないのよ?どっち引っ張っても足りなくなるんだもん!ああ、もう苛々する!兄さん、そっち持ってて」

「はあ?」

呆れた様な顔をする兄さんが突っ立ったまま動かない。

「早く!」

もう一度溜息を吐いた兄さんが、ベッドの端に屈んだ。

反対端に降りて、シーツをピンと引っ張ってマットの下に押し込んだ。

「ああ!やっと出来た!」

ほんっとに苛々した。

シーツを換えるのにベッドにのったら、さっきの兄さんを思い出して手が震えた。

私にだけは絶対に見られたくなかったのだろうとはっきり感じられた兄さんの酷く辛そうな顔は、二度と思い出したいものではない。

これからベッドにのる度にあの姿が現れては堪ったものではないと、言うことを聞かない手に苛々しながらも頑張っているところに、兄さんが戻って来たのだ。


「何か色々無くなってるけど。布団何処にいったの?」

男っぽく後ろ一つに髪を縛った兄さんが、何もない広すぎるベッドの上と、周りの床を見渡して言った。

「ジョエのベッドの上。ちょっと待ってて。新しいのに換えて貰って来るから」

兄さんがゆっくりと微笑んだ。ああ、そう言えば今まで笑ってなかったな。

そう気付いて残念な気分で兄さんの笑顔を見ていると、冷めた目で見返された。

「布団を取り換えたって、僕の穢れた身体は換えられないよ。どうでも良いから夜までに戻しといてね」

相変わらず自分を蔑む兄さんの投げやりな態度に腹が立った。

丁度靴も脱いだままだったし、もう一度ベッドに上り、広いその上を歩いて兄さんの目の前に立った。

「何やってるの。行儀悪いから降りて」

腰に手を当てベッドの上から兄さんを見下ろす私に、兄さんが冷たく笑みながら命令した。

「嫌。ねえ、さっきも言ったでしょう?兄さんは穢れてなんかいない。何度言えば良い訳?

頭悪いの?」

「頭が悪いのは君だよ。今更白々しい綺麗ごと言ってないで、降りて。もうここから出て」

「黙って」

兄さんが自分の台詞を邪険に遮った私を睨み上げた。

「何だって?」

嘘くさい笑顔が消えて何より。

にっこり笑って見下ろすと、兄さんが眉を寄せた。

「兄さんが自分を穢れてるって思うのは勝手よ。言っても聞かないし、もう良い。でも、何と言われようと、私は絶対に兄さんが穢れてるなんて認めない。汚いのは兄さんじゃない。兄さんに付けられた汚れはお風呂で洗えば落ちる。兄さんは綺麗よ」

「何処が綺麗なんだよ。布団換えたからって何がどうなる訳?またどうせ汚れるんだよ。布団も僕の身体も」

兄さんが私から目を逸らして吐き捨てた。

「ええそうね。これから何度もあるんでしょうけど!私に見られたからってそんな辛そうな顔するんならこんなとこ連れて来ないで!私だって馬鹿じゃないんだからこのぐらい覚悟して来てるわよ!何度でも取り換えるわよ。布団もシーツもクッションも兄さんの服も!兄さんはつべこべ言わずにお風呂に入れば良いの!」

我慢できずに怒鳴ると、再び私を睨み上げていた兄さんが静かに言った。

「風呂に入ったって、身体の中に染みついたものまでは洗い落とせないんだよ」

当然比喩だったのだろうが、見下ろして鼻で笑ってやった。

「それは女の台詞よ。兄さんはお腹一杯ご飯食べてれば何もかも勝手に出て行くでしょう?」

兄さんが目を剥いて、それから物凄く嫌な顔をした。


「イリ、最低だよ。下品にも程があるよ」

私の下品な発言に呆れて、兄さんが落ち着いた様だった。

「兄さんがしつこいからよ」

兄さんが深い溜息を吐いた。

「もう良いよ。ほら降りて」

目線だけを動かし、ベッドから降りるよう私を促す兄さんにまだ自分を蔑むのかととにかく腹が立った。

「どうして引っ張って降ろさないの?さっきの私みたいに」

兄さんの苛立った顔に畳みかける。

「兄さんが一番自分のことを汚いと思ってるのね。その手で私にさわりたくないの?それとも、私が本当は兄さんにさわられたくないと思ってるとでも?」

兄さんが綺麗な顔から苛立ちを消し、酷く冷めた目で薄く微笑んだ。

「どっちがしつこいんだよ。君だって僕の事を汚らわしい物を見る目で見ていただろう?今更なんだよ」


息が止まってしまった様に感じた。

腹立ちが驚くほどあっさりと私の中から姿を消し、焦りと後悔が押し寄せて来た。

やっぱり兄さんは、幼く馬鹿で、兄さんを嫌悪していた私の視線に傷付いていた。

「ごめんなさい。でも、今は本当にそんなこと」

小さく声を絞り出した私に、兄さんがまた冷たく微笑む。

「どうでも良いよ。それに何か謝る態度じゃないよね?ベッドから人を見下ろして」

私から目を逸らそうとする兄さんに、急いで続ける。

兄さんが行ってしまう。私から背を向けて、もう話をさせてくれなくなってしまう。

「本当に悪かったって思ってる。私達を罵る奴らの言葉なんかを真に受けた私が馬鹿だった。ジョエはいつだって、兄さんは綺麗だって言ってた。私も分かってたけど、悔しかったのよ。私はちっとも綺麗じゃないのに。それに、あれは、」

私が兄さんを汚らわしいと思っていたのは。


「そうよ。兄さんの仕事のことじゃなくて、兄さんが女をとっかえひっかえしてたせいよ!」

一気に当時の兄さんへの嫌悪感と腹立たしさがよみがえって来た。

「何?」

訝しげに私を見上げる兄さんを睨みつけた。

「何よちっとも綺麗なんかじゃないじゃないのよ!そうね、兄さんの言う通り、兄さんは穢れてるかも知れないわね。花の精みたいな顔して、兄さんが次々捨てる女に私がどんな酷い目に遭わされてたか考えたことある?それとも、知ってて無視してたの?兄さんも私の為に嫌な思いしてるんだから、そのくらい、何もかも我慢しろって思ってたの?」

一気に言い捨ててふと気付くと、兄さんが表情を失くしたまま凍り付いていた。

興奮を抑えるために、ゆっくり息を吸って、吐いた。

「とにかく、兄さんが私の為にしてくれてたことで兄さんが穢れてるなんてことは絶対ない。もし兄さんが穢れてるのならそれは女遊びのせいで、自分のせいよ」


私を真顔で見据えていた兄さんが、ゆっくりと笑顔に戻った。

「なんだ。結局、自分のせいじゃないって主張したかっただけ?」

ざあっと音をたてるように血の気が引いて、興奮などあっさりと消え失せてしまった。


ああ、間違えちゃった。頑張ったのに、兄さんは綺麗だってちっとも伝わらなかった。

兄さんの辛さより私の感情を優先させてしまった自分の愚かさに呆れて、悲しくて、可笑しかった。

あーあ、この失敗は取り返しがつかないかもね。

兄さんの冷たい笑みに目元が熱くなったが、涙が頬を伝う前に苦い笑いがこぼれた。

「ううん、私のせいで兄さんが辛かったのは分かってるんだけどね。ごめん。上手く言えなかった。布団頼みに行って来る」


溜息を吐いて、ベッドから降りようと足を踏み出すと、兄さんが私から目を逸らしていた。

綺麗な綺麗な兄さんの切ない横顔に耐え切れず、ベッドから兄さんの身体にぶつかる様にしてその首に腕を巻き付けた。

兄さんの身体が強張り私を拒絶するのを感じたが、構わずにぎゅうと抱き締める。

兄さんのまだわずかに湿った肌に頬がふれ、私と同じ石鹸の香りとまじりあった様な、兄さんの良い匂いがした。

胸が絞られた様に苦しくなる。

こうやって兄さんに抱き付くのは、これが最初で最後かも知れない。


「ごめんね。兄さん。大好き」

私の背中を支える手は感じられず、もう一度苦く笑って、何も言ってくれない兄さんの身体から自分の身体を滑り下ろした。






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