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6 私だけか


お風呂は密かに期待していた湯船こそなかったが、とても清潔で使いやすくお湯もたっぷりで快適だった。

小さく仕切られた石張りの部屋には両腕で囲めるくらいの大きさの盥が置かれ、そこに蛇口から好きなだけ綺麗な湯が溜められるようになっていた。

そこから手桶で湯を汲み頭から豪快に浴びることが出来た。

床にこぼさないように慎重にする必要も、少ない湯をちびちびと使う必要もなく、思う存分全身の汚れを落とすことが出来る。

旅の間の汚れのみならず、16年間取り切れなかったこびりついたものまでも剥がれ落ちた様な気分で、身体が軽くなるほどさっぱりした。

それに、何より脱衣まで仕切りの中で済ませられるのが、周りの目を気にせずにすみ有難かった。


「どうもありがとうございました」

お風呂場の管理をしているらしい女性に声をかけると、棚の桶を整理していた手を止め振り返った。

「湯の使い方は大丈夫でしたか?」

大分年下に見えているはずの私に丁寧に話すところをみると、女官ではなく下働きの人なのだろう。

20代半ばくらいだろうか。元気の良さそうなお姉さんだ。

「はい、お湯をたっぷり使えてとっても気持ち良かったです」

そう言うと、あらと言う顔をされた。

「その衣装は今日いらっしゃった姫様のお付の方ですよね?お湯が豊富な地域だって聞いたことがありますけど、違いました?」

まずい。焦った心を顔に出さぬよう気を付けてにっこりと答える。

「旅の間思うように湯を使えなくて。ようやくさっぱりしました」

お姉さんが笑う。

「それは良かったです。今の時間ぐらいから混雑しだすから、ゆっくり使いたいならこのくらいまでの時間が良いですよ」

「そうなんですね。利用時間は決まっているんですか?」

お姉さんが笑顔で首を振った。

「いいえ、いつでも良いんですよ。休憩時間を使って来る人もいますし、只、夜は私達もいませんし、手燭を持って来ても怖いし滑って危ないですからね。暗くなってからは誰かと一緒にいらっしゃいね」

優しくそう言われたということは、やはりここでも実際の年より子供に見られているようだ。

「はい、そうします。ありがとうございます」

頭を下げると、にこにこしながら深くお辞儀を返された。

ここにも良い人がいる。嬉しい。



お風呂に入っている間に明かりの灯されていた長い通路を通り部屋に急いだ。

もしかしなくても兄さんの部屋に明かりを入れるのは私の仕事か。

完全に日が暮れ暗くなってしまってからでは、燭台がどこにあるのかも見えないかもしれない。

女官を探してまわる羽目になったら面倒過ぎるし、兄さんにもきっと嫌味を言われる。

失敗したな。お風呂に出る前に準備しておくべきだった。

何とか自力で迷わずに部屋にたどり着きドアを開けた。

部屋の中は予想以上に暗かった。

かろうじて見えていたテーブルの上の手燭を取り、もう一度部屋の外に出て通路の壁にかかる蝋燭から火を移した。

もう休むだけなら全ては必要ないだろうと、部屋の中の各所にある燭台の中からいくつかを選び火を灯していくと、広い部屋の中が生活するに足るだけ明るく照らし出された。

日が暮れても明るく過ごすことが出来る。贅沢なものだ。

煙のない高級な蝋燭のやわらかな炎を眺めていると、自分がここにいることが酷く不思議な気分になった。


「ジュジュ?戻ったの?」

不意にソファの影から兄さんの声がした。

金色の頭が覗く。

「兄さんそこにいたの?もう寝室で休んでるのかと思ってた」

「ああ、君が戻って来られるか気になってね。方向感覚が小さいころからおかしいだろう?」

失礼なことを言われたが、普段よりぼんやりとした口調だったためか、不思議と腹は立たなかった。

「大丈夫よ。小さい子じゃないんだから。迷っても人にも聞けるし」

本当に幼児だと思われているんじゃないだろうかと、自分で言いながら情けなくなる。

「君が人と話すのもわりと不安なんだよ。問題なかった?」

「うん。何とかね。気を付けるわ」

お風呂でのお姉さんとの会話を思い出し反省しながら言うと、軽い溜息が聞こえた。

「頼むよ?ジュジュ。自ら嘘をばらすのだけは止めてよ。取り繕えなくなるからね?」

兄さんの顔を窺うが、太陽の光のない薄暗い部屋では兄さんの目の中の色までは見えなかった。

声だけ聴いていれば、嫌みや皮肉じゃなくてまるで本当に心配されているみたいね。

そう思っていた方が苛立たないし、お腹も痛くならない。

「うん。気を付ける」

素直に返事をしてみると、兄さんが微笑んだ。

もしかしたら、その目は普段通り冷めた色を宿しているのかも知れない。

おそらくそうだろう。

でも、日の無い短い夜の間くらい、普通の兄妹のやり取りをしていると信じていよう。

そうじゃなきゃ、これから兄さんと過ごすこの部屋での毎日が辛すぎる気がした。


カーテンを閉めて回っていると、すぐにジョエが戻って来た。

護衛用のベッドが入れて貰えるとの情報を仕入れてきていたが、時間も時間だ。

ジョエはともかく私と兄さんは長旅でとても疲れていたので、すぐに休むことにした。

「はあ?俺、ここー?」

ジョエが先ほどまで兄さんが座っていたソファーに手を置き不満そうな声を出す。

「しょうがないでしょ?床よりましじゃないの?」

「今から頼みに行ったってどうせ今日中には入れてもらえないだろう?使用人の寝所の方に行く?」

兄さんに問われたジョエが首を振る。

「流石に夜はいねえとなあ」

兄さんを守る為、と言うことだろうか。

「ちょっとは仕事する気あるんだね」

私がそう言うとジョエが呆れた様な顔をした。

「当たり前だろ護衛で雇われてんだから」

「寝る気ないならソファで良いじゃん」

「阿呆か。寝るに決まってんだろ」

私を馬鹿にした顔で見たが、その視線に納得はいかない。

「どっちなのよ」

溜息を吐くと、同じく溜息を吐いた兄さんがジョエに言った。

「じゃあ、僕と一緒に寝るかい?」

私にはいつだって作り笑顔のくせに、ジョエには物凄く嫌そうな顔を見せていた。

「冗談言うなよ。何で男と寝なきゃいけないんだよ」

ジョエも負けずに嫌そうだが贅沢を言える立場ではないはずだ。

「イリとなら寝てもいいぞ。一応女だからな」

ジョエがニヤニヤしながら予想通りの冗談を言うので、睨みつけた。

「面倒臭いわね。こっちのベッドにジョエみたいなでっかいのと二人で寝られるわけないじゃない」

兄さんのベッドの半分もないのだ。

「もういいよ。ジョエ、僕のベッドで寝なよ。僕がソファで良いから」

兄さんがもう一度溜息を吐いてそう言った。

「駄目よ。どうして兄さんがソファなのよ。ジョエ、雇い主に文句言えると思ってんの?」

ジョエを睨むと肩を竦めた。

「じゃあ、お前らが一緒に寝ろよ。それで俺がイリのベッド使えば解決だろ」

「え?」

「ジョエ。お前は僕と寝ないならソファだ。良いな?」

私が反論する間もなく、微笑みながら低い声を発した兄さんによって、不服そうなジョエも一応静かになった。

今度こそ解決したようだ。


そんなに兄妹で寝るのが嫌なのかしら。兄さんと一緒に寝た記憶など子供の頃にも一度もない。

まあ、気まずいだろうとは思うけど、人生に一度くらいは経験してみたかったな。

先ほど、冷たい目の色のことを心から締め出し心配されたと勘違いできたせいか、嫌いなはずの兄さんと一緒に寝たかったなどと思っていた自分に気付きおかしかった。

そして同時に、そんなことを思うのも私だけかと、虚しくもなった。







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