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67 吐くわよ


「こんにちは」

「ああ、ジュジュ。どうしたんだい、顔色が悪いよ」

勉強会を終え、いつものように昼食を取りに寄った厨房でおばちゃんに言われた。

おばちゃんがカウンター横の低い扉を開けて出て来た。

頭をがっしりと掴まれ、かさついた働き者の手が額に押し当てられた。

「やっぱり熱があるね」

そうなんだ。小道を戻る最中やけに気分が悪いと思った。

「あんた、昨日も籠持って来た時濡れてたねえ。今も外にいたのかい?あーあ、綺麗な服を泥んこにしてあんたは」

私の肩を掴んだおばちゃんが、裾を覗き込んで言った。

だって兄さんが裾を持ち上げるなって言うんだもん。

おばちゃんに訴えて、兄さんを叱って貰いたかったが、何だか気分が悪すぎて声を出すのも辛かった。

「ついさっきまで、何ともなかったんですけど」

やっとの思いでそう言うが、酷い眩暈がして、ギュッと目を瞑った。

「あーあ、きつそうだね。まだ大した熱じゃないけど、これから上がるんだろうね。ちょっと待ってなよ。大丈夫かい?」

力強く私を支えてくれていたおばちゃんの手に安心して、気が抜けてしまったのかも知れない。

おばちゃんから離れれば、立っていられそうになかった。

「駄目だね」

おばちゃんが呟いて、私の身体を支えなおした。


「キノ!」

おばちゃんが誰かを呼んでいる。

「ちょっとこの子を新しい姫の部屋まで運んでやっておくれ。悪さすんじゃないよ。上に言いつけるからね」

「ええー、何で俺なんだ、よ?あれ、この子」

「可愛いからって絶対に変な事すんじゃないよ。ここにいられなくしてやるからね。ほら、ついでにこの子の姫の食事も持ってってやっておくれ。すぐ、持ってくるから」

聞き覚えのある声に薄目を開けると、案の定庭で会った若い衛兵だった。

いやだー。こいつやだ。おばちゃんに目で訴えようとするが、無情にも食事の方に気を取られたおばちゃんは私の身体を衛兵に預けて厨房に戻ってしまった。

「何でもかんでも持てねえよ!この子の荷物もあるんだぞ!」

必死で男から離れて自分で立とうとするが、眩暈がするし気持ち悪いし離れることが出来たところで倒れるだけだと分かった。

それに、おばちゃん以上に強い力でがっしりと腰を支えられていて、力の入らない身体でここから抜け出すのはまず無理だった。

「気持ち、悪い」

「げ、吐くの?ちょ、ちょっと待ってよ。ああ、どうすんだこれ。部屋まで我慢できるか?」

分からん。気持ち悪い。

「ほら、これ押して!その子抱えて!さっさと行っといで!」

おばちゃんの大声に押されて、男が私を片腕に抱き上げ、歩き始めた。


「大丈夫か?真っ青だぞお前。汗も凄いし」

返事をする気にもならない程気分の悪い私に、何度も何度もしつこかった。

不本意ながら男の肩にぐったりと頭をもたれて、声を絞り出した。

「大丈夫じゃない。気持ち悪いって言ってんでしょ。吐くわよ」

「おっまえ。生意気だなあ。運んでやってんだぞ」

もう黙って。あんたと話してる余裕ない。

本気で首元から服の中に吐いてやろうかしら。

我慢を止めればすぐに出来そうだったが、伝えなけらばならないことを思い出した。

「部屋に着いたら入らないで降ろして」

眩暈を堪えて必死で声を出す。

「何でだよ?歩けねえだろ」

男が怪訝そうに言う。

「怒られるから。お願い」

それから男が静かになったので、気持ち悪さに耐えることに集中した。


「立てるか?」

男が私のお尻を支えていた腕を腰にずらし、身体を降ろした。

私が掴まれるように、カートを手元に引いてくれる。

「ありがと」

「礼なら今度城の外に付き合えよ」

気持ち悪いって言ってるでしょ。さっさと帰れ。

力なく睨んで訴えながら、後ろ手にドアに掴まった。

「無理。ここから出られないし休みないから。バイバイ」

男が動かないので、崩れ落ちてしまいそうだった。限界だ。気分悪い。

「吐きそうなのよ。入れないから早く行って。お願い」

涙目だった気がする。情けないが、そのおかげか男は素直に立ち去った。


もたれる様にドアを背中で押し開けて急いで部屋に入った。

さっさと歩かないと今にも倒れてしまいそうだった。

乱暴に入れたカートがドアにぶつかってガチャンガチャンと騒々しい音を立てたが構っていられなかった。

早く横になりたい。目が回る。

「イリ!?」

兄さんの声がしたが、顔を見る余裕も返事をする余裕もなかった。

部屋に入ったことで、完全に力が抜けてしまっていた。

自分のベッドまで行ける気はしない。

取り敢えず、横たわることのできる最寄りの場所はソファだ。

床じゃないならソファ。

必死でソファまで急ぎ倒れ込んだ。

ああ、やっと横になれた。

もう大丈夫。立ってなくていい。

ギュッと目を閉じるが、頭の中がぐるぐると回って、物凄く気持ち悪かった。


経験したことのない辛さに、情けない声を上げたり唸ったりしながらなんとか耐えていると、ようやく眩暈だけは落ち着いて来た。

「ひーん。何これー、きついー」

ねじれていた体勢が苦しくて、足先で靴を脱ぎ捨てソファに足を上げようとすると、何かにぶつかった。

兄さんだろうな。

どいてと言う気力もなく、目を閉じたまま兄さんの身体とソファの背の間に足を突っ込んだ。

はあ、少しは楽。

真っ直ぐになったお腹を上に向けて息を吐いた。ああ、もうやだ。雨に濡れたくらいで熱を出したことなんて今まで一度もないのに。

いや、雨がどうのと言う以前に、学校に行き始めてから熱なんて出したことがないような気もする。

ああ、だからきついんだ。





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