5 本音の方が失礼
「えーと、扉の大きさからからして、こっちが主寝室で、こっちが側仕え用だよね?」
部屋に戻った後、取り敢えず居間から続くドアの先を調べることにした。
兄さんは私達が食事に出た時と同じく、しどけなくソファにもたれたままだった。
私ならこれから過ごすことになる部屋が気になって隅々まで調べると思うが、何ともやる気のないことだ。
案内してくれた女官に分からないことは尋ねるよう言われていたが、ここでの暮らしが上手く想像できず、何を尋ねる必要があるのかも分からなかった。
「だろうな」
大きい方のドアを開けて覗きこむと、居間以上に恐ろしく可愛らしい寝室だった。
「俺にも見せろよ」
ジョエが私の上にかぶさって部屋の中を覗き込もうとするので、大きくドアを開きながらするりと部屋の中に入る。
「可愛いー。けど、ピンクね」
後方のソファで寛ぐ美しい兄を振り返って言うと、ジョエも続いて兄さんを見やりながら嫌そうな顔をした。
「ピンクだな。まあ、似合うけど。なんか気持ち悪」
兄さんが笑顔でジョエを睨んだ。
「何?」
「いや、なんでも。さあ、こっちはどうだ?」
ジョエが主寝室に立ち入り、左側の立派な衣装入れの脇にある小さめのドアを開いた。
覗きに行くと、こちらはやはり側仕え用の小部屋で、主寝室側の壁際に小さなベッドが一つ置かれていた。
小部屋と言っても私の私物を置くぐらいの家具とスペースは十分にある。
豪華さでは比べものにならないが、主寝室と同じくピンクが基調でとても可愛らしい部屋だった。
「ジョエ、私がここ使って良い?」
わざと顎の前に手を組んで、ジョエを見上げお願いのポーズをとると、呆れた様に溜息を吐かれた。
「俺がこんな部屋使える訳ねえだろ。そのわざとらしい顔を止めろ」
組んだ私の手をでっかい手で掴んで下におろさせると、両頬を大きな片手で挟まれ潰された。
「やめれよ。ころもやらいんらから」
変な口にされたまま喋ると笑われた。
腕を掴んで外そうとするが、私がぶら下がっているようになるだけでびくともしない。
ジョエは昔っからこればっかりだ。ジョエの頭に拳骨を落としてくれるおばさんはここにはいない。
「痛て!」
おばさんの代わりに兄さんが何かしたようで、ジョエの手が離れた。
馬鹿力に掴まれてじんわりと痛みの残る両頬を指先で揉みながら、部屋の先に続くドアを開くと小さな洗面所とトイレが有った。
「成る程?と言うことは、こっちも」
主寝室に戻り、ジョエの前を通って奥に続くもう一つのドアを開けると、そこには正面に大きな窓が有り、とても明るくて広い化粧室になっていた。
ここで姫達が身繕いをするのだわ。うちのは男だけど。
側仕え用の部屋の奥に位置する方向にあったドアを開けると、案の定浴室だった。反対側はトイレのはずだ。
「やったー、お風呂ついてるよ!もしかして蛇口からお湯が出るの?沸かさなくていいの?どうなってんの?これ」
後ろからついて来ていたジョエを振り返って尋ねると、呆れたように言われた。
「知らねえよ。俺らの街にはまだ届いてねえ技術だろうよ。それに、これお前の風呂じゃなくてアレの風呂だぞ」
ああ、そうだった。使用人が部屋付の風呂に入れる訳がない。
言われてようやく気付いて愕然とする私に、寝室のドア付近に腕を組んで立っていた兄さんが言った。
「僕と同じ風呂を使うのに抵抗がないなら、君もここを使えば?僕は構わないよ」
本当の笑顔での申し出なら一も二もなく飛びつくところだが、貼り付けたような顔で言われても厚意だとは到底思えない。
抵抗などないが嫌味っぽい兄さんにそう伝える気もしない。
「そうね、兄さんはここしか使えないものね。まあでも、これだけここが整ってるなら、きっと使用人にもお風呂が有りそうな予感がする。後で誰かに聞いてこようっと」
自宅では毎度沸かした少量のお湯で何とかしていたし、旅中はそれさえも出来ない日もあったのでとても楽しみだ。
使用人のお風呂がなかったら、私もここのお風呂を時々使わせて貰おう。
「俺は兵舎の方の風呂が使えるみたいだったぞ。浴場があるって言ってたから、多分お前らも後宮内に使用人用の浴場があるんだろ」
食堂への道を尋ねたでっかい人からの情報だろう。
「やっぱり!やったね。うわー浴場って大きいお風呂ってことでしょう?どのくらい大きいんだろう。ねえ、お風呂入ってきていい?」
意気込む私に、さっさと寝室へ戻り始めた兄さんが冷めた声で返事をした。
「どうぞ。僕はもう休むよ」
そうだった。私は今兄さんから給金を貰っている使用人だった。
「荷を解いてもいなかったわ。兄さん衣が一杯あるでしょう?仕舞わなきゃ」
ここへ来てから食べる以外まだ何もしていなかったことを思い出した。
「明日で良いよ。長旅で疲れてるだろう?お風呂に入って休みなさい」
追いかけると、寝室のピンクのベッドに腰をおろした兄さんが、思いのほか優しげにそう言った。
「そう?」
「風呂の中までジョエと一緒って訳にはいかないからね。人がいたらくれぐれも言動に気を付けるんだよ?良い?ジュジュ」
優しいかと思ったのは気のせいだったようで、あっという間にいつもの兄さんの顔に戻っていた。
「分かってるわよ。そんなに心配なら毎日ここで兄さんのお風呂に入るけど?」
私の嫌みっぽい可愛げのない返事にしばらく黙った後、兄さんが冷たく笑んだ。
「行っておいで、ジュジュ」
口調だけは優しげな突き放す言い方に、ふんとそっぽを向くと何故かにやつくジョエと目が合った。
「何?」
「じゃあ、俺と兵舎の風呂に行くか?俺は女風呂には入れて貰えねえけど、女が来るんならお前みたいな子供でも間違いなく歓迎されるぞ」
空気を読まずいやらしい顔でそう言うジョエの脛を、思いっきり靴の先で蹴った。
「ジョエ、冗談が過ぎるよ。それ以上下品な口を開いたら首にするからね。ジュジュ、早く行きなさい」
兄さんの笑顔が恐ろしかったので、ジョエと二人そそくさと寝室を出た。
「私まで怒られたみたいになったじゃないのよ」
ジョエに文句を言うと、知らん顔で視線を逸らされた。
先ほど大きい人に道を聞いた広間に出たあたりでジョエが私を見下ろした。
「俺あっちだから。お前本当に一緒に行かなくていいか?」
「行かん!」
しつこいジョエを蹴ろうとするが、今度はあっさりかわされた。
「部屋の外でやるなって。お前本当に大丈夫だろうな?まあさっきのは冗談だとして、お前がこっちに来たって、子供がついて来てるようなもんだから誰も気にしねえぞ」
ジョエが周りを見回し人気がないのを確認しながら、お兄ちゃんの顔をして本気で心配そうに言った。
「本音の方が失礼ってどういうことよ。さっさと行って」
私が裸で一緒にお風呂に入っても、ジョエは気にしないってことなのね。
溜息を吐いて、しっしと追い払う仕草をした。