31 愛されたかった
「どこ行ってたの?」
ジョエを見上げると何でもない様に言われた。
「あ?稽古付けて貰って来た」
そう言われれば汗臭い。色が濃くて分かりにくい服だったが、よく見ると汗で濡れていた。
「知り合いがいるの?」
まさかなと思いながら尋ねると、馬鹿にした様に笑われた。
「城にか?いる訳ねえだろ。風呂場で顔合わせた強そうなおっさんに頼んでたんだよ。ああ、あれも知り合いか」
「本当にどこにいても自由ね。それで全裸で力比べなんてしてたの?」
ジョエが大声で笑った。
「何で知ってんだ?まあ力の強さが実戦での強さとは思わねえけどよ。どんな奴か周りの盛り上がりでも何となく分かるだろ?」
「何も考えてないようで考えてるのね」
ジョエが笑いながら私の頭をかき回した。
ジョエも無駄に暇を持て余して過ごすつもりは無かったようだ。
意外な向上心を目にして何となく頼もしかった。
「兵舎の風呂に寄って帰るから、お前飯運んで先に戻ってろ」
衛兵の立つ後宮の入り口を通り抜けてから、ジョエがそう言って引き返そうとした。
「ちょっと。着替え持ってないでしょ?せっかくお湯を使った後にその汗だくの服をまた着るつもり?」
ジョエが、それの何が悪いんだという顔をする。
「部屋に戻ってから着替えりゃいいだろ」
「良くないわよ。汚いわね」
顔を思いっきり顰めて言うが、ジョエは全く気にした風もなかった。
「うるせえ。じゃあな。迷わない様にさっさと戻れよ。お前になんかあったら相手を殺すからな。そんで俺も死刑で、ついでにあいつも死刑だからな。気を付けろよ」
そう言って、さっさと後宮の庭を後にした。
じゃあ私を置いて行かなきゃいいでしょ。
そう思いもするが、荒れた土地で、ある程度の年を越えれば各々勝手に気を付けて生きて来た私達は、お互いにべったりくっついて歩き回ると言うのに慣れない。
それは私も同じだった。
後宮内まで私を送り、来た道を引き返すジョエの過保護ぶりが気持ち悪い様だった。
今日も本と食事をのせたカートと、ついでに仕上がった洗濯物も抱えて部屋に戻った。
片手でスイスイ押せるこのカートは本当に本当にお気に入りだ。
流石にドアを開ける為の手は空かず、靴先でノックし兄さんに開けることを知らせると、お尻でドアを押し開けながら後ろ向きに部屋に入った。
「何やってるの?ジュジュ。行儀悪いって言ってるだろう?」
兄さんの呆れた声が聞こえた。
ジュジュって呼ばれてる。
何故か胸がどきどきと音を立てだす。
「ついでに全部持ってきたから手が空かなかったんだもん」
ドアが重く、途中でつっかえて動けなくなった私を助けに来てくれる気はないらしい。
カートを諦め、取り敢えず洗濯物を置きに部屋に入った。
ちらりと窺うと、兄さんはソファに座って私を眺めていたが、私が奥の椅子に洗濯物を降ろしている間に立ち上がりドアに向かい、カートを部屋に入れた。
どれだけ私に近付きたくないのよ。
ジュジュが聞いて呆れるわよ。
「こんなに難しそうな本が読めるんだね、ジュジュ。凄いね」
避けられた直後に褒めるようなことを言われて戸惑う。
いや、いつもなら嫌味ととるところかな。
間にジュジュが挟まっているせいで、兄さんの言葉を冷静に聞けなくなっている様だ。
たった今避けられたばかりだと言うのに、褒められたことに喜ぶ自分がいる。
「兄さんは、今日の分の単語憶えた?」
椅子に腰を降ろした兄さんの前に食事のトレイを置きながら尋ねると、兄さんが微笑んだ。
「ああ、憶えたよ。明日も宜しくね、ジュジュ」
思わず顔を上げて兄さんの目を覗き込んだが、いつもの冷めた目だった。
分からない。いや、ジュジュが意味を持たないただの仮名だと言うだけだ。
頭では分かっているのに、呼ばれる度にいちいち惑わされる私をどうにかしたかった。
本当は嫌われていないのではないか等と期待してはいけない。
嫌われていて当然だと言うことは、ちゃんと理解しているのだから。
そのことで兄さんを責めるのも、自分が傷つかない様に兄さんを嫌いだと思うのも、もう止めよう。
自分自身に兄さんなんて嫌いだと、懸命に言い聞かせたところでもう無駄だ。
そうだ。もう、分かってしまった。
私は兄さんに愛されたかった。
『ジュジュ』と、愛しい妹だと、本来の意味を込めて呼んで欲しかったのだ。
食事中、ただの名前のようにジュジュと呼びかけられるのが辛く、殆ど兄さんに話しかけることが出来なかった。
勉強を通じて少しは親しめるかも知れないと思っていたのに、『ジュジュ』と呼ばれながら、その実嫌われているのだと、これから何度も受けるだろう拒絶の度に、一層辛く感じるのだろうなと悲しくなった。




