2 この部屋可愛いね
「可愛い!この部屋可愛いね。ちょっと、どうするジョエ」
部屋の内側からドアを閉めてその前に立つ大きなジョエを見上げて言うと、呆れた顔をされた。
案内の女官が部屋を出て行くまで、この部屋の可愛さに悶えたいのを必死で堪えていたのだ。
「阿呆か。こんなのが好きなのか。俺はこの少女趣味の部屋に男が住むのかと思うと気持ち悪い」
ジョエが豪奢で広々としたうえに信じられない程可愛らしい部屋を嫌そうに眺める。
高い天井に合わせて縦に長い大きな窓には、艶やかな深い赤のカーテンがたっぷりとひだを作り纏められている。
ドアの落ち着いた白と壁の淡い青緑を基調とした室内は明るく、各所に使われる深い赤や薄紅、そして小花の模様が乙女心を刺激した。
広い空間に繊細な曲線をもつ細い脚で統一された家具が配置され、小躍りしたくなるほどに可愛い部屋だった。
「楽しそうだね。君が気に入って何よりだよ」
室内の中央には、カーテンと揃いの生地を張った華奢なソファが配置され、それにゆったりと腰を下ろしていた兄さんが笑った。
青みがかった深い赤に金糸で刺繍の施された落ち着いた色合いは、綺麗な兄さんにとてもよく似合っていた。
距離が有る為、透けるような青の目の色は見ることが出来ないが、弧を描く口元の上にある冷めた視線は疑いようもなかった。
男の兄さんがこの部屋を好むはずもないわね。
部屋の主でもないのに一人ではしゃいだ自分が虚しくなった。
「兄さんに良く似合ってるわよ、この部屋。本当に姫様みたいだわ」
早速解いてしまっていた乱れた金の髪が、肘をついた真紅のソファの背に流れる様は何とも艶めかしかった。
「ありがとう、ジュジュ。あまり嬉しくはないけどね」
兄さんがにっこりと皮肉を返し、ジョエが笑った。
これでも旅の間よりは随分ましになった。旅中の兄さんの態度と言ったらなかった。
優しい顔をしながら冷めた目で笑うだけ。最初のうちは言葉を返してくれることすら殆どなかった。
極力私と離れていようとする空気を隠しもしなかった。
あんな状態の旅で兄さんに対して爆発することなく、何とかここまで会話が成立する様になったのは、ひとえにジョエのおかげだった。
本当に二人きりじゃなくて良かった。気づまりと腹立ちで窒息死するところだった。
私達兄妹の両方と仲良しで、いつでも陽気な空気の読めない幼馴染にこっそり感謝した。
「じゃあ私、食事運んでくるから」
先ほど案内の女官に、厨房へ取りに行くよう言われていたことを思い出した。
一応伝えながらドアの方へ向かうと、兄さんの声が追いかけて来た。
「僕は要らないよ。ジョエと食堂で食べておいで」
「はあ?さっき、ご飯が待ってるよって言ってたじゃないの」
振り返ってそう言う私の頭をジョエが小突いた。
「食い意地張ってんのはお前だけだってことだ」
「何ですって?ジョエの方が大飯食らいのくせに!」
ジョエに噛みつく私を兄さんの静かな声が遮った。
「ジュジュ?ここが何処だか覚えてる?部屋の中でまで演技しろとは言わないけど、そんな調子じゃあ即刻ばれて打ち首だよ?」
わざわざ偽名で私を呼ぶ兄さんに腹が立つが、確かに打ち首は嫌だ。
「分かった。気を付ける」
膨れて言う私に兄さんが微笑んだ。
「ねえ、護衛なのに対象を一人残してご飯なんか食べに行ってて良いの?」
隣を歩くジョエを見上げながら尋ねると、ジョエが朗らかに笑った。
「雇い主が良いって言ってんだから、良いんだろ。外には後宮付きの衛兵も無駄に大勢いるし、ここに来るまでよりよっぽど安全だ」
ジョエが言っているのは、道中と言う意味ではなく、私達の住んでいたあの荒んだ街のことだろう。
確かにあそこに比べればましだ。
「そうね。私、ここの廊下に住んでも安心して寝られるかも知れないわ。何人寝られるかしら」
長い廊下の脇に延々と並ぶ布張りのベンチを見ながら言うと、ジョエがまた笑った。
「それにしても、どこもかしこも少女趣味だな」
確かに姫達の部屋だけではなく通路までも薄紅色が基調で、ベンチの向かいに並ぶ大きな窓に映る木々の緑との対比は何となく目にきつかった。
「まあ後宮だもの。女しかいないんだから別にいいでしょ?可愛いってだけでウキウキするわ」
「簡単な奴だな。可愛いもんにつられて変な奴についていくなよ」
馬鹿にしたようなジョエを睨む。
「行かないわよ。子供じゃないんだから」
ジョエがもう一度馬鹿にした様に私の身体を一瞥した。特に胸周辺を。
「何が、子供じゃないんだから!だよ」
私の真似だと思われる気持ち悪い声を出すジョエの足を、靴で踏もうとしたがすいと避けられ、それを繰り返しながら通路を進んだ。
「おい、もう止めろ。人がいる」
ジョエの足元に集中して前を見ていなかった。我にかえって顔を上げた。
「了解」
小声で呟き背筋を伸ばす。
最後に足を踏んでやろうかとも思ったが、こんなくだらない事の為に打ち首になるのは絶対に嫌なので耐えた。
ジョエがどこぞの警護の人間だと思われる、ジョエに負けないぐらい体格の良い男に道を尋ねていた。
「あっちだってよ」
しばらくして戻って来たジョエに続いて歩き出す。
「お前、ちゃんと道覚えとけよ」
ジョエが急にお兄ちゃんの顔になってそう言った。
「うん、頑張る。何か似たような通路ばっかりで分かりにくいけど。作りは簡単そうだもんね」
「ああ、あっちの宮との間に厨房とか洗濯室とか使用人用の棟が集まってんだってよ」
「成る程」
この城には2つの後宮がある。
正式な側室である妃が住まう第一の宮と、その他が住まう第二の宮だ。
勿論こちらはその他のための宮であって、ここにいる者たちは姫とは名ばかりの地位の無い金持ちの娘が主らしい。
王が渡ったとしても子を作ることは許されず、言わば王専用の娼館のようなものだ。
姫となり自分、或いは家名に箔を付けるのが目的の者か、高額の手当と手厚い待遇が目的の者か。
いずれにせよこの宮にいる姫達は私達と変わることのない下賤だ。
「他にお金使うべきところがあるでしょうにね」
私が言いたいことが分かったのだろう。ジョエが優しい顔をした。
「全くだな。だが誰が聞いてるか分からねえぞ。部屋の外では腹ん中で思うだけにしとけ」
頷いた私の頭を、ふざけてて馬鹿だけど、優しいジョエがぽんと叩いた。