1 後宮入りしました
動かないで。お願いだよ。お願い。声を出さないで。
ごめん。ごめん。ごめんね。許して。大好きだよ。僕のジュジュ。
* * * * * * * *
「ユリ様」
門前に立つ衛兵達にもひけをとらぬ堂々とした体躯のジョエが、いたずらな目をして、後宮入り口に停められた馬車へと、その大きな手を差し出した。
長旅用のくせに細かい装飾の施された黒光りする馬車は、王城の一郭にあっても然程違和感の無いものだった。
たった今、私とジョエが降車したその馬車から、日の光を吸い取ったかのように艶めく金の髪と、その華奢な長身に映える、白く流れ落ちるような優美な衣装が現れた。
ジョエの手を取り、顔を上げて緩く微笑むその容姿に、辺りが粛然とする。
それを肌で感じ取っているだろうに一向に構う気配のない渦中の人は、たおやかな動作で踏み台へと足を掛け地上に降り立った。
かかとを覆うほどたっぷりとした衣装の裾と、肩に流れる金色の髪が、身体の動きに合わせ滑らかに揺れる。
止まっていた空気が再び動きだし、波紋が広がる様に場が騒めき始めた。
それもそのはずで、ゆっくりと私に近付いて来るその後宮の新しい住人は、神々しいほどの美貌とそこに滲むひそかな陰との危うい調和により、得も言われぬ美しさを放っていた。
目前に迫ったその人に、不自然にならぬ程度に頭を下げ礼の姿勢をとる。
「ジュジュ」
落ち着いた静かな声で名を呼ばれ、自分のことだと気付き顔を上げる。
「はい」
私を見下ろす長い褐色の睫毛が光に透け、その下の瞳をも明るく照らす。
澄み切った空の色と同じその淡い青の目が、冷めた色を隠すように細められた。
「行きましょう。宮の中で美味しいご飯が待っているわ」
周りに聞こえない程度の小さな声であるにもかかわらず、警戒してか皮肉を込めてか、わざとらしい口調で言い微笑むその人の背後で、更に背の高いジョエが口元を歪めた。
笑いたいのを堪えているのだろう。
「はい、ユリ様」
無表情で返事をし、呆けていた最寄りの衛兵に声をかけた。
「本日より後宮に上がります」
類まれなる美人に騙され見惚れていた若い兵が、たった今私の存在に気付いたという様子でこちらを向く。
「書状と荷の検めをお願いできますか?」
「は、はい!只今」
若い兵は、緩く微笑む少々年のいった姫に視線を戻し、目を合わせて顔を赤らめた。
国の末端に位置する荒んだ田舎都市から、うんざりするような時間をかけてこの地を訪れた兄は、国中の美女が集うだろうこの場所においても、やはり美女だった。
そう。この、人の目を集めて止まない儚げな美貌の姫は、大嫌いな私の兄だ。