16 好きだった
どう考えても異性として意識しているのは自分だけだ。
鏡の中の自分を見ながら思う。
兄さんのものとは何もかもが全く違う重たい髪を、洗面台に溜めた水に浸す。
艶やかに磨かれた白い石で造られた洗面台に、泥色を水に溶かしながら真っ黒の髪が現れる。
茶色に濁った水を入れ替え、もう一度白い石に溜めた澄んだ水に髪を泳がせると、このままその白に私の髪の色が吸い取られてしまえば良いのにという懐かしい気分を覚えた。
別に今、ジョエのことを好きだという訳ではない。子供の頃は好きだった。
憧れとか好きとか、その種類は今さら分からないけれど、とにかく確かにジョエが好きだった。
空腹に耐えきれず道端でうずくまっていた私にパンのかけらを分けてくれた時から、おばさんと同じく優しいジョエは私達に偏見を持たず接してくれた。
ジョエのうちの納屋に置いて貰うようになってからも、ちっとも帰って来ない兄さんとは違い、ジョエはおばさんの手伝いをしながら私と遊んでくれた。
子供だった私がジョエを好きにならずにいられたはずはない。
綺麗な兄さんと私を比較するジョエのからかいに、何度、兄さんのように綺麗になりたいと願ったか分からない。
願ったって変わること等なかったどこまでも黒い髪をきつく絞り、布で押さえてから軽くまとめる。
兄さんを嫌いな要因の一端はジョエに責任があるような気がする。
くだらない兄さんへの劣等感を私の頭に植え付けたジョエが憎らしい。
切ない思いとともに感じていたその憎らしさが、今ではどうやらただ憎らしいだけのようだった。
泥だらけの帯を解き、同じく泥だらけの衣を足元に落とす。
私達の出身地ということになっている遠方の属国のこの衣は、祭礼用の衣装の様な見た目に反し、前の合わせを開くだけであっと言う間に裸になれる。
この国で一般的な富裕層のドレスは勿論、平民が身に着けるシャツとスカートにしてもこれよりは余程面倒だ。
兄さんに強要されているこの鬱陶しいものさえなければ、もっと楽なのだけど。
外衣の生地を通り越し腰に巻いた分厚い布にまで泥がしみ込んでいた。
汚れたそれらを全て取り去って、新しい布を畳みもう一度腰に巻き付けた。
出っ張った胸と腰回りの分厚い布をつなぐようにして、もう一枚広めの固い布で全体をきつく覆い、紐でしっかりと固定する。
その上にようやく新しい紺色の衣を羽織って腰帯を締めた。
私に用意されていたこの衣は兄さんのものと形こそそう違わないが、生地が分厚く固く布の量も少ない。
どちらも裾が長く腰帯で胸を強調する線が女らしいと言う点では変わらないが、私の衣がぱりっとした印象を与えるのに対して、兄さんの薄く柔らかいたっぷりとした生地で作られたそれは、身体の動きに沿って美しく揺れ、ふわふわと風になびく優しい印象のものだった。
兄さんの様な優美さやたおやかさなど全く見えない、まさに幼い子供の様な自分の姿を鏡に映し、しわや捲れている部分がないか確認する。
自分のこの姿が人の目にどの様に映っているのか自覚はしているが、ジョエの再三の子ども扱いには腹が立った。
無骨な生地でも美しい形の衣だ。
身体の線を隠す腰回りの布がなければ、いくら私でも少しはましに見えるだろうと思う。
この鬱陶しいものを、ジョエの目の前で抜き取ってやりたかった。
顔はともかく、今では兄さんよりも私の方が女よと。
そうすれば、いやらしく馬鹿なジョエの鼻を明かすことが出来てスッキリしそうだ。
でももし、本当に女だと意識されたとしても嬉しいばかりではないような気もする。
恰好良くて頼れる優しいお兄ちゃんと言う絶対的な存在だったジョエが、他の男と同じくいやらしくて下品な人間なのだと、人より優しい事は確実だけど同年の男よりむしろ子供っぽいのではないかと、そろそろ分かりかけていた。
意識されていないと言う事実に腹は立つけど悲しくはないことから、私の心がジョエから随分離れていたと感じる。
それでも好きだったころの名残か、実際誰が見てもそうなのか、やけに姿形が恰好良く見えることがあり、大人げないジョエのべたべたする振る舞いに苛立ちつつ動揺する自分がいるのも事実だった。




