9 身分証をお持ちですか
「うっっわあ!」
そこは想像も出来ないくらい素晴らしい場所だった。
大きな建物を埋め尽くす本、本、本。
それは整然と並ぶ背の高い棚に並ぶばかりでなく、高い天井までを埋め尽くす壁面いっぱいに作りつけられた棚にまでぎっしりと詰め込まれていた。
びっくりして口を開いたまま入り口で固まっていると、後ろから人にぶつかられた。
「あ、ごめんなさい」
慌てて後ろの人に頭を下げて、もう一度図書館の中を見渡し改めて驚いていると、私に気付いたジョエが前方から戻って来た。
「何やってんだよ。そんなとこで固まってたら邪魔だろ」
腕を引かれて図書館の中に引き込まれる。
「ちょちょちょっと。私入って良いの?怒られない?」
ジョエの力に無駄な抵抗をしながら尋ねると、馬鹿にした顔で見られた。
「出来なきゃあいつに行けって言われるわけねえだろ。朝部屋に来た女官が使えるって言ってたんだよ。さっさと利用の手続きして来い」
どんと背中を押され入り口脇にあるカウンターのある場所に追いやられる。
そこでは本を持った人が、カウンターの向こうの人と何かやり取りをしていた。
近くまで行ってみると、カウンターの向こう側で作業をしていた若い男性が私に気付き顔を上げた。
一瞬私を見て僅かに驚いた表情を見せた後、立ち上がり軽く頭を下げられた。
こちらも頭を下げ返すと、にこっと笑ってくれた。
「こんにちは。ご利用は初めてでいらっしゃいますか?」
優しそうな落ちついた声で安心した。
「こんにちは。はい、初めてで何も分からなくて」
そう言うと、椅子を勧められた。
その男性も私が腰を降ろすとすぐに向かいの席に腰掛け、書類を出した。
「最初に簡単な身分証明の手続きをしていただきます。後日からは入館の際にこの券を提示いただければ館内での閲覧は自由です。館外への貸し出しの際にはこの場所で手続きが必要となりますので、こちらまでご希望の本をお持ちくださいね。あと、どんな本が必要かは私達係りの者に尋ねていただければお手伝いいたしますのでご遠慮なく。お名前をよろしいですか?」
そう言って書類の名前の欄にペンを構えて尋ねられた。
「はい、ジュジュ・シュラウドです。主の使いで来ているのですが、私の名前で構いませんか?」
男性が名前を記入することなくペンを置き、血の気が引いた。
何かまずいことを言ったかしら。
焦りを顔に出さぬよう横目でジョエの姿を探すが、後方にいるのか見つからなかった。
「やっぱり昨日後宮に上がられた姫様の所の方ですね?お名前をいただいています。身分証をお持ちですか?」
優しい声に首を傾げると、笑われた。
どうやらここでも子供だと思われている様だ。
「お付の人達は直接一人ずつ女官に手渡されていると思いますよ?昨日城内に入る時何か貰いませんでしたか?」
子供扱いがありがたい。とても優しい。
「これですか?」
失くさないようにとジョエによって皮紐に通された銀の小さな札を胸元から引っ張り出す。
迷子札の様なこの持たされ方も、一層子供らしさを主張しただろう。
何も考えず便利だと首にぶら下げていた自分が恥ずかしい。
紐を首に通したままのその札を男性が手に取り顔を近づけた。
思わずのけぞりそうになったが、なんとか耐えた。
男性も私のことを子供だと信じていなければこんなことはしないはずだ。
首から外され手渡されるのを待つだろう。
案の定、男性は何の下心もない真面目な顔で見分を終え、顔をあげた。
「はい。間違いなく。では手続きもこれで終わりですので、ゆっくり見て行かれて下さいね。分からないことがあったら職員に聞いて下さい」
「はい。ありがとうございます」
ぺこっと頭を下げると、また優しく笑って貰えた。
子供って得だ。
まあ、豊かな土地だからこそだけど。
貧しい土地では子供は圧され、虐げられ、搾取される。
運が良くなければ生き残れない。
子供で良かったなどと思うのは、王都に来てからが始めての経験だった。
「ああ、あと、あなたの様な遠方出身の方は目立ちますからね。ここも色んな人間が利用してますから、変なのに声をかけられた時もすぐに職員に知らせて下さいね。緑の制服が職員だからね?気を付けてね」
最後なんて丁寧語も取れてしまっている。
余程子供好きの様だ。
「ありがとうございました」
椅子から立って頭を下げると、良く出来ましたと言わんばかりの笑顔で手を振ってくれた。
恥ずかしかったが子供らしく軽く手を振り返してテーブルを離れた。
ジョエが私を見て笑いを堪えていた。
本当に腹が立つんだから。
「どこ行っても人気だな。ジュジュちゃん」
「煩いわね」
ジョエを見もせずに言い捨てて、本棚に記された案内を見て行く。
「ああでも、幼女趣味の変態もいるからな。本気で気を付けろよ?お前どうせ時間かかるだろ。俺ついでだから、ベッドの手配とかその辺見てくっから」
「幼女って。そこまではないでしょ、流石に」
ジョエの本気の声にげんなりする。
「じゃあな。勝手に帰るなよ。さっきの受付の男から目の届く席で本読んで待ってろ」
勝手に帰るなと言ったジョエは、勝手にあのお兄さんを私の世話係にしてさっさと去って行った。
この本の楽園に興奮しないなんて信じられない。
ここにある本、1年でどの位読めるかしら。こんなに自由に、しかもただで本が読めるなんて絶対に今しかない。
今まで知識を広げたくても方法がなかった。
兄さんのくれたお金を学校で使う以外の本に充てる場合もありはしたが、好きなだけなんて到底無理だったし、良い本を手に入れる手段もなかった。
学校で金持ちの友達でも出来ていれば違ったのだろうが、生憎友達と呼べる人間は一人も出来なかった。
教師でさえも私に本を貸してくれるような人間とは出会えなかった。
一日に数冊読んだって到底終わらない量の本が目の前に広がっている。
読めるだけ読まなきゃ。仕事なんてなくても良い。やることが出来た。
凄く嬉しい!兄さんに感謝しなくちゃ。ここに連れて来てくれてありがとうって。
戻ったら抱き付いてお礼を言っても良いような気分だった。
兄さんにも面白い本を選んであげよう。
それだって私の仕事と言えるだろう。
良し。選ぶぞー。




