7:流行トリップ
『流行のゲーム』と言われても、今一つピンとこない。
なにせ世界中にゲームは溢れ、俺が死んだ後も続々と新作が発表されているからだ。
そんな業界なのだから流行り廃りも早く、そして次に何が流行るのかも分からないまさに混沌と言えるだろう。
え、大袈裟だって?
モンスターを狩るゲームが出たと思えばモンスターを捕まえて。
戦艦を名乗る美少女達に慕われていると思わせてババァとひたすらクッキーを焼く……これを混沌と言わずに何というのか。
「せめてババァじゃありませんように……」
クッキーを焼きながら変形していくババァだけは勘弁してくれ……と心の中で願いつつ、俺はそっと目を開けた。
そこに居たのはババァ……ではなく、数人の男女と獣。もっとも、獣と言っても膝丈サイズで狂暴性は感じられず、むしろキャラクター特有の可愛らしさを感じられる。
彼等の共通点は分からないが、そんな数人の男女と獣が顔を突き合わせて酒を飲んでいるここは……酒場?
「……なんだ、ここ?」
「お、なんだ新入りか?」
どうしたものかと立ち尽くしていると、酒を飲んでいた数名のうち男が俺に気付いて片手を上げた。
こっちに来い、ということなのだろう。いかつく強面ではあるが気さくな雰囲気もする、気の良いおっさんと言ったところか。
しかし、果たして彼の呼びかけに応じていいものか……。
ここがどんなゲーム世界か、なにをすべきなのか、何一つ分からない状況で不用意に近付くのは危険に思えるのだ。もしかしたら敵かもしれない。
話しかけたら突然戦闘に……なんてことになってみろ、向こうは大勢こちらは一人。おまけに彼等は武器を持っているようだし、敵うわけがない。
だが正直な話、突っ立っていても何も始まらない。
それに、久々にまともな人間に――ゲーム世界の人間だとしても――出会えたのが嬉しくもある。
そりゃ、ブロックにズー、人間とはいえ俺に見向きもしない溢れかえる人ごみ、そんな世界にばかり飛ばされていたらまともな人間が恋しくなるのも仕方あるまい。
久々に誰かと話がしたいのだ。まともに通じる、有意義な、そんな人並みの会話をしたい。
……え、自称神様はどうなんだって?
あれは駄目だ、会話のキャッチボールをしようにもボーリングのボールを全力投球してくるタイプだ。
そう考え、俺は若干警戒しつつも彼らのテーブルへと近付くことにした。
「あの、ここは……」
「よぉ新入り、よく来たな!」
「あら、結構いいの引いたみたいね」
男の隣に座っていた、まさに『女戦士』といった出で立ちの女性が俺を見てクスクスと笑った。
真っ赤な髪に同色の瞳、凛々しさを感じさせる美しい顔つきに、それに見合ったグラマラスな体には水着同然の衣装。
露出度の高い、まさに『ゲーム世界に居そうな女戦士』そのものだ。
……おかしいな、この手のタイプのキャラクターは好きなはずなのに。
くっきりとした胸の谷間とか、隠すもの一つもない括れた腹部とか、短いホットパンツからのびる肉付きの良い脚とか。
ゲームで言えばかなり好みの女性なのに、なぜだろう……なぜだろうか……。こう目の前にすると魅了されるより先に
も っ と 防 具 つ け な よ 、と心配が勝ってしまう。
見れば女戦士の勇ましさを現すためなのか、彼女の体中に傷がついている。
胸の谷間を強調するような傷跡や、太ももの傷、腹部にもあるあたり歴戦の女戦士なのだろう。
防 具 つ け な よ 。
「い、いや、今はそんなことを考えてる場合じゃないか……」
「なにブツブツ言ってるんだい?」
「い、いえ! 別に……それで、あの……ここはどこですか?」
「ここは控室さ」
「控室?」
「そう、次の戦闘までここで待つの」
そう言って、女戦士が勢いよくジョッキを煽った。
その姿はまさに男勝りというやつだ。
見れば、空になったジョッキが彼女の周りに集中している。隣に居る男の方が見た目は豪傑だが、根は女戦士の方が勇ましいのかもしれない。
そんな女戦士に促され俺も席に着いたわけだが、そこで初めて目の前におかしなものがあることに気付いた。
……なんだ、あれ。
オレンジ色、いや、肌色と言った方が正しいのか。
形を言うなら楕円に近く、細かな線が何重にも描かれている。
それが、まるで酒場の空中に壁があるかのように漂っていた。
それも何度も、まるでこちらに来ようとするかのように一度離れては近付き、時にはゆっくりと斜めに移動している。
例えるならば、この酒場に綺麗に磨かれたガラスの壁があり、それを越えようと肌色の楕円が押し付けられている、そんな感じだ
あれはいったい何なんだろう……?
「あの、あれって何ですか?」
「アレか? アレはマスターだ!」
机にちょこんと座っていた小型の獣が、ジョッキを両手に持ちながら元気よく答えた。
クリっとした丸い瞳にふわふわの毛、それでいてしっかりと防具と武器を持っているのだから何ともゲームのキャラクターらしい。
「マスターって、このゲームの? いったい何のゲームなんだ……」
「ところで、あんたランクは何だい?」
「俺? ランクですか?」
「そうだよ。ちょっと失礼」
そう一言告げて、女戦士が俺に視線を向けてきた。
なにか値踏みをされているようなその視線に、思わず背筋を正してしまう。
しかしランクとは何の話だ? 何か見てわかるのか……?
そう尋ねようとした瞬間、女戦士が「ふぅん」と満足そうに頷いた。
「やっぱりノーマルか。まぁそんなもんかね」
「あの、ノーマルって?」
「安心しな、あたしもノーマルさ。もちろん、チミッコもおっさんも同じさ」
だから大丈夫と、楽しそうに笑いながら女戦士が俺の肩を叩いてくる。
が、俺としては同じと言われたところで安心も何もない。むしろ疑問が更に増えて混乱状態だ。
ノーマルってなんだ?どういうことだ?
それを解き明かせばこのゲーム世界を知るヒントになると考え、俺はバシバシと肩を叩いてくる女戦士からゆっくりと距離を取り、豪快に肉に食いついていたおっさんに視線を向けた。
「あの、ノーマル以外の人は……」
「ノーマル以外?」
「はい、その……いるんですよね」
恐る恐る、探る様に尋ねてみる。
ここで「俺は何も知りません」と無知を晒すのも迂闊だと思えたのだ。
さすがは自称神様が『流行のゲーム』と言っただけある。ここは以前に飛ばされたテト〇スだのズー〇ーパーだのとは違う、正真正銘ゲーム世界だ。
多分探してもウォー〇ーはいないし、きっとクッキーを焼くババァも居ない。
だからこそここは慎重に……と考えたが、そんな俺の様子が面白かったのかおっさんがゲラゲラと笑いだした。
「なぁに心配してんだ。大丈夫だ、俺達のマスターは運が無いかなら」
「運が無い?」
「そうだ。だからレア以上の奴なんて来るわけがねぇ
課 金 し な い か ぎ り な 」
……何気なく放たれたその一言に、俺は全てを理解した。
なるほど、確かに流行のゲームだ。
それもここ最近のゲーム。電車に乗れば誰かしら一人はやっているような流行ぶり。
携帯電話の目まぐるしい変化に伴い生まれた、まさに時代の象徴ともいえるゲーム……。
えぇ、ソーシャルゲームですね分かります。
ガチャですね、知ってますとも。
俺はガチャで出たノーマルカードなんですねそうなんですね!
「あの駄神……いや、言ってることは正しい。間違ってはない……でも殴りたい。今どうしようもなく殴りたい」
テーブルに突っ伏してブツブツと恨み言を呟いていると、そんな俺の様子を心配したのか皆が声をかけてきた。
なんて良いやつらなんだ。
水を持ってきてくれる女戦士、そっと背を撫でてくる獣のふわふわの手、おっさんが肩を擦ってくるのは若干痛いのだが、それも含めて彼らの優しさが伝わってくる。
なんて良い仲間だ。
ノーマルカードですけど。
ていうか、カードですらないデータですけど。
あとなんか良く見るとみんなイラストレーターが違うからか若干顔つきとかがまちまちですけど。
だが良い仲間だ。
そう考え、俺は顔を上げた。確かに一般的なゲーム世界とは違うかもしれないが、このメンバーとなら良いじゃないか。
そうだ、皆で戦って……いくのか? これなんのソーシャルゲームだ? パズル的なあれか?
「えーっと、とりあえず戦ってみたいんだけど」
「お、なんだ新入り、やる気だな」
「はい。まぁ、戦ってみてちょっと様子を探ってみようかなと」
「そいつは威勢が良くていいな。だがしばらく待たなきゃだめだ」
「……なんでですか?」
「そりゃお前
6分で1ポイント回復するからだ」
……さいですか。
それを聞いて俺は、自分でも驚くほど落ち着いた気分で椅子に座りなおした。
なんというか、今までのことがあって精神面で強くなったのかもしれない。
そうして諦め半分達観半分の気持ちで、俺は未だに宙を漂う灰色の楕円を見上げた。
ムニュムニュと、まるでガラスの画面に押し付けているかのように漂う細かい皺の入った楕円……。
あれ、多分ひとの指だな。
・・・・・・
最初こそ諦めのような気分で過ごしていたが、この世界は住んでみると案外に悪くない。
ソーシャルゲームらしく戦闘は分かりやすく、そして若者向けなのか随分と難易度は優しく設定されている。
おかげで数日で俺のレベルも上がり、酒場のメンバーとも戦友らしい絆を築けていた。
「よぉ新入り、お疲れさん」
そう告げながら酒場に戻ってきたおっさんに、彼より先にテーブルに着いていた俺がジョッキをかかげる。
「おっさん、いつまで俺のこと新入り扱いしてんだよ」
「なんだ、ここじゃお前が一番新しいだろ。他には素材カードしか引いてないんだからよ」
「まぁそうなんだけどさ。しかし、マスターとやらも運が悪いよな」
笑いながら、俺は酒場の一角に視線を向けた。
そこには相変わらず肌色の楕円が、まるでガラスに押し付けられているかのように漂っている。
というか、あれは指で画面を押しているのだ。生前は何の気なしにやっていた操作だが、こちらから見ると指紋がはっきりと見えて些か気持ち悪いものがある。
「だがマスターが素材カードばっか引いてるから俺達も強くなれるんだろ」
「確かにそうだけど……ん?」
ふと、慌てて走ってくるような音が聞こえ、俺とおっさんが揃えて音のする方向を見た。
……といっても所詮はソーシャルゲーム。自由性は皆無に等しく、酒場とマップとあと幾つかの場所しか存在しないのだが。
まぁ、そんなことデータでしかないカードの身で考えても無駄だ。そうあっさりと開き直り、音のする方へと意識を向ければ……
「た、大変だよ! SSRカードが出た!!」
と、顔なじみの獣が酒場に飛び込んできた。
その腹部には『合成素材確定』の文字が…………!
「な、なんだって! どういうことだ!」
「なんだよ、なんでお前が素材になるんだよ!」
おっさんが慌てて立ち上がり、俺も同じように続いて獣へと駆け寄る。
そして忌々しい文字を消すように体を拭ってやるも、彼の身体に刻まれた『合成素材確定』の文字が消えることは無い。
当然だ、これは汚れでもなんでもない……。
カードを強化するための、合成。
それに使用される素材。それを見せ締めるための文字なのだから……。
だけど、だけどそんな……。
「なんで、どうしてだよ……お前だって戦力だろ……?」
何度拭っても消えない呪いのような文字に、思わず俺の声が震える。
だが仕方ないだろう。合成素材に選ばれた者がどうなるのか、そんなこと考えなくとも分かっているのだ。
現に、俺も幾度か『素材カード』と呼ばれる下級モンスターが合成されていくのを見てきた。
眩い光に包まれ、かと思えば一瞬にして消えてしまう。そしてベースになったカードは強化されていて……例えるなら跡形もなく吸収された、そんな感じだ。
今までは喋ることも出来ないモンスターゆえ情も湧かなかったのだが、それが今目の前、共に戦ってきた仲間の身に起こるのだと考えれば寒気さえ覚える。
「嘘だろ、居なくなるのかよ……」
「ごめんよ、僕やっぱりノーマルカードだからさ……」
「そんなこと言うなよ。ここまで来れたのはお前が居たからじゃないか……なのに……」
震える俺の声に、獣が優しく微笑む。頬を撫でてくれる柔らかな手とひんやりとした肉球が心地よく、それが更に涙を誘う。
そうして再び腹部の文字を拭ってやろうとした瞬間……
「諦めな、これからレア以上のカードが次々やってくる」
と、無情な声を聞いた。
見れば酒場の入り口に女戦士の姿。女だてらに逞しく、俺達の頼れる仲間……。
その腹に、括れた美しい腹に、やはり『合成素材確定』の文字が……。
「な、なんで……」
「仕方ないのさ。いくらレベル上げようが、SSRには適わないからね」
「そんな、どうして……だってマスターは運が悪くて……」
我ながら情けない声を出しながら、俺は酒場の一角に視線を向けた。
そこには『マスター』が、いや正確に言うならば『マスターの指先』がいつも通りに画面を押して、こちら側に指紋を見せてつけている。
その動きになんら変わったところはないというのに……なぜ突然SSRなんてカードを引いたのか。
そう疑問を抱いた俺の思考に、一つの考えが浮かんだ。
それは背筋を寒くさせるような、そしてすぐさま振り払いたくなるような、そんな恐ろしい考えだ。
だが「有り得ない」とは言い切れない。むしろこのゲーム世界が『このゲーム』だからこそ、有り得ること。
だけど、そんな……でも……。
「まさか……マスター、あんた……」
課 金 し た の か ?
その瞬間、小さく呟いた俺の言葉に被さる様に腹部に衝撃が走った。
見ればそこには……そうだ、『合成素材確定』の文字だ。
所詮俺もノーマルカード。強いカードが手に入れば、それを強化するために使われるだけの存在。
そう考えれば諦めよりも惨めさが募り、思わず目頭が熱くなった。どんなに悔しくても足掻きようが無いのだ。
全てはマスター、指紋を見せつけてくる指先が采配を握っている。
「くそ、まだ戦い足りないのに……俺、もっと皆と戦いたかったよ……」
「諦めな新入り、これもまたノーマルカードの運命だ」
「おっさん……あんたもか」
「あぁ、きっとSSRが手に入って全員をぶっこむつもりなんだろ。なに、みんな一緒に合成されるだけ運が良い」
そう笑うおっさんの傍らに、獣が寄り添う。
いつのまにか女戦士もその隣に立ち、俺へと手を伸ばしている。
そうか、みんな一緒に合成されるのか。それなら良いのかもしれない……。
そう考えて俺も彼等へと手を伸ばせば、指先が触れた瞬間に意識が白んでいった。
意識が消える瞬間、目も眩むような美少女の描かれた、黄金に輝くカードが見えた気がした。
でもどうしてか、その美少女をまったく魅力的に思えなかった。
意識を戻せば、お馴染みの白んだ世界である。
「おかえり六郎君、おかえり!」
嬉しそうに自称神様が出迎え、長く――そこまで長くはないだろうが、彼女曰く長く――トリップしていた俺を労ってくれた。
だというのにどうしてだろう、今回限りは彼女の顔面を鷲掴みにする気も、踏みつぶす気も、土下座させる気にもならない。
ただ胸を占めるこの痛みは……。
「あれ、六郎君? どうしたの?」
「なんでもない……ほら、次のトリップ先を持ってこいよ」
そうはたはたと手を振れば、自称神様が目を丸くして俺に視線を向けてきた。
だがそれにも返してやる気になれず、俺はその場にゆっくりと腰を下ろすと深く溜息をついた。
なんとも切なく、やりきれないトリップだった。