エピローグ
少年がふと目を覚ませば、真っ白な世界に一人で佇んでいた。
周囲を見回せど誰もおらず、シンと静まった空気が妙に寒々しい。
人の声はおろか日常的な騒音も、ましてや風の音さえも聞こえてこないのだ。まさに静寂。
「えっと……ここは……」
どこだ?と少年が周囲を見回すも、延々と白一色だけが続いている。目を細めたところで何もなく、地平線といったものも見当たらない。
白だ。真っ白。これ以上ないほど白く、見ていると眩暈がしてきそうだ。
そもそも、どうしてこんなところに居るのか……と目を覚ます前のことを思い出そうとすれば、記憶に蘇るのは高速で走ってくるトラック。
そうだ、トラックにはねられたんだ。正確に言えば迫ってくるトラックに驚愕して目をつむり、全身に衝撃が走り抜け……今に至る。
だがそこまで思い出せたものの結局ここがどこなのか分からず、一人佇みながら首を傾げる少年の視界に、ふっと人影が映り込んだ。
「だ、誰!?」
「はじめましてこんにちは! 私は神様だよ!」
よろしくね!とテンション高く自己紹介をし、それどころか握手を求めてくる少女。
それに対して少年は圧倒されるように僅かに身を引き、「神様……?」と訝しげに呟いた。当然だが、差し出された右手に応える余裕もない。
「そうだよ、私は神様!」
「……あ、もしかして、これって転生とかトリップってやつですか?」
「最近の子は話が通じやすくて有難いねぇ」
手間が省けるよ、としみじみと呟く神様に、少年が事態を理解するやパッと表情を明るくさせた。
なにせ今までの流れは、少年が生前憧れ読みふけった数多の小説のセオリーそのものなのだ。
予期せぬ死、突如現れる神様、その神様から与えられた能力を元に、主人公は異世界で無双しハーレムを築き勝ち組へと成り上がっていく。
「そういうことなんですよね! 俺、異世界にいけるんですね!」
「う、うん。そうだよ。チート能力あげるから、異世界で頑張ってね」
「それでどんな世界に行けるんですか! どんな能力を貰えるんですか!?」
興奮冷めやらぬ勢いで少年が迫れば、今度は神様が身を引いた。
「えっとね、君にあげるのは頭脳系のスキルで」
「頭脳ってことは戦略系ですか!? 軍の指揮官とか!」
「そんな感じかな。冷静に状況を判断し、仲間に最適な動きをさせて、効率的にブロックを消s」
「どうしてお前はテト〇スにトリップさせる!!」
突如現れるやスパーン!とキレのある音をあげて神様の頭を叩く男に、少年が驚いて目を丸くした。
まぁ当然と言えば当然か。誰だって神様と話している最中に、よりによってその神様を叩く不届き者が乱入してきたのだ。罰当たり、なんてレベルではない。
なにより、男が口にしたゲームに覚えがあり、少年が怪訝そうに「……テト〇ス?」と呟いた。
「痛いよ六郎君! どうして叩くのさ!」
「そりゃお前が毎度テト〇スにトリップさせようとするからだ!」
「テト〇スの何が悪いのさ!」
「テト〇スは悪くないが、トリップするゲームじゃないと何度言えば分かる!」
ぎゃぁぎゃぁと喚きあう二人に、少年が唖然としたままそのやりとりを眺めていた。
そうしてふと我に返ると、恐る恐る片手をあげ「あの……」と発言の許可を求める。流石に、この展開に割って入る勇気はない。
「あの、貴方は誰でしょうか……」
「あ、俺? 俺はこいつの……」
神様を叩いた罰当たり男が、チラと神様に視線を向ける。
「俺はこいつ未来の上司だ」
「堂々と下剋上された! 違うよ、彼は六郎君って言って、私の部下なの!」
「今は、部下だ」
「今は!? なんでそんなに下剋上心たっぷりなのさ!」
ビィビィと喚く神様に、六郎と呼ばれた自称神様の上司がふんと鼻で笑う。
不敵なその表情に神を崇める色はなく、それどころか年頃の少女に対する態度としてもどうかと思える。こんな美少女を前に、よくあんな態度をとれるもんだ……と、少年が神様と彼とを交互に見やりながらそんなことを内心で呟く程だ。
「だいたい、神様になるには昇格テストが必要なんだからね! 六郎君がそれを受けるためには、上司である私の許可が必要なんだから!」
「あぁ、その結果なら明後日届く」
「もう受けてる!!」
どうやって!と悲鳴をあげる神様に、対して自称神様の上司はそれらを見事にスルーし、改めて少年に向き直った。
「安心してくれ、俺がちゃんとしたゲームにトリップさせてやるから」
「ほ、本当ですか……?」
「あぁ。エルフやドワーフがいて、剣と魔法で戦う世界……そんなのが良いんだろ?」
「是非お願いします!」
今までの展開で疑惑の色さえ浮かびかけていた少年の瞳が、再びパッと輝きだす。
テト〇スなんてゲーム名を聞いたときは期待はどこへやら不安が胸を占めたが、どうやらこの自称神様の上司は話が通じるようだ。おまけに、こういった手合いのセオリーも知り尽くしているらしく、あれこれと魅力的な条件をあげてくる。
思わず彼の手を取って上下に揺すれば、背後では神様が「私だって出来るもん」と頬を膨らませていた。……その姿から漂う、出来ない子オーラと言ったらない。
「えーっと、ファンタジー世界っていうとダンジョンなんかが良いかな」
「あ、良いですね! あとギルドもあると嬉しいです!」
「はいはい、ギルドな。あと女の子は一通り揃ってて……」
「奴隷! 奴隷お願いします!」
「欲に忠実で良いねぇ。褐色巨乳美人の奴隷とかどうだ」
「是非!」
「それじゃ次はチート能力だけど……」
あれこれと話し合い、しばらくすると自称神様の上司が数枚の資料を見比べだした。
どうやらトリップ先のゲーム世界に関する資料らしく、それを見た少年が「神様云々のくせに紙媒体なのか……」と出かけた言葉を飲み込んだ。
「よし、これが良いな」
「決まりました!?」
「あぁ、最初は不慣れで大変かもしれないけど、君の理想にピッタリな世界だ」
期待してくれ、と自称神様の上司が自信たっぷりに言い切れば、いよいよトリップかと少年の胸が弾む。
これから壮大な冒険が始まるのだ。それも、自分が主人公として紡がれる冒険が……。
既に少年に生前の未練など微塵もなく、あるのはこれから始まる第二の人生への期待のみ。それを少年の表情から察したのか、自称神様の上司がクツクツと笑みを零した。
「それじゃ、頑張ってくれ。俺達はここで見守ってるから」
「はい! 俺、頑張ります! ありがとうございました、貴方たちのことは忘れません!」
「あぁ、そうだと嬉しいな」
それじゃ、と別れの挨拶と共に片手を振る自称神様に少年が一礼すれば、ゆっくりと意識が白んでいった。
残されたのは、神様と〝自称神様の上司”こと六郎の二人。
少年がトリップしていったのを見送ると、二人そろってふぅと溜息をついた。
「最近トリップ多いなぁ」
「ね、いくらブームとはいえ疲れちゃうよ」
「お前は何もしていないけどな」
「酷いよ六郎君! 部下が全然敬ってくれない!辛い!」
「大丈夫だ、明後日にはその辛さも無くなるから」
「受かる気満々だね!」
必死になって訴える自称神様……ではなく〝神様”に、六郎がチラと横目で視線を向けて苦笑をもらした。
あれほど斜め上なトリップをさせられ散々な目に合っていた自分が、その果てに選んだのがこの結末なのだ。笑えてくるのも仕方ないだろう。
だけど……と考えた矢先に、ふと服の端を掴まれて視線を向けた。見れば、自称神様もとい神様がジッと見上げている。
「六郎君……本当にこれで良かったの?」
「これでって、どういうことだ?」
「だ、だってさ……私、最初に言ったじゃん。チートでハーレムなトリップさせてあげるって……でも……」
「六郎君、トリップさせる側になっちゃったよ」と、そう申し訳なさそうに呟く神様に、六郎が思わず小さく吹き出した。
いったい、こいつは今更なにを言っているのか……。
だが彼女からしてみれば深刻な問題らしく、六郎からの返答が無いことに不安を感じ出したのか、所在なさげに視線を泳がせはじめた。服を掴む手も徐々に弱まり、今はもう爪の先で摘まんでいるに近い。
それを見て、六郎が小さく笑って自称神様……もとい、神様の頭に手を置いた。撫でるとも叩くとも違う、ポスンと置かれた感触に神様が目を丸くする。
「そりゃゲーム世界じゃないけど、ここでの生活もある意味トリップだろ」
「そ、そうなのかな……でもチート能力は?」
「神様になるって相当なチートだろ。チート能力を操ってるんだぞ」
「それなら、ハーレムは?」
「ハーレムなら皆が遊びに来るし。ほら、そろそろ来る時間だ」
ピンクの円柱に黄色いブロック、女騎士。他にも今までのゲームで出会った――到底ヒロインとは言えない――ヒロイン達が暇を見つけては遊びに来る。
まぁ美少女と言われれば言葉を濁したいところではあるが、女として考えれば中々の数になるだろう。それに他の仲間たちも顔を出し、一見真っ白だけだと思われるこの世界も結構賑やかなのだ。
次から次へと現れる主人公達の希望を聞き、彼らを理想のゲーム世界にトリップさせる。一件終わったと思えば直ぐに次が現れ時には一息つく暇もなく、先日はまさかのダブルブッキングを起こしてしまい、慌てて片方に延命措置を施して事なきを得たくらいだ。
その合間にも自分達がトリップさせた主人公達を見守り、時には手助けをする。忘れられてしまうのは悲しくもあるが、まぁ二人揃ってならば笑い話にできるから良しとしよう。
そうしてようやく一段落ついたと思えば、今度はゲーム世界からヒロインや仲間達が遊びに来て、彼等が帰るや次のトリップ主人公が……。
と、こんな具合でこちらも随分と賑やかで楽しいのだ。剣や魔法もなければ奴隷もいないが、それ以上のものがあると思える。
それになにより、数えきれぬほどのトリップ小説があり、そして現にここからトリップしていった主人公達もまた数えきれぬ程にいるのだ。例え出発地点が同じだとしても、進む先には一人一人の物語があり、個性があり、数多の選択肢の先にそれぞれの結末がある。
だというのなら……
「たまにはこんなトリップ主人公がいたって良いだろ」
そう言って六郎が笑えば、それを聞いた神様が一瞬キョトンと目を丸くしたのち、嬉しそうに深く頷いた。
…END…




