12:トリップするということ
ズン……と佇むピンクの円柱。
それは傍目から見れば只のプラスチックにしか映らないだろう。柄や飾りのような洒落っ気もなければ、かといってシンプルさが引き立つわけでもない。
安っぽいプラスチックだ。見れば所々が汚れており、足元を見れば擦った後すら見える。
――きっと車に何度も差し込んだため削れてしまったのだろう――
だがそんなプラスチックも、俺の目にだけは違って映る。
単なるピンクの円柱、面白味も無ければ値があるとも思えない、ただのプラスチック。
だけどそれは……俺の妻だ。人生を共にした、常に俺の隣に居て共に波乱万丈な人生を駆け抜けた、たった一本……もとい、一人の妻。
「……懐かしいな」
誰にでもなく呟きながら、そっと円柱に近付いて手を伸ばす。
触れれば堅く冷たい無機質さが伝う。おおよそ人の温かみや柔らかさとはかけ離れたその感触も、今だけは懐かしいと思える。
あの人生で、自称神様にトリップさせられたあの人生で、俺は常にこの堅くヒンヤリとした感触を味わっていたのだ。
そう……。
人 生 〇 ー ム で す。
「……本当に懐かしいな。元気にしてたか?」
撫でながら話しかければ、ズンと佇む円柱はそれに応え……はしない。
彼女は無口なのだ。おまけに何を考えているのか分からない。だがそんなところもミステリアスで魅力的ではないか。
そんなことを考えつつ昔を懐かしんでいれば、円柱の天辺、まるで頭部を模したような球体からヒラと写真が落ちてきた。
「ん? なんだこれ……そ、そんな!!」
その写真を見て、思わず驚愕の声をあげてしまう。
そう、そこに写っていたのは……。
ピンクの円柱とブルーの円柱と、そして数本の円柱。
誰が見てもはっきりと分かる、これはまさに家族写真だ……!
――いや、もしかしたら他の人が見たらピンクとブルーの円柱が乱立しているだけの写真かもしれないけど――
「そ、そうか……再婚したのか……」
手の中を写真をジッと眺めながら妻……いや、元妻を見上げる。
だが彼女の顔――だと思われる球体――は相変わらず無表情で、そこに何を考えているのか読み取ることはできない。
無表情なのだ。おまけに無口。
まぁプラスチックの駒なんだから当然と言えば当然なんだけど、それでも元妻である以上、俺にとっては無口無表情のミステリアスな美人である。
……なんだかジャックフ〇ストの俺を見る視線が妙に冷ややかなのが気になるが、まぁ気付かなかったふりをしておこう。
悪魔とはいえ雪だるまなのだから、視線が冷たいのも普通なのだろう。……多分。
そう自分に言い聞かせながら俺は元妻に話しかけ、相変わらず返答がないことに肩を竦め……ふと、気付いた。
元妻は無口である。というか、冷静に考えると単なるプラスチックなので会話が出来ないだけでもある。だが思い返してみれば、何かを言いたそうにしていたような気も……しないでもない。
――夫としてその曖昧さはどうなのかと思われるかもしれないが、所詮彼女は駒なのだ。もっとも、彼女と夫婦だった当時は俺も駒でしかなかったが――
だが今はどうだろうか?彼女は依然としてプラスチックのままだが、俺には……。
そこまで考え、俺は視界の隅に浮かぶ表示板に視線を向けた。
そう、俺にはバウリ〇ガルがある!!
『……久しぶりね、六郎さん』
そこには案の定、俺への言葉が浮かび上がっていた。言わずもがな、元妻の言葉である。
それを見た瞬間、俺は感動すら覚えていた。なにせ人生を共にしておきながら無口を貫いた元妻と、初めてまともに会話が出来るのだ。
だが改めて会話が出来るとなると何を話せばいいのか分からず、俺は緊張と気恥ずかしさもあって乱暴に頭を掻いた。
「こ、こうやって話をするのも……なんか緊張するな」
『えぇ、そうね……』
「……再婚、おめでとう」
『…………ありがとう』
「優しそうな男だな。開拓地には気を付けろよ」
冗談めいて笑えば、僅かに元妻が揺れた……ような気がする。彼女も苦笑してくれたのだろうか。
そんなぎこちなさを乾いた笑いで誤魔化しつつ、俺は締め付けられるような胸の痛みを感じていた。
ようやく会話ができるようになったのに、彼女はもう俺の妻ではないのだ。別の男と、新しい家庭を築いている。見せられた写真に写る彼女は幸せそうで、その表情は迷い一つないと言いたげだった。
それを捨てられたと感じるのは身勝手が過ぎるだろう。なにせ俺の方が『人生〇ーム』を終えて、彼女との関係を絶ってここに戻ってきたのだ。
捨てたのは俺の方だ。
それどころか、彼女も子供も清算した。
おまけに、それでも開拓地送りだった。
と い う か、そ れ が ル ー ル で す か ら 。
「……よし、現実逃避やめて本題に戻るか」
「……ヒーホー」
プラスチックの円柱相手に昼ドラばりの恋愛ドロドロごっこは止めにして、さて本題に戻ろうと改めればジャックフ〇ストが小さく声をあげた。
彼が終始冷めきった目で俺達を眺めていたのは知っていた。そりゃもう、呆れを通り越したその冷たさと言えば、直視すれば凍傷を負わんばかりである。
「ていうか、なんでこんな所に元妻……じゃなくて、人生〇ームの駒があるんだ?」
改めて考えてみれば不思議な話である。
元妻……もといこのプラスチックの円柱は『人生〇ーム』の駒であり、この真っ白な世界に来るわけがない。
それとも、今俺の隣にいるジャックフ〇ストのように案外に行き来できるものなのだろうか?
そんな考えを巡らせていれば、ゴツン、と俺の足に何かがあたった。
見れば、黄色い箱。
いや、正確に言うならばブロック。
もっと詳細を言うのであれば、テト〇スの黄色ブロック。
「……な、なんでこれまで!?」
「久しぶりね、六郎君!」
「うわ喋った! ……いや、最初から喋ってたか」
足元に置かれた……ではなく、足元に居るブロックに、思わずしゃがみこんで話しかけた。
どこからどう見ても只のブロックである。四角い箱が4つ集まった、まさに正方形のブロック。
だがこのブロックは生きていて俺に話しかけてくる。それもかなり可愛い声で、おまけに俺を慕ってくれる……認めたくはないが、ヒロインの一人である。
「そう考えれば、俺ってろくなヒロインに会ってないな……というかまともな女の子に会えてないような……」
「あたしのことも、まともじゃないってかい?」
「えっ……その声は……!」
割って入ってきた声に驚いて振り返れば、そこに居たのは真っ赤な髪をなびかせる、露出の激しい鎧を身に纏った女騎士……。
そう、ソーシャルゲームにトリップさせられた時に出会った、ノーマルカードの女騎士だ。
「な、なんでここに!」
「そりゃ、ノーマルカードだからね。嫌ってほど出るよ」
クツクツと笑いながら、女騎士が俺の肩を叩く。
豪快なそのスキンシップは女性らしさを感じさせない反面、これ以上ないほど俺に安堵を抱かせてくれた。
仲間として――ゲームのシステムを考えれば〝デッキ”というのかもしれないが――戦っていたとき、戦闘が終わるといつだって彼女は楽しそうに俺の肩を叩いて労ってくれたのだ。
懐かしい……碌なゲームにトリップさせられた記憶のない俺だが、このゲームは「楽しかった」と胸を張って言える。だからこそ、最後は胸が痛んだが……。
「まさか、また会えるなんて……でも、どうしてここに?」
皆も……と周囲を見回せば、円柱とブロックが佇んでいた。というか、置いてあった。
彼女たちの表情から何かを読み取ることは出来ず――というか、円柱もブロックも顔が無い――、俺は答えを求めるように女騎士に視線を向けた。
彼女は相変わらず気風の良い笑顔を浮かべ、俺に対して一度深く頷いて見せた。
「六郎、あんたもう気付いてるんだろ?」
「……気付いてる?」
何に?と尋ねるように振り返れば、黄色いブロックがカタンと揺れた。
「六郎君、迷わないで」
「……迷う?」
何を?と尋ねるようにプラスチックの円柱を見れば、ふっと表示板にメッセージが浮かんだ。
『六郎さん、今度はあなたが自分で選んで』
「……俺が、選ぶ?」
いったい何を……そう尋ねようとジャックフ〇ストに視線を戻せば、彼は相変わらずマスコットキャラクターらしい可愛らしい笑顔で、俺の服をクイと掴んだ。
「ヒーホー!」『六郎君、彼女から伝言だよ!』
「あいつから?」
「ヒーホー!」『〝六郎君、おかえり!゛』
ジャックフ〇ストの声を聞き、バウリ〇ガルの表示板を見上げた俺は、映し出された文字を読み取ると同時に脳内に自称神様の声を聴いた。
「六郎君! おかえり!」
と。
何度も聞いたその声は思い返すには容易で、まるで直に言われているかのように反芻できる。それどころか、嬉しそうに俺を迎える自称神様の姿まで思い描ける。
だけど……と、俺は脳内に浮かぶ自称神様の笑顔に、自分の中でふと疑問を抱いた。
いつから彼女は「おかえり」と俺を迎えるようになった?
いつから俺は、そんな彼女の反応に疑問も不満も抱かなくなった?
いつからここが俺の戻ってくる場所だと、どこにトリップしてもここに帰ってくるのだと、そう思うようになった?
いつから、『ゲーム世界に行って再びここに戻ってくる』この繰り返しを、繰り返しと受け入れていた?
「……俺は」
「ヒーホー」『六郎君、今彼女は最後のゲームを選んでいるよ』
「最後のゲーム?」
「ヒーホー」『そこはとても楽しくて、魔法があって、冒険ができる。君に優しいゲーム世界だ』
「魔法とか、冒険……そうか、ゲームトリップだもんな」
「ヒーホー」『君は誰も持っていない有能なスキルを得て、壮大な冒険に旅立てるよ』
それはなんとも、まるでゲームトリップのような世界ではないか。
その世界で俺は自称神様からチートスキルを授かり、異世界を冒険するのだという。誰もが俺を慕い、俺のチートスキルに圧倒され、美少女ばかりの女の子は俺に好意を寄せる。
そうして紡がれる、俺に優しい長く壮大な冒険物語。
いつ終わるとも分からない、数え切れぬほどのキャラクターに囲まれた、果てしなく長いゲームトリップ……。
その世界はどうしようもなく楽しく魅力的で、だからこそ俺はきっと彼女のことを……
忘れてしまう。
現状、どれだけのトリップ小説があるのかなど、到底数えられるものではない。
なにせ人気があり、そしてその一つ一つに物語があり、更に言えば読了するのに日数単位でかかるほどの大長編だって少なくないのだ。
だけどその中のどれだけの主人公が、トリップした先で暮らし多くのキャラクターと出会い冒険し続けるなかで、それでも自分をトリップさせた神様のことを忘れずにいるだろうか。
主人公が神様によりトリップさせられるのは所謂テンプレ的な流れである。
だが最初こそ楽しげにやりとりをし、序盤では幾度かアドバイスを貰い特別視していたとしても、魅力的な仲間や熱い展開、果てには自分を囲む女の子達に翻弄され神様のことなど忘れてしまう者も少なくない。
だがけっして薄情というわけでもなく、あまりに神様が遠くに居すぎるのだ。遠くで、それこそ次元の違う遠くで見守っていたとしても、出会う機会がなければ誰だって自分の周囲に関心を寄せると言うもの。それを不条理だとは思わない。
だけど忘れられる者からしたらどうだろう。
特別な能力を与え、異世界に送り、そして見守り続けている人物が、ゆっくりとその世界に馴染んでいき自分のことを忘れていくのを、それでも見守り続けなければならないとしたら?
楽しげに笑い仲間と絆を深めていくなかで、自分だけが忘れられていくのを、手も声も届かない場所で見続けなければならないとしたら?
『帰ってきて』と、そう願う声さえ届かないとしたら。
「なぁ、六郎」
「ねぇ、六郎君」
『……六郎さん』
「「『あなたの居場所は、あなたが決めるの』」」
その声を聞き、俺は踵を返して走り出した。
グズ、グズ……とすすり泣く声がする。
真っ白な壁が邪魔して向こう側が見えないが、それでも聞こえてくる声と場所から大体のことは想像できる。
この壁の向こう、トリップ先の資料がしまわれているという資料室とやらで、自称神様が泣いているのだ。
俺に最後のゲームトリップをさせるため。
それが別れになるかもしれないと思いつつ。
そのトリップをしてしまえば最後、俺がトリップ先の物語に夢中になり、彼女のことを忘れてしまうと分かっていても……。
「ろ……六郎君……行かないで」
嗚咽交じりの声が、真っ白な壁を抜けて聞こえてくる。
「私のこと、忘れちゃ嫌だよぉ……」
常に陽気で、それどころか俺に怒鳴られても平然としていた自称神様からは考えられない、悲痛な声。
その声を聞きながら、俺はゆっくりと壁に触れた手を沿わせて歩き、壁の境目に気付いて足を止めた。
扉だ。
どこまでも続くと見せかけたこの真っ白な世界の、あちこちにあるという部屋の扉。
それに手をかけ、俺は一度深く息を吸い込み……ドアノブを回した。
ガチャン、と扉が開く音に、自称神様の肩がビクリと震える。
慌てて振り返った目元には大粒の涙が堪っていて、それを見て取ると俺の胸が酷く痛んだ。
おかしいな、今まで散々な目に会わされ戻ってくるたびこいつを泣かしていたのに、その時は泣きわめくこいつに晴れ晴れとした気分すら抱いていたのに、今だけはどうしようもなく辛い。
「あ、ろ、六郎君……」
グスと一度鼻をすすったのち、自称神様が立ち上がった。
涙のたまった目元を乱暴に拭い、誤魔化すように笑顔を浮かべる。元気の良い「おかえり!どうだった?」なんて声は、以前だったら「また変なゲームにトリップさせやがって!」と怒鳴っていただろう。
だが今となっては無理をしているのがバレバレで、俺はどう応えて良いのか分からず困惑した声で「普通だった」なんて返答をしてしまった。
もっと上手く声をかけられれば良かったのに、と内心で自分の不器用さを恨む。決断を下すことに必死で、自称神様にどう声をかけるかなど考える余裕がなかったのだ。
そんな俺に対し、自称神様は少しだけ不思議そうに首を傾げた後、相変わらずな笑顔で1枚の資料を差し出してきた。
「六郎君! 次のゲームを用意したよ!」
「次のゲーム?」
「そう! 今度は本当に六郎君が望むゲームだよ!」
ほら!と差し出された資料を見れば、そこにはいかにもファンタジーゲームといったタイトルが書かれていた。
詳細を見れば、その内容はまさにの一言である。剣と魔法、エルフに妖精、王族や奴隷といった格差、そして俺に与えられるチートスキル。
以前での俺であればこれを読んだ瞬間に胸を弾ませ、自称神様に「ここにトリップさせてくれ」と言っていたであろう。それほどまでに魅力的なのだ。
だけど……。
「六郎君、このゲームならきっと楽しいよ! チートだしハーレムだし、大冒険できるよ!」
「…なぁ」
「私のとっておきなんだよ! ……ん? どうしたの、六郎君」
「あのな、俺もう決めたんだ」
「決めたって、何を?」
どうしたの?と言いたげに首を傾げる自称神様に、俺はそっと資料を返した。




