11:アニマルトリップ
動物と触れ合うとはどういうゲームだろうか。
画面の中で犬や猫のペットを飼育するのか、それとも二足歩行の動物達が住む村に引っ越すのか。
動物といったところで幅広く、中には猫耳と猫尻尾をつけた美少女を獣人と表記するパターンもある。もっとも、見た目はただの美少女を本職が獣人と認めるかは難しいところではあるが。
とにかく、一言で『動物』と言ってもピンキリで、ゆえに『動物と触れ合うゲーム』と言われたところでどんなゲームなのか皆目見当がつかずにいた。
俺としてはわざわざゲーム世界にトリップしてまで動物と触れ合うくらいなら、いっそ猫耳猫尻尾の美少女と触れ合いたいところである。
流石に動物アレルギーこそないが、かといって動物が好きかと言われれば首を傾げる程度なのだ。正直な話、子猫や子犬を撫でるより美少女を愛でたい。動物の柔らかな毛より、美少女の柔らかなおっぱいである。
そんなことを考えていると、ふと遠くから動物の鳴き声が聞こえてきた。遠く響くような逞しい遠吠え、これは……。
「……犬?」
そう、犬だ。
距離こそ正確には分からないが、風に乗って聞こえてくる鳴き声を聞くにそう遠くはないだろう。
これはつまり、この鳴いている犬のいる場所に向かえということなのか。そして触れ合う、それがこのゲームの趣旨に違いない。
そこまで判明したものの、俺はどうにも気乗りせずにいた。歩き出そうとする足も重く、ゲームの趣旨が分かったというのに胸が高まらない。
かといってズーをキープするゲームのように呆れるわけでもなく、ジャンケンゲームのようにやる気を出すほど開きなおることもできない。なんとも中途半端だ。
例えばこれが無類の動物好きであったなら両手離しで走って行っただろうに……。と、そう考えつつも、俺は鳴き声を頼りにゆっくりと歩き出した。
気乗りしないが、かといってここでするべきこともない。そもそも動物と触れ合うゲームなのだ、動物に会わないことはゲームが始まりすらしないのだ。
その自由度の低さと言ったら、まるで決められたレールの上を歩かされているようなものではないか。
このゲームの主人公である俺には行動の自由もなければ選択肢すらも与えられない。主人公という肩書きこそ与えられているものの――というか、俺が主人公なのかも疑わしいのだが――これではまるでゲームの進行役、言ってしまえば歯車である。
その点に関しても、一度|自称神様とじっくりと話し合う《やつをぶんなぐる》必要があるな……と、そう誰にでもなく呟いてみた。
「六郎君!ルビがおかしいことになってるよ!」なんて、そんな自称神様の悲鳴が聞こえてきそうではないか。きっと今もどこかで俺のことを見守り、そして震えているのだろう。
どこかで、見守って……。
ふと、自称神様がどこに居るのか気になり頭上を見上げた。
晴れやかな空が広がっている。白い雲がゆっくりと横切り、心地いい風が俺の頬をくすぐっていく。
定番であるならば、自称神様の居場所はこのもっと上。所謂『空の上』というやつだろうか。チープすぎると言われれば確かにそうだが、あの自称神様のことだ、あえて定番中の定番をおさえている可能性は高い。
といっても、こうやって見上げていても真相が分かるわけでもない。見上げたところで見えるのは青い空だけだ。鳥や飛行機の姿も無ければ、当然だが白いワンピースを着た美少女の姿も無い。
「それでも見てるんだろうなぁ……」
いったい何を考えながら見守っているのか。
仮に俺がこの世界を気に入り住み着いたとしたら、自称神様はいつまで見守っているのか。
トリップ小説の定番で言えば、主人公をトリップさせた神様の殆どは序盤に数回顔を出して、物語が進めば存在が薄まっていく。
当然と言えば当然だろう。主人公はトリップした先の世界で美少女に囲まれ冒険を続けるのだから、いつまでも元の世界――元、というには少しおかしいかもしれないが――を引きずっているわけにはいかない。
だけど……。
そう考え、ふと俺は道の先に四角いものが浮いていることに気付いた。
「……ん?」
あれはなんだろう。
見たところ四角い表示板のようなものだ。
不思議なことに他所を向いてもそれは俺の視界に映り込み、近付いても遠ざかっても大きさが変わらない。道の先に存在している、というよりは俺の視界にだけ映り込んでいる、といった方が正しいのか。
例えるならばそれは、ゲーム画面に表示されるステータスのような……。
「そうか、ステータスか!」
見覚えのあるその光景に、俺は期待するように表示板に視線を向けた。
今はまだ何も記載されていないが、それは確かにステータス表示画面で間違いないだろう。そう確信を抱く俺には、一つ理由があった、
最近のトリップ小説ではステータス表示のスキルがお馴染みだ。自分の現状やどれほどレベルが上がったのかを数値で手軽に知ることができ、尚且つ相手や敵の強さや弱点すらも簡単に見られる戦略的チートスキル。
これさえあれば、主人公がどれだけ成長しどんな技を得たのかをいちいち細かに説明する必要もなくなり、相手の技量を探りつつ戦う手間暇もなくなる。
「レベルが1から99に上がった」だけで強くなり、「スピードが50上がった」だけで速くなり、そして「敵の能力:炎・弱点:水」の表記を参考に戦えば一発で仕留められるということだ。
そんな有能スキルが目の前にある。
あいにくと今は何も表示されていないが、何かしらアクションがあれば映り込むはずだ。
あの自称神様のくせに、今回はそれらしいスキルではないか。
……だが本当にステータス表示スキルなのか?
おかしな話ではあるが、いかにもトリップ小説らしいそのスキルに俺は逆に若干の違和感を感じ始めた。
なにせここまで何度もおかしなトリップをさせられてきたのだ、今更いかにもなスキルを貰っても躊躇うのは仕方あるまい。疑い深いと言うなかれ、テト〇スだ人生〇ームだとトリップしていれば誰だってこうなるというもの。
きっとなにかあるはず。そもそもこれは『動物と触れ合うゲーム』なのだ。戦うでもなく触れ合うのが目的と言うのなら、ステータス表示がいったいどんな役割を持っているのか。
例えばあのステータス画面には動物の成長度合いや懐き度が表示されるのだろうか?あいにくとペットを飼うゲームをやったことはないが、テレビで見たCMには画面上に可愛らしいアイコンや数値が表示されていたはずだ。
なるほど、確かに分かりやすくかつ便利なスキルだ。しかしせっかくトリップゲームらしいスキルが手に入ったのに、それを動物を愛でるために使うのは惜しい気もする。
そんなことを考えつつしばらく歩いていると――当然、その間もステータス表示は近付くことも遠ざかることもなく均等の距離を保っている――俺は犬の鳴き声が随分と近くなったことに気付いて足を止めた。
周囲を見回せば、少し先にいったところに赤い犬小屋が建っているではないか。随分と古典的な、まるで『お父さんが日曜大工で作った』ような赤い屋根の犬小屋。
近付いてみれば汚れ具合といい出入り口先に置かれた餌皿と言い、ますます犬小屋である。おまけに『ポチ』という札までついている始末。ここまで犬小屋感を出していると逆に胡散臭く思えるほど、それほどまでに犬小屋なのだ。
そしてその犬小屋に住む犬はと言えば……。
「うわっ!」
と思わず後退ってしまうほど、荒れ狂っていた。
それはそれはもう、噛み殺さんといわんばかりに唸り、鎖をこれでもかと引っ張って暴れ狂っている。
まさに猛犬。日曜大工感のある喉かな犬小屋からは想像もできないほど獰猛で、可愛らしい手書きの『ポチ』という札が白々しく思える。
この犬のいったいどこがポチだ。暗黒丸とかそこらへんの方が似合っているだろう……。
そんな怖気づいた俺に対してもポチは吼えることを止めず、人を2・3人は噛み殺していそうな攻撃的な目で俺を睨みつけきた。グルルル……と低く響く唸りを聞けば、背筋に冷たいものが走る。
鎖があって良かった。これが遠くから鎖もなく走ってきたなら、俺は逃げるどころか死を覚悟していただろう。それほどの威圧感である。
そんなポチを前に、俺は「これと触れ合えっていうのか!?」と困惑しつつ、回答を求めるようにステータス画面を見上げ……。
『あそんでほしいな!』
と書かれた可愛らしい文字に目を丸くした。
はい?
誰が誰に遊んでほしいって?
この猛犬が、俺に……?
「いやいや、遊ぶとか無理だろ……ていうか明らかに威嚇してるし」
誰にでもなく呟きながら後退れば、再びポチが威圧的に吠えだした。
それに合わせてステータス表示画面が変わる。今度書かれた文字は
『なでなでしてくれる?』
だ。
いや、なでなでどころか手を出そうものなら噛み切られるレベルの獰猛ぶりではないか。
そんな困惑する俺とは対照的に、ポチは気が狂ったように吼えると鎖を引きちぎらんばかりに暴れだした。
次いでステータス画面に出てきたのは
『おなかすいたよぉ……』
の文字。可愛らしい文字が、可愛らしくポチの気持ちを代弁している。
お腹空いたからお前を食わせろとそういうことですか?人肉をご所望ですか??
そんな見当違いな表示をしてくるステータス画面を眺めながら、俺は一つ小さく頷いた。
はい、バウリ〇ガルですありがとうございます。
犬の鳴き声を翻訳してくれる、一昔前に流行ったゲーム……どころではなく玩具だ。ゲーム性はいっさいない。
その着眼点の面白さから発売当時は話題になったものの、今は懐かしさすら感じられる代物だ。
つまり俺がステータス画面だと思っていたものはバウリ〇ガルの画面でしかなく、当然だがそこにレベルも何も表示されるわけがない。
映し出されるのは只一つ、犬の気持ちである。この状況で言うならばポチの気持ち。ポチの泣き声を翻訳し、俺に教えてくれているのだ。
遊んでほしい
撫でてほしい
お腹がすいた……と。
「……なるほど、ポチも案外に可愛いことを言うやつじゃないか……って、そんわけあるか!」
ふざけるな!とバウ〇ンガルの画面に怒鳴りつけた。
あの画面の奥にどんな翻訳家がいるか分からないが、いったいどうして牙を剥いて唸り声をあげるポチがこんな可愛らしいことを言っていると思えるのか。
翻訳するのなら『貴様を殺す!』だの『食いちぎってやる!』といった台詞こそ似合っている。というか、血走った眼はそう言っているとしか思えない。
この翻訳機、壊れてるだろ……。
そう考えつつ、俺はゆっくりと距離を取ろうと後退った。
自称神様としては、このポンコツバウリ〇ガルを参考にしてポチと触れ合えと言うことなのだろう。
『犬の鳴き声が翻訳され、それを元に犬とコミュニケーションをとる』そう考えれば確かに良いゲームである。小さな子供が喜びそうだ。
だが現実は『見当違いなことを言ってくる画面がちらちら視界に入ってきてうざったいうえに目の前で狂犬が暴れ狂っている』でしかない。子供が居たら3秒たたずに泣き出すシチュエーションである。
そんなことを考えつつ身構えながら後退していると、ポチが剥きだした歯でガチンガチンと空を噛みだした。いよいよをもって俺を食べるシミュレーションをしているのだろうか。
なんて恐ろしい。
まさに狂犬。
というか、よくこんな犬を飼っていられるな。
そんなことを考えつつバウリ〇ガルを見上げれば、相変わらず可愛らしい文字で
『あなたのこと大好き!』
と書いてあった。
それを見た瞬間に俺は眩暈を覚え、白んでいく意識と共にポチの鳴き声が遠く霞んでいくのが分かった。
最後に見たのはバウリ〇ガルの
『ほっぺにチューしてほしいな!』
だった。
無理です、3秒で唇どころか顎ごと噛み砕かれます。
「あんな狂犬と触れ合えってどういうことだ!! ……ん?」
白んでいった意識が覚醒すると共に自称神様に文句を言ってやったつもりが、そこに誰も居らず真っ白な世界に俺の声だけが虚しく響き渡った。
周囲を見回せど彼女の姿はなく、相変わらず一見すると真っ白な空間が延々と続く誰もいない世界だ。
――誰もいない、といっても俺が出会っていないだけで、自称神様の話を聞くにこの世界には彼女と同じような神様が大勢いるらしい。
それを聞いて「お前と同じっていうのは職業がか? それともポンコツぶりがか?」と聞いたところ、悲鳴をあげてどこかへ逃げていったのは記憶に新しい――
そんなことを思い出しつつ周囲を見回せば、ふと視界の隅に見慣れた表示板があった。
……バウリ〇ガルだ。
バウリ〇ガルがついてきた。
「このポンコツ翻訳機をここでどう使えと? むしろ邪魔でしかないんだけど」
文句を言えども消える気配のないバウリ〇ガルを眺めていると、ふと背後から声が聞こえてきた。
「ヒーホー」と間延びしているこの声はジャックフ〇ストだろう。振り返れば、確かにそこには雪だるまを想像させる可愛らしい悪魔の姿があった。
「また遊びに来てたんだ。でもそれって悪魔としてどうなの?」
「ヒーホー」
「……まさかそれしか喋れないとか?」
「プリ〇ト倶楽部、ツゥー!! フレームを選んでね!」
「懐かしい台詞!」
「ヒーホー」
どうやら喋れる台詞には制限があるらしい。流石、プリン〇倶楽部のジャックフ〇ストである。あくまで本題はプリクラを撮ることであり、あの機体において彼は操作を進めるだけのマスコットキャラクターなのだ。
だがこれでは会話が出来ない。俺は自称神様のように「ヒーホー」の一言で彼が言わんとしていることの全てを悟るような能力もないし……と考えたところで、俺はふとバウリ〇ガルの画面を見上げた。
そこには可愛らしい文字で
『おかえり六郎君!』
と書かれていた。
「あ、もしかしてここで使えるのか?」
「ヒーホー」『これなら喋れるね』
「おぉ凄い! ちゃんと会話になってる!」
「ヒーホー」『彼女は今ちょっと出払ってるから代わりに留守番を頼まれたんだ。直ぐに帰ってくると思うよ』
「いやいや、一言に詰め込みすぎだろ!!」
「プリ〇ト倶楽部、ツゥー!」『プリ〇ト倶楽部、ツゥー!』
「あ、そこはそのままなんだ!」
バウリ〇ガルの画面を通じながらジャックフ〇ストと会話をするのは不思議な気がする。
彼に話しかけ、返事を聞き、画面を見上げ、また視線を落として話しかける……と、だいぶ手間がかかっているが、それでも会話が成り立つだけ有難い話だ。
ジャックフ〇スト曰く、自称神様は野暮用で出かけているらしい。
その間に俺が戻ってきたらと彼に留守を頼んで今に至る……と。
「あいつも神様なわけだから、そりゃ忙しいよな」
「ヒーホー」『そうだね』
「……そういえば、あいつのことで聞きたいことがあるんだけど」
そう言いかけた瞬間、俺の言葉を掻き消すようにズドン!と轟音と共に地響きが響いた。
驚いて振り返った先にあったのは、見上げるほど高く太い立派な円柱。それも、全身ピンクという派手さ。
俺はその円柱に対し目を丸くし「どうしてここに……」と、小さく呟いた。
あの円柱には見覚えがある。
そう、あれは……。
俺の妻だ。




