プロローグ
我ながら何もなかった人生だと思う。
そこそこの学校を出て、そこそこの会社に勤め、そこそこの人間関係を築いてそこそこにやってきた。
良く言えば順風満帆、悪くいえば平凡で面白味がない。
そりゃ引きこもりぼっちでオワタな人生と比べれば恵まれているのかもしれないが、けして裕福とは言えずお世辞にも輝いていたとは言えない人生だった。
そんな人生の幕引きも、俺の今までの人生をそのまま形にしたかのように酷くあっさりとしたものだった。
仕事の帰り、歩道を歩いていた俺は背後から突っ込んできた車に跳ねられたのだ。
覚えているのは背中に猪でもぶつかってきたかのような衝撃と、腰に走る痛み。
目まぐるしく変わる景色に、自分が車に撥ねられたのだと気付いたのはボンネットを転がり登った時だった。
顔面蒼白の運転手と目が合って「あ、気にしないでください」なんて暢気なことを思ったのを今でも覚えている。
それが俺、木嶋六郎の最期の記憶だ。
人生の最期に見たものが顔面蒼白のおっさん、それも自分を撥ねて殺したおっさんなんて最悪じゃないか。
出来ることなら美しい光景か、柄にもないが両親の姿、もしくは若くて可愛い女の子を見ていたかった……。
そうして、今に至る。
真っ白な世界で、「神」を名乗る奇妙な女と対峙しているという今に……。
「で、お前が神だと?」
「そう、神様。神のうちの一人」
「俺をトリップさせると?」
「そういうこと」
よろしくね、と手を差し伸べてくるこの自称神様に、俺はそ応じるように右手を差出し。
ッパァン!!!
と、勢いよくその手を払ってやった。
「酷い!!」
「酷いもなにもあるか! どうしてこの状況で神様だなんだ信じられる!」
「最近の子は割かしすんなり認めてくれるから、話が進めやすいってみんな言ってるのに!」
「どこの皆だ!」
「トリップ課のみんな!」
まったく話にならない……あぁ言えばこう言うこの自称神様に、俺は頭痛を覚えかねて溜息をついた。
神様だのトリップだの、いったいどこの作り話だ……確かにそういった手合いの小説を好んで読んでいたが、まさか現実に起こるわけがない。
だが冷静になって思い返してみれば、確かに俺が死んだのは事実だ。おっさんが運転する車に撥ねられた。
だというのに今の俺の体には怪我一つない。追突された背中も、ボンネットに打ち付けた腰も、もげそうなくらい振り回された四肢も痛みひとつ訴えてこない。
それどころか疲労すら感じないのだ。健康体、絶好調、リフレッシュされたようにさえ感じられる。
おかしい、確かに車に撥ねられたのに……そして多分、当たり具合から相当に重症、下手すれば死……。
「ま、まさか本当に……神様?」
「お、信じてくれる?」
「いやでも神様がいたとして、そんな気軽に現れるわけがないし……」
「疑い深いねぇ。よし、ならば証拠を見せよう」
そう言うや自称神様がパチン!と指を鳴らした。
その瞬間、白いワンピースを纏った彼女の体を眩しいほどの光が包み、それが晴れると……
くたびれたスーツに茶色いトレンチコートという出で立ちに変わっていた。
それ以外の変化は一切ない。
「……は?」
「私が神だ」
「…………え?」
「だから私が神だって」
「………………ほわっと?」
いったい何が言いたいんだ?
そんな俺の疑問にも気付かず、自称神様はトレンチコートの裾をひるがえしながら自信満面に棒立ちしている。
この姿のどこが神様なのか……服装だけ見るならばくたびれたサラリーマンの姿そのものだ。
これなら先程の白いワンピース姿の方が気品も感じられただろう。黙ってさえいれば自称神様は美少女なのだから、こんな姿は違和感しかない。
「で、それを見てどうして俺が神様って認めると思った?」
「……っち」
「やめろ、舌打ちはやめろ! とにかく、話を戻すぞ」
ふぅ、と溜息をつき、俺は改めて自称神様に向き直った。
色々と怪しい、それどころか怪しい部分しかないように思えるが、それでも先程の早着替えは人間業とは思えない。
スーツにトレンチコートから薄手のワンピースに早着替えなら容易いだろうが、その逆は言うまでもない。
タネも仕掛けもないとはまさにあのことを言うのだろう。
現に俺の体だって、車に撥ねられたというのにこうやってピンピンとしている。
「……分かった。百歩譲って、千歩譲って、いや一万歩譲って信じてやろう」
「そりゃどうも」
「それで本題だ。俺をトリップさせるって、そりゃどういうことだ?」
「そうそう、その話。おめでとう、六郎くん! 君はトリップの権利を得て、ゲームの世界でチートでハーレムでーす! やったねヒューヒュー!」
……。
…………。
………………。
「…………で?」
「辞めようそのテンション。もうちょっとグイグイ来よう? 泣くよ?」
「ゲームの世界にトリップしてチート……ハーレムってことは多種多様な美少女に好かれて囲まれて取り合われてってことだよな?」
「おっと案外に食いついてきた」
「まぁ悪い話じゃないな……うん。ゲームの世界ってのも楽しそうだし」
「なら行ってくれる?」
「仕方ない、行ってやろう」
あくまで『嫌々応じてやる』という体を保ちつつ頷けば、自称神様の「いってらしゃーい」という暢気な声と共に俺の意識が薄らいでいった。