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それから約半月後。日付はすでに九月も半ばの、とある夕刻の事だった。

俺の携帯が、思いがけない人物からの着信を告げた。

『お久しぶりです』

「え、ま、真澄さん……?」

早速、彼女の呼び出しに応じた俺は、かつては毎週のように落ち合っていたカフェに、数週間ぶりに足を向けた。

西の空を望むと、今まさに今日の陽がビルの隙間へ消え行くところだった。高みを増した透明な空が、すでに新しい季節の訪れを告げている。

夕闇を纏ったテラス席に彼女はいた。かつて頻繁に楽しい会話を繰り広げていたその席に、あの頃と同じく彼女は座っていた。店内から洩れる柔らかな光が、はちみつ色の髪を優しく照らしている。

その姿に、俺は胸が締め付けられた。もちろん、再会の喜びもある。が、それにも増して俺はどうしようもなくその場から逃げ出したい衝動に駆られた。恐怖に歪む彼女の表情を、つい思い出してしまったのだ。

『怖い』

俺は思わず踵を返し――かけた。

が、それより一瞬早く、彼女が俺の姿に気付き、あの頃と同じ微笑を投げかけてきたので、俺はやむなく、その場に足を留めた。

「お、お久しぶりです」

俺は、滑り込むように向かいの席に腰を下ろした。なるべく真澄さんの方に目を向けないよう気を遣いながら。もっとも、それでも視界の隅にその姿を収めてしまうのは職業柄だ。

真澄さんは、ふと、紅茶色の瞳を伏せながら言った。

「あの時は、ごめんなさい」

「え……?」

思わぬ言葉に、俺は自分でも分かる素っ頓狂な声を上げた。

「本当に、私、あなたにひどい事を言ってしまった……でも、勝手な事を言うようでごめんなさい。あの時、本当に怖かったの。あなたの事が怖かった……」

それは、第一声が極めて予想外な一言であった事とは一転、あたかも俺の想定を最大公約数に纏めたかのような言葉だった。だが、いや、だからこそ俺は心臓が握り潰される思いがした。なぜなら、俺が想定していたセリフは全て、耳にしたくない言葉ばかりだったからだ。

「すみません」

「どうして、あなたが謝るんですか?」

確かに。どうして俺は、謝っているんだろう。

力を濫用してしまったから? 他者を安易に傷つけてしまったから? いや、そんな反省の気持ちすらなく、単にこの場を取り繕うためか? 

返答が見つからず、俺が口を閉ざしていると、真澄さんはさらに言葉を紡いだ。

「……正直に言うと、今も、あなたの事が怖くないと言えば嘘になります。でも……勝手ばかりでごめんなさい。私はそれでもあなたと、いろんな事を語らっていきたいの。あなたと一緒に、いろんな時間を過ごしてみたいの……。本当に……変ですよね。あなたの事が怖いのに、でも一緒にいたいんです。身勝手で、本当にごめんなさい……」

ふと、テラス前の通りが赤信号に変わり、往来の喧騒がはたと止んだ。

いつしか真澄さんは、まっすぐに俺を見つめていた。真摯な瞳に耐えかね、俺は思わず目を逸らす。またしても、返すべき言葉が見つからない。

自分の気持ちを正直に口にする彼女の勇気が眩しかった。それに比べ俺は、彼女に嫌われる事を恐れ、ずっと今まで、自分の体質、いや、力を隠してばかりいた。思えば俺は、ずっとそうだった。そう、嫌われる事を、拒まれる事を恐れ、誰に対しても足を踏み出せずにいたんだ。

「真澄さん」

俺は、彼女の瞳に向き直り、その紅茶色の瞳を見つめた。

「はい」

「今更、こんな事をお話ししても、もう遅いかもしれません。ですが、聞いて下さい。俺は、ただの静電気体質じゃないんです。発電……、生身の身体で、とんでもない量の電力を発電してしまうんです。普段は、迂闊に放電しないよう押さえ込んでいますが、精神的に不安定になると、その押さえが利かなくなる事もあります。そのような時に下手に触れてしまえば、感電の――命の危険すらあります。俺の事を嫌いになるのでしたら、別に構いません。でも、あなたは自分の気持ちを正直に伝えてくれた。だから俺も……。」

 初めて俺は、何かから開放された心持を覚えた。これでいい。これでいいんだ。たとえ嫌われようとも、拒まれようとも、それは結果として受け止めよう。俺は彼女の次なる言葉を待った。

 やがて、紅茶色の瞳が揺らいだ。

「安藤さん」

「はい」

「ひどいです。今更」

「……すみません。本当はもっと、早くに伝えるべきだったのに」

「そうではなくて。今更、嫌いになっても構わない、だなんて、ひどい言い方ですね」

「え?」

真澄さんは、俺の顔を覗き込みながらさらに続けた。潤んだ瞳に映る白熱灯の光が、まるで夜空に瞬く星のようだ。

「今更嫌いになれないから、こうしてお話させて頂いているんですよ」

「……へ?」

「人の気持ちを、オセロみたいに言わないで下さい」

いつしか、通りは青信号へと変わり、往来の喧騒を取り戻していた。



「みーちゃんがぁ!みーちゃんがぁぁぁ!!」

本日最初の依頼者である本多さんは、事務所に着くなり涙でぐしゃぐしゃの顔を俺の胸元にぐいぐい押しつけてきた。

「お、落ち着いてください、本多様」

「うわぁぁぁあん! みーちゃぁぁあん!」

滝のような涙で浮きまくったファンデーションが、俺のシャツに世界地図を染め付ける。参ったなぁ……。化粧のシミって、落ちにくいのに……

げんなりしつつも、依頼人をなだめすかす。腐っても俺は社会人なのだ。

「ま、まずはこちらのお席へ……」

中元のハムを思わせる本多さんの体をようやくソファに搬入すると、俺はテーブルを挟んで腰かけ、なおもハンカチに顔を埋めて泣きじゃくる本多さんに話を促した。

「……で、つまり、ご依頼の内容と致しましては、本多様が飼っていらっしゃる猫の“みーちゃん”が、一昨日から家に戻らないので捜索を、」

「あああああー! みーちゃーん!」

「捜索をお願いしたい、という事でよろしいですね」

もういいや。そういう事にしておこう。これじゃ埒が明かん。

丁重に依頼者をお返しした後、俺は早速所長と捜索についての打ち合わせを行った。

「じゃ、早速今日の夕方から、本多さんのペット捜索に入ります。今夜は取り急ぎの案件なども入っておりませんし」

「あ、だったら、桂木ちゃんも連れて行って」

「え? 桂木を、ですか?」

「だって、二人で捜した方が見つかる可能性高いでしょ?」

「なるほど、そうですね。夕方なら桂木も学校終えてこちらに来るでしょうし」

そこで、ふと所長は、頭の上に電球を灯らせて言った。

「そういえば、そろそろ桂木ちゃんの試験、やらないとねぇ」

「へ? 試験? 何の試験ですか?」

「アタシが試験って言ったら、数学とか歴史なワケないでしょ?! 尾行とか、張り込みのスキルチェックよ。あんた、今度ターゲット役お願いね」

「え? それってもう、終わってるんじゃ……」

「何よ、それ、どういう意味?」

「え? 何って……所長、以前俺が真澄さんとデートしてたのを、桂木に尾行させたでしょう?」

「わけわかんない事、言ってんじゃないよ! なんでアタシが、桂木ちゃんにあんたのデートなんか尾行させなきゃいけないのよ! 自意識過剰も大概になさい!」

「え? えええ?」

ハメられた……またしても。



天高く青空冴える九月の終わり。

俺は、退院する加賀美を出迎えるべく国立病院へと向かった。あの時の礼を改めて伝えたい、と言い張る桂木を連れて。

俺達が事務所を出る間際、所長は、涙ながらに机に突っ伏した。

「ううう……本当は行きたいのにぃぃ、たっくんの事、迎えに行きたいのにぃぃ! 今日のクライアント様って、大手コンテンツ企業の代取様なんだもん! あああ、しかもまだ三十五歳なのよぉぉ、おまけにカッコイイのぉぉ! 独身なのぉぉぉ!!」

どうやら所長の脳内天秤は、加賀美の方ではなくコンテンツ企業代取様への傾きを許してしまったらしい。とまぁ、そんな事はどーでもいい。

重厚な石造りのエントランス前では、今まさに長身のスーツ姿が、看護師達のきらきらした眼差しを集めながら、一言二言と挨拶を交わしているところだった。

「加賀美さん」

呼び掛けつつ桂木が駆け寄ると。弾かれたように加賀美は振り返った。相変わらず、その動作には隙がない。

「君は……?」

「あの時は、ありがとうございました」

桂木の事を覚えていないのか、加賀美はしばし涼やかな眉の根を寄せ、怪訝そうに桂木を見下ろしていた。やがて桂木の背後に立つ俺の姿を確認した加賀美は、その目を見開き、あっ、と小さく叫んだ。

「安藤!」

夏の青空のような顔が途端に曇天の様を呈し、加賀美はそれとなく背後の看護師達に離れるよう促すと、すぐさま半身を取って身構えた。そうか、未だ俺は、加賀美にとっては敵でしかないのか。

「加賀美、落ち着け。俺はお前と戦うために来たんじゃない」

「そのようにして、普通の人間を装いながら接近を図るカミはいくらでもいる」

加賀美は、野性を隠すそぶりもなく俺を睨み据えた。

「本当だ。俺は戻ったんだ。桂木の――彼女のおかげで」

見ると、桂木は張り詰めた空気を察してか、強張った顔で俺と加賀美を見比べていた。

「ほ、本当です。安藤さんはもう、大丈夫です。あれから一度もおかしくなっていませんし、放電もしていません」

「……」

必死で訴える桂木を、鷹の目が一瞥する。

「本当か?」

「本当です、信じてください!」

桂木の渾身の叫びに、加賀美はふうと溜息をつくと、殺意を鞘に収めて半身を解いた。

「ここは彼女に免じて目を瞑るとしよう。――中谷を鎮めた件もあるからな」

「加賀美……」

とりあえずほっと胸をなでおろす。が。

「ただし、貴様が危険な存在である事には今も変わりがない。いつ貴様がカミに堕ちるか、それは私にもわからないし、同時に貴様にとってもわからないはずだ。貴様は危険を孕んでいる。その事は、常に心に留めておきたまえ」

言い終わるなり加賀美は俺の脇をすり抜け、いつぞやと同じ颯爽とした足取りで、今し方エントランスに滑り込んだ黒塗りのクラウンに歩み寄っていった。

俺は慌てて回り込み、加賀美の前に立ちはだかる。

「お、おい加賀美! ケイの居場所、知らないか?」

「ケイ? ――中谷慶介の事か」

「ああ、あいつは今、どこにいるんだ?」

「どこに?」

加賀美は、眉根に微かな皺を寄せ、相手の常識を疑うかのような目で俺を見据えた。

「どこにも何も、もはやあの男にとって、場所という概念は存在しない」

「……は?」

「レベル四――カミに堕ちると共に、この世界のあまねく全てが認識領域となる。いわば世界と同化してしまうのだ。どこにでも行ける。が、同時に、どこにもいられない」

「どこにも、いられない……?」

ふと俺の脳裏に、あの時のケイの言葉が蘇った。

――ボクはもう、誰のぬくもりも感じられない存在なんだ――

 そういう事だったのか。ケイ。

「安藤」

「何だ?」

「貴様が奴に対して行ったアプローチは、私にとって大変興味深いものだった」

「そ、そうなのか?」

「もしかすると――救えたのかもしれないな」

「へ?」

目的語のない言葉を残し、今度こそ加賀美は俺の脇をすり抜けると、背後の車の後部座席へ滑るように乗り込んだ。クラウンは加賀美を乗せるなり滑らかに発進し、そのまま流れるようにエントランスを後にした。

看護師達の黄色い声が、クラウンの後姿に投げかけられる様子を呆然と眺めながら、俺は、加賀美が最後に言った言葉の真意を延々と探り続けた。

救えたのかもしれない。――誰を?

「お兄さん、の事でしょうか」

傍の桂木が、ぽつりと零した。

「あ」

そういえば、加賀美には兄がいた、という話を、どこかで聞いた覚えがある。

カミに堕ちた兄。あまりにも身近なカミの存在に、加賀美もまた、自らがカミに堕ちる危険を、常に近くに感じつつ生きているのかもしれない。

「安藤さん」

桂木の呼び掛けに、ふと俺は我に返った。

「何だ?」

「安藤さんは、どこにも行かないで下さいね」

「え? なんで俺が?」

俯きながら、桂木は言った。

「……だって、また、寂しくなる……」

桂木の声は、頬をすり抜けた海風に掻き消えた。そういえば、この辺りは比較的海に近い。微かな潮の臭いが鼻をくすぐる。

「行かねーよ。安心しろ。もう誰も、お前を置き去りにはしない」

その言葉に、桂木はふっと顔を上げた。吹き抜ける風に、その髪がふわりとなびく。

「……本当ですか?」

「ああ。本当だ。約束する」

しばし、俺を見上げていた桂木は、やがて、一文字の唇を緩めて言った。

「安藤さんの約束は、あてになりません」

「う、うるせぇ!」

俺が拳を振り上げると、桂木はカラカラと笑いながら跳ね回った。あれ? そういえば、こいつの笑い声を聞いたのは、これが初めてなんじゃないか?

「もう、大人げないですよぉ!」

「お前こそ、いつもいつも大人をコケにしてんじゃねーよ! 所長から聞いたぞ! 俺と真澄さんのデートに尾行をかけろなんて命令、所長は一言も言ってないってよ!」

「今頃気が付いたんですか?」

桂木はこともなげに言った。そして続けた。

「あんな見え透いた嘘に騙される方が悪いんです」

「なっ!」

「ほらぁ、早く帰らないと、また所長に怒られますよぉ」

言いながら、桂木は石造りのエントランスを抜けて青空の下に駆けて行く。

「まてえっ! ナマイキなガキには、おしおきしてやるっ!」

俺はそれを追いかける。

未だ残暑は厳しいものの、空気はいつしか湿度を失い、さらりとした肌触りで俺達を包んでいた。桂木の足元に伸びる影も、すでに随分と長い。

「あははは、安藤さんって、ほんと、大人げなーい!」

「んだとぉお!」

澄み切った青空には、刷毛で掻いたような筋雲と、桂木の笑い声。

すでにこの街は、秋を迎えようとしている。



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