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アンのテディ・ベア  作者: 伊那
CHAPTER3:The bumpy road
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12

 あれは、ネッドが九歳になってしばらくして、息子の誕生祝いと称した金持ちたちの集まりがあった日のこと。結局は大人たちの社交場、取り引きの前段階、ビジネスに関わる話になると、当然子どもたちは必要がなくなり放っておかれる。

 示し合わせたわけではないが、リラと一緒にいたら、ネッドは嫌な顔を見せられることになる。

「よお、おたんじょーびおめでとう、ぼくちゃん」

 又従兄弟のジョンだ。彼はまだ十三歳だというのに、もう両親と一緒になって次期社長候補のネッドをいたぶることを覚えてしまったようだ。元々、ジョンはいじめっ子気質を持っていたのだろうが、ネッドを見つけると実に楽しそうにやってくる。

「お願いごとはしたかい?」

 誕生日ケーキのロウソク消しを皆の前でやった時の事を言っているのだろう。ジョンのにやにや笑いにはうんざりだった。彼の父親そっくりの、人を蹴落とすことに愉悦を覚えた顔だ。こういうのは無視するに限る。時間を割くだけ無駄だ。ネッドはリラを引っ張ってその場から立ち去ろうとした。

「おい、待てよ、ガキのくせにいっちょまえにガールフレンドつれて歩いちゃって、あついねえ」

 ネッドたちの後をついてくるジョンに耳を貸さずに彼らは歩き続けた。

「どうせ、お前の将来の地位と名声が望みだろ、え、ガキのくせにもう色仕掛けに落ちてんのか?」

 ひどく下世話で下賤な人間だった。ネッドは、リラのことまで言及されて顔が赤くなって足を止めてしまった。

「……おい、ジョン」

「ああ? なんだ、プレイボーイ」

 ネッドが悪口(あっこう)を述べるより早く、リラのつま先が弧を描いた。あやまたずジョンの急所を打ち付けたのだ。

 目を丸くしたのはネッドで、敵の金的を蹴り上げた少女は飄々としていた。眼鏡の奥は涼しげな瞳のままだ。

「あんた、うるさい」

 思いもよらぬところからの反撃で、ジョンはうめき声をあげた。そんなにひどいことしてないのに、みたいな顔だ。

「行こ」

 三つ編みをゆらして、リラは歩き出した。「あ、ああ……」同情するつもりはないが、意外にも大胆な手段に出たリラに驚きを隠せないまま、ネッドは彼女の後を追った。


 二人は外に出て、会場の喧騒から離れていた。

「あいつのこと、気にしないでいいから」

 悪かった、との言葉が言えなかった。別にネッドが悪いわけではないのは事実だし、身内とはいえ他人なのだ。立ったままの二人は、何故か横に並んでそれぞれ違う方角を見ていた。

 リラからの返事はなかった。

 そうして、しばらく黙ったままだった二人のところに、大人が近づいてくるのが分かった。ホテルの入り口に近いから、利用客だろうかとネッドは思った。

「君たち、お母さんはいないのかね?」

 声をかけられるまでは、その男に注目もしていなかった。ネッドは、知らない顔に声をかけられて警戒した。

「近くにいるから、大丈夫です」

 ネッドは話しかけるなオーラを出していたというのに、男は全く気にしなかった。

「もしかして、普段から子どもだけで行動しているんじゃないのかね?」

 まったくの子ども扱いに、ネッドはひどく苛立った。おしゃぶり着けたよちよち歩きの子どもでもあるまいし、もう年齢が二桁に近い彼にとって、親が近くにいないことなど何の問題にもならない。放置などずっと昔からされている。

「だったらどうだって言うんですか。あなたには関係ないことです」

 ネッドはリラを引っ張って、男からすぐに離れようとした。しかしリラは、じっと男を見上げていて動く気配がない。ネッドの苛立ちは増した。

「それはよくない。子どもたちだけでいるのは危ない。よくない……」

 男はぶつぶつと口の中でつぶやいた。ずいぶんと心配性の馬鹿げた大人もいるものだなとネッドはうんざりする。子どもなんて、少し大きくなれば親の監視なしでどこでだって遊んでいるではないか。

「いいや、子どもたちだけでは危ない、危険がたくさんだ……誰かが見ていないと……守ってあげないといけないんだ……」

 やっとネッドは、この男性の様子がどこかおかしいと気づく。深く被った帽子、無精ヒゲに、曇った分厚い眼鏡。もう夏が近いというのにオーバーコートを着ている。その背には若者や旅人が背負うような、大きなバックパック。男はどこか焦点の合わない瞳を持っている。

 彼はネッドを見ているのではなくて、ほかの誰かを見ているのではないか?

 僅かながら、気味が悪くなってくる。ネッドは男から視線をそらした。

「おいリラ、行くぞ」

「だめだ、だめだ……子どもは守られなければならないんだ……」

「リラ」

 目を合わせもしないリラに、ネッドは強い口調で呼びかけた。

「ネッド、この人……」

「そうだそうだ。君たちに、これをあげよう」

 男はバックパックから何かを取り出して、二人の子どもにそれぞれひとつずつそれを与えた。

 大きなぬいぐるみ。

 ネッドには白いウサギのぬいぐるみ。リラには黒に近い灰色のネコのぬいぐるみ。

「……はあ? 要らねーよ、こんなもん」

 ぬいぐるみをほしがる年頃でもない、まして男のネッドには女の服を与えられたに等しい。

「あんたどうかしてんじゃねーか」

 最近になってやっと言葉遣いをやわらかくする術を覚えたはずのネッドだが、咄嗟に口が悪くなってしまった。男は少年のひどくうさんくさいものを見る目にも構わず、しゃがみこんで彼らに視線を合わせた。

「大人が信じられなくたっていい。この子たちだけは、味方だから」

 男の目は、この時だけは真っ当に見えた。意味不明な言葉をつむがれても、そうなのかと信じてしまいそうになるほど、真摯に満ちていた。

 ネッドは、そのぬいぐるみを見下ろした。両手で持つほどの大きさではないが、片手には余る存在。直毛の白い毛は、本物と思うほどに滑らかでやわらかく、ウサギの赤い目はルビーのように真っ赤だった。口元は愛らしく微笑んでいるようにさえ見える。チョッキを着て、大人しくしているウサギのぬいぐるみ。

 リラのものはネコのぬいぐるみ。口元と足の先だけ白い毛で、靴下を履いているみたいに見えた。そのほかは濃い灰色の体毛で、長いしっぽだらりと垂れ下がっている。瞳の色はきれいな水色だった。赤いリボンをしている姿は、どこか考えの読めない気まぐれな気質を持つリラに似て見えた。

 それぞれが、自分たちに渡されたぬいぐるみを見つめていると、ふとネッドは我に返ることを思い出した。

「おっさん、これ――」

 男はどこにもいなかった。少し目を離しただけなのに、辺りを見回しても見つからない。

「おいおい……こんなもん、要らねーよ……」

 リラだけはずっとじっとネコを見つめているが、ネッドはもうこのぬいぐるみに関心をなくしてしまった。かといって、捨ててしまうには長くウサギを見つめすぎてしまったようだ。どうするか、リラと顔を合わせてみたくても、いつまでたっても彼女は彼を向いてはくれないのだった。

 黙り込んだまま――リラはいつも口数が少ないから珍しいことではないが――反応のないリラを、ネッドは引きずるように連れ、パーティー会場であるホテルの中に戻った。

「おや、かわいいものを持っているね」

 などと声をかけられて、うっかりぬいぐるみをそのまま持ってきてしまったことをネッドは後悔した。いつもの場所に向かう前に、ゴミ箱を探してそれを捨てようとした。

「要らないならちょうだい」

 ネッドの行動を先読みして、リラが彼の腕を引いた。リラが何かに執着するのは珍しい。彼女は物質的充足よりも学問を選ぶような少女なのだ。

「……こんなのがほしいのか」

「白と黒で、チェスみたいだし」

 けっこうどうでもいい理由に思えたが、普段何か望みを口にすることが少ないリラにそれをあげるのは悪くない話だと思えた。

「要らないから、やるよ」

「うん」

 お礼も言わずにうなずくと、リラは二つのぬいぐるみを両手にかかえて、隣り合わせにして眺めていた。

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