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アンのテディ・ベア  作者: 伊那
CHAPTER3:The bumpy road
20/28

 外には鉛色の空が広がっていた。ひとまず町を出ようとネッドが提案したので、彼らはバスターミナルを目指す事にした。

「何から逃げてるっていうの」

 さほど興味がなさそうな口調でアンは尋ねる。

「……動くぬいぐるみの力を知る人たちから」

 ただ文章をなぞるような口調でリラが答えた。

「そうよね。あたしは、メランタウンでテディベアを寄こせって、ひどく率直な要求をされたわ」

 分かりきった事だった。

 アンは“彼ら”を知らないが、“彼ら”は動くぬいぐるみの事を知っていた。

 大人たちに何故動くぬいぐるみが必要なのか、アンは考えようとした。結局、自分にとって必要なものを他人に与える理由にはならない、という究極の壁に阻まれて、思考は停止した。とにかくアンは自分のテディベアを誰の手にも渡すつもりはない。それならば、次は相手がどのような存在か把握する必要があった。

 一度だけ横目でネッドを見て、アンはふたたび前を向く。

「組織だった存在だって言ったわね」

 子どもたちは、小走りで先を急いでいた。周囲を警戒しながら、無駄な事はせずに。いつだって口論に発達するおそれのあるアンとの会話を、ネッドは歓迎する気分にはなれなかった。今は必要のない無駄な事のように思えた。しかし自分たちを今まさに追っているかもしれない相手の事だ、少しは必要な会話だろう。

「正直、そこまで詳しくは知らないんだ。彼らより先にきみの居所探しを優先してたから。ただ、彼らはぼくらのぬいぐるみの力が突出してると知って、手に入れたがってる」

 言われてみればそうだろう。アンにも想定出来そうな内容だった。その程度か、と内心で呆れかけた時、リラがふたたび口を開いた。

「ポロック博士の、遺産」

 今度はアンも知らない固有名詞が飛び出した。思わず眼鏡の少女を向き直る。

「動くぬいぐるみをそう呼んでるみたいだよ、彼らは」

 ネッドが相棒の少女の言葉を受け継ぐように続けた。

 遺産だなんて変に仰々しい単語をくっつけたものだが、要するにポロックという名の人物が関わっている、そういう事だろう。

 新しい名前の登場に、アンの表情は少し硬いものになる。気が重くなったのだ。ジョリーが以前のように戻る方法すら分かっていないのに、行く手を阻むような者が存在するなんて、邪魔でしかない。

「あっ、あれ……」

 ふいにネッドが何かを見て声を上げた。アンはその声につられて彼の視線をたどる。そこには、複数の大人たちが何かを探すように周囲を見回していた。もしかすると、ネッドたちが言う組織の人間かもしれない。ネッドもそう思ったのだろう、リラやアンに目配せをするとさっと足を速めた。

「こっちだ、急ごう」

 相手の正体も分からないままなのに、アンはネッドの言葉に従って彼らから身を隠すために建物の影に隠れた。


 バスターミナルに着いた三人は、待ち時間なしで出発する便を探した。行き先を特に指定しなかったというのに、次に出る一番早いバスは一時間も後だった。

 夜は更け、仕事帰りの人は先を急ぎ、その数を減らしていった。代わりに町を闊歩するのはいわゆる飛行行為に走るような人間ばかり。柄の悪い男たちが笑いながら仲間と移動している。

 このまま子供だけでじっとしているのは得策とはいえなさそうだ。アンがそう口にする前に、ネッドは彼女の腕を引いた。

「あっちに!」

 強制的に走らされる事になり、腕まで掴まされアンはいい気がしなかったが、どうやらそれどころではなさそうだった。

「見つかったみたい」

 何て事のないように言うリラ。しかしそれは、アンたちの持つぬいぐるみを狙う者たちに捕まる未来の暗示。

 振り返ると、アンの目にも確かに町の不良たちとは身なりが違う男たちが追ってくるのが見えた。相手は四人だったが、アンたちより上背のある男ばかりだ。スーツのような服装に上着を引っかけた出で立ちで、筋骨たくましいようには見えないが、ひ弱くもなさそうだ。大勢でかかってこられたら、身体的に劣る分アンたちは不利だ。

「どうすんのよ」

 三人で暗い道を駆けながら、追いつかれるのも時間の問題だと思えていた。ネッドに問いかけたつもりなのに、彼はすぐには答えなかった。その事と、いつまでも腕を引かれているのが嫌になって、アンは苛立った。

「聞いてるの」

「バカなこと聞くなよ」

 人を見下すような言い方にアンは顔をひきつらせ、ネッドの腕を振り払った。それだけじゃなく、アンが立ち止まったのでネッドは意外そうに振り向いて足を止めた。顔の真ん中にしわを集め、不機嫌さを前面に押し出したアンに対しネッドはご機嫌取りをする気にはなれなかった。また彼らのケンカがはじまってしまうと思ったのか、リラが「ネッド」と呼びかける。しかし彼女は敵の接近を伝えてきただけだった。当然、ネッドも気づいていた。

「ぼくたちには、戦うぬいぐるみがあるだろ」

 ネッドはいじめっこのような笑みを浮かべ、アンに小馬鹿にしたような瞳を向ける。

 男たちの接近はアンにも分かっていた。自分が立ち止まった事で彼らが追いついたのかもしれないと、一層眉に深いしわを作る。

 ぬいぐるみを持つような年頃ではないと、普段は鞄にしまっているウサギのぬいぐるみを、ネッドはいつの間にか取り出していた。いや、ウサギの方から出てきたのかもしれない。ネッド(あるじ)の用向きを察知して、命じられる前に現れる従者のように。

 地上に降り立ったウサギは、アンの元を離れ歩き出したネッドに自らついて行っている。

 アンは改めてそのぬいぐるみを眺めた。大きさは彼女の持つテディベアと同じくらいだ。ジョリーと同じように、やわらかな素材だけで出来ているようにしか見えない。ウサギは鳴かないから、あのぬいぐるみも何も言わないのだろうか。そういえば、ホテルでこのぬいぐるみについての問答途中だった。なんて、アンが少し思索にふけりそうになった頃。ネッドのぬいぐるみは敵の一人を地面に転がすのに成功していた。

「おいおい、大人しくしてくれ」

 相手の一人はどこか疲れたような声を出す。どうやらあちらは何がなんでもアンたちを捕まえる、という気概を見せるつもりはないらしい。今も距離をあけたまま、仰向けになった仲間の一人をのん気に助け起こしている。だからといって彼らが“いい人”のようには思えないが。

「だったら自己紹介でもしたらどう?」

 ウサギのぬいぐるみを一瞥して、ネッドは男の一人に視線を返す。

 意外にも平和なやり取りだった。

「君たちが大人しくしてくれるなら何もしないさ」

 両手を広げて身の潔白でも主張するような男の姿。胡散臭いものを見る目でネッドはもう一度ウサギに視線をやった。ウサギのぬいぐるみは静かで口こそ開かないものの、顔をネッドに向けた後、赤い瞳で男を見つめた。男が動くぬいぐるみに警戒しているのが分かったネッドは、彼も蹴倒してしまおうと考えた。

 アンは油断をしていた。男たちはアンからは離れた場所にいて、ネッドのウサギが何とかしてくれると思い、自分に迫る男の陰に気づけないでいたのだ。あっと思った時には、アンは手を後ろに捻り上げられていた。

 ネッドは、アンの小さな悲鳴に注意をそらされる。

「アン!」

 同行者の危機に声を上げていると、ネッドの元にも男が腕を伸ばしてきた。男の腕がネッドの手首を捉える前に、彼は避けた。そして少年は身をひねると男の腹の真ん中に蹴りを入れる。素人にしては随分と慣れた動作に見えた。

 ネッドに蹴られた男は体を折って、腹をおさえてうめき声を上げる。男から離れて、ネッドはリラの居場所を確認する。彼女もまた他の男に動きを封じられているようだった。

 不思議な光景にアンは目を見張った。今、あのネッドが男を一人撃退したように見えたが、気のせいだろうか。

「やれ!」

 あいつらだ、と示すかのように腕を振り払うとネッドはウサギに命令を下す。相手の四人中皆がまだ軽傷だったが、ネッドはもう容赦するつもりはなかった。

 ウサギが跳ねる。

 白くてふわふわした体で、敵を打ちのめす。

 一人が地面に倒れた。

 アンはなんとなく分かってくるようになった。あのウサギのぬいぐるみは、アンのジョリーと違って少し拳が軽いような気がする。しかしその分とても俊敏だ。男たちはウサギの力強さにではなく、素早さに戸惑っているように見える。

 また、ウサギは男の一人をひざまずかせた。動くぬいぐるみには能力に差があるのだろうか。アンは険しいながらも検分するような表情で、ウサギの動きに視線を合わせる。膝をついた男は、しかしよろめきながら立ち上がる。

「調子にのるな!」

 無手だったはずのその男は、近くにあったビールケースを手にし、白いウサギに振りおろした。危ない、アンが思った時にはもう、四角いビールケースの角がウサギと重なっていた。自分が殴られたかのように顔をしかめたアンだったが、男の背後に白い陰が見えた時には、思わず口元をゆるめてしまった。さすが、ウサギのぬいぐるみだ。男の攻撃など簡単によけてしまえる。

 ウサギが、ふわふわの足で男を蹴る。普通のぬいぐるみであれば軽い体積でぶつかってこられても衝撃など皆無に近い。だが、あのウサギのぬいぐるみは違った。男が地面に倒れる――ウサギの足を掴んで。

 アンは悲鳴のような吐息を飲み込んだ。

 ウサギが、飛んで跳ねて軽やかだったウサギが、今や地面にはいつくばっていた。

「くそっ!」

 自分の従者の敗北に、ネッドは毒づく。ネッドのぬいぐるみは、大人の腕に押さえつけられて動けない。

「ゲームオーバー、だな」

 地面に尻をつけていない男が一人、ネッドの元に近づいてくる。子供の遊びにつきあってやるのもここまでだ、と言いたげな相手の顔にネッドは苛立っていた。

 男の手を今度も避けようとしたが、ネッドはあっけなく首を掴まれる。そのまま壁に押しつけられ、彼まで身動きが取れなくなってしまう。

 首の付け根と肩を掴んでいる男の手は、子供には大きな手で、それで締め付けられるとネッドは声を上げるのも難しくなった。

 何かを目だけでアンに訴えているような気がするのだが、彼女にはそれが何かは分からない。

 アンのジョリーは動かない。ネッドのウサギも動けない。アンはケンカなんて出来ない。少しケンカ慣れしているらしいネッドは身動きが出来ない。

 せめて自分だけでも敵の手から逃れようと身をよじるが、アンは大人の力には敵わない。

(どうしたら、いいの)

 こんな訳の分からない相手に屈する気などない。だがアンにはこの状況を打破するような手立ては何一つとしてない。ジョリーに頼りたいけれど、彼は今、アンの手の届かないところにいるようなもの。

 こんな事になるのなら、タマラと暮らしたあの一年を武道の鍛錬に使うのだった。実りの少ないままに終わった情報収集などせずに、足腰を鍛えるのだった。

「もうしばらく大人しくしてもらおうか」

 ネッドを取り押さえていた男が首からは手を放し、拳を握る。強制的に物が言えないようにするつもりだ。ネッドが終われば次はアンの番だろう。何をどうしたらいいか分からないまま、彼女は無意識のうちに口を開こうとした。何を言うかなんて考えていなかったが、これ以上黙っていられない。

 アンが息を吸い込んだその時。目の前を横切った小さな陰に、彼女は目を奪われた。

「……えっ……?」

 それは、予想だにしないものだった。

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