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アンのテディ・ベア  作者: 伊那
CHAPTER2:To be or not to be?
11/28

 疲れてはいたが、まだ足は限界に達してはいなかった。それなのに、この狭い路地ときたら、アンの逃げ場を失わせたのだ。広い場所ならあるいは、というのは関係がないのかもしれないが、とにかく今は何にだって悪態をつきたい気分だったのだ。

 いつも、追われる側。いつも、逃げるだけ。いつも、守備体制。

 せめてあのカバンの中身があったら!

 あのカバンの中には、クマのぬいぐるみだけではなく――……。

 掴まれていた腕を強く引かれた。痛い! と声をもらしそうになるがアンは堪えた。きりきりと腕を引き上げられて、やや強引にその男との視線を合わせられる。口を開いたのはアンの手を握る男、ではなかった。もう一人が顔をのぞかせると天気について話をしているかのような気楽さで問いかける。

「お嬢ちゃん、今日は荷物が少ないな?」

 アンは顔をしかめた。彼女の持ち物について問われたことはこれまでにはなかった。誘拐劇の中で、アンが演じるのはいつもロイに叶えてほしい願い事があるんだと聞かされる役だったはずだ。だから大人しく黙っているんだなと脅されて怯えていればいいだけのはず。

「荷物はどこだ? 持っているんだろう、“アレ”を」

「アレ……?」

 彼らは、ロイが何か重要なものをアンに託したのだと、勘違いをしているのではないか? もしくは、アンが知らない間にそれを受け取ってしまったので、彼らはアンを捕まえようとしているのだろうか。

「面倒だな、単純に聞こう。クマのぬいぐるみはどこだ?」

 聞き間違いかと思った。

 クマのぬいぐるみ?

 当然すぐに思い浮かぶのはアンのテディベアのジョリー。体の中にはかき集めた綿が、ほつれ気味の縫い目からはみ出ないようになんとか詰まっている。

 首を振ってしまいたくなった。否定を示すためではなく、訳が分からないあまりに、その話を止めてとばかりに頭を揺らしたい。

「ぬいぐるみ……?」

 彼らの言っていることの意味が分からなかった。条件はそろっている。アンは確かに、今ここにはないものの、クマのぬいぐるみを持っている。彼らの望むものが分かっている。だが、一体どういう意味なんだろうか。頭が理解を拒否していた。

 それは一種の警鐘、あるいは防衛本能だったのかもしれない。

「ああ、そうだ。お嬢ちゃんは持っているはずだな、茶色いクマのぬいぐるみを。今は持っていないようだが、どこにある?」

 何故、彼らがアンのテディベアをほしがるのか?

「な……」

「ぬいぐるみの場所を教えてくれたら、お嬢ちゃんは自由にしてあげよう」

 口元が三日月にゆがんだ男。

 何故、彼らはアンが持つぬいぐるみの存在を知っているのか? ただの子どものおもちゃの仔細を、何故把握しているのか?

「なに、言ってるの……」

 ぐらぐら、少女の世界が揺れた。男たちの輪郭がぶれる。

「とぼけちゃダメだよ、分かってるんだから」

 彼はなんでも知っている教師のような顔をしてみせた。肝心な時には助けてくれない教師の顔にも似ている。都合のよい時にだけ自分のルールを大人の規則だと偽って、微笑んで見せる人間。

 彼らは、誰だ?

 最初、ロイの会社から利益を引き出そうとする人間か、あるいはアンが社内によくない影響を与えていると見なした人間かのどちらかと推測したのだが、どうにもそのどちらにも見えない。それとも、(ロイ)は新たに玩具商品にも販売の手を伸ばしたのだろうか?

 わけが、わからない。

「なんで……ジョリーをしってるの……?」

 どうして“アレ”が動くと知っているの?!

 世界中を回って確認したわけじゃなかった。それでも世界にいくつもある存在とは思っていない。動くぬいぐるみなんて。それを認めることのできる人間がいるなんて。

 頭がおいついていかない。アンの世界はやっとまともに動くようになっていたのに、ジョリーがいつかしゃべり出すと信じて、タマラとの生活を身近に感じられるようになっていたのに!

 また逆戻りだ。彼を失った時に。それは、今もまたジョリーをもう一度失ってしまう未来が想像できてしまったからかもしれない。

 やめて。

 もう二度と、あたしからジョリーを奪わないで!

「いやっ!」

 隠さなきゃ。ジョリーを安全なところへ隠さなきゃ。どうしてか分からないが彼を狙う男たちがいる。ロイ・フォックス・ワイエスの娘であるアンではなく、そのぬいぐるみを狙う人間がいるなんて!

 助けなくちゃ。今はものいわぬテディベアでも、アンの手元から離れるなんてあってはならない。

 一度捕まえたからと油断していたのだろう、アンが相手を突き飛ばすようにして飛び出すと、するりと腕は抜けてしまった。

 道をただひたすらに進むと、一気に開けた空間へと出た。アンは大きな通りにきたのだと錯覚したが、そこは廃墟のような空き家で、コンクリートの壁の多くの部分が欠落しているから広い空間だと思い込んだのだ。家屋の中は、奥に行けば階段があるようではあったがほとんど行き止まりのようなものだ。

 急ぎ引き返すと、アンはまたもや人にぶつかってしまう。今度は衝撃が自分にだけに返ってくるのではなかったようだが、アンはたたらを踏んで、転倒しかけた。

「いってーな、何すんだよ」

 穏やかではない口調の声が上がるが、しかし相手はアンと同じ子どものようだ。あちらも転ぶにまでは至らなかったようだが、勢いよく飛び出したアンにぶつかり、彼女と同程度の痛みを覚えたようで苦情を訴えてくる。

 背丈はアンより少し高い程度の子ども。身なりはよさそうだから何故こんなところにいるのか理解できなかったが、今はそれどころではなかったのだ。

 通り過ぎようとして、もう一人子どもがいたのだとアンは知る。

「ネッド、この子だよ」

 背後の少女に目配せをされ、少年はやっとアンを見つめようとするが、彼らにはそんな余裕は与えられていなかった。

「……ちっ、部外者を巻き込むつもりはなかったんだがな」

 アンを追ってきた男たちが追いついたようだ。アンが間違えて入ってしまった廃屋の外には道が三本に広がっていたが、それぞれの退路をふさぐように男たちが立っていて、アンのところに迫ってきた。

「お嬢様、いい子にしていればお友達に怪我をさせるようなことにはなりません」

 最初にアンを捕まえた男が口を開く。アンは友人でもなんでもない、偶然居合わせてしまった少年少女のことを脳裏に浮かべた。振り返っている暇はない。彼らを逃すにはどうしたら? それとも、自分だけでも逃げればいいの?

 どうしたらいいの、ジョリー!

「あ……あたしは……」

 二択しかもらえなかった。見も知らぬ相手のために、ジョリーを手放せというのか。手元にはないから、家まで連れていかれるに違いない。

 アンの腕が震えた。拳も握れない――。

「どいてろ」

 アンを手で突き飛ばしたのは、大人ではなかった。勢いあまってアンは地面を転がる。自分と同じくらいの年頃の相手に粗雑に扱われるのは、大人にされるよりも何故だか腹が立った。アンは自分を押した少年を見上げた。転んだ拍子にすりむいた手がひりひりする。

「……お前たち、まさか……」

 まるで彼らは、今アン以外の人間に気がついたかのように、少年を見つめた。

 無愛想だった少年は、視線を集めたのが分かると楽しそうに頬を持ち上げる。あまりいい感じのする笑みではなかった。それも、子どもが浮かべるようなものではない。

「あれ、ぼくたちこっちの世界でも有名人みたいだね。これって喜ぶべきこと、じゃないよね」

 少年は隣りに立つ少女に語りかけていたのに、相手は彼を見ようともせず、眼鏡の奥から男たちを見据えていた。返事がないのに多少は堪えた様子だったが、いつものこととでも思っているかのように、少年は話を続ける。

「……まあいいや。さて、君たちには一つショーを用意してある」

 少年は居丈高だったが何故か似合っていた。

ウサギの足(ラビッツフット)がぼくにもたらす幸運を見せてあげよう。ただしその逃げ足をたたえるものではないということを、明言しておく」

 少年は帝王のように笑った。アンは怪訝な顔をして少年を見つめる。彼が開いたカバンの口から、白い影がさっと飛び出した。あまりにも素早いので何が飛び上がったのかも分からなかった。

「あ、あれが……!」

 男たちはそれを目で追って、事態を把握するのに精一杯だった。中には顔を見合わせる者もいる。

「あれもろとも、捕まえろ!」

 叫んだ瞬間、男は頭を強く殴打された。途切れそうになる意識の中で、自分が白いものを目の前にしているのだけを把握する。

(これが、ポロック博士の遺産……!?)

 理屈では分かっていても、事前に情報を与えられていても、男は我が目を疑いたくなった。おぼつかない足取りのせいで、彼は仲間であるはずの人間と頭を衝突させるはめになる。そしてもう一度腹に一発、何かを食らい、意識を手放した。

 目にも止まらぬ速さだった。アンがいつか見た景色と似ているが、彼女のジョリーの比じゃないほどに速いスピードでそれは動いていた。逃げ惑う男の一人を追って、白い影がコンクリートの壁に穴を開ける。まるで拳が振るわれたかのようだ。

 悲鳴を上げて寸でのところで避けた男だったが、第二陣の拳の方が素早かった。鈍い声をもらして、また一人男が地面に倒れた。彼はご丁寧にもアンの目の前で昏倒した。

 残るは一人。

 三人のうちの最後を探していた少年は、一時撤退をするつもりの男に気づき、振り返って声を上げる。

「そんな鈍足で、逃げれるかよ!」

 少年の声が合図かのように、白い影が逃げる男を追った。家屋の外に飛び出した白いそれは、アンの見えない場所で最後の男にさけび声を上げさせた。

 立ちあがることも忘れて男たちと白い影の攻防を見ていたアンは、視界の端にいる少女が自分をじっと見つめているのを知る。何もないところを見つめる赤ん坊のように少し不気味で、奇妙に一心だった。

 ふう、と吐き出した息の音が聞こえ、のろのろとアンはその音源に顔を向ける。白くて糊のきいた襟のあるシャツを着る少年は、どう見てもお金持ちのお坊ちゃま、だった。

 少年は一歩一歩、ゆっくりと足を動かしてアンに近づく。物知りぶった灰色の瞳を光らせて。

「だから言っただろ? 一人で出歩くなって」

ウサギの足(ラビッツフット)

アメリカなどではウサギの足が幸運のお守りとして、もちいられている。現在では本物のウサギの足を使うことはあまりないらしい。

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