少年ラファ
『ここはどこだ?』
ベッドの上で目を覚ました少年は、痛みが残っている頭を軽く撫でながら先ほどまで見ていた夢か現実か分からない光景を思い出していた。
『さっき見ていた夢は一体なんだったんだろう。「瀬戸達也」という名前、聞いたことないのに既視感があるこの感じ。分からないけど大事なことな気がする。』
少年の名前はラファ・ジェファーソン。
今年で7歳になる少年は、母譲りのキリっとして気品のある目元と襟元まで伸びた黒髪が特徴の中性的な見た目をしている。ラファはおおよそ平均的な同年代よりもどこか達観しており、同年代よりも寧ろ大人との会話を好んだ。また、領民からの要望に対しても、冷静で毅然な態度と大人顔負けの思考力で問題を解決することがあり度々周囲を驚かせた。更に、物心ついたころより続けている剣術の腕前は歴代一ともいわれていることも相まって、領民からは次期領主の器だと賞賛されている。
彼は、働いていない頭の中で繰り広げられる思考の波を一旦辞め、冷静に自分の状況を確認するため、横たわった状態で周囲を見渡した。隣には今にも泣きだしそうな母のシャルロットと側仕えのリーゼがいる。その奥に木目調のドアがあり、その横の壁にはところどころ擦り切れた剣術稽古用の服が掛けてある。年季の入ったクローゼットと使い込まれたアンティーク調の机、手入れの行き届いた木剣が保管してある。落ち着いたこげ茶色の壁紙、それらのおおよそ領主屋敷らしからぬ質素な内観から、ここが自室であろうと思い至った。
今置かれている状況を何とか理解したラファは、再度横にいる母とリーゼに目を移した。
普段は毅然とした態度でラファの教育をしている母であるが、その切れ長の目は泣いたような腫れぼったさがあり、いつもの気品に満ちている顔は憔悴していた。
ラファは、普段とあまりにも様子が違う母に何と言葉をかければいいのか思いつかなかったので、一先ず自分の状況を確認するため母の横で待機していたリーゼに質問した。
「リーゼ。一体僕には何が起きたの?」
その第一声があまりにも落ち着いていたのが意外だったのか、リーゼは一瞬ためらいながらも落ち着いた声で答えた。
「ラファ様は昨夜、夕食を召し上がって退出しようとした際、突然頭を押さえられて気絶されました。すぐさま医者に診させましたが異常は見受けられず、そのまま眠っていらっしゃったのです。」
リーゼが話し終えるかどうかで、母が話を遮った。
「本当よ。あなたに何かあったらと思うと、私はもう心配で心配で。でも無事でよかったわ。」
ラファは母のやさしさに感謝の念を抱きつつ、これ以上は心配をかけまいと敢えて微笑みながら答えた。
「お母さま、ご心配をおかけして申し訳ありません。ですがご覧の通りすっかり元気になりました。」
「そんなことないわ。もう少しゆっくり寝ていないと。」
母とやり取りをしていると、部屋の向こうから声が聞こえてきた。
「ラファが目覚めたというのは本当か!」
「はい!たった今目を覚ましたと側仕えのものより報告がありました。」
その聞きなれた声は息を切らせて近づいてくる。声の主はドアの前で一旦動きを止め、まるでガラス食器を扱うかのような手つきで、ゆっくりとドアを開けて中に入ってきた。
ドアから顔を覗かせたのはラファの父ジョルジュだった。ここドレイス領の領主で、騎士隊長として隣国との小競り合いに度々出征している。上背が190センチはあろうかという大男で、腕は丸太のように太く、凛々しく整っている顔とはおおよそ不釣り合いな、岩のようにゴツゴツした体つきをしている。
ジョルジュは外見に似合わない濡れた猫のような顔で、ベッドの上で体を起こしているラファの顔を見つめると、力強く優しい声で息子の体を労わった。
「ラファ。突然倒れた時は心配したぞ。どこも痛いところはないか?」
「父上ご心配をおかけしました。体の調子は問題ありません。」
ラファは父に心配をかけまいとほんのりと微笑みながら答えた。
「そうかそうか。無事であるなら何よりだ。今日はゆっくり休みなさい。」
息子の無事を確認すると、ジョルジュは大きく息をついて少し早口で伝えた。
その一部始終を隣で見ていた母のシャルロットは、ジョルジュのあまりの戸惑いように少し笑いながら
「あなたの方が今にも倒れそうなくらい顔色が悪いわ。あなたも今日はお仕事を早く切り上げたら?」
とジョルジュに対して、子供を窘める母親のような口調で伝えた。
そんなシャルロットに対してジョルジュも
「お前も今にも倒れそうな顔色をしているぞ。昨日から眠れていないんだろう。よし、今日は全ての仕事を終わりにして、ラファの快気祝いとでもいこう。」
少しでもこの静寂な雰囲気を破ろうと、ジョルジュはわざと大げさな声で伝えた。
そんな父と母の姿を見て、ラファの目からは1筋の涙が流れた。ラファ自身もなぜ自分が泣いているのか分からなかった。泣いている姿を見せると両親がまた心配するかと思ったラファは、そっと手の甲で涙を拭い、両親とリーゼに対して笑いながら、子供っぽい口調でこう言った。
「みんなありがとう。今日は僕の大好きなご飯にしてほしいな。」
その言葉を聞いた周囲の大人たちはラファの無邪気な笑顔に安堵した。そして息子の無事を確認した母は
「お夕食まではまだ時間があるから、お部屋でゆっくりと休んでいてね。もし何かあったらリーゼに言うのよ。」
と言い部屋を後にした。それに続いて父も
「落ち着くまで剣術稽古は休みにするからな。しっかりと休養するんだぞ。」
と言い、残っている仕事のために書籍に戻った。
残ったリーゼも
「何かあれば申し付けください。ドアの外に待機しておりますので。」
と言って静かに退出した。
先ほどまで騒々しかった部屋は静寂に包まれた。
ラファはベッドから立ち上がり、先ほどまで見ていた夢の内容をについて、部屋の中を歩きながら反芻していた。
『瀬戸達也という名前、僕はなぜか知っている。それに夢の中で僕に優しくしてくれたおじいさんとおばあさんも僕は知っている。どこでそれを知ったんだろう。思い出せない…。」
あれこれと思考を巡らせていたその時、ラファの目の前に突然夢の中に出てきた幻影が姿を現した。
ラファは驚き、ドアの前で待機しているリーゼを呼ぼうとしたが、なぜか声が出ず、部屋の外に出ようにも体の自由も効かなかった。
そんなラファの不安を余所に、幻影は夢の中で聞いたしゃがれたような途切れ途切れの、しかし今度は聞き取れる声で言った。
「てんせいは、せいこう、した。このせいかい、を、たのみます。」
次の瞬間、ラファはベッドの上で目を覚ましていた。
そして目を覚ますと同時に、今度ははっきりと頭の中に情報が流れ込んできた。
『僕は以前、二ホンという国で「瀬戸達也」として生きていた。そして本当は二ホンで生まれ変わるはずだったのになぜかこの世界に転生した。でも、なんでそんなことになったのかわからない。あの影のような存在は一体何なんだ。僕はなんで前世の記憶を持たされたまま転生させられたんだ。」
突然の情報量に押し流されそうになったラファだったが、ドアのノック音で我に返った。
「ラファ様お夕食の準備ができました。」
カーテンから覗いている景色はいつの間にか赤く染まっていた。既に3時間近くたっていたようだった。一先ず考えることは後にして両親と可愛い妹の待つ夕食会場に向かうこととした。
これから彼が歩む壮大な物語を彼はまだ知らない。




