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瀬戸達也の生涯

西暦20XX年


終電も過ぎた深夜の通り道。NPO法人スリーステップの代表である瀬戸達也は家路についていた。

来月には36歳になる彼であるが、皴の少ない整った顔立ちと、学生時代から継続している合気道のおかげで引き締まった体つきをしている。そのおかげか、新規利用者には20代前半の新人だと誤解する人もいるほどだ。


今日は法人が所有している、生活に困窮している若者向けのシェアハウス「きずなの家」にて、入居者同士のトラブルがあった。トラブルの内容はお金を貸した借りていないという、ここではありふれた内容だった。


「きずなの家」に住んでいる若者のほとんどは定職に就いているものの、将来に対して貯めておくという感覚がない。更に日々のギャンブルや見栄のための借金に抵抗がなく、お金が無くなれば隣にいる人間に何の抵抗もなくお金を借りてしまうのだった。そしてそんな人間が日々の金の貸し借りなど覚えているはずもなく、貸した側は金を返せと言い出し、借りたほうは借りた覚えはないと開き直るというのが常であった。


今回も最近入居したばかりの佐藤信哉と半年ほど前から生活をしている黒木修二の2人が、この前貸した1万円を返せだの借りた覚えはないだので乱闘騒ぎになったのだった。幼子の喧嘩であれば収めるのは簡単だが、大の大人2人の乱闘となると話は別だ。


仕事柄慣れている瀬戸は、得意の柔道で暴れている佐藤を抑え込み、頭に上った血を冷まさせてから話し合いに促していった。


そもそもそのような施設内でのトラブル解決は、代表者である瀬戸の職務内容ではないのだが、運悪く今年入社したばかりの社員だったことと、手の空いてる職員がいなかったということから、指導がてら瀬戸自身が現地に赴いたという次第だった。


結局夕食後から始まったこの騒動は、今の今まで解決に時間を要してしまったということだ。今回はお金を借りたことを納得した黒木が、佐藤にお金を返す旨の署名を交わしたことでとりあえずの解決を見た。今後はお金の貸し借りを控えることを念押しして瀬戸は岐路に着いたというわけだ。


「はあ…、今日は本当に疲れたな。毎日毎日こんなことばっかりで、本当にこの仕事は誰かの役に立っているのだろうか。」

瀬戸はぶつぶつと泣き言を言いながら、街灯に照らされてほとんど見えない夜空を見つめながらとぼとぼと歩いていた。


そもそも達也がNPO法人を立ち上げたのは、彼の育ての親である祖父母の影響だった。

小学5年生の時、不慮な事故で一度に両親を亡くした達也は、母の両親である稲垣夫婦に引き取られた。


突然両親を失った少年の心はいたく傷付き、外にも出られず、食事もまともに取れない状況に陥ってしまった。28キロあった体重も1か月で23キロまで落ち込んだ。頬はやせこけ、目にも光がなく、部屋から出られない日々を過ごした。


なぜ両親は死ななければならなかったのか、なぜ自分一人が生きているのか、自分がダメなことをしたから神様が罰を与えたのか、色々な感情が頭の中を離れず、すっかりふさぎ込んでしまった。


その様子を見ていた祖父母は、達也に対して優しい言葉をかけ続け、彼の親代わりとして慣れない手つきで達也の面倒を見た。


そんなある日、自室から出てこない達也に対し、祖父と祖母は強硬手段に出ることとした。

自分たちから開けることを躊躇していた達也の部屋のドアを開き、力強い声で言った。


「達也も私らの職場についてくるか?」


達也は「行かない」とボソッと言ったが、祖父がうずくまる達也の手をギュッと握りしめ、

「いいところに連れて行ってやる。そこの子らに、こんなところで腐ってる姿を見られたら笑われるぞ。」


『そこの子ら』というのがピンとこなかった達也だが、これまで感じたことのなかった祖父の力強さに圧倒され、渋々ついていくこととした。


祖父は相棒のヴェルファイアに乗り込み、達也を助手席に乗せた。そしてその道中、達也に自分たちの仕事について話してくれた。


祖父母はすでに還暦を過ぎていたが、設立20年になるNPO法人の共同代表を務めており、貧困にあえぐ若者や、居場所のない子供たちに避難場所を提供してるということだった。


その事業の1つである「子ども食堂」に達也を連れて行ってくれるらしかった。

子ども食堂に行ったことのなかった達也だが、祖父はきっと気に入ると満面の笑みで語っていた。


会場は地域の古民家で、昔ながらの日本家屋といった外観だった。中に入ると20畳はありそうな座敷があり、そこで大勢の大人や子供がカレーライスをほおばっていた。


親子連れもいたが、子供同士で来ているグループもいくつかあった。達也はそう言った場所に来るのは初めてで、どうしていいか迷っていると、祖父が優しく達也の手を引き、達也と年が近いであろう数人のグループに引き合わせてくれた。


グループにいた少女が祖父を見つけると

「銀ちゃんやん!久しぶり!」

と、祖父に親し気に話しかけた。


それに続くように他の子も

「なあなあ、この前マラソン大会で8位やったんやで」「昨日ななんもやってないのに先生に怒られたんや。なあどう思う?」と、自分の思っていることを次から次へと祖父に語りだした。


そして、その怒涛の口撃がやむと、祖父の後ろに隠れている達也に気が付いた。そして、

「なあ銀ちゃん、この子誰?」と祖父に質問した。


「こいつは俺の孫の達也だ。みんな仲良くして挙げてくれ。」


そういうと祖父は達也をみんなの前に押し出し、自己紹介させた。

達也はどうなるか不安だったが、その不安は杞憂に終わった。


「どこの小学校だったの?」「足早いんか?」「バスケやってた?バスケ!」などと矢継ぎ早な質問攻めにあった。達也は意外な反応に驚いたが、1つ1つの質問に答えていった。

気が付くと達也はすっかりそのグループに馴染んでいた。


そしてみんなと話していくうちに、グループの中にも両親を失ってしまった子供や、父親がいない子供など、達也と似たような境遇の子供がいた。しかし彼ら彼女らは下を向くどころか、今は亡き家族に自分の頑張っている姿を見せたいと前向きに生きていた。


その日を境に、達也は隔週で開かれる子ども食堂に祖父と一緒に通うようになり、そこにいた子供たちと話をしていく中で、徐々に生きることに対して前向きになっていった。


ある日達也は祖父母に聞いた。

「なんでおじいちゃんとおばあちゃんはこの仕事をしようと思ったの?」


祖父は少し黙った後、優しい声で語ってくれた。

「じいちゃんは子供のころ親に捨てられてな。その後親戚の家に行ったんだがそれはそれは辛い目にあった。でもな、そんな時ラジオでじいちゃんのような子供助ける仕事があるって知ったんだ。大人になったら絶対にその仕事をするんだって頑張ってたら、気が付いたらこうなってたって訳よ。」


祖母はその話を黙って頷きながら聞いていた。そしてゆっくりと口を開いた。

「おばあちゃんはおじいちゃんに会うまでは、こんな仕事があるなんて知らなかった。でも、困っている人を助けることそのものじゃなくて、落ち込んで、世の中に取り残されてしまっていた人たちが、私たちの支えでもう一度前を向いて歩いていけるようになる。そんな手助けをできることが、とても嬉しいの。もちろん、達也が元気になってくれたこともとても嬉しいのよ。」


誇りをもって仕事をしている2人の姿を見ていた達也は、この答えを聞いて改めて目の前の老夫婦のことを尊敬するようになった。


そんな2人のもとで育った達也が福祉の世界に足を踏み入れるのは、ある意味当然だった。

大学を卒業した後、福祉法人で経験を積み、28歳で現在のNPO法人を立ち上げた。その立ち上げを見届けた翌年、祖母がこの世を去り、その後を追うようにして祖父もこの世を去った。


達也は祖父母の想いを胸に、更に仕事にまい進するようになっていた。


ーーーー

そんな昔のことを思い出しながら達也は

「泣き言言っても仕方ない。もっと支援の範囲を広げて1人でも多くの若者を救うんだ。」

と決意を新たにしたところで、気が付けば自宅マンションに着いていた。


簡単にシャワーを浴び、それ以外は何もせず、そのままベッドに沈み込んだ。明日もまた当たり前のように続く毎日のために。


しかしこの日が瀬戸達也の「この世界」での最期の日となった。

享年35歳。死因は就寝中に起きた隣室の火事だった。

目を覚ました時には既に火が部屋中に回っており、一酸化炭素中毒で遠のく意識の中NPO法人を立ち上げた時の仲間の顔や、その立ち上げを誰よりも喜んでくれた祖父母の顔を思い出した。

そしてたった1つの言葉が浮かんだ。


「じいちゃん、ばあちゃん、ごめんね…。」


ーーーーーーー

次に目を開けた達也は困惑していた。

先ほどまで確かに燃え盛っていた自室にいたはず。しかし今いるのは何もない真っ白な部屋だった。

どこまで奥行きがあるのか、またどこまでの高さがあるのか全く見当もつかないほど、ただただ白い空間がそこには広がっていた。


状況を飲み込むことができない達也はあたりを見渡した。しかしなぜだかすぐに、自分は火事で死んだのだと認識することができた。


ただ達也は、そこで慌てふためくようなことはしなかった。既に死んでしまった自分自身のことよりも、突然経営者がいなくなった自分の法人の今後と、雇っている職員、そして施設に居住している支援者たちの方がよほど気がかりだった。


しかし少し経つと達也は「そんな小さなこと」などどうでもいいと感じるようになり、心配していたことそのものが何であったのかすら分からなくなっていった。

頭の中からすべての思考が消え去っていくような、とても心地の良い感覚が達也の体を包み込んだ。


「あぁ、いったいぼくはなにをかんがえいたんだろう。ぼくってなんだろう。もうどうでもいいや。」


思考がまとまらなくなったその時、上から1筋の光が差し込み、達也の体を包み込んだ。

この光こそが達也の数奇な運命の始まりだったのだが、この時の彼に知る由はなかった。


光は達也に男とも女も取れない、しかし優しい声で伝えた。

「あなたは不幸にもなくなりました。あなたの徳を考慮し、また人間としての生を与えましょう。」


殆ど何も考えられなくなった達也は

「はい。ありがとうございます。」

と生気のない返事をした。


声の主は続ける。

「転生する前に今世の記憶をすべて消去します。よろしいですか。」


達也が「はい」と返事をしかけた、まさにその時、

達也を包んでいた光が突然点滅し、どこまでも広がっていた白い部屋全体が揺れ始めた。

先ほどまで生気の失ったような顔をしていた達也の目に光が戻った。

「なんだこれ!部屋全体が揺れてる!」


突然のことで取り乱した達也だが、既に死んでしまっていて今更だなと開き直り、こうなればどうとでもなれと仁王立ちして事の成り行きを静観していた。


しばらくすると光の点滅が終わり、部屋の揺れも落ち着いたが、達也のおそらく5m先に、先ほどまでいなかった翼が生えたような生物の幻影が1体、ゆらゆらと揺れていた。


流石に驚いた達也は「わっ!!」と飛びのき、

「なんだお前は!」と素っ頓狂な声で叫んだ。


その幻影は何も答えなかった。先ほどまでは冷静だった達也は一転、その只ならぬ出来事に狼狽し、気が付くと先ほどまで話をしていた空の声に対して叫んだ。

「何が起こったんだ!返事をしてくれ!」

しかし空の声は何も答えなかった。


達也は再度幻影に目を向け、次に起きる何かに向け身構えた。


すると幻影は所々聞き取れない、しゃがれた声で一方的に話し始めた。

「あ…たは、私が…に転生させる…した。わた…を、…て…ださい。」


「何を言っているんだ!転生って、おれは何をすればいいんだ!」


幻影は答えることもなく消え去った。

そして幻影が消えたと同時に、空から先ほどまで聞いていた優しい声が降ってきた。

「では転生をします。来世でも徳を積むことを期待しています。あなたの来世に幸福があらんことを。」


あまりにも突き放された気持ちで達也は天に向かって吠えた。

「どういうことだ!転生ってどこに転生なんだ!何か答えてくれ!」


そして達也の目の前は真っ暗になった。


ーーーーーー

次の瞬間が目覚めると、そこは見知った天井だった。10畳ほどの長方形の部屋の片隅には、使い込まれて傷がついているタンス、その横には姿見が置かれており、締め切ったカーテンのせいで暗くひんやりとした部屋を映し出していた。洗濯石鹸のにおいがほんのりする布団の横には、数人の大人がひっそりと佇んでいた。


その中でも特に気品の高そうな女性が目の前の少年が目を覚ました事実に気が付き、その驚きと嬉しさのあまり涙を流しながらこう言った。

「ラファ。目が覚めたのね。」


その声に対して「僕」は涙ぐむような声で答えた。

「心配をかけてごめんなさい。お母さま。」

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