023
続けてスタッフから届いたWebアンケートの集計をする。
アンケートは定期的に行っており、正社員だけでなく、パート・アルバイト、さらには本社勤務のスタッフにも協力してもらっている。
働いているなかで不便なこと、不満、改善案などを匿名で記入してもらい、本社では把握しにくい問題を見つけ、よりよい環境づくりにつなげていくのが目的だ。
「はぁ……」
思わずため息がもれた。
「どうかした?」
沙織さんが視線をわたしに移す。
「アンケートなんですが、あまり集まらなくて」
「どのくらい?」
「二週間で三割弱ってとこですね」
「でも締め切りまであと一週間だしね」
これまでの経験だと、残りの一週間で期待しているほどの回答はこない。業務の忙しさに追われ後まわしにしていたり、単に忘れていたりするひとも少なくない。
でもそれはまだいいほうで、なかには面倒くさいとか興味がないとか、最初から回答する気がないひとも多いと聞く。
「催促する?」
「いいえ。強制はしたくないので」
あくまでも任意。アンケートを負担だと思うなら遠慮してもらったほうがいい。
その代わりアンケートの回答はすべて目を通す。三割弱といっても回答数は一五〇件越えなので受付期間中、アンケート確認は日課となっている。
現場の声というのはときに辛辣で心が折れそうになるけれど、それらの声は仕事に真摯に向き合っている証拠だから、どれも大切な声として受け止めるようにしている。
こうして時間は瞬く間に過ぎていく。あっという間に定時になってしまった。
「雨宮さん、終わった?」
「はい。大丈夫です」
うちの会社は残業NGではないけれどあまり歓迎されない。なるべく声をかけあって定時に帰るようにしている。同じフロアのほかの部署のひとたちも続々と帰りはじめていた。
「沙織さん、化粧室に寄っていくので」
「わかった。じゃあ、お先に」
「お疲れ様でした」
沙織さんとは帰るタイミングが合えば駅まで一緒に帰るけれど、保育園のお迎えがあり、待たせるのは悪いので先に帰ってもらうことにした。
女子トイレの個室に入ると、新たに女の子たちが何人か入って来たようだった。
みんなメイク直しをしているのか、話し声だけが聞こえてくる。
「神崎部長にはがっかりだな」
この声は経理課の柳橋凛さんだ。
「仕事ができて性格もよくて尊敬してたんだけど、見る目変わるよね」
「そうそう。若い子が好きだったんだね」
ほかのふたりも続けて答えた。それからも三人の陰口が続き、同時に笑い声も響いてきた。わたしは個室を出るに出られず困ってしまった。
しょうがない!
わたしは思い切って個室のドアを開けた。
三人とも驚いた顔でわたしを見たあと無言で視線をそらした。
「随分と盛りあがっていたみたいだけど、悪口はやめようか」
できる限りやわらかく言ってみる。
「……すみません。でも本当のことなんで」
柳橋さんが少し不服そうに言った。
まじめな性格の彼女はテキパキと仕事をこなし、いつも感心させられる。お堅い印象があるけれどわたしの世間話にもつき合ってくれて、けっこう打ち解けていると思っていたのでその反応はショックだ。
「社内恋愛は禁止じゃないよ」
「そうですけど、よりによって相手が結城さんだなんて……」
「なにか問題ある?」
わたしは怯むことなく言った。
「だって……」
「上司と部下だから?」
「それもありますけど、神崎部長が結城さんの面接をしたんですよね?」
ほかのふたりもそのことが気になっているようで、訴えかけるような目でわたしを見ていた。
「神崎部長は、結城さんのやる気や可能性を見極めて採用を決めたんだと思うよ。ふたりに失礼なことは言わないでほしいな」
少し厳しい言い方かなと思ったけれど、ここは毅然とした態度でいくべきだと思った。
「本当にそうなんでしょうか?」
「あたり前でしょう」
「でも、ほかのみんなもそう思っていないですよ」
「え?」
「みんなも結城さんが神崎部長のタイプだったから採用したんだって言ってます。そうだよね?」
柳橋さんがほかのふたりにたずねると、ふたりとも「はい」と同時にうなずいた。
そんなふうに考えてしまうのはわかる。わたしも一瞬思った。でも敦朗はそんないい加減なことはしない。わたしと交際していたときも結婚後も、仕事とプライベートの区別はきちんとしていた。わたしのときはそうだった。
だから結城さんのことも仕事の仲間として採用したはず……。
「それは無関係のひとたちが勝手に妄想してるだけだよね」
「そうですけど、すごく腑に落ちます」
「神崎部長は決して公私混同をしないひとだよ」
「元奥さんだからわかるということですか?」
「そういうことになるのかな」
「それなら離婚して変わってしまった可能性だってありますよね?」
なにを言っても柳橋さんには伝わりそうにない。
でも柳橋さんの言うとおりでもある。離婚後、わたしは敦朗の近くにいなかった。敦朗がなにを思い、なにを感じ、どう変わっていったのか。もしくは変わっていないのか、わたしにはわからない。敦朗はたしかに結城さんに可能性を感じたと言っていたけれど、それだけとは限らない。“無意識”ということも否定できない。
「まあ、どっちでもいいんですけどね」
柳橋さんがクスリと笑みを浮かべた。わたしの動揺を見抜いているのかもしれない。
「じゃあ、わたしたち失礼しますね」
柳橋さんはそう言うとほかのふたりを連れて化粧室を出て行った。
あんなふうに敵対心をむき出しにされるのはこたえる。
それでも立ち向かえるのは結婚したいと思えるほど愛したひとのためだから。誰かに攻撃される姿は見たくない。たとえ報われない想いだとしてもいざというときは味方でいたい。信じてあげたい。




