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アネモネの屋敷 - 5階 3

「……分かりました」

 端的に伝えられたであろう指示を受けて、クリスはジョコーの後ろに控える。

 アネモネは、ジョコーを最早無視出来なかった。腹を貫かれても立ち上がってくる、明らかに異常なその姿。肉体も思考も上書きされようとも、体に積み重ねられた経験が、今やこいつは自分を殺す術まで持っていると危険信号を鳴らしている。

 そして、相変わらず攻撃の一つもそのジョコーには当たらない。大剣をどれだけ振るおうとも、大盾を押し出して視界を封じようとも、そう素早い動きをしている訳でもないのに、全てが見えているかのように命中する事がない。

 その間を縫ってクリスは背後へと回り、ニンファエアと合流した。

「ケンタウロス部分の腰を貫いて欲しいとの事です。そこに異形としての核があるらしく。

 出来ますか?」

「……出来るわ」

 肩を回す。

 気付けば、治療薬を掛けた後も痛んでいたはずの、貫かれた肩が痛まなくなっていた。それどころか絶好調だ。濃厚な蒼月の力の流れに、もう自分も影響され始めている。長く戦闘が続いてしまうのならば、きっといつかそれは反転して、戻れなくなる。

「貫いた瞬間、私はジョコーと共にアネモネの大剣を奪います」

「分かった」

 そしてクリスは、メイスを取り出してアネモネに向かって投げつけ、ジョコーの援護をし始めた。

 見た目は角の大きさ以外殆ど変わっていないクリス。だがメイスの投擲速度は以前より明らかに上がっており、アネモネが身につけたままの鎧を凹ませ、はたまたその後脚を抉り穿つ。

 ニンファエアと言えど確実に避けられるとは思えなくなっていた。

 蒼月の影響を良いようにのみ身に受けた、その適性。

 ……ソニアもそうであれば良いのだけれど。

 そう思いつつ、ニンファエアは自身に補助魔法を掛けた。クリスの投擲を受けてもアネモネはジョコーから目を離せていない。抉られた異形としての脚もそう時間が経たない内に元に戻るが、それまでの間にもアネモネはバランスを崩しやすくなる、はずだ。

 そんな中、後脚を何度抉ろうとも援護になっていない感触から、クリスは聞いてきた。

「……ケンタウロスとしての強みみたいなものを、アネモネは活かせてますか?」

「ケンタウロスと戦った事もないけれど、でも……」

 ニンファエアは、自分が追い詰められた、ジョコーが腹を貫かれた原因となった時の事などを思い出した。

 結局、私が追い詰められたのは、アネモネ本人の技量で……あの馬の胴体は精々、反射的に反撃しているだけだ。

「多分、活かせていない」

「分かりました。狙うなら前脚ですね。狙えるか微妙ですが……ジョコーは避けてくれるでしょうし」

 そう言って低く投擲したメイスは、アネモネの四つ足をすり抜けてジョコーのすぐ隣を駆けていった。

「残弾が尽きる前に当ててよね」

「……努力します」


*


「どちらにせよ……」

「何だ?」

 意味ありげな独り言を呟いたウィローに、そのウィローを背負っているフェンネルが反応した。

「大きな声出さないで。もしかしたら、聞かれてる」

「聞かれてる? ……迷宮の王にか?」

「うん。小声でも聞こえてるかもしれないけれど」

 そう言って、ウィローはフェンネルの耳に口を近付けた。

 首狩りウサギの牙は首をこりゅっと落とす程に鋭く、力強い。背筋が震えたのは仕方がないだろう。

 それをウィローも感じたが、何も言わずに続けた。

「もうそろそろ、私の成長は終わる。6階への道も拓けると思う。

 けれどきっと、動いた瞬間、王も動く。

 下に居るという、トリリーとヤローを呑み込んだ異形が呼べるなら、呼んでくる」

「……」

 フェンネルは串刺しにされて事切れたままのマロウを見た。そして、殺されたであろうダイアンの事を想像した。放置していたら、呑み込まれたなら、復活すら出来なくなる。昇天してしまう。

 けれど、ウィローを支援せずにウィローが死んだら、ここに居る全員が死ぬ事になる。

「…………」

 理屈では分かる。けれど、けれども。

 そして思い出した。ウィローもまた、急いでいるのだと。一緒に巻き込まれたアキャの片腕を喰らってウィローは脱出した。アキャが異形と化す前にウィローも迷宮の王への道を拓きたいと思っている。

 俺だけが、どうしたいかで動くなんて、な……。

 フェンネルは口から言葉を絞り出した。

「……ウィローを援護する。僅かしか時間を稼ぐ事が出来なくても、それでも俺は、盾になる」

「…………ありがとう。

 もうそろそろ、私は背中から降りる。そこからだ」

 フェンネルは、ダイアンが置いていった片手剣と盾を拾った。

 それから尻尾の先に取り付けたままの金具の調子を確認する。

 多分これは、若くして集落を飛び出していった友のもの。

 その遺物を撫でながらフェンネルは返した。

「分かった」


*


 メイスの残り本数が心許なくなってきた頃、ようやく一本がアネモネの前脚を抉った。

「う、ぐ」

 後付けのケンタウロスでしかないアネモネは、体勢を大きく崩す。

「今ですっ!」

 クリスが叫ぶよりも先に、ニンファエアは駆けていた。

 補助魔法と共に体そのものを一本の槍と化すかのように突進し。

「はあっ!!」

 その腰へと突き出した。

 歪な肉塊であるそれは、骨も筋肉もないまぜになっているばかり。蒼月の力によって強引に纏められているそれは、ありとあらゆる外傷を瞬く間に癒してしまうが、防御力は無いに等しい。

 槍はずぷぅと、ニンファエアの想像を超えて深くにまで刺さり、内にあった別の何かにぶつりと穴を開けた。

 途端にその下半身の肉塊は力を失ったようにぐしゃりと崩れ始める。

 後脚で反撃される事もなかった。

「……」

 ……一糸乱れぬとは、こういう事を言うのでしょうね。

 声には出さなかったものの、感嘆を浮かべながら。

 どっ、どっ、とクリスはその大柄な肉体でその隣を駆けた。

 更に大きく体勢を崩したアネモネは流石に振り返るものの、しかしその途端にジョコーの剣が大剣を持つその腕の関節を貫き、反撃を封じた。

 クリスの手にはメイスが握られている。

「MooooOOOO!!」

 振り下ろしたメイスの一撃は、鈍器なのにも関わらず腕を断ち切った。

 がらりと落ちた大剣と、握られたままの手。それをクリスが拾い上げ、諦め悪く握られたままの手を払いのける。

「ぐ、が、わた、わたし、は」

(首を刎ねて、腰を断て!)

 ジョコーの声なき声が、クリスに伝わる。同時にジョコーは、大盾を持つ腕の関節も切り裂いていた。

「分かりました」

 狂戦士化している事もない、冷静な声。

 クリスは戦士として修練を積んだ事はない。……正確に言えば、クリスの膂力に耐えうるような武器は、クリスの力でも振るえないような大柄なものになってしまうが故に、修練を積めなかった。

 それでも、見様見真似に大剣を腰溜めに構えた。

 ……これは、全力で振っても壊れなさそうですね。

 そして。

 横薙ぎの一閃はアネモネの首を刎ね飛ばし、続け様の振り下ろしは異形の肉塊と接続している腰を断ち切った。

「……わあ」

 ニンファエアが思わず声を漏らす程に、その連撃は様になっていた。

 崩れ落ちるアネモネの上体。溶け崩れていく異形の肉塊。

 ニンファエアとクリスの体にも肉塊は少し飛び散っていたが、それも別に何の影響も及ぼす事はなさそうなまま、どれも再び動く気配を見せなかった。

 クリスが大剣を床に突き立てて、言った。

「……やりました、かね?」

 けれど、それにニンファエアが答える前に。

 ジョコーの体も崩れ落ちた。


「ジョコー?」

 見れば、体が端からさらさらと灰になりつつある。

 死体になりながらも、体を動かしていた。その代償だろう。

「……灰は集めておきますので」

 ただ、その通り昇天する訳ではなさそうだった。

 クリスは、協定者なら常に携帯している死体袋を取り出した。

(……助かる)

「蘇生、出来るよね?」

 灰になった上で蘇生に失敗したら、それは即ち昇天だ。

(そう願いたいが……、まだ終わった訳じゃないからな。包んで、さっさと行ってくれ)

「はいはい」

 散っていく灰をなるべく漏らさないように、クリスは速やかにジョコーの肉体を死体袋に詰めて、口をぎゅっと締めた。

「ダイアンとマロウも包まないといけませんね」

「あ……そうだ、早くしないと!」

「……何かまだ居るのですか?」


*


 ウィローがフェンネルの背中から降りた。

 4階の階段を見る。

 あの異形はまだ来る様子はない。

「……?」

 何かが、引っかかった。それは致命的な気がした。

「あ……ウィロー、ウィロー!」

 即座に走り始めていたウィローが、振り返る。ほんの少しの時間で、6階の真下にまで着く速さだった。

「待て、待て! 何か、何か、忘れている気がするんだ! そのまま行っちゃまずいような、何か」

 ウィローはけれど、それを聞くと、再び前を向いて走り出した。

「えっ、いやっ、おいっ!?!?」

 慌ててフェンネルがウィローを追いかける。そして、ウィローは何故か無意味に横に飛び、中央への最短距離を通らず、何故か遠回りをする。

 その理由を、フェンネルは後から理解した。

 ウィローは予め理解していた。全く見えない転移の罠、それを仕掛けているであろうと……いや、蒼月に愛されているが故に、フェンネルには全く見えない転移の罠そのものを見透かしている。

 それをフェンネルに伝えなかったのは、明らかに意図的だ。

「…………それって」

 罠を理解した上で、攻略する予定だった。最速で。

 じゃあ、俺は邪魔をした訳か?

 フェンネルは、ウィローの辿った道をそのままなぞる。転移の罠が設置されたであろう場所。

 ……じゃあ、看破されたと分かったら、何をしてくる?

 どぢゃっ。

「……だよな」

 ウィローとフェンネルの間に肉塊が唐突に現れ、落ちた。

 トリリーとヤローを呑み込み、蘇生すら出来なくさせた異形が転移してきた。

 フェンネルはダイアンの剣と盾を持ち、僅かに逡巡し、それを肉塊に向けて投げつけた。

「おい、こっちだ!!」

 うじゅる、ぞるる、ぐぢゃあ。

 肉塊は剣と盾を一度呑み込み、吸収出来ないものだと分かると吐き出し、捨てた。

 そして、動き始める。フェンネルの方に向かって。

「……よし」

 ぎぎゅ、ねぢゅう、うぞぞっ。

 フェンネルは後ずさる。続いて尻尾に装着していた棘付きの鉄球を投げつけた。

 変わらず、一度吸収した上で捨てられた。

 ぎゅむ、と収縮するような音がして、咄嗟に伏せる。

 投擲の速度と変わらない速さで、肉塊から触手が放たれ、それはフェンネルの頭があった位置を通り過ぎていった。

 ……何度も躱せない。当たったら最期、あれに包み込まれるのだろう。

 心臓が高鳴っている。

 その時だった。


 どぢゃっ。


 もう一つ、ウィローの向かった方向から。

 肉塊が落ちた音を聞いた。

 フェンネルは思い出した。この肉塊は、1階に数多に巣食っていたであろう異形達を喰らい尽くしたという事を。

 肉塊は……分裂出来るほど成長していた。

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