アネモネの屋敷 - 4階
4階。
5階にまで続く階段の途中。
[MA・FELU!!]
マロウの詠唱と共に、刃と化した風の音がこちらまで聞こえてきた。
「ササンクァ、フェンネル、ブライリーはそっちから向かえ、俺とダイアンは別方向から救援に向かう。
大丈夫だ、3階のアレよりは危険度が低い」
「分かった」
そう言ってすぐに2つに分かれて動き始める。未だに落ち着いていないブライリーはフェンネルに引っ張られて行った。
そして、雑談する時間もなくすぐに戦闘している場所にまで着くと、廊下で複数の異形に挟まれて戦っているニンファエアと、マロウ、リコリスが居た。
二人の魔術師が出来るだけ矢面に立たないように、双方から来るニンファエア一人が槍と杖を巧みに使って異形をどうにか食い留めていた。
「……やっぱり、あいつは天才なんだな」
「だな」
背後から、人の形をそう崩してもおらず、そして時に魔法も弾いてしまうようになった異形に斬りかかる。
「ゔぇあ!?」
急所を貫いたのにも関わらず反撃してくる。
頑丈で、何をして来るのか読み辛い。きっと技巧じみた事も魔法すらも使ってくるだろう。
だが、そこには触れてしまうだけで死に直結するような恐ろしさはない。そして、斬る、貫くといった物理的な攻撃が有効である。
殺せる。
そしてもう片方の異形にも遅れて追いついたササンクァとフェンネルが斬りかかった。
ジョコーは、ニンファエアと目が合った。
そして、ニンファエアがほっとした表情を見せたその瞬間。
「……おいっ!」
ジョコーが叫んだと同時に、ニンファエアは背後からの攻撃を、避け損ねた。
*
挟み撃ちにされていたところを、挟み返した事でその後の戦闘は犠牲もなく、また誰かが深手を負う事もなく終えられた。
だが、布を噛み締め、回復薬を貫かれた肩に流すニンファエア。
「グッ……ぎいっ……」
目から少し涙を流しながらも、祈祷の効果も含まれているその薬によって、瞬く間に傷は塞がった。
「大丈夫か?」
ニンファエアは肩を動かしたり、手を握ったりして様子を確かめるが、痛そうな顔を隠せていなかった。
「大丈夫……と言いたいところだけれど、動くと痛むわ。
この先、支障が出るかもしれない」
この回復薬は高額な代物だった。人数分を揃えたらワイバーン級の依頼の報酬など軽く吹っ飛んでしまう程のものだ。
けれども、足を貫かれたリコリスが未だ走る事も難しいように、本物の祈祷とは効果に天と地の差があった。
ただ、そんな傷の痛みよりもニンファエアには気になる事があった。
結局戦闘でもほとんど役に立つ事もなかった、気が動転しているままのブライリーを見る。
そして……伺うようにしながら聞いてきた。
「……上には多分ソニアとクリスが居るのだろうけど、ヤローとトリリーは?」
精神衛生を考えたら、ただ死んだとだけ返す事も考えられただろうけれども。
ブライリーの様子からして、隠す事も出来ないと踏んだジョコーは、包み隠さず答えるしかなかった。
「……昇天した」
その言葉に、リコリスとマロウも息を呑んだのが聞こえた。
ニンファエアが祈るように加えて聞いてくる。
「…………死んだのじゃなくて?」
「3階に、全てを呑み込む肉の塊の異形が出来ていた。そこからそれぞれの装備が零れ落ちてきていた。
その場面を直接見た訳じゃないが……2人は呑み込まれて骨も肉も等しく吸収されたとしか思えなかった」
そこまで言い切ってしまうと、辺りを沈黙が包んだ。
誰も何も言えず。
しかし、バラバラにしても未だに動く異形の破片に剣を突き立てて、ジョコーは続けた。
「とにかく。5階に行って、王を殺さないと俺達全員、ここから出られずに異形に成り果てるだけだ」
「……」
そんな最中。リコリスが自分の両手をじっと見つめていた。
「リコリス?」
「そうね、急がないとね」
そう言うと、リコリスは自分の両手を全員に見せつけてきた。
手には、指が6本あった。どちらの手にも、あたかも最初からそうであったかのように、5本ではなく、6本の指が。
マロウが聞いた。
「気分は?」
「走れない事を除けば絶好調。でも多分、ここから魔法を頻発したら、うん……どうなるか分からない」
「そう……」
悲しむ時間などない。
少しだけ話し合って、リコリスとササンクァ、それからブライリーは4階に留まる事にした。
そもそも、あの12人の中であの肉塊を殺せるのは多分、炎の魔法を得意とするリコリスだけだ。
だからもし3階と4階に転移したのが逆だったら、きっとどちらも無傷のまま異形を殺せていただろう。
……仮定の話でしかないが。
ササンクァは鎧を脱いで身軽になり、その上でリコリスの足となる。
そしてまた、ブライリーは未だに立ち直れていなかった。
「……それで、5階に行く前に1つ聞いておきたいんだが」
フェンネルが我慢しきれなかったように、ジョコーをじっと見て聞いてきた。
「何だ?」
「そうするしかないにせよ、壁の一つも壊せない俺達が、5階に行ったとして迷宮の王を殺せるのか?
勝算はあるのか? ……いや違うな、お前の感覚は、5階がどう見えているんだ?
もう少しそれを聞いておきたい」
ジョコーは階段の上をじっと見た。
「俺の目に見える危険と言っても、多種多様でな。
全員が5割の可能性で死ぬような全員に等しく降りかかる危険もあれば、特定の誰かがほぼ確実に死ぬだろうなって思えるような偏った危険もある。
言ってしまえば、上に見えるのはその両方だ。
けれどな、ここにじっと留まっているよりは、希望が見える」
「希望……」
「それは勿論、ここから、これ以上の犠牲を出さずに出られるっていう事だ」
「その可能性は、数値に出来るのか?」
ジョコーは呆れたように言った。
「聞かれたら答えるしかないんだが、それが士気に関わるとか考えないのか?」
「…………いや、良い」
それでも、ジョコーは5階に行った方が良いと考えているという事だ。
……こんな事になるとはほんの少し前までは全く思ってなかったんだけどな。
心底そう思いながらも、フェンネルは深呼吸をして覚悟を決めた。
「もしその肉の塊とやらが来たら、せめて、邪魔にはならないでね」
「う、うん……」
「……死ぬなよ。馬鹿な事も考えるんじゃねえぞ」
「うん」
「皆で帰って、きちんと弔いましょう?」
「うん……」
三者三様の言葉を貰い、それでもブライリーは不安そうな顔で、障壁が失せている5階へと登っていく5人を見続けていた。
*
首狩りウサギの依頼の帰路にて。
ソニアが聞いてきた。
『そういや、あんたって何の神に仕えてるんだ?』
『私も知らないんですよね。気付いた時には治癒の魔法とかを使えていたので』
『……は?』
『珍しいけれど、居なくもない、という位には居るようですよ。中には一生分からないままの方も居るとか』
『そりゃあ、何とも……』
ソニアは納得出来ないような素振りをしながらも、理解だけはしたように言葉を発した。
『ソニアさんは……神と直接話したりするのですか?』
『私にとっては当たり前だったけれど。別に話せる事はないよ』
『……私が異教徒だからですか?』
『水神様はそんな狭小じゃない。誰しも水とは切って切り離せないからね。
ただ、だからといって水と深く関わっていない奴等にまでそこまで心を開かないだけ』
クリスはそれに対して、先頭をニンファエアと共に歩くジョコーの耳を見た。
水神のお守りが、ピアスとして揺れている。
『私もアレにはあんまり良いようには思ってないけど。ニンファエアは……うん、ちょっとおかしいから』
まるで不敬なものを見る目をしていたのを、クリスは良く覚えている。
『……まあ。私がそれでも言える事としたら、水神様に限らず神様というのは多分、気紛れに見えるものだと思う。
私らとは比較にならない程の長い歳月を、私らとは全く異なる物の見方をしながら生きてきているのは間違いないから』
『けれど、それには紛れもなく意志がある、と』
『確実に』
今の自分の力ではこの部屋から出る事は出来ない。
そうすぐに理解したクリスは、その場に寝転がって目を閉じた。
諦めた訳ではない。出る為の手段が、抗う事と等しかったからだ。
悪意のある蒼月の力に対し、自身にとって都合の良いようにのみ受け入れる事。5階に飛ばされたクリスはウィロー程ではないにせよ、蒼月への適性が高かった。
「私は、どうなりたい?」
考えるべきは、ただそれ一つ。
この身に今も貫いてくる悪意のある力に抗う為に、その未来に向けて意識を集中する。
……けれども。
クリスは、何故自分が神と呼ばれるような存在に愛されているのか、知らない。それがどのような神なのかも、未だに。
ミノタウロスという種族の中ではこれでも高い魔法への適性。そして同時に、小柄ながら密に詰まった筋肉を持つが故に、種族の中でも怪力でもある。
ただ単に、優れた肉体を持つから? それとも私が、小柄だと虐めてきた年上を殴り殺す程の怒りを持っていたから?
その殴り殺した事が、何かに愛された結果なのか、それとも愛される原因になったのかも知らなかった。
それが原因で集落から追い出されて、子供にして一人彷徨っていた時も。ギルドに拾われて色々な事を学んでからも。ジョコーのパーティに入って色々な任務をこなすようになっても、色々な研究を受けても、戦いにまつわるものか、それかもう少し薄暗い、復讐のような概念を司るものに愛されているのだろう、というぼんやりとしたものしか分からなかった。
神と話した事はない。感じ取れる事すらない。こんな状況になった今でさえも。
けれどそれに意志があるのならば。
この状況ですらも、今の自分で打破出来るものだと考えても良いのかもしれない。
その上で、クリスは自分がどうなりたいかを考えた。
*
ソニアはすぐに、自分だけが閉じ込められた空間に転移させられた事に気付いた。
庭園に入った時から薄らと感じていた蒼月の力の流れが、庭園に居た時とは比べ物にならない程に濃厚で、不快に感じられる。
すぐさま身につけていた水神のお守りを5つ身体から取り外して、手の平に包み込み、祈る。
すると程なくして身体に水神が降りて来た……ものの、いつもと違ってそれはとても希薄だった。
「……水神、様?」
【領域が区切られている。この石に込められた分しか力を発揮出来ない】
「え……」
途端にソニアは息が激しくなった。鼓動が激しくなり、身体から水が抜け出していくような感覚に陥る。
水神を呼び出す事が出来なければ、ソニアは男達のように優れた身体能力も持たないただの僧侶でしかない事は、ソニア自身が誰よりも分かっていた。
【落ち着け、水の子。
全ての石を使えばどうにかなるかもしれぬ。だがそれよりも、落ち着く事が先だ】
水神の説得により、ソニアは少しだけ落ち着いた。
【まずは、少しでも清らかな流れを見つけるのだ。この下水のような流れに身を晒していては、幾許もしない内に水の子は汚泥に包まれ、二度と戻れぬ】
「……」
【己の感覚に意識を集中させるのだ。水の子ならば……】
そこで、ぷつんと声が聞こえなくなった。
微塵も。
「…………水神様?」
手の平に包んでいた深い青の宝石は、既にどれも力を失っていた。
「たった、これだけで??」
今までソニアは、矢面に立った事など殆どなかった。あったと言えば、クリスに対して、水神を侍らせて一方的に激流で流し尽くした事くらい。
水神に近くで仕える身として、集落の中で誰よりも努力してきた事は自他ともに認める事であったが、こうして死を通り越して昇天に等しい危険に晒された事はなかった。
元々身につけていた、20のお守り。
ジョコー達に5つ渡して、そして5つを既に消費してしまった。
残り10のお守り。呼び出せるのは2回。呼び出したとしても助言を僅かに聞けるのみ。
それでも、縋るようにもう5つのお守りを手にしたくなる。
そう動いてしまう片腕を、もう片方の腕で掴んで、必死に下ろした。
「……出来る。私なら、出来る」
水神様が言ったのだから。私は清らかな流れに身を委ねて……。
「……それから?」
ソニアには、その先を想像出来なかった。




